2014年

12月

31日

2014年12月31日(水) №172 『 最北通信 牧師室便り 33号 増補改訂版 』

幼稚園の子どもたちのページェントの総練習のときの一枚。三人の博士たちが、黄金・乳香・もつ薬を捧げる。いつもながら、衣装が凄いなぁって思うのです。先生がたに頭が下がります。
幼稚園の子どもたちのページェントの総練習のときの一枚。三人の博士たちが、黄金・乳香・もつ薬を捧げる。いつもながら、衣装が凄いなぁって思うのです。先生がたに頭が下がります。

あっと気がついたら、もうあと数時間で2015年。


ではでは、大急ぎでさいごのBlogのアップロードをと思い、最北通信の増補版をお届けです。

 

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妻と話していたのだけど、さいきん、家の中とか教会のあちらこちらで、何かにぶつかることが多い。

 

歳を取って頭が固くなって「いさかいを起こす」というのではございません(笑)

 

慌てているからだろうか。


机の角とか、ものにという感じだ。車の運転はだいじょうぶだけど。

 

視野が狭まっているのか、なんて思ったりもしたが、そういうことでもなさそう。

 

妻も、「わたしも、しょっちゅうぶつかってるよ」と言うので、みょうに納得してしまった。

 

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今年の教会の日曜日にお祝いするクリスマス礼拝は12月21日(日)だった。


ところが、私はカゼをこじらせ38.6度の熱に完敗。

 

教会の皆さんのみならずだが、皆さんとご一緒することが出来ない不覚を取ってしまった。


ほんとに申し訳ない。

 

間違いなくインフルエンザではなくカゼの症状のひとつが、運悪く、土曜日曜に重なってしまい、まともに体が動かなかった。

 

たぶん、38℃5分を越えるような熱は相当に久しぶりで、足腰も立たないような感じになってしまった。


土曜日の夕刻、タクシーをで市立病院の救急外来のお世話になった。

 

週報も12/21には出来上がる寸前だったものを印刷することが出来ず。一週間後には発行したが。仮版となった。


ほんとうにご迷惑をお掛けしたものだと思うが、熱には勝てなかった。

 

喉が痛いとか鼻水が・・・、というのであれば(発熱ほかは、それ以前に通り過ぎていった)我慢できたけれど、今回は違った。

 

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稚内ひかり幼稚園のお母さん方が編成する聖歌隊メンバーに、テナーPartを一人で担当して参加することも楽しみにしてご一緒に練習していたので、これもまた残念。

 

それでも、「恵みを多いクリスマスでした」「稚内教会の幻を見ました」なんていう上向きな声も届いたので安心した。

 

Ustreamによるライブ配信は機械操作の都合もあり見ることが出来なかったが、牧師館で静かに過ごす、さみしさを覚え、静かなクリスマスもまた、何かしらの徴かなと思ったのも本当だった。

 

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当日は、『パンの家 ベツレヘムへ行こう』という題で、ルカによる福音書 2章8節以下による説教を準備していた。

 

めずらしく、原稿を役員さんにお渡しできる状態だった。


そこで、急きょ司会者のA姉が朗読して下さった。

 

これまで、このお便りで説教を記したことはないが、当日の音声も録音もないので、今回はクリスマスの説教の〈断片〉を掲載しようと思う。

 

最近のわたし、説教は語られるべきもので、書かれたものを読むものと説教は違う、というこだわりが強くなってきている。

 

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2014年 稚内教会 クリスマス礼拝 説教

 その断片
『 パンの家 ベツレヘムへ行こう 』

                   稚内教会 森 言一郎

 

ベツレヘム。その意味は「パンの家」だと言い伝えられています。私はその言葉の意味にとてもひかれます。

 

第一にパンは聖書の中に出てくる人々にとって命を支える食べ物であり、分かち合われていくものです。

 

 いいえ、それだけに留まりません。聖書全体を読めば、パンはキリストを意味するものなのです。そのことも心の片隅に留めて置きたいものです。

 

み子イエス・キリストは偶然「パンの家」にお生まれになったとは、わたしには思えません。(以下、大幅略・・・結語へ)

 

「教会」は一つのベツレヘムでもあります。神がみ言葉を通してイエス・キリストを指し示して下さる場所、それが教会なのです。

 

喜びも悲しみも抱えながら人生の何かを中断して集う場所。それが教会です。とは言え教会の中にイエス様の姿をそのまま見出すことは出来ないでしょう。

 

もう一つのベツレヘム」が私たちにはあることを知らなければなりません。

ベツレヘムの飼い葉桶の中に示されたキリストは、今この時代の中で、誰かの保護や、そっと寄り添ってくれることを必要としている、いと小さき者とされている人の象徴として示されていることを忘れないようにしたいと願います。

 

幼子イエスは、この世の助けの必要な場所にお出でになったのですから、今も、隠れた形で居られて、私たちが駆けつけることを待っているはずです。

 

小さなかかわりに過ぎなくても、私たちは、教会の外にあるパンの家ベツレヘムに向かって生きて行くことを忘れないようにしましょう。そこに、キリスト者の生きる道が示されているからです。

 

キリストを迎える旅は、神のみ使いの賛美から始まりました。私たちがこの礼拝で賛美歌を歌うこと。その賛美は、神さまの招きに応えての、新しい旅の始まりなのです。

 

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前号の『最北通信』で確か少し触れたことだが、「会堂の屋根補修」に関連して、稚内教会出身の大野一夫牧師がお便りの中で応答して下さった。

 

大野先生は稚内教会で信徒として長年信仰生活を送られた後に献身。

 

現在は札幌北部教会に奥さまと共に出席しておられる。


現会堂の献堂のために図面を書いたり、大いに尽力して下さった方のお一人であるとお聞きしている。

 

記憶違いでなければ、あと数十センチ天井を高くしておけば、ということと、急な階段をもう少しなんとかしていれば、とお話しされたことがあったと思う。

 

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以下、少し、大野先生からのお便りより抜粋。

 

会堂の補修のこと。年月の経つのに驚いています。屋根の十字架も白ペンキにまみれて塗り直したことも、暗い緑町地区(当時)に、せめて夜に「光」をと思い設置させて頂いたことなど、本当になつかしく思い出します。

 

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簡潔な内容なのだ。


それだからこそ、様々なことを思い巡らす恵みに導いてくれることばに触れることができたと思う。

 

40年程前の緑町の景色が浮かびあがるようだ。

 

屋根の上に登って十字架にペンキを塗る方々を見上げていたであろうご婦人たち。


今よりも闇が深かった緑地区の夜に光が灯されて浮かび上がる十字架。

 

先達の祈りがそこにあったことを思いがけず知った。

 

お便りを頂いて、大野先生に電話を差し上げた。忘れていたことが甦ってきて嬉しかったことなど、お話し下さった。

 

今、礼拝案内をしてくれている看板が献品されるまでは、その大野先生が一生懸命に作られたことが分かる細身のものが長年にわたって使われてきた。

 

裏に「大野作」と書かれていた。日付もあったはず。

 

今も、使いはしないのだけれど、その傷だらけの看板は玄関脇に置いたままにしている。


とても処分する気持ちにはなれないのだ。


でも、それでいいと思っている。

 

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JR稚内駅は4年程前に見事にリフレッシュされて、最北の宗谷本線の終着駅=始発駅として愛されている。

 

そのJR稚内駅の改札横・駅ビル・キララの空間で12/23(祝)の午後「みんなで歌おうクリスマス」(「クリスマスキャロルを歌う会」)をエマオゴスペル教会の東海林先生ご夫妻と一緒に準備した。

 

しかし、わたしはと言えば、カゼのため本番には参加できず。


まことに申し訳ないことだった。

 

この日は、稚内教会からは横浜からお仕事でおいでになっているK兄が練習の頃から尽力して下さった。


そして、練習だけの参加だったのだけれど、教会の直ぐ近くにお住まいのご婦人お二人が練習のために稚内教会の礼拝堂に来られた。

 

お二人は、それぞれ古くからの稚内の方ではなく、引っ越して来て、お友達も居ないので、宗教的なことは抜きにしてクリスマスキャロルを歌いたいと思つた、ということだった。


そのような方々の参加を願っていたことなので、嬉しい。


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さらに当日は、豊富の酪農家・K姉も来会して参加というsurpriseが起こった。

 

まさか、Kさんが歌いたい人だとはこれっぽちも考えていなかったので(失礼)、良かったなぁと思う。

 

福音の種蒔きの可能性が垣間見えたように感じた。


そんなクリスマスの良き知らせだった。

 

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日本キリスト教団出版局の看板雑誌、『信徒の友 2015年1月号』が発行された。



そして、めでたくも、「ここに教会がある」で稚内教会がどっかーんと紹介されている。

 

実は、そのことを紹介したいと思って、利尻昆布バザーでお世話になっている漁師さんご夫妻を訪ねたときに、ナルホドね、と思う話を聞けた。


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Sさんご夫妻。ま、ほぼ稚内育ちと言ってよい方だと思う。

 

1月号の28ページの稚内駅や稚内港を中心とした見晴らしの素晴らしい写真を見て、それぞれ、同じことを思われたようだ。

 

ご主人がこう話し始めた。

 

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「森さんさぁ、この写真、稚内公演のあのタワー(正確には「開基百年記念塔」)から撮ってるだろう」

 

「そうです、ご案内した時の一枚です」

 

「俺さぁ、つい最近まで、あそこがあんなに景色がよくて、稚内全体を見渡せるなんて知らなかったのさ。上がったことがなかったの。秋田の方からお客さんがあって、今まで、2階の展示室までは行ってたけれど、エレベーターであそこまでいったことがなくてさ。


 いやぁー、あそこは、稚内で一番景色がいいんでないかい。


 お世話になった濱森市長が言ってた意味がわかったよ」

 

「そうですね、僕はお客さまや知り合いが稚内に来ると、あそこにお連れしますが、確かに、天気が良ければ、最高の景色ですねぇ。利尻も礼文も宗谷岬までぜんぶ見えますものね」

 

(奥さん)「そうなの、あそこ、小高い丘の上にタワーが建ってるから・・・凄く高いのよねぇ・・・・」


その後も話が弾んだ。

 

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稚内で生まれ育ち、稚内を知り尽くして居られるはずの方が、知らなかった景色がある。

 

というのは、何とも不思議なことだけど、大事な気付きを与えてくれる。

 

そして、考えて見るならば、まさにそれは灯台下暗しに触れるような現実ではないかと思う。

 

何も漁師さんがわるいというのではない。

 

実はこれ、他のことで、我々がしばしば経験することに通じるのではないだろうか。

 

おそらく、教会が、あるいは、聖書が初めての方にとって、「なにぃ、それ?」ということが、しばしば起こっているのではないだろうか。

 

キリスト教の世界にどっぷり浸かり続けていると、慣れの中に生きている私たちはわからなくなっていることがあるのだと思う。

 

教会やキリスト教、そして身内だけでしか通じない言葉も必要な場合もあ。


だけど、使わなくてよい場面や言い換えが出来るならば、幼稚園児とまではいかなくても、小中学生に確実に通じる言葉が用いられたりという配慮が必要だろう。

 

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最後に・・・・ダイエットにまつわること。

 

ズボンがぱんちパンチで、困ったなぁと思っていたのは、今年の夏頃だっただろうか。

 

先回のBlogに、ステップ運動をしながら、という話を記したが、努力の甲斐が少しあって、成果があがってほっとしている。

 

新調できない背広問題も差し迫った困りごとだったけれど、実は思いがけない、体重減による副産物があることに最近気づいた。


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それは、去年やってしまった、雪道での思いっきりスッ転んでしまって痛めていた膝のケガである。

 

あの、いやーな膝の痛みが最近ほとんどないのだ。雪道を歩くと、気になるあの痛みが。

 

これはズーーっと抱えて行くしかないんだなぁ、と思っていたのに・・・・、どうも、体の重さがだいぶ悪さしていたようなのだ。

 

もちろん、いつ再発するか分からないにしても、約5㎏程の減量はほぼ確実に出来たと思うのだけれど、いつも、5㎏のお米を抱えて歩いていたら、やっぱり負担がかかるだろう。

 

まだ重いことは重いのだが、良いことの方が多いかな、と実感している。

 

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ラジオからは紅白歌合戦の裏番組のFMが軽快に流れている。

 

2014年も間もなく終わろうとしている。

 

気ままなBlogもこれが正真正銘、これが今年の最後になりそう。


お付き合いくださってありがとうございました。お役に立っているとはあまり思えない。でも、自分自身のこころの整理は、これでだいぶ出来ているかも知れないかな。写真も含めて楽しみながら続けます。

 

