2013年

7月

30日

2013年07月30日(火) №63 『 詫びようとしたら ~ 師長さんは大きく手を振った ~ 』

退院してから一日過ぎてのご報告。ときどき痛みはありますし、ごくあたりまえのことのようですが出血もあります。でも、ごく普通に休養しております。

 

退院の日は、10時15分から、退院する患者さんを集めて、慣例の師長さんからの【退院に備えてのレクチャー】があった。

 

女性4名、男性4名。気の利いた抹茶が入れられ、黒砂糖の甘みがチョコンと添えられている。お世話になった病院の空間作りは圧倒的にすばらしく、ハッキリ言って、そこらのシティーホテルよりもずっと上を行く。

 

金曜日の午後には毎週30分、ピアノの演奏会がある。わたしの時には、フルートと一緒に、思い出のPopsや夏の唱歌が奏でられていた。朝は7時頃から9時頃まで、クラッシック音楽がBGMとして静かに流れる。いいもんです、ほんまに。shower roomも快適だったし。

 

            ****************

 

「わさび、練りからし、カレー粉。食べてはいけないというのは全部嘘です。今申し上げたものは、お腹を通って全部外に出てしまいますから安心して召し上がって」との御言葉に、みんな深くうなずく。

 

「いけないのは、唐辛子、一味、七味、キムチ等ですよ」

 

さらに
「朝一杯の水は正しいです。たくさんの水、大体1.5リットルは一日に飲んで下さい。ただし、朝の食事をとってから。水は食後ですよ。そうでなければ、おしっこになるだけですから。夕食後はもう寝るだけだからほどほどで。トイレで目が覚めますね・・・」

 

「アルコールは一ヶ月はダメです。〈すすきの〉から急な出血で運ばれてきた人が去年は2名いました」には一同大笑い。

 

その他、ドクターが忙しくてお伝えできなかったことをお話ししますということで、かの、全日本女子バレーのセッター竹下選手(過日引退を発表されましたが)バリの

師長さんは、時に厳しく、ビシッと指導してくれた。

 

そうそう、「肛門は綺麗にし過ぎないでください。滅多なことでは肛門は負けません。菌に強いのです。そういう風に出来ているのですから。痔の低年齢化は、赤ちゃんの時から清潔にし過ぎているのが間違いなく原因です。」とも。

 

なるほど、わたしにも思い当たるところが多々ある。

 

日本一の手術件数の意味もよくわかって来た。そして、特殊な手術方法を編み出し、追随をゆるさない、肛門科治療のリーダーである病院の自信に良い意味であふれていて、聴いていて壮快だった。

 

女性の患者さんからの質問で

「入院してから下痢が止まったんですがなぜでしょう。アルコールですか?」

 

「たぶん、ストレスがないからだと思いますよ。現代はストレス社会ですから」

 

「あー、主人です犯人は」に一同再び爆笑。

 

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退院まで数時間。実は、師長さんが来られるこの時間。最後にひと言、お伝えしなければと考えていたことがあった。

 

「詫び」である。

 

①~③でわたしとの思いがけない形でやり取りしていた看護師さんに、「あの時は、少し強く言いすぎてごめんね」というような事を伝えるべきかなとずっと気になっていた。時々、わたしの居た403号室にも来ていたが、どうしても声を掛けられなかったのだ。

 

師長さんと二人になり、少し講義関連のお話もした。最後に、「師長さん、別件なんですが・・・・」と切り出してみた。

 

すぐさま笑顔になった師長さん。手を大きく振りながら言われた。

 

「ぜんぜん、気にしないでください。本当にいい勉強になったんです」

 

「そうですか?」

 

「カンファレンスでも確認しましたが、森さんが、変な形で何かを言われるような方ではないと私たち受け止めていましたし、敢えて、お詫びには来させませんでした。本人も重々反省しています。あの時のやり取りに、患者さんの気持ちを聴く姿勢あった・・・・かと。私たちの勉強になるよい機会だったんです」(いやはや、オソレイリマス)

 

「じゃ、後はお任せいたします」とわたし。

 

            ****************

 

眠れない土曜日の深夜。午前2時22分頃。ナースステーションに痛み止めをもらいに行った。

 

静かだった。

 

かの看護師さんではなかったが「静かですねぇ」とわたしがひと言。

 

「今、やっと落ち着いたところです」とやや疲れた表情で応えてくれた。

 

夜勤は2名のようだった。

 

毎晩19時過ぎになると、“トントン”と部屋の扉をノックする音がする。「失礼しまーす、きょうお部屋を担当する看護師の○○でーす。よろしくお願いしまーす」と声を掛けてくださる。

 

それぞれの看護師さんの個性がすごく出る時間だと思っていた。

 

22時の消灯後から既に4時間以上。あれやこれやで駆け回って、おそらく、メモしたことの一つ一つを片付けるていくと、夜勤の方はすぐに2時を過ぎるのだろう。

 

あたりまえのことを当たり前になさっているのだろうと思う。とは言え、頭がさがった。その後も、3時、4時とラジオの時報が聞こえる頃に、懐中電灯が照らされて部屋を見回って居られた。

 

****************

 

退院の日。

 

わたしは昼食を済ませ、スーツケースに荷物をまとめ、じぬし専用の座蒲団を脇に抱え、ゴロゴロと引きながら2階のナースステーションに出向いた。

 