では、また来年!end



2014年

12月

29日

2014年12月29日(月) №171 『 ほめてくれてありがとう  ほめる力が生まれますもの 』

こちら、最近、道内のあるお店で頂いた櫃(ひつ)まぶし。3200円するが高くないと思う。この日は宮崎産のうなぎと看板にあった。『大辞林』にはこうある。「短冊状に切った鰻 の蒲焼きを,お櫃 (ひつ)のご飯にまぶした料理。茶碗に取り分けて,1 杯目はそのまま食べ,2 杯目はネギやワサビなどの薬味をのせて食べ,3 杯目はこれにお茶や出汁 (だし)などをかけて食べる。名古屋名物として知られる。」。まっことその説明の通りにこのお店はだしてくれている。以前も一度お店に行ったときに写真をとったが今回は一眼レフで。
こちら、最近、道内のあるお店で頂いた櫃(ひつ)まぶし。3200円するが高くないと思う。この日は宮崎産のうなぎと看板にあった。『大辞林』にはこうある。「短冊状に切った鰻 の蒲焼きを,お櫃 (ひつ)のご飯にまぶした料理。茶碗に取り分けて,1 杯目はそのまま食べ,2 杯目はネギやワサビなどの薬味をのせて食べ,3 杯目はこれにお茶や出汁 (だし)などをかけて食べる。名古屋名物として知られる。」。まっことその説明の通りにこのお店はだしてくれている。以前も一度お店に行ったときに写真をとったが今回は一眼レフで。

少し時間があったので、長いかな。でも、お時間あれば、お付き合いを。

 

◎はじめに

一年締めのお話。なんて気の利いたことは無理だけど、素直に嬉しかったこと三題を記して、今年のブログを閉幕しようかなぁと思う。

 

きょうは、北海道が世界にほこる、《コンビニ=セイコーマート(Seicomart)》を梯子した。セイコーマートのすごさは安売りがあり、周囲に一度チラシが新聞に挟まれる事だと思う。

 

その新聞チラシをみて、200組×5個パックで税込み228円の特別パッケージのティッシュペーパーを買ったのだ。

 

そのときわたしは、こんなことをレジの優しい笑顔の丸い体格の青年に言ってしまった。

 

「笑顔が素敵だねぇ」

 

「ありがとうございます」

 

「いや、ほんとだよ」

 

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なんて上機嫌でキザなわたしだろう。いや、オヤジが深まっただけか。

 

年末の解放感からだけではない。ことの背後には文脈がある。

 

なので、ちょこっと「笑顔が素敵だねぇ」というおいちゃんのひと言の文脈を自己分析してみよう。

 

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◎自己分析 その1

 

クリスマスが終わり、長引いたカゼから体調もほぼ回復。親しい同労の友に、ふと思いたって電話をした。

 

そんな風に電話が出来る時間がもてるのは、ほっと一息つけた時でないと無理なことが多い。

 

そりゃそうだ。

 

ばたばたと走り続けていては話にもならない。おいしい飲み物を飲むときだって歩いたり駈け足していては無理だろう。いかがですか皆さんは。

 

歩きながらの電話では、少なくとも、わたしの場合じっくりの実りある会話というか、実りある話は生まれない。

 

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【森先生。「忍」と「従」です】

 

そんな言葉が目に入った、丁寧なペン書きの、おっきくて、清楚なクリスマスカードが頂いた。

 

贈り主は後輩と言えば後輩であるけれど、今となれば同労者。日中そのカードをパッと見たとき、オレを励ましてくれているのかぁ。そうかぁ、そんな風に見えるんだなぁと思ったのだった。

 

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が、あらためてその日の夕食後に読み直すと、【こちらは、引き続き「忍」と「従」です】と記されている。

 

そうか、【森先生】は思い込みのひと言だったのか。てっきり、森先生も時々週報とか読ませてもらっていますが、だいぶご苦労が多いようで、という励ましかと思ったら違った。

 

「忍」と「従」。つまり、【忍従】。

 

国語辞典によるとこう説明する。

 

『新明解さん』によれば、「苦しい境遇に、じっとがまんすること」ある。例文では、「忍従を強いられる」。

 

『大辞林』によると、「耐え忍んで、言われるがままに従うこと。」とあり、『大辞林』の例文には、「召使い同様の扱いに忍従する」。

 

20分弱の話の中に、その忍従振りがポツリぽつりと聞こえてきた。

 

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彼は、わたしが神学校の同窓会から依頼を受け、同級生の追悼文を記したその文面に、ふとした拍子に触れてくれた。

 

「森先生、あれ、よかったです。感動しました。(いつもならどこかに紛れ込ませたり棄ててしまう同窓会報ですが、大事に)しまいましたもん。葬儀のときあー言うことが語れたら、ほんと・イイです」

 

その「あれ」とは、このブログの『選集 その4』に収めている、『 我 ステテコを愛す 』 (Blogより・2014年1月21 № 110)の要約版だった。

 

「あれ、よかったです」と言われるとやっぱり嬉しい。

 

だが、どんなふうにまとめ直したのかを忘れてしまったし、特別に仕舞っておくなんて言われると、読み直したくなってしまうじゃないか。で、牧師室のとある箱に紛れ込んでしまっていた「あれ」をさがして、昨日コピーした。

 

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実はその要約版。

 

わたしがひそかに尊敬する爽やかな大先輩からもわざわざ葉書を頂いて、敢えてご紹介するなら「〇〇氏への追悼文ひかっていました」と励まされていたものだったことを思い出した。

 

いやいや、『選集 その4』にUPしたとき、父親のような年齢の同級生からのメールの言葉も添えてしるしている。

 

【Nを偲ぶ貴兄のブログを拝見した。良かった。胸が熱くなった。ステテコをキーワードにして、忘れかけていた出来事までも含めて、Nばかりではなく、H君やS郎、T平のことまでが浮かんできた。・・・胸が熱くなり、涙しそうになった。森さんのブログは祈りだと思った。私もその祈りに心を合わせたい。】

 

ま、そんなわけで、ひと盛り上がりが、私的にありました。

 

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◎自己分析 その2

 

大好きな同労のご夫妻の教会が、会堂・牧師館の大きな工事のための全国募金を秋から始めている。

 

かれこれ既に依頼文が届いてから1ヶ月と少しの時が過ぎたのだが、実は、そのときに同封されていた文面に感動していたことをふと思い出した。

 

感動しましたよ! 信仰ってそういうものですよね。

 

そう伝えようと思いながら、ずっとそれが出来なかったのだが、冒頭に記したように、我が心に余裕がなければ、「感動しましたよ! 良かったっす」なんて言えない。

 

当然それは、自己分析その1、と今となっては関連していることに気づいたのだが、ひと言、どうしても伝えたくなり、市立病院の眼科定期検診の時間が近いのに、ダイアルした(死語ですな〈ダイアル〉は)。

 

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「あー、稚内のもりです」

 

「あー、森先生。クリスマスおめでとうございます」

 

「あの、〇〇先生。僕ねぇ、ひと言、感謝を伝えたくて。会堂・牧師館の募金の依頼に、先生のメッセージがあったでしょ。あの最後の所に、〇〇〇〇〇って書かれていた。あれ、僕ホントに感動してたんです」

 

「そうですか、そう言って頂けると嬉しいです。おかしなこと書いてしまったと後悔してましたから・・・・〇〇に変わりましょう」

 

「あー、〇〇さん、もりです」

 

「クリスマスカードありがとうございます。いやー、オレがあんなこと書いたら、献金こないんか、って昨晩話してたんで、喜ぶと思います。森さんの文、あっちこっちで読みましたよ・・・・。久しぶりなのに、会っていたような気がしましたもん」

 

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この電話の後、わたしは妻に頼んで市立病院に走ったのだった。

 

「あれ、送って置いて。そして、ひと言添えて。《お互い 誉めあって 元気出しましょう》って書いて」

 

そういうわけで、ふた盛り上がりがあったかなぁ、と、思うのだ。

 

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◎自己分析 その3

 

昨日の深夜。つまり日曜日の夜遅く、わたしは久しぶりに自分の説教をじっくりと聴きながら、ステップ運動をしていた。

 

あることを確認したかったからだ。

 

昨日、つまり、2014年12月28日の礼拝説教の箇所は、アドベントからクリスマスの流れの中、ルカによる福音書2章後半の「シメオンの賛歌=ヌンク・ディミティス」からのものだった。

 

丁寧に確認しておけばわかることだけど、実は、ほぼ1年前に、わたしはそのテキストからの説教をしていた。

 

最近はあまり厳密に説教原稿の保存をしたりしなくないし、新しい気持ちで学び直して語ることもたのしいと思っていた。そして、実は昨日の礼拝説教の準備の学びは(説教のできとかとは全く関係なく)いつになくというか、いつも以上に楽しかったのだった。

 

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それでも、1年前に、一体どんなふうに、どのような切り口で語っていたのだろうか、ということが少しだけ気になった。

 

で、落語を聴くでもなく、ラジオでもなく、1年前の、同じ箇所からの説教を聞き直すことにしたのだ。

 

30分程の時間だろう。ステップ運動をするのにちょうど良い長さを興味深く聴いた。

 

そして、すっごく大げさに言えば、自分を誉めてもいいかな、と思った。

 

特段、感動的な説教が聴けたのではない。

 

が、ひとつ二つ自分自身で納得ができたのだった。

 

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まず一点。

 

一年前の説教。あー、そんなことがあったなぁと思い出すようなことも含め、今ここでしか語れないことを語っていたこと。

 

二つは、一般に「釈義」というけれど、そのとき注目していた言葉と昨日の説教の注目点は違っていた。

 

うーんそうか、と思った。

 

いいじゃないか、とも思った。

 

たまには自分を誉めてあげようか、とも思った。

 

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〇おしまいに

 

さて、今回のブログの主題。

 

それは、やっぱ、人間、ほめられることが大事なんじゃないか、ということだ。

 

東京駅からそう遠くない東京湾方面とは反対側のお堀方面で、二十歳を迎えた、とても可愛らしいお嬢さんが勲章を授与された、というニュースがきょう流れた。

 

これまでの彼女の何が勲章に値するかのかよくわからなかったが、それにしても彼女が「これから、がんばんなきゃ」という気持ちになり、上向きな気分になったのことは想像に難くない。

 

彼女もほんの一センチくらい、背が高くなって大きくなったように感じる。

 

セルフイメージが高められること。

 

そこにはおそらく様々な循環があるはず。その循環は自らの少しばかりの努力とも関連があるし、そのような関係性をわたしも大事にしていきたい。

 

ことばとひとのあゆみにはブーメランのような作用があるのだから。

 

2014年もありがとうございました! 2015年もボツボツと記してまいります。おっと、もう一本、最北通信のUPがあるかもです。end

 

 

 

2014年

12月

08日

2014年12月8日(月) №170  『 嬉しくて嬉しくて 』

2014年12月8日(月)にオホーツク方面の枝幸町から20㎞の歌登の家庭集会にてパチリ。「ふらたま」とは「ふらっと たまり場」だそうで、さいたまで教師をして居られたご婦人が酪農家とご結婚されて、歌登でずっと続けている会のチラシ。今では、教育の世界で知られる新聞から取材を受ける程の年月を経ているとのこと。素敵な呼び名です「ふらたま」。子どもたちの遊び場を提供しているそうです。これはこの時代のキーワードかな。
2014年12月8日(月)にオホーツク方面の枝幸町から20㎞の歌登の家庭集会にてパチリ。「ふらたま」とは「ふらっと たまり場」だそうで、さいたまで教師をして居られたご婦人が酪農家とご結婚されて、歌登でずっと続けている会のチラシ。今では、教育の世界で知られる新聞から取材を受ける程の年月を経ているとのこと。素敵な呼び名です「ふらたま」。子どもたちの遊び場を提供しているそうです。これはこの時代のキーワードかな。

日曜日の礼拝に出席していちばん心に残ること。

 

それは何だろう。

 

教会堂から一歩踏み出して、その日の礼拝を思い巡らしてみて、あるいは週の半ば頃になって振り返ってみて、それが説教である、という場合も(たまには)あるかも知れない。

 

そうだとしたら、それはとても素晴らしいことだと思う。

 

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日曜日の教会を思い出してこころあたたまることが第一にあったら、それは何と幸いな事かと思う。

 

あたたかな言葉掛けを受けることもジンワリ嬉しいものだと思う。

 

笑顔にふれるのも嬉しい。

 

この賛美歌を歌うのは初めてだったけど、いいなぁと感じることもある。

 

誰かの祈りに触れて、いつか自分もあのようなお祈りが出来るようになると嬉しいなぁ、という場合もある。

 

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昨日アップした教会のブログに記したのだけど、「みんなで食べるとおいしいね」という声が聞こえた、「分かち合いお弁当の日」と呼んでいるお昼ご飯。

 

これは長く根付きそうな会になりつつある。

 

「みんなで食べるとおいしいね」という言葉に深くうなずいたり共感する方たちが幾人か居たのを感じた。

 

それほど、おいしくあたたかな何かを受ける時間なのだと思う。三平汁のおいしさ以上においしいことがあるのだ。そのお昼には。

 

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そう。

 

かく言う自分も、信仰生活というものを自覚的に始めていた頃に、自分を育てていってくれた有り難い空間と時間があった。

 

それが、中央区銀座にある教会の、早天祈祷会後の「朝食」だった。

 

恩師のF牧師も、人は食べた時のことは忘れない、と言われていた。今は天国に居られる。

 

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神学生の頃、わたしは練馬区に暮らしていた。

 

早天祈祷会は午前7時に始まる。なんと、その祈祷会に出席するために、わたしはアパートを6時半に出発して間に合っていた。とてもではないが、西武池袋線と丸ノ内線を乗り継いでいたら、1時間は軽く越える時間が掛かるだろう。

 

当時、郵便配達の方々が乗る、HONDAのカブという90㏄のバイクに乗って都内を移動していたのだけど、何と、神学校のある目白をぬけ、水道橋を抜け、皇居付近を駈け抜けて、7時少し前に銀座にある教会にたどり着いていた。

 

午前7時前の東京は、実はこういう移動が可能なのだ。おそらく今も。東京って。広いようで実は狭い町なのだとその頃知った。

 

バイクで飛ぶようにして都内を駈け抜けていたのだなと思う。いろんな意味で恐ろしくもあるが。

 

*******

 

早天祈祷会は7時に始まり8時に終わった。

 

そして、教会堂の5階にある台所のある大きなホールに時間にゆとりがある方々(つまり、直ぐに出勤しなくてもだいじょうぶな方)が移動し、長いテーブルを数本組みあわせて朝食を頂いていた。

 

一食200円位箱に入れていたような気もするけれど、定かではない。

 

*******

 

毎週、ご婦人達が持ち寄ってきて下さった定番のおかずが並んだ。

 

当時最年長だったはずの武上さんのアジフライ。

 

素晴らしい習字の看板書きをされていた森岡さんの京都の湯葉の煮付け等もおいしかった。


主任牧師である鵜飼勇牧師がかき混ぜて下さる納豆も嬉しかった。

 

神学生時代の4年間、毎月本代を(あくまで名目ですが)「もりくん」と言って封筒を差し出してくださった小沢さんは、グレープフルーツを絞るところから手をかけて、グレープフルーツゼリーを毎週、みんなのために作って来て下さった。

 

いやいや、今は、福島の教会を経て都内のとある教会の牧師をされているSさんがチューブをしぼってお湯を注いで頂く永谷園のお味噌汁も、皆で頂くとおいしかったのだ。

 

*******

 

その交わりは、朝の礼拝出席者が300人前後の大教会のイメージからすると、まったく似つかわしくないとも言える、家庭的な雰囲気の食卓だった。

 

たいそう居心地がよかった。複数の牧師や伝道師の先生方と気さくに並んでの食卓は楽しかった。そしてわたしは、そのような教会の神の家族としての交わりによって育てられた、と思う。

 

早天祈祷会の聖書の学びが頭に残ったことは、正直に言えば、ほとんどなかった。理解力の問題かも知れないし、いつも睡眠不足だったのかも知れない。

 

でも、とにかく、早天祈祷会の後の食卓は、今も心に残り、染みついている。

 

*******

 

昨日の稚内教会の礼拝に10代の青年が礼拝に出席してくれた。礼拝で彼を見るのは数ヶ月ぶりだった。

 

礼拝後、食事が始まる前の集会室に座っていたので声を掛けた。

 

すると、「きょうは食事に残るのは無理ですが、クリスマスは、だいじょうぶだと思います」と笑顔で教えてくれた。

 

そう。

 

教会の食卓で何かにふれて、育つっていく若者になってくれたら嬉しいなぁと思う。

 

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礼拝中、青年は確か一度、礼拝堂から出て行って姿が見えない時間があった。

 

その時は、それがなぜだかは不明だった。腹が痛くなったのか、とも思ったりもした。

 

ところが、それは違っていたことが夜わかった。

 

何だかは、ここではあえて記さないけれど、彼を迎えに来て下さった親戚のおばさまから夕方送信されたメールに理由が記されていた。

 

「こんばんは、・・・・・して下さり、ありがとうございました。嬉しくて嬉しくてトイレで泣いたそうです」と。

 

*******

 

わたしは、昨日の説教で、マクドナルドのメガマックの話をした。あの話で、彼とeyeコンタクトはとれたけれど、その話で泣いたのではないことは確かだった。

 

聖書の一句の解き明かしが、青年を泣かせたわけでもない。

 

でも、でも、確かに、み言葉の出来事があの時間に起こっていた。

 

*******

 

神さまって凄いなと思う。

 

そういうことが起こるからわたしは礼拝から離れられない。教会が好きなのだ。

 

モヤモヤしてどんよりと重い雲が吹っ飛んで、瞬間であっても、確かに晴れやかになった、ショートメールを通じての福音が心に届いた。

 

わたしも嬉しくて嬉しくて、神に感謝。end

 

 

2014年

12月

04日

2014年12月4日(木) №169  『 増補版 最北通信 牧師室便り 32号 』

会堂の屋根補修と同時に復活したのが、十字架とスポットライト。こんなに綺麗にライトアップされるとはびっくり!
会堂の屋根補修と同時に復活したのが、十字架とスポットライト。こんなに綺麗にライトアップされるとはびっくり!

※ちゅうい・caution 

 今号、久しぶり?にだらだら長いのでご注意を。

 

日の入りの時刻が午後4時を切っている稚内のこの頃。

 

この『最北通信 牧師室便り』を書き始めた11月25日の「日の入り」は午後3時55分だった。稚内市内の青少年科学館の資料に依れば、この先冬至まで、日没時間はさほど変わらないようだ。

 

てっきり12月23日頃迄、日はどんどん短くなって、もしや日没は3時位になってしまうのだったか、と、と思い込んでいたが、そうではなかった。一安心。

 

それにしても、稚内に暮らし始めた頃、夕暮れの速さにかなりびっくりしたのだが、実は地元の方たちも同じように感じているようで、日没を話題にしての挨拶を時々耳にする。

 

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大相撲九州場所の時期が11月なのだが、かつて新潟に暮らして居たとき、高速道路のパーキングエリアでNHKの大相撲放送を見ていてありゃま、と驚いたことがあった。

 

大相撲はとうぜん生中継なのだが、たまたま、博多湾や福岡市内の様子が映されたときの明るさといったらなかったし、日本列島ってこんなに違うところがあるんだなぁと思ったものだ。

 

新潟ですらそうだったのだから、おそらく、九州場所をTVで注意深く観ようものなら、もっと驚くことが起こりそうだ。

 

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夏のおわり頃に見つけた、教会の屋根の劣化。

 

総額140万円を越える工事を行った。その代金を今の稚内教会には直ぐには準備できない。

けれどもほんとうに有り難いことに、同じ日本キリスト教団の道北地区・名寄伝道圏から無利子で100万円の借入ができたのだった。

 

教会の屋根補修工事は11月の中旬から始まり、滞りなく終了した。

 

いつもお世話になっている大工さんのNさんから「先生、スタイロフォームを使っているから」という言葉を何度か耳にしていた。

 

ところが、「スタイロフォーム」が一体どういうものか、知らないままだった。

 

教会のみんなに報告しようにも、何の手掛かりもない。大工さんがせっかく説明してくれたのに、知った顔して実は知らない。これではイカンなぁと反省。さっそく調べてみた。

 

インターネットはこういう時にほんとうに助かる。

 

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検索をしてると嬉しいことがあれこれ記されていた。

 

「スタイロフォームは、優れた断熱材・保温材として……常に日本の熱環境をリードしています」とまず最初に書かれている。

 

この度の工事、旧来の屋根を除去するのではなく、その上に、このすぐれた力を発揮する建材を貼り付け、その上に新しい鈑金の屋根を打ち付けたようだ。

 

スタイロフォームについてさらにこう紹介されている。「冬の寒さはもちろんのこと、温度を一定に保つことで、冷暖房のエネルギー消費を抑える効果がある」とある。

 

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こういう説明を素朴に信じやすいのがわたしである。

 

工事終了後の最初の日曜日。

 

雪が降り積もっている時期でもないので、思い込みかも知れないのだが……礼拝堂の冷え込みが、なにかいつもより随分おだやかに感じた。

 

わたしは鼻炎アレルギーがあって、特に、気温の変化に敏感な体質だ。

 

季節の変わり目など(先週くらいまでの約一ヶ月)、少しでも寒いなと感じと、クシャミが止まらなくなる。「センモール」という鼻炎カプセルがないと、ほんとに、朝から晩まで鼻をかみ続けることになってしまう。

 

話は戻るが、屋根の工事が終わったあとの礼拝堂。何となくだが、あたたかったのだ。暖房の設定温度も少し低めだったのにである。

 

厳冬期を迎えるこれから先の3ヶ月、スタイロフォーム様に思わず期待してしまいそうだ。

 

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もう一つ、会堂屋根補修と同時に与えられたものがある。それは、教会の上に立つ白色の十字架だ。上に写真をUP。

 

美しくお色直しされたのだが、それだけでなく、切れたままになっていたスポット照明の電球が取り替えられて復活したのだ。

 

というか、正直に申し上げると、ライトで照らすことができるなんて知らなかった。

 

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夕暮れの早い今の稚内。

 

闇夜に浮かび上がる十字架が実に見事に美しい。最初にそのことに気づいた時のわたしは、牧師館に慌ててカメラを取りにいったほど。

 

少しオーバーだが、惚れ惚れするぐらいというか、眺めているとにんまりしてしまうというか、ついつい頬がゆるんでくる。

 

利尻昆布バザーに励んで、借入金の返済に努める元気が出て来るというものだ。

 

そして何より、牧師らしく(本音でもあるが)バス通りを通りがかる方たちの目に止まって、今まで、ここに教会がある事に気づかなかった方へ、何かを届けられればやっぱり嬉しい。

 

保育園のお仕事が終わって外に出て来られた先生も気づいてくれたので可能性ありだといいなぁ、と思う。

 

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『信徒の友』の取材が終わってから、ほぼ2ヶ月近くが経った。

 

先だって、編集者からの最終原稿が「チェックをお願いします」ということでわたしの手元に届いた。それでは、ということで、取材を受け、記事に取り上げられている何人かの方にも、ケアレスミスはないか見て頂いた。

 

今回の取材、2015年1月号の「ここに教会がある」で紹介してくれるのだが、ベテラン記者の心にどのようなことが残ったのか興味深かった。

 

全国1700余りの日本キリスト教団の教会・伝道所の数からすると40年に一度程の掲載となるようだ。

 

ということは、次は2055年頃という計算だが・・・。40年後に元気でいられるのは、40代のご婦人何人かと、幼稚園の先生方くらいというのが現実だ。

 

ガンバ、稚内教会!

 

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「福音ってなんですか?インターネットで説教を聴いていると、森先生が時々口にするので教えて頂きたいと思いました」。

 

これ、求道者になって下さったら嬉しいなぁと思っていた方からの嬉しい質問だった。

 

もちろん、どこかの本に書かれているような回答もあったのだけれど、その時わたしは、次のようなことをお話した。

 

「自分の経験から言うと、仕事も健康も失い、どこにも行く場所がなくなっていた30年位前のわたしにとって、日曜日に身を置く場所があること、それだけでよかったんです。それが道を求めはじめた頃のわたしの福音でした」と。

 

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〈福音〉って何なのか。

 

実に、本質的な問い掛けだ。これこそ、〇〇信仰問答で扱われるような内容に違いない。

 

だがしかし、たくさんの方の生の声を聞きたいものだと思う。「あなたにとって、福音ってなんですか?」と。

 

そして、当たり前に使っている言葉が、初めてキリスト教に触れる方たちにどんな風に聞こえているのか、もっともっと思い巡らすことが必要なのだ、と久しぶりに思い出した。

 

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11月23日の日曜日の午後と24日・祝日の勤労感謝の日の連休。

 

稚内から車で2時間半のところにある、美深温泉を会場にして「道北地区集会」が開催された。

 

3年ぶりの地区集会だ。

 

去年は、北海教区の年頭修養会の当番が道北地区だったので行われなかった。その前の年は、何か別の理由で開催されていない。

 

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今回、稚内教会からは幼稚園の小型バス・トトロ号をお借りして5名で参加。

 

雪道で危険な場合はJRで行きましょうと相談していたが、前日までの雨で雪はとけていて助かった。

 

運転はわたしだったのだが、運転席が高めの車はなかなか快適だったし、4名のご婦人方を乗せての運転は、何かいつものマイカーの運転とは違う緊張感と楽しさがあった。

 

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休憩で立ち寄った「道の駅なかがわ」(稚内から1時間半ほどのところ)では、幼稚園バスに幼子の姿を期待した子どもたちが脇を通りがかった。

 

幼稚園のバスだと一目でわかるので、かわいらしい子どもが見えると思ったのだろうか。

しかし、この日のトトロ号の乗員平均年齢は〇〇歳位だった。ごめんねチビッコたち!