「たいへんお世話になりました」とひと言伝えた先には、いつものように、看護師さんたち10人程が、立ったまま肩を寄せ合って、細長まるのテーブルを囲んでミーティング中だった。たしか、あの看護師さんの後ろ姿もそこにあった。

 

これもいつもの風景なのだ。

 

「あっ、森さん」の師長さんの声を聞きながらわたしはエレベーターに向かう。Staffの皆さんの「お大事にしてください」の声が重なるようにして後ろから聞こえて来た。

 

わたしにとって、久しぶりに無所属の時間を過ごせた希有な1週間。神に感謝。end

2013年

7月

28日

2013年07月28日(日) №62 『 入院 ~ そこに教会があった~ 』

入院先にお見舞いにお出でに下さった、ひとりのご婦人がこうわたしに語りかけた。

 

「先生、今度の日曜日、教会はどうなさいますか?」

 

実はわたし、とても礼拝なんて行けないよなぁ、と入院前に考えたきり、その件、どこかに放り出していたのだった。

 

だから、「どうなさいますか」と言われて、「こうします」という答えは無かった。

 

さりとて、程ほどの回復具合を実感しつつあったので、おそらく日曜日は教会へという本能を抑えるのも難しい。

 

でも、車もないし、慣れない札幌を電車やバスを乗り継ぐ体力もない。Taxiで知り合いの教会に行くのも気が引けるというのが正直なところだった。

 

「先生、今度の日曜日、教会はどうしますか?」と語りかけたご婦人はこう続けられた。

 

「病院の駐車場に迷って見上げましたら、○○○○教会がすぐそこのマツダの所から入ったらありますよ・・・」と言われるではないか。

 

嬉しかった。すぐ近くに教会があることを知っただけで。

 

            ****************

 

そんなやり取りがあった翌日。信頼する札幌在住の牧師夫妻が遊びに来てくださった。

 

先のご婦人は、目の前に座っている牧師夫妻とは旧知の仲だと知っていたので、○○○○教会が、道路の向い側の、歩いて5分程の所にあるという話を伝えてみた。

すると、

 

「森先生、○○○○教会は、わたしが結婚するまで5年間お世話になった母教会です。当時導いて下さり、牧会してくださった○○○○先生は、今はその教会でのお働きを無事終えられて引退。今も出席されています。わたしたちが婚約式を挙げた教会なんです」と仰るではないか。

 

いやはや、世間は狭いというより、神さまが、“またまた”目に見えて働かれた。“たまたま”ではなく、またまた神は姿を見せられた。

 

日曜日の朝が楽しみだった。

 

前日までにつらつらと眠り過ぎていたからか、日曜日を前にやや興奮気味だったからか分からないが、夜中に目を覚ましてしまい、NHKの【ラジオ深夜便】を生まれてはじめて終了まで聴いてしまった。それはそれであれこれ考えられて感謝だった。

 

日曜日の朝10時。

 

外出許可書には、看護師さんの指示通り記す。
◆目 的:退院準備のため

◆目的地:病院周辺

◆時 間:10時~12時

◆緊急時の連絡 携帯番号 080・・・・・

 

○○○○教会は、わたしの属する日本基督教団ではないところがまたよかった。興味津々、わくわくの日曜日である。妙な気もつかわなくてよろしい。ひとりのキリスト者で居られる。

 

受付でもたついていると、先の牧師夫人が電話を入れておいてくださったようで、「森牧師ですか」と声掛けされてビックリ。だからといって何の特別扱いもなく礼拝は始まった。座布団を借りてきて、三重にして座ったこと以外は何も。

 

説教が始まったのは10時55分。何分お話になるのだろうかというのも興味があった。

 

手振り身振りが入り、熱い語りが最高潮を迎えた頃、時計は11時40分を過ぎていた。徒歩5分とは言え、外出許可を頂いた約束の時間に間に合わないのはまずいと思い、途中で礼拝は失礼することにした。残念。

 

しかし、語りのペース。そして、ヘブル書からの説教のみ言葉の切り口、聖書の引用の仕方。旧約を開き、さらに、イシュマエル誕生直後のアブラムの謎の13年等、わたしにとっては教えられることばかりだったし、考えさせられた。

 

やはり、説教を聴かせて頂くことが必要だと感じた。

 

かなりゆっくりしたペースで語られる80歳前後とお見受けした先生の言葉数は、決して、多くはなかった。普段通りの時間配分なのか、それとも、久しぶりの説教で力が入られたのか、それは分からない。

 

でも、そんなことはどうでもいいじゃないか。

 

そこに教会があった。ただそれだけでも感謝。そんな日曜日であり、土曜日であり、1週間の入院の日々となったのだ。end

2013年

7月

28日

2013年07月28日(日) №61 『 “ 大じぬし ”返上記 その④ ~ 小さな巨人がそこに居た! ~ 』

③からの続きです(①②③、特に、②以下を先に読まないと???かと思います、悪しからず)

 

ナースステーション奥の間に移動し、まーるい穴あき座布団(肛門が痛みません)を敷いた椅子に座ったわたし。リーダーの看護師さんに語り始めた。

 

「かくかくシカジカでですね、やっぱり、わたし、おかしいと思うんです・・・看護の“看”は“ね、“手”と“目”で・・・でしょっ!」(5分経過)「森さんのお気持ち、よーくわかりました」(と言ったかは、なぜか、あまり覚えていませんが、大体そんな感じです)

 

リーダーは「今後はそういうことの無いように、徹底いたします」という意味の事を言われたと思う。その頃には、わたしの持って行きようのなかった気持ちは、ほぼ納まっていたし、もういいやと思っていた。