 

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様々な気付きが与えられた「道北地区集会」だったなぁと思う。

 

わたしは、近隣教会のことを互いに知り合えている豊かさをかみ締めていた。これって、ありそうでないことなのだ。大都会のみならず、隣の教会の牧師の名前を知らないということは、しばしばあるのだから。

 

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きょう、旭川豊岡教会のTさんからのひと言メッセージが届いた。

 

Tさん。地区集会の感謝を語られた後、わたしがこのブログでも触れた豊岡のバザーでの買い物について簡潔に書いて居られた。

 

一つは、佐藤さんの背広の話である。

 

「教会バザーではお買い上げ頂きありがとうございました。佐藤兄は背の高い、ナイスミドルでした。先生に着て頂いてきっと喜んでおられることと思いますよ」

 

あっ、それから、妻の手首から出てきた《プレートとビス》のことも。「びっくりしました」と。

 

このような交流ができていることが、幸せな道北地区だと心から思うし感謝だ。

 

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本格的な冬を前に、わが家では食料品の買い物を〈札幌生協の宅配サービス・トドック〉にお世話になりはじめた。 

 

地吹雪やアイスバーンを押しての買い物からの解放は、春先に牧師館前で転倒骨折したり、1年前には宗谷岬でのスリップ事故に乗り合わせていた妻にとっても安心材料だ。

 

生協は広く知られるように、牧師でキリスト教社会運動家として歩まれた賀川豊彦先生にルーツがある。

 

稚内教会の誕生のきっかけに「賀川伝道」と呼ばれる大集会があったと聞いているので、これもまた、神さまのお導きかも知れない。

 

賀川伝道は、かつて新潟県上越市と現在の妙高市(旧・新井市)の教会でも大きな影響を与えていたことを思い出す。賀川伝道というその仕方や賀川先生の働きにはさまざまな評価がある。でも、福音の出来事、そして救いのみ業が起きたのも確かなのだ。

 

それにしても、トドックさん。

 

これから先の地吹雪や豪雪の時、ほんとうに本当にお先真っ白で、配達、危険でたいへんですが、よろしくお願い申し上げます。end

 

2016年

6月

06日

2016年6月6日(月) 『 〈新〉 森牧師の部屋へ引っ越します 』

お気に入りのカップとデザート 珈琲を煎れる腕をあげたい
お気に入りのカップとデザート 珈琲を煎れる腕をあげたい

突然ですが、4年と少し、「森牧師の部屋」として書き綴って来ましたが、転居、いたします。以下、Clickで飛びます。

 

〈「〈新〉森牧師の部屋」 〉

 

まったく代わり映えしませんが、わたしは何かと安心なことが多い次第です。

 

利用している〈「Jimdo」〉のさまざまな変革に、このホームページのままでは対応がむつかしくなってきた理由によるものです。

 

出会いが与えられ、今までご一緒して下さり感謝しています。ボチボチやっていきます。

更新の多い、旭東教会のホームページ 共々、可愛がってあげて下さい。(もり記)

 

◆念のため、新アドレスは以下です。

http://okayama-mori-mori.jimdo.com/

まだ「Google」「Yahoo!」検索ではたどり着きませんが、やがて問題なくなると思います。

 

 

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2016年

5月

30日

2016年5月28日(土) NO.225 『 〈前夜の祈り〉  beginner's 』

N兄の葬儀(前夜の祈り・告別式)に備えてお花屋さんと最終調整。妻も交えて集中。「召されたとの一報から72時間はそのことだけに仕えなさい」とは恩師O先生の言葉。
N兄の葬儀(前夜の祈り・告別式)に備えてお花屋さんと最終調整。妻も交えて集中。「召されたとの一報から72時間はそのことだけに仕えなさい」とは恩師O先生の言葉。

 

5月22日(日)の早朝4時半頃召天されたN兄の葬儀に際し、助言を求めて相談した友人が居た。

 

S牧師。彼はたぶんわたしより10歳程若く、学んだ神学校も違う。牧会の経験もだいぶ少ない。関東在住の牧師だ。

 

しかし、彼に出会ってからというもの、折々に垣間見る、額に汗しながらひたむきに仕える、愚直な伝道牧会の姿勢に刺激を受け続けている。

 

**************

 

23(月)の朝、彼に電話したのは、この度の葬儀では〈前夜式〉ではなく〈前夜の祈り〉で行こうとわたし自身で決めたことが切っ掛けだった。

 

さまざまな経緯があったのだが、とにかく、N兄の〈前夜の祈り〉の「式次第」は日曜日の夜遅くに作って印刷した。

 

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手元にある日本基督教団の『新しい式文――試案と解説』が1990年に出版された頃から、「前夜の祈り」という言葉は目に触れるようになっていた。

 

さらに、最近、広く手にされるようになった最新の教団の式文にも「前夜の祈り」という言葉はある。

 

この度の葬儀では、単に呼び方が「前夜式」から「前夜の祈り」となるだけではなく、実際、中身においてもご家族と列席者が分かち合い、祈りを合わせる心を自然に共有し、告別式を迎えられるようにと願った。

 

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だいぶ前から、前夜式と告別式で、ほぼ同じ内容のもの(わたしの場合、「式辞」変えている)が2度繰り返されるようなことは避けたいなぁと思っていた。

 

しかしながら、そのまま真似ることが出来るような葬儀の現場に立ち会ったことがない。

 

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日曜日も遅くまで、手元にある葬儀関連の著書を数冊開いてみた。妻も書棚から、「こんな本もあったよ」と運んで来てくれた。

 

中でも『礼拝と音楽』の葬儀の特集号では、実践神学の世界ではかなり知られる関西のF先生の論考があって、赤線を引いたりもした。

 

しかし、そういうものですら、知りたいと思うことはさらーっと触れられている程度に過ぎない。

 

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こういう時に頼りにしたくなるのが信頼できる友だ。

 

月曜の朝、わたしは目が覚めると、S牧師の師匠にあたる方(牧師)が、比較的最近、ご自身の奥さまの葬儀で、〈前夜の祈り〉の時をもった、という記事を『信徒の友』の特集記事で読んだことを思い出した。

 

読んで以来、ずっと心の片隅にあったというべきかも知れない。

 

S牧師とあれこれ言葉を交わしていくうちに、「森先生、わたしの師匠も変わって行きましたから、状況に応じて臨機応変に考えればいいんですよ…」という言葉でわたしは安心。

 

心が定まった。

 

向き合って行くご遺族の生きている文脈も背景もさまざまに異なるのが牧会の現場。

 

友の言う通りだと思う。でも、自分だけでそうだと思うよりも何と心強いことか。

 

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結果はどうだったか。

 

ご遺族もわたしが準備するに至った思いに(たぶん)共感されたと思う。

 

実際、〈前夜の祈り〉では、なんとご遺族のご次男が、ほぼ普段着で出席された。

 

さらに、84歳で召天されたN兄の妹さんは既に80歳に近いと思うけれど、やはり、礼服ではなく落ち着いた感じのお召しもの、それもpantsスタイルで参列された。

 

そして、それぞれに、故人の思い出を前方でマイクの前に立って話して下さったのだった。

 

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ちなみに、この度の〈前夜の祈り〉で、わたしは故人の略歴を紹介したものの、式辞は語らなかった。

 

そして、略歴をご紹介したのち、式次第のほぼ真ん中で、複数の方々に思い出を語って頂いた。そしてそのあと、教会の兄弟姉妹の有志にお祈り頂いた。

 

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プログラムには記していなかった賛美歌も歌った。

 

曲は「諸人こぞりて」。クリスマスの曲だ。

 

新潟県上越市の牧師時代に、天の栄光が顕れたと感じた方の葬儀でクリスマスの賛美歌を歌って以来のこと。

 

「主は来ませり、主は来ませり」と賛美し続けていると、ふと気づかされたことがあった。

 

そうか、主はクリスマスだけでなく、N兄を天国連れて行って下さるために、お出でになったのだ、と。

 

みなさんと心を合わせてお送り出来たこと、心から感謝。end

 

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2016年

5月

10日

2016年5月10日(火) NO.224 『 2016年5月号 増補版 旭東教会牧師室便り 』

Oさんからのお便りと同封されていた『ジパング倶楽部  特集 岡山なつかし町さんぽ 』。
Oさんからのお便りと同封されていた『ジパング倶楽部  特集 岡山なつかし町さんぽ 』。

 

 

 『 2016年5月8日号 増補版 旭東教会  牧師室便り 』
             2016年5月8日 № 12
                    牧師 森 言一郎 

 

※ダラダラと長いです。覚悟のある方がどうぞ。

 

いつの間にやら音信不通の関係になってしまうことがある。

 

その背後にはさまざまな事情があるもの。

 

4月の下旬、不義理をすることの多かったO(オー)さんという人生の大恩人とも言うべき方からお便りがあった。

 

O(オー)さん。多分、お歳は70代前半位の男性だ。

 

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わたしは17歳の時、東京で姉・○子と二人暮らしをするようになった。

 

1977年・昭和52年のことだ。

 

これまたさまざま事情があるのだけど、O(オー)さんは使わなくなっていた旧宅を無料で提供して下さり、わたしたち姉弟のみならず、森家をお支え下さった方だ。

 

O(オー)さんのお宅は、JR山手線の巣鴨駅に近いとこだった。東京のことは何も知らないで上京したのだが、考えて見たら普通では借りられないような一等地。駅まで歩いて7分。姉もわたしも学校まで近かった。

 

それでも二人暮らしの家には電話はなく、姉と二人、黄色のNTTの公衆電話から〈コレクトコール〉という先方=実家の両親払いの電話を、巣鴨駅前まで行き、夜8時か9時過ぎにしにいったものだった。

 

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父は若い頃、都内の私立高校で教鞭をとった時期がある。

 

その後、わたしの祖父が暮らしていた大分に職を求めて転居することになるのだが、その頃の教え子の一人がO(オー)さんだった。

 

Oさんは全国各地の花嫁の着付けと美容を専門とする先生方のために、先代と共に長年尽力されてきた方。

 

だから、岡山近郊にもお知り合いの先生方が多く居られたのだと思う。

 

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食べ盛りの高校生だったわたし。

 

道路を挟んでお向かいのO(オー)家に「今日は姉が居ないのでご飯食べさせて下さい」といつものようにお邪魔すると、「これは〈ままかり〉と言って、お隣からご飯を借りてこなければならない程おいしい…」と教えて下さったことを記憶している。

 

その時、「岡山の名産」というような言葉が発せられていたハズなのだが記憶にない。

 

しかし、人生初の〈ままかり〉体験をO(オー)家でしたのは確かだ。

 

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O(オー)さんからの大きな封筒に入れられていたのは二つ。

 

一つは〈森 言一郎様〉と宛名が書かれた小さな封筒に入った手紙だった。

 

「4月18日~19日迄仕事で岡山入りしたけれども、ホテルに缶詰状態で会うチャンスを失い残念」ということが最初に書かれてた。

 

その他、岡山の中心部の変化にも驚いて居られた。

 

そして、もう一つは『ジパング倶楽部 ~特集~ 岡山なつかし町さんぽ』という小冊子だった。

 

なんと全く同じ冊子を、岡山に暮らし始めて40年近いご婦人のもとに、お姉さまから送られてきた、という後日談もある。

 

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O(オー)さんこう記して下さった。

 

「言一郎君もすでに訪れた所もあるかも知れないけれど、もし何かの参考に成ればと思った次第。いそがしい毎日でしょうが、時には仕事の地区を知っておくのも良いのではと同封しました」と。

 

味わい深い青みがかった万年筆だ。

 

実はわたし、O(オー)さんには顔向けできない位の不義理をしっぱなしなのだった。

 

姉との住居のことのみならず、26歳の頃、仕事を失って路頭に迷っていた時にも助け手を差し伸べて下さった方なのに、30代半ば頃からほぼ20年近く音信不通のまま過ごしていた。

 

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旭東教会へ着任する少し前、悔い改めの心で手紙を記し、長年の失礼を心からお詫びしたのだ。牧師として最北の町で元気に暮らしていることをお伝えしたことで交流が復活したのでした。

 

O(オー)さんからのお便りを読み終えてから直ぐに美樹さんにわたしはこうつぶやいた。

 

「何だか、オヤジからの手紙みたいだよ」と。

 

ありがたい、と思った。

 

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昭和2年生まれの父。すでに召されてから19年経つ。

 

その父が、何かにつけハガキをくれたり、息子(わたし)の役に立ちそうな新聞記事を見つけると切り抜きを何枚もコピーして送って来てくれることがあったものだ。

 

この度のO(オー)さんのお心遣いは、じんわりと効いてくるあたたかさがあった。オヤジの眼差しを感じるのだ。

 