 

何より、個人的には、看護師さんもある意味被害者だったのではと感じ始めていたのだった。

 

そして、あんまり大人げないことを言っていると、恥をかくのはわたし。ましてや入院前の問診表になぜか職業欄があって「団体職員 牧師」と書いていたことが頭をかすめる。

 

「あーあ、やっぱりキリスト教の牧師なんてろくなもんじゃ無いわ」となるのも不本意ではないか。でも、言わなきゃ分からないこと、伝えてあげなきゃ伝わらないことってあるのも事実だろう。

 

****************

 

「それじゃ、失礼します」

 

と、わたしは立ち上がったときに、姿を現した小柄なお方が居たのだった。

 

「わたくし、師長(婦長)の○○と申します。今、リーダーに森さんがお話しになっていたこと、全部ここで聞かせて頂きました」(ドキッ)

 

「ぜんぶ、森さんのおっしゃる通りです。言って下さって、本当にありがとうございました」と語りかけて来るではないか。そこで話を聴いている人が居るとは全く気付かなかったわたし。制服の人の往き来だけは感じていたが・・・。

 

師長さん。やや紅潮した表情で続けられた 

「モリさんは二つのことを指摘下さいました。一つは医師の問題。インフォームドコンセントですよね。それが出来ていない。もう一点は、看護師の対応の問題です」と。

 

小柄な師長さん。でも、存在感はありあり。例えて言えば、女子バレーボール日本代表・ロンドンオリンピックの名セッター・竹下選手風。

 

「森さんの声の下には、黙って居られる10倍以上の方の思いがあると思います。医師の方のことは、明日から、直ちにというわけにはいかないかも知れません。でも、看護師のことについては、言って下さったことを決して無駄にはしません。徹底しますので。それから【院長直行便用紙】というものがありますから、ぜひ、お記し頂いて、ポストに入れて下さい」

 

師長さん。概ねそのように言われたのだった。

 

うーん、これに似たことが以前もありましたねぇ。

 

とある九州の開院間もない内科胃腸科クリニックで、夜の7時迄は診療だからと6時59分に飛び込んで行ったとき、何と「本日の診療は終了しました」の札が下げられていた。

 

診察室に入って既に面識のあるわたしは「院長先生、オカシイデスよ。何とか間に合わせようと思って走ってきたのに・・・。19時迄の診療だから・・・」とひとしきり語った。

 

すると院長先生、近づいてきて耳もとに小声でこう言われた。

 

「森さん、ありがとうござます。言って下さって。助かりました」と。

大人の世界ってこういうのなんですなぁ。いやあーねぇ。

 

            ****************

 

時は流れて翌日、朝の回診の時間である。

 

間もなく回診の案内があってからしばらく経っても、403号室に先生ご一行がお出でにならない。何やら遠くで声は聞こえる。

 

そう、各部屋をご一行はゆっくりと進んでいる様子だ。

 

この日は、回診に来られたドクターの傍らに、師長(婦長)さんとリーダーのお二人が何故かびしっと立っていた。毎回そうなのか。いや違うのではないか。

 

ドクターは気のせいか神妙な表情をしているかに見える。そして、わたしにもしっかりと顔を見せて、十分な時間を費やして下さった。その後も、以前からどうしても確認しないと不安を感じることがあったので、あらためて時間をつくってくださり、別室でじっくりと相談を聴いてくれた。

 

午前の手術が終わったあとのドクター。

 

もしかするとここまでツラツラと記してきたことを詰問されると思っていたのか、いや、もともと恥ずかしがりなのかしら、との印象もある先生だった。やや顔を逸らし気味だ。

 

先生緊張させてごめんなさい。もうわたくしの方からは、これ以上何もありません。

 

人の振り見て我が振り直せ。

 いつも忙しそうな牧師センセイ。それはいかんよなぁ。

 

そんなことを思う “元・おおじぬし”なのであります。end 本編終了なり

2013年

7月

28日

2013年07月28日(日) №60 『 “ 大じぬし ”返上記 その③ ~ お尻だけじゃなくお顔も診てね ~ 』

②からの続きです(①②を先に読まないと???かと思います)

 

「こちらには、こちらの事情があるんでしょ、看護師さん!」と叫んだわたし。

 

そう叫びたくなる重ねての事情をご説明いたします。どんな事情か。

 

用が終わってからももちろん直ぐには立ち上がれない。“お便”が通過したお尻は水洗=ウオッシュレットすることになる。いやこの場合(手術を終え、最初の診察)、お便が通過していなくてもフツウ水洗を求められる。出血もまだまだありますしね。

 

ドクターに診て頂くと思えば念入りにという気持ちにもなる。これでさらに1分は掛かります。さらに、慣れないT字帯の紐を軽く結ぶ。そして、フックにぶら下げていた寝巻きを狭い部屋の中で身につけるということになる。

 

それだけではない。“じぬし”同士のトイレ使用のエチケットが記されているのだ。

 

「入院中でたいへんでしょうが、除菌スプレーで、便座と取っ手を拭きましょう」と。

 

というわけで、外に出てきたときには、当番医はどこかに行ってました。そりゃそうですな。当然です。

 

****************

 

不満顔の看護師さん。わたしを2階の(わたしは4階に入院)ナースステーションに案内しながら、わたしが努めて冷静に語るのを(端から見ればぶつぶつと言うオヤジに過ぎません)話を聞きながら「でもーっ・・」と反論してくる。

 