また、ゆるされていることを感じる瞬間でもあった。

 

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わたしも下手なりに心を込めて万年筆を手にして近況をお知らせすると共に、半年余りの歩みがわかるこの『牧師室便り』のバックナンバーをお送りした。

 

そして、最新号の《森牧師の部屋》のブログを印刷して同封した。

 

このようなことが出来たのも、山あり谷ありののちに、現在があるからだと思う。

 

感謝だ。

 

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話は変わるが、過日、市内の病院で甲状腺の細胞検査を受け、少し心配したことがあった。このブログの前号をお読みの方はご存知の通り。

 

教会総会後の臨時役員会のさいごに、「手術が必要というような時には、元気になることを最優先に、あれこれ考えず、直ぐに入院します。日曜日のこと等、みなさんで相談して下さい」とお願いする場面があった。

 

幸い、腫瘍ではなく治療も投薬もなしで半年後に来院をということで事なきを得た。

 

何にも増して有り難かったのは、もしやということを、率直に相談させて頂けたことだったと思う。

 

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と思っていたら、O(オー)さんから、ハガキが届いた。まるでオヤジのように。

 

【お便りの中、旭東教会の牧師室便りを拝読していて、北海道でのお便りと同様、しっかり心に定まった気持ちが伝わって参ります。きっと心に定まった人生観(感)があることが、このお便りを・・・・・・】とある。

 

さらに前述の甲状腺の細胞検査に触れて【お身体のことも心配もあるようですが、それこそ一病息災、留意しながら生きることが・・・・・・】と続く。

 

さいごは【かたよらない心、こだわらない心、とらわれない心、これがここ数年来の私の日々の生活の基本にしています。合掌】と書かれている。

 

まさに、お便りの空気は親父そのものだ。

 

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最近、大好きな珈琲を雑味なくおいしく煎(い)れるワザを、科学的考察?を経て身に着けたような気がする。

 

いやいや、以前から本を読んで知っていたが、その著者がまたあらたに本を出されて、じゃぁ一度試してみよう、と思った次第。

 

すごく簡単に伝授できるのでお声がけ下されば幸い。

 

ゴールデンウィーク、教会にお出でになったお二人に試してみたら、二人揃ってハッキリと「違います!」とお答え下さった。

 

なので、思い込みではないはずである。

 

どう変わるかというと、妻が言うには「スーッと飲める。お替わりしたくなる」というもの。雑味が消えます、かなり!

 

なぜ、珈琲専門店が堂々とこれを取り入れないか。

 

それはそれできっと理由があるとは思うのだけど。end

 

 

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2016年

5月

03日

2016年5月3日(火) NO.223 『 間違いでも嬉しい!』

2016年5月2日(月)、牧師の休日、ゴールデンウィークの谷間の平日、鷲羽山を目指して出掛けたら、こちらに辿り着いた。
2016年5月2日(月)、牧師の休日、ゴールデンウィークの谷間の平日、鷲羽山を目指して出掛けたら、こちらに辿り着いた。

神奈川県在住の〈友人Sさん〉から近況をお知らせ下さるお便りと共に、横浜市内にある教会の『会報』が届いた。

 

ちなみに、この良き友は、一度も会ったことがない友。そして、牧師ではない。

 

ある教会の役員さんをされている素敵な方で、人生の少し?先輩の女性だ。

 

**************

 

Sさんがお便りと共に『会報』をお送り下さったきっかけ。

 

それは、78歳のT兄という方が○○教会で、2015年のクリスマスに洗礼を受けられた時に記された信仰告白文の中に、《旭東教会》の名前があったからだった。

 

○○教会は、Sさんの所属教会と親戚筋のような教会のはず。

 

〈旭東教会〉の名前を見つけて直ぐにお知らせ下さるとは、何と嬉しい心遣いだろう。

 

**************

 

その○○教会の『会報』にはこうある。

 

【私が小学校4年の時、父が国外へ単身赴任し留守家族は岡山に帰りましたが、その時は父の母教会である旭東教会の日曜学校に通い、私がキリスト教に接した最初だったと思います。

 

・・・・・・昭和20年6月29日岡山大空襲により被災し、母の実家である岡山県井原市にて少年期を過ごしました。家族は井原教会に行きましたが私は遠ざかっていたと思います】

 

**************

 

これは凄い!と感動。旭東教会で最初に福音に触れられて、おおよそ70年を経てご受洗とは。

 

直ぐに友人に電話を入れ、しばしおしゃべり。

 

そして、「○○教会の会報ありがとうございます。かくかくしかじかで、わたし、ぜひ、T兄に電話してみたいのですが」と伝えてみた。

 

すると、「先生、私とは所属教会は違いますけど、T家には、私から電話番号を教えてもらったと言えば大丈夫ですよ」とのこと。

 

**************

 

その後、思いたったら吉日で「デンワ イソゲ」のわたし。

 

直ぐにT兄宅に電話した。

 

あいにくT兄はお出かけだったので奥さまに用件を伝えると、翌日、連絡が取れ、こちらから折り返しの電話をいれた。

 

礼儀正しく紳士であることがわかるT兄。『会報』には笑顔のお写真と洗礼式の場面が見えたので、お顔が思い浮かんだ。

 

**************

 

ところがである。

 

受話器越しの穏やかで明るいお話を聞くにつれ、〈?〉が幾つか続いて出てきた。

 

通っていたという小学校の名前も西大寺付近にはない。まさか、自分の通っていた小学校の名前を間違えるわけがない。

 

ハッキリと覚えておられた、とある岡山市内の女学校の創設者のお名前も、旭東教会関係者ではないような気がした。

 

しかし、在りもしない話を、T兄がされているとは思えないし、デタラメを信仰告白文に記されるわけがない。

 

**************

 

ついに、これは「旭東教会」違いではという地名が出てきた。

 

「住んでおりましたのは、門田屋敷です」と言われるではないか。

 

さすがに門田屋敷は、岡山市の中心部にある地名であることを岡山暮らし二年生のわたしも知っている。

 

**************

 

それにしても、何かあるに違いないと確信。

 

丁重にお礼を申し上げて電話を切った。

 

岡山には、もう一つの旭東教会が存在したのか!と思ったりもした。

 

ひとつぼんやりと思っていたのは、「旭東」という地名は岡山市内にあること。

 

そして、むしろ、わたしたち日本基督教団旭東教会の方が、西大寺にあるのに、旭東という名前はめずらしい、とうことだった。

 

**************

 

さっそく、92歳にして、日々青年のようにお元気にお過ごしの旭東〈正長老〉に「これから伺ってもいいですか」と電話。

 

実は、正兄には、前日興奮気味に第一報を入れておいたのだが、電話を切ると『会報』のコピーをもって牧師館を飛び出した。

 

**************

 

「正さん、一体これはどういう事でしょう?」と教えを乞うと、直ぐに答えがわかった。

 

答えはやはり「旭東」違いだった。

 

門田屋敷に昭和23年まであったのは、現在の日本基督教団岡山教会の「旭東講義所・旭東日曜学校」だった。岡山教会は旭東教会の親教会だ。

 

正さんが教えて下さったが、岡山教会が昭和60年に発行している『百年史・上巻』の48-49㌻に、確かに「旭東講義所・旭東日曜学校」についての歴史が丁寧に記されている。

 

**************

 

小学生のT少年にとっては旭東日曜学校=教会だったことになる。

 

考えて見ればそれは当然のこと。

 

それにしても、嬉しいことだった。私の心の中には、つかの間の夢がだいぶ膨らんでいた。

でも、少しもさみしくない。

 

神さまは、本当に豊かな福音の種蒔きの実りを見せて下さった。

 

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こういうことがあるから、伝道は楽しいなと思う。

 

正長老も、旭東教会育ちながら、中学生の頃、旭東教会には同世代の友だちが居ないと言う理由から、岡山教会の活動に参加して居られ、旭東日曜学校のことはハッキリ覚えておられた。

 

そして、○○教会のT兄とも電話でお話して下さった。

 

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それにしても、Sさんよ、いつもありがとう!

 

それからさいごに、受洗されたTさん。

 

いつか、ぜひ本籍地があると言われる岡山にお出かけ下さいませ!end

 

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2016年

4月

25日

2016年4月25日(月) NO.222 『 《 very good 》 でしたね 』

2016年4月25日(月)、和気町の藤棚を見に出掛けた。Blogにある通り。この藤棚素晴らしい!です。
2016年4月25日(月)、和気町の藤棚を見に出掛けた。Blogにある通り。この藤棚素晴らしい!です。

病床が信仰の原点にあるわたし。

 

20代の半ば、東京の下町・柳橋という総武線の駅にほど近い病院の一室のベッドの上で洗礼を受けた。

 

先日、十文字平和教会礼拝応援に初めて出掛けた折り、自己紹介を兼ねた説教の中でこんなことを語った。

 

「神さまはわたしを、折々に、病床や病院へと導かれるのです。」と。

 

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今日の午前、少し覚悟を決めて岡山市内のとある病院の外科の診察に出掛けた。受診するのはわたしだった。

 

妻も同行。

 

重苦しい気持ちはなかったけれど、多分、夫婦それぞれに(互いに確認はしなかったが)ちょっとした覚悟をして診察を待った。

 

実は、もしかすると、甲状腺の腫瘍ではないか、という検査の結果を聴きに行くためだった。

 

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一週前、担当の外科医は、こともなくこう言われた。

 

「細胞検査をしましょう。そうすれば分かりますから」と。

 

つまり、良性か悪性か調べますということだった。

 

同意書に署名をし、手術室から来られていると思われる、白衣ではない手術室対応のムラサキ色のユニフォームを着ている看護師も見守る中ことは進んだ。

 

「はい、電気消して、細胞を採ります」と言われ、程なく、ぶすっとやられた。

 

もちろん痛かった。その後も違和感はある。

 

**************

 

地元のある内科医の先生に二月に一度位のペースで簡単な診察を受けるわたし。

 

そのドクター、聴診器をあてるのと同じように、首の付近を触診される。丁寧な診察をなさるのだ。

 

他にもベッドに横になって、内臓、特に、肝臓の触診もしてくださる。どんなに待合室が混んでいても、この先生、お構いなしでじっくりと診察してくださる。

 

趣味は将棋とお聞きしている。

 

で、その方が、甲状腺の異常に気づかれたのが、かれこれ二ヵ月前だった。

 

いろいろあって、超音波検査をして頂くのに時間が掛かったけれど、ひっかかってしまった。

 

で、専門医が居られる中規模の関連病院での診察と相成った。

 

**************

 

今日の結果はセーフだった。

 

その他、血液検査関連のお話もされたが、とにかく、半年後に、ということだった。治療もないし、気をつけてこれをしなさい、ということもなし。

 

半年後の予約の仕方が記された紙を渡された。

 

**************

 

それにしてもだ。

 

「ここにⅡとありますね、5段階あるんですが」とモニターを見ながらの検査の結果を聞き始めたとき、夫婦それぞれに、どうやら同じことを思ったようだ。

 

「あっ、だめだったかな、手術か。岡大ではなく、兵庫県の甲状腺の治療なら日本一と聞いている専門病院を紹介して頂こう」と。

 

しかし、どうやら、一番悪いレベルがⅤ(5)ということらしい。

 

**************

 

昨日の、教会総会後の役員会。議事が終わってから、牧師からの報告をした。

 

「甲状腺の異常が見つかり、検査結果によっては手術があり得ます。元気になることを優先したいと思いますので、あれこれ悩まず、手術となったら、日曜日も含めて入院します。その時は、礼拝を皆さんで相談して守ってください。週報もつくるなどよろしくお願いします」と。

 

祈祷会ではゆるやかーにお話して、伝えていたことでもあったので、寝耳に水ということではなかった。

 

けれども、役員会の皆さん、緊張されたことと思う。

 

その日の夜、ひとりの役員さんに、あることを相談するのを忘れていて電話したのだがこう言われてハッとした。

 

「先生、そんなことは後回しでいいです。まず、明日の検査の結果です」

 

そうか、そうだった、と深く反省することになり、自覚の足りなさを思った。

 

**************

 

診察結果はすぐに役員会メンバーに報告。

 

その後、ひとりの役員さんから来たのがこういうショートメールだった。

 

「Very goodでしたね」と。

 

創世記1章からの説教を昨日語った時に、次の箇所に触れていた。

 

1:31 Then God saw everything that He had made, and indeed it was very good. So the evening and the morning were the sixth day.

 

【it was very good.】邦訳で、「見よ、それは極めて良かった。」とある。

 

**************

 

病院を出てランチは外食となった。

 

「好きなものを食べていいよ、お祝いやけん」の言葉を聞き、ステーキランチを某所でお腹いっぱいに食べ、和気町の藤棚を見に行った。

 

夕刻、昨日の定期教会総会・役員会、そして、診察の疲れが出て、牧師館に戻ると直ぐに布団に入った次第だ。

 

夕食後、『森牧師の部屋』のホームページのヘッダーの写真を新しくしする力が出てきた次第。感謝します。

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2014年

12月

31日

2014年12月31日(水) №172 『 最北通信 牧師室便り 33号 増補改訂版 』

幼稚園の子どもたちのページェントの総練習のときの一枚。三人の博士たちが、黄金・乳香・もつ薬を捧げる。いつもながら、衣装が凄いなぁって思うのです。先生がたに頭が下がります。
幼稚園の子どもたちのページェントの総練習のときの一枚。三人の博士たちが、黄金・乳香・もつ薬を捧げる。いつもながら、衣装が凄いなぁって思うのです。先生がたに頭が下がります。

あっと気がついたら、もうあと数時間で2015年。


ではでは、大急ぎでさいごのBlogのアップロードをと思い、最北通信の増補版をお届けです。

 

*******

 

妻と話していたのだけど、さいきん、家の中とか教会のあちらこちらで、何かにぶつかることが多い。

 

歳を取って頭が固くなって「いさかいを起こす」というのではございません(笑)

 

慌てているからだろうか。


机の角とか、ものにという感じだ。車の運転はだいじょうぶだけど。

 

視野が狭まっているのか、なんて思ったりもしたが、そういうことでもなさそう。

 

妻も、「わたしも、しょっちゅうぶつかってるよ」と言うので、みょうに納得してしまった。

 

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今年の教会の日曜日にお祝いするクリスマス礼拝は12月21日(日)だった。


ところが、私はカゼをこじらせ38.6度の熱に完敗。

 

教会の皆さんのみならずだが、皆さんとご一緒することが出来ない不覚を取ってしまった。


ほんとに申し訳ない。

 

間違いなくインフルエンザではなくカゼの症状のひとつが、運悪く、土曜日曜に重なってしまい、まともに体が動かなかった。

 

たぶん、38℃5分を越えるような熱は相当に久しぶりで、足腰も立たないような感じになってしまった。


土曜日の夕刻、タクシーをで市立病院の救急外来のお世話になった。

 

週報も12/21には出来上がる寸前だったものを印刷することが出来ず。一週間後には発行したが。仮版となった。


ほんとうにご迷惑をお掛けしたものだと思うが、熱には勝てなかった。

 

喉が痛いとか鼻水が・・・、というのであれば(発熱ほかは、それ以前に通り過ぎていった)我慢できたけれど、今回は違った。

 

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稚内ひかり幼稚園のお母さん方が編成する聖歌隊メンバーに、テナーPartを一人で担当して参加することも楽しみにしてご一緒に練習していたので、これもまた残念。

 

それでも、「恵みを多いクリスマスでした」「稚内教会の幻を見ました」なんていう上向きな声も届いたので安心した。

 

Ustreamによるライブ配信は機械操作の都合もあり見ることが出来なかったが、牧師館で静かに過ごす、さみしさを覚え、静かなクリスマスもまた、何かしらの徴かなと思ったのも本当だった。

 

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当日は、『パンの家 ベツレヘムへ行こう』という題で、ルカによる福音書 2章8節以下による説教を準備していた。

 

めずらしく、原稿を役員さんにお渡しできる状態だった。


そこで、急きょ司会者のA姉が朗読して下さった。

 

これまで、このお便りで説教を記したことはないが、当日の音声も録音もないので、今回はクリスマスの説教の〈断片〉を掲載しようと思う。

 

最近のわたし、説教は語られるべきもので、書かれたものを読むものと説教は違う、というこだわりが強くなってきている。

 

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2014年 稚内教会 クリスマス礼拝 説教

 その断片
『 パンの家 ベツレヘムへ行こう 』

                   稚内教会 森 言一郎

 

ベツレヘム。その意味は「パンの家」だと言い伝えられています。私はその言葉の意味にとてもひかれます。

 

第一にパンは聖書の中に出てくる人々にとって命を支える食べ物であり、分かち合われていくものです。

 

 いいえ、それだけに留まりません。聖書全体を読めば、パンはキリストを意味するものなのです。そのことも心の片隅に留めて置きたいものです。

 

み子イエス・キリストは偶然「パンの家」にお生まれになったとは、わたしには思えません。(以下、大幅略・・・結語へ)

 

「教会」は一つのベツレヘムでもあります。神がみ言葉を通してイエス・キリストを指し示して下さる場所、それが教会なのです。

 

喜びも悲しみも抱えながら人生の何かを中断して集う場所。それが教会です。とは言え教会の中にイエス様の姿をそのまま見出すことは出来ないでしょう。

 

もう一つのベツレヘム」が私たちにはあることを知らなければなりません。

ベツレヘムの飼い葉桶の中に示されたキリストは、今この時代の中で、誰かの保護や、そっと寄り添ってくれることを必要としている、いと小さき者とされている人の象徴として示されていることを忘れないようにしたいと願います。

 

幼子イエスは、この世の助けの必要な場所にお出でになったのですから、今も、隠れた形で居られて、私たちが駆けつけることを待っているはずです。

 

小さなかかわりに過ぎなくても、私たちは、教会の外にあるパンの家ベツレヘムに向かって生きて行くことを忘れないようにしましょう。そこに、キリスト者の生きる道が示されているからです。

 

キリストを迎える旅は、神のみ使いの賛美から始まりました。私たちがこの礼拝で賛美歌を歌うこと。その賛美は、神さまの招きに応えての、新しい旅の始まりなのです。

 

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前号の『最北通信』で確か少し触れたことだが、「会堂の屋根補修」に関連して、稚内教会出身の大野一夫牧師がお便りの中で応答して下さった。

 

大野先生は稚内教会で信徒として長年信仰生活を送られた後に献身。

 

現在は札幌北部教会に奥さまと共に出席しておられる。


現会堂の献堂のために図面を書いたり、大いに尽力して下さった方のお一人であるとお聞きしている。

 

記憶違いでなければ、あと数十センチ天井を高くしておけば、ということと、急な階段をもう少しなんとかしていれば、とお話しされたことがあったと思う。

 

*******

 

以下、少し、大野先生からのお便りより抜粋。

 

会堂の補修のこと。年月の経つのに驚いています。屋根の十字架も白ペンキにまみれて塗り直したことも、暗い緑町地区(当時)に、せめて夜に「光」をと思い設置させて頂いたことなど、本当になつかしく思い出します。

 

*******

 

簡潔な内容なのだ。


それだからこそ、様々なことを思い巡らす恵みに導いてくれることばに触れることができたと思う。

 

40年程前の緑町の景色が浮かびあがるようだ。

 

屋根の上に登って十字架にペンキを塗る方々を見上げていたであろうご婦人たち。


今よりも闇が深かった緑地区の夜に光が灯されて浮かび上がる十字架。

 

先達の祈りがそこにあったことを思いがけず知った。

 

お便りを頂いて、大野先生に電話を差し上げた。忘れていたことが甦ってきて嬉しかったことなど、お話し下さった。

 

今、礼拝案内をしてくれている看板が献品されるまでは、その大野先生が一生懸命に作られたことが分かる細身のものが長年にわたって使われてきた。

 

裏に「大野作」と書かれていた。日付もあったはず。

 

今も、使いはしないのだけれど、その傷だらけの看板は玄関脇に置いたままにしている。


とても処分する気持ちにはなれないのだ。


でも、それでいいと思っている。

 

*******

 

JR稚内駅は4年程前に見事にリフレッシュされて、最北の宗谷本線の終着駅=始発駅として愛されている。

 

そのJR稚内駅の改札横・駅ビル・キララの空間で12/23(祝)の午後「みんなで歌おうクリスマス」(「クリスマスキャロルを歌う会」)をエマオゴスペル教会の東海林先生ご夫妻と一緒に準備した。

 

しかし、わたしはと言えば、カゼのため本番には参加できず。


まことに申し訳ないことだった。

 

この日は、稚内教会からは横浜からお仕事でおいでになっているK兄が練習の頃から尽力して下さった。


そして、練習だけの参加だったのだけれど、教会の直ぐ近くにお住まいのご婦人お二人が練習のために稚内教会の礼拝堂に来られた。

 

お二人は、それぞれ古くからの稚内の方ではなく、引っ越して来て、お友達も居ないので、宗教的なことは抜きにしてクリスマスキャロルを歌いたいと思つた、ということだった。


そのような方々の参加を願っていたことなので、嬉しい。


*******

 

さらに当日は、豊富の酪農家・K姉も来会して参加というsurpriseが起こった。

 

まさか、Kさんが歌いたい人だとはこれっぽちも考えていなかったので(失礼)、良かったなぁと思う。

 

福音の種蒔きの可能性が垣間見えたように感じた。


そんなクリスマスの良き知らせだった。

 

*******

 

日本キリスト教団出版局の看板雑誌、『信徒の友 2015年1月号』が発行された。



そして、めでたくも、「ここに教会がある」で稚内教会がどっかーんと紹介されている。

 

実は、そのことを紹介したいと思って、利尻昆布バザーでお世話になっている漁師さんご夫妻を訪ねたときに、ナルホドね、と思う話を聞けた。


*******

 

Sさんご夫妻。ま、ほぼ稚内育ちと言ってよい方だと思う。

 

1月号の28ページの稚内駅や稚内港を中心とした見晴らしの素晴らしい写真を見て、それぞれ、同じことを思われたようだ。

 

ご主人がこう話し始めた。

 

*******

 

「森さんさぁ、この写真、稚内公演のあのタワー(正確には「開基百年記念塔」)から撮ってるだろう」

 

「そうです、ご案内した時の一枚です」

 

「俺さぁ、つい最近まで、あそこがあんなに景色がよくて、稚内全体を見渡せるなんて知らなかったのさ。上がったことがなかったの。秋田の方からお客さんがあって、今まで、2階の展示室までは行ってたけれど、エレベーターであそこまでいったことがなくてさ。


 いやぁー、あそこは、稚内で一番景色がいいんでないかい。


 お世話になった濱森市長が言ってた意味がわかったよ」

 

「そうですね、僕はお客さまや知り合いが稚内に来ると、あそこにお連れしますが、確かに、天気が良ければ、最高の景色ですねぇ。利尻も礼文も宗谷岬までぜんぶ見えますものね」

 

(奥さん)「そうなの、あそこ、小高い丘の上にタワーが建ってるから・・・凄く高いのよねぇ・・・・」


その後も話が弾んだ。

 

*******

 

稚内で生まれ育ち、稚内を知り尽くして居られるはずの方が、知らなかった景色がある。

 

というのは、何とも不思議なことだけど、大事な気付きを与えてくれる。

 

そして、考えて見るならば、まさにそれは灯台下暗しに触れるような現実ではないかと思う。

 

何も漁師さんがわるいというのではない。

 

実はこれ、他のことで、我々がしばしば経験することに通じるのではないだろうか。

 

おそらく、教会が、あるいは、聖書が初めての方にとって、「なにぃ、それ?」ということが、しばしば起こっているのではないだろうか。

 

キリスト教の世界にどっぷり浸かり続けていると、慣れの中に生きている私たちはわからなくなっていることがあるのだと思う。

 

教会やキリスト教、そして身内だけでしか通じない言葉も必要な場合もあ。


だけど、使わなくてよい場面や言い換えが出来るならば、幼稚園児とまではいかなくても、小中学生に確実に通じる言葉が用いられたりという配慮が必要だろう。

 

*******

 

最後に・・・・ダイエットにまつわること。

 

ズボンがぱんちパンチで、困ったなぁと思っていたのは、今年の夏頃だっただろうか。

 

先回のBlogに、ステップ運動をしながら、という話を記したが、努力の甲斐が少しあって、成果があがってほっとしている。

 

新調できない背広問題も差し迫った困りごとだったけれど、実は思いがけない、体重減による副産物があることに最近気づいた。


*******

 

それは、去年やってしまった、雪道での思いっきりスッ転んでしまって痛めていた膝のケガである。

 

あの、いやーな膝の痛みが最近ほとんどないのだ。雪道を歩くと、気になるあの痛みが。

 

これはズーーっと抱えて行くしかないんだなぁ、と思っていたのに・・・・、どうも、体の重さがだいぶ悪さしていたようなのだ。

 

もちろん、いつ再発するか分からないにしても、約5㎏程の減量はほぼ確実に出来たと思うのだけれど、いつも、5㎏のお米を抱えて歩いていたら、やっぱり負担がかかるだろう。

 

まだ重いことは重いのだが、良いことの方が多いかな、と実感している。

 

*******

 

ラジオからは紅白歌合戦の裏番組のFMが軽快に流れている。

 

2014年も間もなく終わろうとしている。

 

気ままなBlogもこれが正真正銘、これが今年の最後になりそう。


お付き合いくださってありがとうございました。お役に立っているとはあまり思えない。でも、自分自身のこころの整理は、これでだいぶ出来ているかも知れないかな。写真も含めて楽しみながら続けます。