ナースステーション付近でついにわたしは言った。

 

「看護師さん、おかしいでしょ。お医者さん第一ではなく、入院患者さん第一なんじゃないの?術後最初の便だよ」「じゃぁ、士長(昔の婦長さんのことですな)にお話ください(自信ありげだったか、わたしに言われても困るぅー、なのか?)」

 

「・・・・」(無言のわたし)

 

しばらくの間、ナースステーション脇の別室・処置室に横になっていると、女医さんが姿を見せた。どうやら、回診に来られた執刀されたドクターは既に午前の手術に向かい、代わりの医師が顔を見せた模様。

 

「森さーん、いかがですかー。はーい、ちょっと傷口診ますねぇー。はーい、いいですよ」

 

最後に「痛み、我慢しないで言って下さいねぇ。お薬出しますから」と、部屋を出掛かった所で声を掛けられた。これは、何度も他のstaffから聞いた言葉で、暗記しました。

 

こちらはと言えば、幾つかの質問してみたいなぁ、確かめてみたなぁと思っていたことも聞けない。

 

もしもこの時、ドクターがベッドの脇に来て、「手術たいへんでしたね。でも、だいじょうぶですよーっ。“お便”も出てよかったですねぇ。順調です(ニコ)」だったら良かったかもねぇ。

 

いや、本当ですよこれ。

 

切られてからまだ24時間も経過していない。当然痛い。もしそこで、先生の笑顔とか、握手とか、「何かあったらどんなことでもいつでもお尋ね下さいね」のひと言が先にあれば、痛み半減、元気50倍ではなかろうか。

 

でも、患者は感じちゃうんだよなぁ。

 

「わたし(俺たち外科医)は、秒単位で働いていて、忙しいんですよー」という空気をですネェ。シクシク。

 

看護師さんも、(想像ですが)「ほーらね、もりさん。お忙しい先生を煩わせて。“お便”をモリさんがサッとしないから、こういうことになっちゃうでしょっ!お馬鹿さんね」と言っているように感じてしまうんだよなぁ、オイラには。

 

ドクターが去った後の処置室。わたしは何だか気持ちの持って行きようがないのと、お尻がまだまだ術後19時間程しか経過しておらず、痛いのもあってか、ボーッとしていた。

 

一方看護師さんは、「はーい、いいですよ。お部屋にどうぞー」と何事も無かったかのように、のたまう。

 

その声を聞いて思い出した。

 

あれ、あれ「師長にお話し下さい」と言っていた、かの件はどこに消えたのかしら、と、思い出してさらに“カチンコ”ときてしまったわたし(もう少し大人になれよと自分に語りかける)。

 

「(いいですよ、じゃないでしょ)看護師さんの方からボクに、師長にお話し下さいって言ったから待っているのにー」と伝えると、「そ、そうですか」と姿を消した。

 

待つこと30秒。姿を見せたのは“師長(婦長)”さんに次ぐ役回りの“リーダー”と名乗る看護師さんだった。はてさて、結末はいかに。続く end

 

※実に、意外な展開が待っておったのです、これが。次の④で本件は終了。ながながお付き合い頂いた皆さま、ドウモスミマセン。

2013年

7月

28日

2013年07月28日(日) №59 『 “ 大じぬし ”返上記 その② ~ その時 わたしは叫んだ ~ 』

「事件」(笑)が起きたのは術後1日目の朝だった。

 

朝食も済み、歯磨きも終わって「間もなく回診がありまーす。準備をお願いします」という看護師さんの声が聞こえた頃のこと。そうですなぁ、9時頃です。

 

各部屋には平日は毎朝その日の回診担当のドクターが顔を見せる、というかお尻を見に来る。患者はさっとお尻を診て頂く段取りをしなければならないので、詰め物を外したり、一定の方向からドクターは来るのでそちら側に向けて横になるというわけだ。

 

しかーし、わたしはその頃あいにく「便意」を感じていた。なんと、手術後の夕食もおかゆではあったが出されていたので、出るべきものは出るのかも知れない。いや、もしかするとプーかスーだけかも知れないが・・・、それは、神のみぞ知るである。

 

手術後最初の「お便」(看護師さん用語)って、フツウに考えても大事である。

 

「とにかくトイレへ行こう」。

 

わたしは重大な決意をもって起き上がり始めた。術後最初の起き上がりなので、機敏には動けない。

 

4人部屋の入口に2つの快適なトイレ空間が準備されている。特にわたしは入口付近のベッドに居たので、徒歩9歩で着座可能。元気なときであれば10秒以内で到着である。

 

しかし、術後ということで、個室に入るまでも時間は掛かる。さらに入室後も、病院から貸し出されている術後専用の寝巻きを脱がなければならない。それは壁のフック掛ける。

 

さらに、手術を受ける人は必ず準備することになっている“T字帯”を外さなければならぬ。いわゆるふんどしの簡略版ですな。

 

個人的には、わたしの幼い頃、祖父が“ふんどし”を愛用していて、ある時期まではごく当たり前に夏はそれで海に泳ぎに行っていた。そういう時代でした昭和40年頃の大分県の大分市大在(おおざい)の浜辺は。

 

T字帯にも慣れないわたしだからもたつく。さらに、手術部位のガーゼも外す。ようやくこれで“お便”の出番である。準備完了まで、どうでしょうテキパキ進んでも2分位は掛かるでしょう。わたしは3分掛かったはず。

 