 

では、また来年!end



2014年

12月

29日

2014年12月29日(月) №171 『 ほめてくれてありがとう  ほめる力が生まれますもの 』

こちら、最近、道内のあるお店で頂いた櫃(ひつ)まぶし。3200円するが高くないと思う。この日は宮崎産のうなぎと看板にあった。『大辞林』にはこうある。「短冊状に切った鰻 の蒲焼きを,お櫃 (ひつ)のご飯にまぶした料理。茶碗に取り分けて,1 杯目はそのまま食べ,2 杯目はネギやワサビなどの薬味をのせて食べ,3 杯目はこれにお茶や出汁 (だし)などをかけて食べる。名古屋名物として知られる。」。まっことその説明の通りにこのお店はだしてくれている。以前も一度お店に行ったときに写真をとったが今回は一眼レフで。
こちら、最近、道内のあるお店で頂いた櫃(ひつ)まぶし。3200円するが高くないと思う。この日は宮崎産のうなぎと看板にあった。『大辞林』にはこうある。「短冊状に切った鰻 の蒲焼きを,お櫃 (ひつ)のご飯にまぶした料理。茶碗に取り分けて,1 杯目はそのまま食べ,2 杯目はネギやワサビなどの薬味をのせて食べ,3 杯目はこれにお茶や出汁 (だし)などをかけて食べる。名古屋名物として知られる。」。まっことその説明の通りにこのお店はだしてくれている。以前も一度お店に行ったときに写真をとったが今回は一眼レフで。

少し時間があったので、長いかな。でも、お時間あれば、お付き合いを。

 

◎はじめに

一年締めのお話。なんて気の利いたことは無理だけど、素直に嬉しかったこと三題を記して、今年のブログを閉幕しようかなぁと思う。

 

きょうは、北海道が世界にほこる、《コンビニ=セイコーマート(Seicomart)》を梯子した。セイコーマートのすごさは安売りがあり、周囲に一度チラシが新聞に挟まれる事だと思う。

 

その新聞チラシをみて、200組×5個パックで税込み228円の特別パッケージのティッシュペーパーを買ったのだ。

 

そのときわたしは、こんなことをレジの優しい笑顔の丸い体格の青年に言ってしまった。

 

「笑顔が素敵だねぇ」

 

「ありがとうございます」

 

「いや、ほんとだよ」

 

*******

 

なんて上機嫌でキザなわたしだろう。いや、オヤジが深まっただけか。

 

年末の解放感からだけではない。ことの背後には文脈がある。

 

なので、ちょこっと「笑顔が素敵だねぇ」というおいちゃんのひと言の文脈を自己分析してみよう。

 

*******

 

◎自己分析 その1

 

クリスマスが終わり、長引いたカゼから体調もほぼ回復。親しい同労の友に、ふと思いたって電話をした。

 

そんな風に電話が出来る時間がもてるのは、ほっと一息つけた時でないと無理なことが多い。

 

そりゃそうだ。

 

ばたばたと走り続けていては話にもならない。おいしい飲み物を飲むときだって歩いたり駈け足していては無理だろう。いかがですか皆さんは。

 

歩きながらの電話では、少なくとも、わたしの場合じっくりの実りある会話というか、実りある話は生まれない。

 

*******

 

【森先生。「忍」と「従」です】

 

そんな言葉が目に入った、丁寧なペン書きの、おっきくて、清楚なクリスマスカードが頂いた。

 

贈り主は後輩と言えば後輩であるけれど、今となれば同労者。日中そのカードをパッと見たとき、オレを励ましてくれているのかぁ。そうかぁ、そんな風に見えるんだなぁと思ったのだった。

 

*******

 

が、あらためてその日の夕食後に読み直すと、【こちらは、引き続き「忍」と「従」です】と記されている。

 

そうか、【森先生】は思い込みのひと言だったのか。てっきり、森先生も時々週報とか読ませてもらっていますが、だいぶご苦労が多いようで、という励ましかと思ったら違った。

 

「忍」と「従」。つまり、【忍従】。

 

国語辞典によるとこう説明する。

 

『新明解さん』によれば、「苦しい境遇に、じっとがまんすること」ある。例文では、「忍従を強いられる」。

 

『大辞林』によると、「耐え忍んで、言われるがままに従うこと。」とあり、『大辞林』の例文には、「召使い同様の扱いに忍従する」。

 

20分弱の話の中に、その忍従振りがポツリぽつりと聞こえてきた。

 

*******

 

彼は、わたしが神学校の同窓会から依頼を受け、同級生の追悼文を記したその文面に、ふとした拍子に触れてくれた。

 

「森先生、あれ、よかったです。感動しました。(いつもならどこかに紛れ込ませたり棄ててしまう同窓会報ですが、大事に)しまいましたもん。葬儀のときあー言うことが語れたら、ほんと・イイです」

 

その「あれ」とは、このブログの『選集 その4』に収めている、『 我 ステテコを愛す 』 (Blogより・2014年1月21 № 110)の要約版だった。

 

「あれ、よかったです」と言われるとやっぱり嬉しい。

 

だが、どんなふうにまとめ直したのかを忘れてしまったし、特別に仕舞っておくなんて言われると、読み直したくなってしまうじゃないか。で、牧師室のとある箱に紛れ込んでしまっていた「あれ」をさがして、昨日コピーした。

 

*******

 

実はその要約版。

 

わたしがひそかに尊敬する爽やかな大先輩からもわざわざ葉書を頂いて、敢えてご紹介するなら「〇〇氏への追悼文ひかっていました」と励まされていたものだったことを思い出した。

 

いやいや、『選集 その4』にUPしたとき、父親のような年齢の同級生からのメールの言葉も添えてしるしている。

 

【Nを偲ぶ貴兄のブログを拝見した。良かった。胸が熱くなった。ステテコをキーワードにして、忘れかけていた出来事までも含めて、Nばかりではなく、H君やS郎、T平のことまでが浮かんできた。・・・胸が熱くなり、涙しそうになった。森さんのブログは祈りだと思った。私もその祈りに心を合わせたい。】

 

ま、そんなわけで、ひと盛り上がりが、私的にありました。

 

*******

 

◎自己分析 その2

 

大好きな同労のご夫妻の教会が、会堂・牧師館の大きな工事のための全国募金を秋から始めている。

 

かれこれ既に依頼文が届いてから1ヶ月と少しの時が過ぎたのだが、実は、そのときに同封されていた文面に感動していたことをふと思い出した。

 

感動しましたよ! 信仰ってそういうものですよね。

 

そう伝えようと思いながら、ずっとそれが出来なかったのだが、冒頭に記したように、我が心に余裕がなければ、「感動しましたよ! 良かったっす」なんて言えない。

 

当然それは、自己分析その1、と今となっては関連していることに気づいたのだが、ひと言、どうしても伝えたくなり、市立病院の眼科定期検診の時間が近いのに、ダイアルした(死語ですな〈ダイアル〉は)。

 

*******

 

「あー、稚内のもりです」

 

「あー、森先生。クリスマスおめでとうございます」

 

「あの、〇〇先生。僕ねぇ、ひと言、感謝を伝えたくて。会堂・牧師館の募金の依頼に、先生のメッセージがあったでしょ。あの最後の所に、〇〇〇〇〇って書かれていた。あれ、僕ホントに感動してたんです」

 

「そうですか、そう言って頂けると嬉しいです。おかしなこと書いてしまったと後悔してましたから・・・・〇〇に変わりましょう」

 

「あー、〇〇さん、もりです」

 

「クリスマスカードありがとうございます。いやー、オレがあんなこと書いたら、献金こないんか、って昨晩話してたんで、喜ぶと思います。森さんの文、あっちこっちで読みましたよ・・・・。久しぶりなのに、会っていたような気がしましたもん」

 

*******

 

この電話の後、わたしは妻に頼んで市立病院に走ったのだった。

 

「あれ、送って置いて。そして、ひと言添えて。《お互い 誉めあって 元気出しましょう》って書いて」

 

そういうわけで、ふた盛り上がりがあったかなぁ、と、思うのだ。

 

*******

 

◎自己分析 その3

 

昨日の深夜。つまり日曜日の夜遅く、わたしは久しぶりに自分の説教をじっくりと聴きながら、ステップ運動をしていた。

 

あることを確認したかったからだ。

 

昨日、つまり、2014年12月28日の礼拝説教の箇所は、アドベントからクリスマスの流れの中、ルカによる福音書2章後半の「シメオンの賛歌=ヌンク・ディミティス」からのものだった。

 

丁寧に確認しておけばわかることだけど、実は、ほぼ1年前に、わたしはそのテキストからの説教をしていた。

 

最近はあまり厳密に説教原稿の保存をしたりしなくないし、新しい気持ちで学び直して語ることもたのしいと思っていた。そして、実は昨日の礼拝説教の準備の学びは(説教のできとかとは全く関係なく)いつになくというか、いつも以上に楽しかったのだった。

 

*******

 

それでも、1年前に、一体どんなふうに、どのような切り口で語っていたのだろうか、ということが少しだけ気になった。

 

で、落語を聴くでもなく、ラジオでもなく、1年前の、同じ箇所からの説教を聞き直すことにしたのだ。

 

30分程の時間だろう。ステップ運動をするのにちょうど良い長さを興味深く聴いた。

 

そして、すっごく大げさに言えば、自分を誉めてもいいかな、と思った。

 

特段、感動的な説教が聴けたのではない。

 

が、ひとつ二つ自分自身で納得ができたのだった。

 

*******

 

まず一点。

 

一年前の説教。あー、そんなことがあったなぁと思い出すようなことも含め、今ここでしか語れないことを語っていたこと。

 

二つは、一般に「釈義」というけれど、そのとき注目していた言葉と昨日の説教の注目点は違っていた。

 

うーんそうか、と思った。

 

いいじゃないか、とも思った。

 

たまには自分を誉めてあげようか、とも思った。

 

*******

 

〇おしまいに

 

さて、今回のブログの主題。

 

それは、やっぱ、人間、ほめられることが大事なんじゃないか、ということだ。

 

東京駅からそう遠くない東京湾方面とは反対側のお堀方面で、二十歳を迎えた、とても可愛らしいお嬢さんが勲章を授与された、というニュースがきょう流れた。

 

これまでの彼女の何が勲章に値するかのかよくわからなかったが、それにしても彼女が「これから、がんばんなきゃ」という気持ちになり、上向きな気分になったのことは想像に難くない。

 

彼女もほんの一センチくらい、背が高くなって大きくなったように感じる。

 

セルフイメージが高められること。

 

そこにはおそらく様々な循環があるはず。その循環は自らの少しばかりの努力とも関連があるし、そのような関係性をわたしも大事にしていきたい。

 

ことばとひとのあゆみにはブーメランのような作用があるのだから。

 

2014年もありがとうございました! 2015年もボツボツと記してまいります。おっと、もう一本、最北通信のUPがあるかもです。end

 

 

 

2014年

12月

08日

2014年12月8日(月) №170  『 嬉しくて嬉しくて 』

2014年12月8日(月)にオホーツク方面の枝幸町から20㎞の歌登の家庭集会にてパチリ。「ふらたま」とは「ふらっと たまり場」だそうで、さいたまで教師をして居られたご婦人が酪農家とご結婚されて、歌登でずっと続けている会のチラシ。今では、教育の世界で知られる新聞から取材を受ける程の年月を経ているとのこと。素敵な呼び名です「ふらたま」。子どもたちの遊び場を提供しているそうです。これはこの時代のキーワードかな。
2014年12月8日(月)にオホーツク方面の枝幸町から20㎞の歌登の家庭集会にてパチリ。「ふらたま」とは「ふらっと たまり場」だそうで、さいたまで教師をして居られたご婦人が酪農家とご結婚されて、歌登でずっと続けている会のチラシ。今では、教育の世界で知られる新聞から取材を受ける程の年月を経ているとのこと。素敵な呼び名です「ふらたま」。子どもたちの遊び場を提供しているそうです。これはこの時代のキーワードかな。

日曜日の礼拝に出席していちばん心に残ること。

 

それは何だろう。

 

教会堂から一歩踏み出して、その日の礼拝を思い巡らしてみて、あるいは週の半ば頃になって振り返ってみて、それが説教である、という場合も(たまには)あるかも知れない。

 

そうだとしたら、それはとても素晴らしいことだと思う。

 

*******

 

日曜日の教会を思い出してこころあたたまることが第一にあったら、それは何と幸いな事かと思う。

 

あたたかな言葉掛けを受けることもジンワリ嬉しいものだと思う。

 

笑顔にふれるのも嬉しい。

 

この賛美歌を歌うのは初めてだったけど、いいなぁと感じることもある。

 

誰かの祈りに触れて、いつか自分もあのようなお祈りが出来るようになると嬉しいなぁ、という場合もある。

 