一般論として、トイレは5分を目安に。力みはいけません。それでも出ない場合は引き上げましょう、という注意書きが記されていたりする。わたしもそれは理解できます。力みはからだに悪い。

 

でも、ご報告の通り、“出番”までに数分はかかるわけです。水洗を済ました頃に、ベッドに不在のわたしを確かめたのだろう。看護師さんの声がドア越しに聞こえた。

 

「もりさーーーん、まだかかりそうですかぁーー!。先生もういらっしゃいますよー」

 

わたくし思わずカチンかコチンと来ましたね。そして、断固として申しました。

 

「こちらには、こちらの事情があるでしょ、看護師さん!」
続く。

2013年

7月

28日

2013年07月28日(日) №58 『 “ 大じぬし ”返上記 その① ~ 歯医者さんと同じでした ハイ ~ 』

入院先の病院でPCとインターネット利用出来る環境があったので、退院間近の暇に任せて「Blog修行」しています。以下、④までは確実に入院先での修行結果です(笑)

 

まずはご報告。1年間と数ヶ月来の課題だった「痔瘻(じろう、穴痔とも言うらしい)」の手術を無事に終えた。送りだしてくださった教会の方々にまずは感謝である。

 

わたしの場合、とあるご婦人のお声がけで札幌の肛門科専門病院にお世話になったが、遠路はるばるではあるけれど、札幌まで上って来て大正解だったというのが実感だ。

 

それにしても、全国的にも知られる某大病院の若手のドクターから1年前に「手術をすると40日間は清潔にするための入院が必要なんですよー」と真顔で言われていたのがまるで嘘のように、というか嘘でしたが、入院からまる7日間で退院。我が家に無事帰還予定である。

 

入院した翌日の午後1時に手術室へ。1時間半で部屋に戻ってきたが、手術室には同じ時刻に3人が運ばれてきて同時に手術を進めるという、超効率的な手術方法をお世話になっている病院では編み出していて驚いた。

 

カーテン越しに、隣と、さらにその隣から「はい力を抜いてー」「これ痛いですかぁ?」「麻酔ちょっと増やしますねぇ」「はい、お願いします」等、まる聞こえである。やがて傍らから何かを焼き切る臭いもしたりするのだった。レザーメスですなきっと。

 

手術を担当するドクターは一人。他の先生方4名だと思うがクリニックで診察の模様。

 

やっぱり経営的にも成り立たせていかなければならないこともあって、行き着いたという所もあるのかも知れない。ある方と手術室のことを話していたところ、最後にポソリと「歯医者さんと同じですねぇ」と言われて、わたしもすべてを納得した。3人一緒に手術室、という方法は、めくじらを立てるようなことではなく、いろいろな意味で合理的な手術方法なのだと思う。

※注 後日、妻が調べて納得。痔の手術はかなり保険点数がかなり低いそうです。つまりお金に結び付かないものなのです。

 

****************

 

さて、入院先の談話スペースには『読売新聞』が2010年4月4日付けの【暮らし欄】に掲載した全国肛門科治療手術件数の一覧が貼り出されていた。

 

もちろんそれはお世話になった病院の自信の表れである。北から南に並んでいるので、北海道でトップに君臨すれば一見すると日本一である。実際ほぼそうだと言ってよいのだが。

 

余談ながら、まるで毎年発行される『日本基督教団 年鑑』の稚内教会のようでもある。日本基督教団で最北の稚内教会は、何があろうと、常に“いちばん”最初に記され続けています。おほほ。

 

一覧を見ていて痔の手術について素人にもすぐ分かることがある。痔に限っては、大学病院とかいわゆる著名な総合病院でも、箸にも棒にもかからないということ。痔はとにかく専門医。それもドクターが複数いるところが、当然ながら、手術件数が段違いに多い。

 

やはり、たくさんのじぬしのお尻を診てきた病院は、それだけの自信と積み重ねのノウハウがあるのですだろうなぁ。

※注  痔は日本で圧倒的に多い病気とのこと。つまり、お世話になった病院は世界一と考えてよいと思う。看護師長さんのお話によると、開院以来、手術の失敗はなしとのこと。

 

入院されている方の様子から見ると、院内の男性と女性の割合は半々。しかも、うら若きお嬢さんが幾人も居られたし、青年と見える方々も多数。なぜか高齢の方はあまり見掛けない。

 

診察のための待合室で顔を合わせるのは、娘さんのみならず女性は恥ずかしいと思われるかも知れない。一つ屋根の下に居てみんなが手術をする際に知り合うと、もうそんなことは何とも思わない(と確信する)。お尻を出して看護師さんに何十回としているうちに、顔が見えない分、羞じらいはほぼ皆無になります(オヤジ世代だけか?)。

 

形は違っても、思いがけぬ財産を神から賜った“じぬし”同士である。当然、看護師さんたちもその道のSpecialist。実際、その仕事ぶりは見事。肛門科は、やっぱり男性看護師さんは基本的にはNGだろう。皆さんそれはそれは見事な仕事ぶりでした。

あのちいさな一件を除けば。続く

 

追伸 退院後思いますが、ま、思わせぶりに記した「あのちいさな一件」は、本当に小さなことです。努力に努力を積み重ねてこられた病院 Staffの尽力は、至る所に感じられますので、関連記事を、是非ともお読み下さい。結論は“世界に誇れる病院っでした”であります。

2013年

7月

19日

2013年07月19日(金) №57 『 やっぱり、もう“秋”かい 』

今朝7時、外に出ようとしたとき長袖のシャツだけでは寒いと思い、薄手のウインドブレーカーを羽織った。

 

散歩の時にすれ違う登校途中の南中の生徒さんたちは、大体、紺色のジャージーの上下を身にまとっているが、上着は今もネーム入りの長袖だ。半袖の子はいない。

 

まぁ、それはそれで、そんなに驚かないこと。

 

朝食後、「ひまわりはいつ咲くかなぁ」等と妻と話し、その後、来週に予定しているお尻の手術前と言うことで、2週分の週報の仕上げを牧師館で済ませ、妻のチェックをお願いした。仕上がったものを受け取り、教会に向かおうと思っていたら、電話。

 

夏休みに日本キリスト教会美深教会(教団ではありません)の説教応援においでになるという、60数年前に稚内教会草創時にご尽力くださった、深山佐太郎牧師のご子息・佑先生(東京・国分寺南教会牧師)からだった。

 

美深にお出での際、8月2日(金)に稚内教会を訪ねたいとのこと。うーん、退院した翌日かも知れない。にわかに忙しくなりそうだ。

 

実は深山佑先生。わたしが25年位前に、日本聖書神学校で学んでいた時、英語の講師として、注解書・[ INTERPRETATION シリーズ ]の「ローマ書」を教えて下さった先生なのだ(未だ発行されず)。好い加減なやり取りは決して出来ない。いやはやキリスト教界は狭いのぅ、まったく。

 

更に正直に告白すれば、去年、10月に教会創立51周年の祝いに備えて、教会の略史作りをしていた時に、深山先生ご一家のことを知り、電話を入れて当時の事情をインタビューしたりもしていたのですね、これが。

 

「略史や、佐太郎先生のお名前が記されている教団への加入申請の控えもありますから、コピーして近くお送りします」とお伝えしたものの、実は今も牧師室の片隅にクリップ止めした資料が埃をかぶり掛かっているのでした。

 

神さまゴメンナサイ。先生ごめんなさい。

 

そうかぁ、夏だなぁ、夏休みだから北海道で応援かぁ。それもいいよなぁ等と思いながら、気持ちを持ち直して玄関を開けると、1時間前とは全く違う、ころころと変わる稚内の見事な青空が見えた。曇天は完全にどこかに消え去り快晴じゃないか。

 

夏だなぁ-!と実感。そして10歩、教会への坂道をゆっくりとくだり始めた。

 

すると、晴れ渡った空のもと、お隣のお宅で庭の手入れをしているお姉さん(先に召されたおばあちゃんのお孫さん)の姿が見えた。さすがぁ、あのお花好きのおばあちゃんのお孫さんだぁ。草もちゃんと抜いてるし、きっと心優しい美人さんだぁ、と思った。

 

「おはようございまーす。いやー、きれいですねぇ」と声を掛けて挨拶を交わしていると、何やら目に入って来た花があるではないか。

 

あらっ、あらあらぁ? これ、コスモスじゃない。一輪、二輪と赤色の濃いピンク色のコスモスが咲いている。「もうコスモス咲いたんですねぇ」「これ、こぼれた種から咲いたみたいです」とお姉さん。

 

たしかさぁ、福岡では10月じゃなかったかなぁ、園児たちがコスモス刈りにバスに分乗して嬉々として田んぼに出掛けて行ったのは。

 

花の形が“桜”に似ているから、「秋桜」=秋の桜と書くと辞典にある。なるほどぉ。

 

紫陽花や向日葵よりも早く咲いたコスモス君(少しひ弱な男の子に見えた)。大地に落ちて、秋が来るのをズーッと待っていたんだよね。もう秋だって思ったんだね。ありがとう。仲よくしよう!end

 

追伸:コスモスは 「蒔いてから何ヶ月かで 発芽して咲く」というのも本当のようです。だから、花を咲かせた子に聞いてみないと、いつ、どうやってそこに落ちたかは分からないですね。一応添えておきます(^^♪

2013年

7月

17日

2013年07月17日(水) №56 『 人生53年目の大転換? 』

生まれた時からずーっと馴染んできた「○日新聞」を止めて、「○日新聞」に切り替えてみた。とは言え、新聞を読み始めたのは小学3年の頃、スポーツ欄かしら。巨人軍・長島茂雄と王貞治のONコンビのアベックホームランに心躍らせていた頃だろうか。

 

もしもここが関東以西なら、中部圏を本拠地にする「○日新聞」(=東京新聞)も選択肢にあったかも知れない。

 

もったいぶらなくてもいい話なのでハッキリと記すと、「朝日」を「毎日」に変えてみたのです。一ヶ月間は、試供品という形で新聞屋さんが無料で届けてくれたので、両紙を併読。

 

稚内では三大新聞の販売店は同じ所とのこと。日経とか産経も扱っているかも知れない。「毎日」の購読数、どうも市内では100件ないらしい。おそらく官公庁がメインかなと考えると、相当なマイナーということなのだ。

 

地元「北海道新聞」も候補だったけれども、“おとなの事情”で見送った。地元タブロイド新聞の『稚内プレス』の社長さんも、市立図書館で全国紙の幾つかを読んでいるなんて、いつか記していたことがあったなぁ。

 

わたしも努力を惜しまなければ、授業でおじゃましている稚内北星学園大学で、ゆっくり、静かにいずれの新聞でも無料で読めるのだ。さらに、インターネットで各紙の社説を比較することだってできる。でも、たぶんしなさそうだ。余程の事件や事故でも起こらない限りは。

 

今の時代、紙の新聞が必要なくなりつつある時代とも言われるけれど、辞典と同様、どうもわたしは、新聞は“紙”で読みたい人間だということが分かった。

 

ノンビリとした気分で机一杯に新聞を広げ、いろんな繋がりの中から取捨選択できる読み方の方が楽しいし、新聞を読むって、単に情報だけを求めているのでもないようが気がするのだ。

 

「朝日」をやめて「毎日」に変える理由は幾つかあった。

 

比較的身近なところにでの記事の取扱い方に不信を覚えたことが一つの切っ掛けだった。えっ、それで本当に取材しているのかなという類い。

 

もう一つは、ガッツ石松と共にデジタル化を猛烈に推進する「朝日」が、会社組織としての生き残りというか、かなり露骨に営業力をぶんぶん振り回している感じに、嫌気がさしたのだった。妻は違う考えがあったようにも見えますが・・・。

 

じゃぁ、「毎日」はいいのか、というと、正直言って分からない。

 

ただし、今、安心していることがある。どうも、わたしの頭や心は、「朝日」に洗脳されていなかったようだ、ということなのです。

 

「毎日」しか読まなくなって、何ら禁断症状が出ることもない。ましてや不安になって150円を握り締め、コンビニに新聞を買いに行くこともない。

 

まぁ、土曜日の「朝日」には大盤振舞で附録が2冊も付いていたから、少しだけ気にはなるのだけれど。

 

ただし、妻は「ののちゃん」という“四コマ漫画”や、ひとり遊びができる“パズル”ができないのが寂しいらしい。でもわたしは、殆ど漫画に興味がない人間なので100%影響なしである。

 

生まれてこの方、新聞と言えば「朝日」だった人間が、今の所、「毎日」にマイニチお世話になっても何ら違和感なく、問題無く暮らせることは何だか可笑しい気持ちもする。

 

きっと、わたしにとって、いつの間にか新聞からの情報の重みは、軽くなっていたのかも知れないなぁ。

 

それとも、「朝日」も「毎日」も似た者同士だったのか。

 

半年位して、さて、どんな変化があるかしら。何かありましたらご報告いたします。誰からも求められてはいなのですが(^^)/~~~ end

 

追伸:

“大地主”であるわたくし。お尻美男になるため、札幌で近くドック入りいたします。そいういう事情で、たぶん8月の初めまで、このBlogの更新はできない可能性大です。きれいになって、またお目に掛かりたいと思います。ではまた。

 

 

2013年

7月

13日

2013年07月13日(土) №55 『 寒くてゴメンナサイ! 』

慣れとはおそろしいものだと思う。

 

稚内の季候にいつの間にか順応というかどっぷり浸ってしまって、33℃を超えるような猛暑の感覚をほぼ完全に忘れそうになっている。福岡で暮らして居たとき、朝方、陽射しの強さに目を覚ましてしまったり、日傘を差して散歩していた時のことは、何だか遠い昔のことだ。

 

稚内の今(夜の夜中)は、おそらく15~16℃位だろうか。牧師館から教会に忘れ物を取りに行くと、涼しいを通り超えて、風があると寒いなと思う。

 

ホント、各地の親しい仲間たちや先輩方。ドーモ、スイマセン。札幌の親しい牧師からの電話でも「暑いですか」の声に、きのうは「涼しいですよ」と答えてしまった。

 

そう、数日前に誰かと話をしたなぁ。「稚内、避暑地の季候ですね」と言われて、全くだと思ったもの。ここはヨーロッパの北欧とか東欧におそらく近い季候なのだ。

 

全国のNewsを聞いていると、各地の猛暑は半端ではないと連日伝えている。それなのに、こちらの最高気温は24℃かそこら。本当に稚内の一般家庭にクーラーは要らない。唯一、大きなスーパー等は別の話であるが・・・。

 

ただし、稚内で生まれ育っている方たちにとっては、この気温でも立派な夏なのだ。暑い暑い、という声が聞こえて来る。これが25℃を超えようものならば大変なことになる。幼稚園や保育園の僕らと同年代の先生方は目が虚ろ、というのもオーバーな話ではない。私はと言えばさすがにそんなことにはならないけれど。

 

でもね、秋の訪れが早すぎて、ガックリくるのも本当のことなのだよなぁ。だから、“おあいこ・相子”なのではと思う。

 

昨日の朝は、教会の利尻昆布バザーに直結している、“利尻昆布漁”の旗が稚内の浜辺でようやくあがった。そう、あれこそ、稚内の夏本番の到来を告げる本間ものの徴なのだな、とわかって来た。

 

去年は、北門神社際が夏の到来を告げていると思ったけれど、違う違う。こっちこそ本当の夏の始まりだ。稚内がまたチョビット身についたかしらん。

 

そういえば、昨晩、一昨日と我が家の食卓にスイカが出てきた。今食べておかないと、食べそこなってしまう。

 

出来たら、季節はしばらくゆっくりと進んでくれないかしら。でも見てしまったのだ。おととい、稚内公園の教会墓地を尋ねた帰り道、ふらりと尋ねたカトリック稚内教会のお庭に、アジサイの蕾があったことを。

 

そう、稚内の紫陽花はコスモスと一緒に咲き出すのですねぇ。それでも去年よりは遅れているかな。

 

秋風さーん、頼むからまだ吹かないでね。でも、漁師さんの次の漁は“秋鮭”なんですなぁ。その準備の知らせに耳栓は不可能というわけです。

 

よろしかったら、今からでも稚内へ避暑に来てみませんか?

 

羽田から飛べば直行便は1時間半程で稚内空港に着陸であります。しかも、そこから我が家まで車で確実に20分以内に到着。そんな空港、こことか徳之島あたりにしかありません。はい。

 

「みんなぁ、待っちょるけぇーなぁ」(by 大分弁)end

2013年

7月

05日

2013年07月05日(金) №54 『 利尻での発見! 』


亡き姉の長男=甥っ子の宗太君との再会の4日間は、じわりじわりと感動を覚える時間だった。

 

姉が天に召された時、彼は中学3年生になろうとしていた。あれから14年が過ぎたのだが、宗太君も自分の道を求めて紆余曲折があったという。

 

4年前まではベーシストとしてジャズのミュージシャンを目指したが“食えない”“甘くない”ことを実感したとのこと。その頃、オヤジさんからも、もう独り立ちせよと突き放されたそうだ。

 

そんな彼が、先輩から誘われた小さな会社で、コンピューターのプログラム等を通じて、障がい者の為の働きをしているという。正直に言ってひいき目であろうが、おじさんからすると、よく頑張っているじゃないか、と拍手である。

 

宗太君とはこれまで、ゆっくりと二人で何かを話したことがあったわけでもない。姉が傍らに居てこそ成り立つ関係だったような気がする。

 

しかしこの度は彼とかなり密接な時間を過ごした。札幌経由で稚内に入る宗太君を、JR幌延駅に迎えに行き、オロロン街道や稚内市内も案内。我が家でもゆっくりと二度の夕食をし、礼拝も出席してくれて、日曜日の夕方からは、二人で、利尻島に向かった。翌日は島内をレンタカーで一周。先頃稚内教会で始めた利尻昆布バザーの関係で、昆布を納入してくださる漁師さんを一緒に訪ねたりもした。

 

最終日は、宗谷岬と宗谷丘陵に、スーパーで買った、にぎり寿司(上かな)の弁当をもって妻と三人で出かけ、この足で横浜の仕事場に戻ります、という宗太君を空港で見送ったのだった。

 

何とも不思議だったのは、何年も話をしていなかった、あるいは、じっくり向き合って話をすることもなかった宗太君と、姉が生きていた頃以上に、何のストレスも感じないような時間を、ごく自然に過ごせたことだ。

 

これが家族というものか、というような感すらあって、神が備えてくれたと感じている。

                ****************

 

ところで、利尻の天国がらみの話である。

 

利尻登山の入口にある甘露泉水(かんろせんすい)は、わたしにも分かる名水だった。これはすごい、と感じるおいしさで、くせになるような味わい。そしてまた、甘露泉水(かんろせんすい)が湧き出る泉に辿り着くまでの緑が美しかった。森林浴の癒しをしっかりと感じることができる素晴らしさだ。

 

お世話になった宿は、お隣の礼文島のことならこの人に聞けみたいな方を通じて紹介して頂いた、ペンション“群林風(ぐりーん ういんど)”さんだった。

 

港に到着した際、ペンションのオーナーさんが他のお客さまも含めて出迎えに来てくれていたのだが、同宿した方々は、ほぼ皆さん、数年前に第一線を退かれた、ご主人とその奥さまという雰囲気。

 

夕食の時には全宿泊者一同が食堂に集まったが、一人で遊びに来ている様子の若者以外は、皆さん70歳前後の方。あともう一人の例外は、グループで翌朝から利尻富士に登られる方々を引率する専門家だった。そうそう、日本の百名山を利尻富士で登り終えたご婦人も居られた。百名山を登り終えるのはかなりの決心と体力、そしてお財布の方の力も必要かと思う。

 

お食事はとてもよいバランスのもので、文句のつけようもないお味。量的にも、しばしば観光地で出くわす、もうこれ以上は食べられません・勘弁して下さい状態になることなく、程よい量である。これは朝食にも言えることで、私的にはこの朝食はここ数年のお泊まりで最高の出来だったと思う。完璧だった。

 

今振り返って見ると、あの食事の量は、見事なまでに狙いを定めたものだったなぁと感じる。そう、70歳前後の方たちにターゲットを絞ったピッタリの量で、やや薄味のもの。たぶん、お肉は一切れもなかったと思う。でも少しもさみしくない、素晴らしいバランスだった。

 

翌日の夕方、利尻からフェリーで稚内に帰るとき、ツアーコンダクターに導かれて列に並ぶ方々の9割は65歳~80歳に見える皆さんなのだ。

 

そう、生涯に一度は北海道へ。それも札幌や富良野ではなく、経済的にも時間的にも少し無理すれば、これくらいの国内旅行はまだまだ楽しめます、という方々がお出でになっているのが、今の利尻であり、おそらく礼文なのだろう。

 

ということは、実に、一歩身を引いて考えてみると、利尻や礼文はまさに、天国に一番近い島なのである。実は天国のような島というフレーズは、札幌のある教会の先輩から聴いたことがあった。「礼文の夏は、天国。早いところ行っておいで」と。しかし、もう一つ違う意味でも、利尻・礼文は天国に近いところだったのだ。

 

遠方の皆さーん。もちろん、若いうちに来てもたくさんの感動があるはずですから、ご安心ください。やっぱり、一番のシーズンは6月から7月、長くて8月中旬までのようですよ! こちらにお出での方、旅のプラン、だいたい立てることができるようになりました!何でもお尋ねくださいませ(^^♪end

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