*******

 

昨日アップした教会のブログに記したのだけど、「みんなで食べるとおいしいね」という声が聞こえた、「分かち合いお弁当の日」と呼んでいるお昼ご飯。

 

これは長く根付きそうな会になりつつある。

 

「みんなで食べるとおいしいね」という言葉に深くうなずいたり共感する方たちが幾人か居たのを感じた。

 

それほど、おいしくあたたかな何かを受ける時間なのだと思う。三平汁のおいしさ以上においしいことがあるのだ。そのお昼には。

 

*******

 

そう。

 

かく言う自分も、信仰生活というものを自覚的に始めていた頃に、自分を育てていってくれた有り難い空間と時間があった。

 

それが、中央区銀座にある教会の、早天祈祷会後の「朝食」だった。

 

恩師のF牧師も、人は食べた時のことは忘れない、と言われていた。今は天国に居られる。

 

*******

 

神学生の頃、わたしは練馬区に暮らしていた。

 

早天祈祷会は午前7時に始まる。なんと、その祈祷会に出席するために、わたしはアパートを6時半に出発して間に合っていた。とてもではないが、西武池袋線と丸ノ内線を乗り継いでいたら、1時間は軽く越える時間が掛かるだろう。

 

当時、郵便配達の方々が乗る、HONDAのカブという90㏄のバイクに乗って都内を移動していたのだけど、何と、神学校のある目白をぬけ、水道橋を抜け、皇居付近を駈け抜けて、7時少し前に銀座にある教会にたどり着いていた。

 

午前7時前の東京は、実はこういう移動が可能なのだ。おそらく今も。東京って。広いようで実は狭い町なのだとその頃知った。

 

バイクで飛ぶようにして都内を駈け抜けていたのだなと思う。いろんな意味で恐ろしくもあるが。

 

*******

 

早天祈祷会は7時に始まり8時に終わった。

 

そして、教会堂の5階にある台所のある大きなホールに時間にゆとりがある方々(つまり、直ぐに出勤しなくてもだいじょうぶな方)が移動し、長いテーブルを数本組みあわせて朝食を頂いていた。

 

一食200円位箱に入れていたような気もするけれど、定かではない。

 

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毎週、ご婦人達が持ち寄ってきて下さった定番のおかずが並んだ。

 

当時最年長だったはずの武上さんのアジフライ。

 

素晴らしい習字の看板書きをされていた森岡さんの京都の湯葉の煮付け等もおいしかった。


主任牧師である鵜飼勇牧師がかき混ぜて下さる納豆も嬉しかった。

 

神学生時代の4年間、毎月本代を(あくまで名目ですが)「もりくん」と言って封筒を差し出してくださった小沢さんは、グレープフルーツを絞るところから手をかけて、グレープフルーツゼリーを毎週、みんなのために作って来て下さった。

 

いやいや、今は、福島の教会を経て都内のとある教会の牧師をされているSさんがチューブをしぼってお湯を注いで頂く永谷園のお味噌汁も、皆で頂くとおいしかったのだ。

 

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その交わりは、朝の礼拝出席者が300人前後の大教会のイメージからすると、まったく似つかわしくないとも言える、家庭的な雰囲気の食卓だった。

 

たいそう居心地がよかった。複数の牧師や伝道師の先生方と気さくに並んでの食卓は楽しかった。そしてわたしは、そのような教会の神の家族としての交わりによって育てられた、と思う。

 

早天祈祷会の聖書の学びが頭に残ったことは、正直に言えば、ほとんどなかった。理解力の問題かも知れないし、いつも睡眠不足だったのかも知れない。

 

でも、とにかく、早天祈祷会の後の食卓は、今も心に残り、染みついている。

 

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昨日の稚内教会の礼拝に10代の青年が礼拝に出席してくれた。礼拝で彼を見るのは数ヶ月ぶりだった。

 

礼拝後、食事が始まる前の集会室に座っていたので声を掛けた。

 

すると、「きょうは食事に残るのは無理ですが、クリスマスは、だいじょうぶだと思います」と笑顔で教えてくれた。

 

そう。

 

教会の食卓で何かにふれて、育つっていく若者になってくれたら嬉しいなぁと思う。

 

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礼拝中、青年は確か一度、礼拝堂から出て行って姿が見えない時間があった。

 

その時は、それがなぜだかは不明だった。腹が痛くなったのか、とも思ったりもした。

 

ところが、それは違っていたことが夜わかった。

 

何だかは、ここではあえて記さないけれど、彼を迎えに来て下さった親戚のおばさまから夕方送信されたメールに理由が記されていた。

 

「こんばんは、・・・・・して下さり、ありがとうございました。嬉しくて嬉しくてトイレで泣いたそうです」と。

 

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わたしは、昨日の説教で、マクドナルドのメガマックの話をした。あの話で、彼とeyeコンタクトはとれたけれど、その話で泣いたのではないことは確かだった。

 

聖書の一句の解き明かしが、青年を泣かせたわけでもない。

 

でも、でも、確かに、み言葉の出来事があの時間に起こっていた。

 

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神さまって凄いなと思う。

 

そういうことが起こるからわたしは礼拝から離れられない。教会が好きなのだ。

 

モヤモヤしてどんよりと重い雲が吹っ飛んで、瞬間であっても、確かに晴れやかになった、ショートメールを通じての福音が心に届いた。

 

わたしも嬉しくて嬉しくて、神に感謝。end

 

 

2014年

12月

04日

2014年12月4日(木) №169  『 増補版 最北通信 牧師室便り 32号 』

会堂の屋根補修と同時に復活したのが、十字架とスポットライト。こんなに綺麗にライトアップされるとはびっくり!
会堂の屋根補修と同時に復活したのが、十字架とスポットライト。こんなに綺麗にライトアップされるとはびっくり!

※ちゅうい・caution 

 今号、久しぶり?にだらだら長いのでご注意を。

 

日の入りの時刻が午後4時を切っている稚内のこの頃。

 

この『最北通信 牧師室便り』を書き始めた11月25日の「日の入り」は午後3時55分だった。稚内市内の青少年科学館の資料に依れば、この先冬至まで、日没時間はさほど変わらないようだ。

 

てっきり12月23日頃迄、日はどんどん短くなって、もしや日没は3時位になってしまうのだったか、と、と思い込んでいたが、そうではなかった。一安心。

 

それにしても、稚内に暮らし始めた頃、夕暮れの速さにかなりびっくりしたのだが、実は地元の方たちも同じように感じているようで、日没を話題にしての挨拶を時々耳にする。

 

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大相撲九州場所の時期が11月なのだが、かつて新潟に暮らして居たとき、高速道路のパーキングエリアでNHKの大相撲放送を見ていてありゃま、と驚いたことがあった。

 

大相撲はとうぜん生中継なのだが、たまたま、博多湾や福岡市内の様子が映されたときの明るさといったらなかったし、日本列島ってこんなに違うところがあるんだなぁと思ったものだ。

 

新潟ですらそうだったのだから、おそらく、九州場所をTVで注意深く観ようものなら、もっと驚くことが起こりそうだ。

 

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夏のおわり頃に見つけた、教会の屋根の劣化。

 

総額140万円を越える工事を行った。その代金を今の稚内教会には直ぐには準備できない。

けれどもほんとうに有り難いことに、同じ日本キリスト教団の道北地区・名寄伝道圏から無利子で100万円の借入ができたのだった。

 

教会の屋根補修工事は11月の中旬から始まり、滞りなく終了した。

 

いつもお世話になっている大工さんのNさんから「先生、スタイロフォームを使っているから」という言葉を何度か耳にしていた。

 

ところが、「スタイロフォーム」が一体どういうものか、知らないままだった。

 

教会のみんなに報告しようにも、何の手掛かりもない。大工さんがせっかく説明してくれたのに、知った顔して実は知らない。これではイカンなぁと反省。さっそく調べてみた。

 

インターネットはこういう時にほんとうに助かる。

 

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検索をしてると嬉しいことがあれこれ記されていた。

 

「スタイロフォームは、優れた断熱材・保温材として……常に日本の熱環境をリードしています」とまず最初に書かれている。

 

この度の工事、旧来の屋根を除去するのではなく、その上に、このすぐれた力を発揮する建材を貼り付け、その上に新しい鈑金の屋根を打ち付けたようだ。

 

スタイロフォームについてさらにこう紹介されている。「冬の寒さはもちろんのこと、温度を一定に保つことで、冷暖房のエネルギー消費を抑える効果がある」とある。

 

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こういう説明を素朴に信じやすいのがわたしである。

 

工事終了後の最初の日曜日。

 

雪が降り積もっている時期でもないので、思い込みかも知れないのだが……礼拝堂の冷え込みが、なにかいつもより随分おだやかに感じた。

 

わたしは鼻炎アレルギーがあって、特に、気温の変化に敏感な体質だ。

 

季節の変わり目など(先週くらいまでの約一ヶ月)、少しでも寒いなと感じと、クシャミが止まらなくなる。「センモール」という鼻炎カプセルがないと、ほんとに、朝から晩まで鼻をかみ続けることになってしまう。

 

話は戻るが、屋根の工事が終わったあとの礼拝堂。何となくだが、あたたかったのだ。暖房の設定温度も少し低めだったのにである。

 

厳冬期を迎えるこれから先の3ヶ月、スタイロフォーム様に思わず期待してしまいそうだ。

 

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もう一つ、会堂屋根補修と同時に与えられたものがある。それは、教会の上に立つ白色の十字架だ。上に写真をUP。

 

美しくお色直しされたのだが、それだけでなく、切れたままになっていたスポット照明の電球が取り替えられて復活したのだ。

 

というか、正直に申し上げると、ライトで照らすことができるなんて知らなかった。

 

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夕暮れの早い今の稚内。

 

闇夜に浮かび上がる十字架が実に見事に美しい。最初にそのことに気づいた時のわたしは、牧師館に慌ててカメラを取りにいったほど。

 

少しオーバーだが、惚れ惚れするぐらいというか、眺めているとにんまりしてしまうというか、ついつい頬がゆるんでくる。

 

利尻昆布バザーに励んで、借入金の返済に努める元気が出て来るというものだ。

 

そして何より、牧師らしく(本音でもあるが)バス通りを通りがかる方たちの目に止まって、今まで、ここに教会がある事に気づかなかった方へ、何かを届けられればやっぱり嬉しい。

 

保育園のお仕事が終わって外に出て来られた先生も気づいてくれたので可能性ありだといいなぁ、と思う。

 

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『信徒の友』の取材が終わってから、ほぼ2ヶ月近くが経った。

 

先だって、編集者からの最終原稿が「チェックをお願いします」ということでわたしの手元に届いた。それでは、ということで、取材を受け、記事に取り上げられている何人かの方にも、ケアレスミスはないか見て頂いた。

 

今回の取材、2015年1月号の「ここに教会がある」で紹介してくれるのだが、ベテラン記者の心にどのようなことが残ったのか興味深かった。

 

全国1700余りの日本キリスト教団の教会・伝道所の数からすると40年に一度程の掲載となるようだ。

 

ということは、次は2055年頃という計算だが・・・。40年後に元気でいられるのは、40代のご婦人何人かと、幼稚園の先生方くらいというのが現実だ。

 

ガンバ、稚内教会!

 

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「福音ってなんですか?インターネットで説教を聴いていると、森先生が時々口にするので教えて頂きたいと思いました」。

 

これ、求道者になって下さったら嬉しいなぁと思っていた方からの嬉しい質問だった。

 

もちろん、どこかの本に書かれているような回答もあったのだけれど、その時わたしは、次のようなことをお話した。

 

「自分の経験から言うと、仕事も健康も失い、どこにも行く場所がなくなっていた30年位前のわたしにとって、日曜日に身を置く場所があること、それだけでよかったんです。それが道を求めはじめた頃のわたしの福音でした」と。

 

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〈福音〉って何なのか。

 

実に、本質的な問い掛けだ。これこそ、〇〇信仰問答で扱われるような内容に違いない。

 

だがしかし、たくさんの方の生の声を聞きたいものだと思う。「あなたにとって、福音ってなんですか?」と。

 

そして、当たり前に使っている言葉が、初めてキリスト教に触れる方たちにどんな風に聞こえているのか、もっともっと思い巡らすことが必要なのだ、と久しぶりに思い出した。

 

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11月23日の日曜日の午後と24日・祝日の勤労感謝の日の連休。

 

稚内から車で2時間半のところにある、美深温泉を会場にして「道北地区集会」が開催された。

 

3年ぶりの地区集会だ。

 

去年は、北海教区の年頭修養会の当番が道北地区だったので行われなかった。その前の年は、何か別の理由で開催されていない。

 

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今回、稚内教会からは幼稚園の小型バス・トトロ号をお借りして5名で参加。

 

雪道で危険な場合はJRで行きましょうと相談していたが、前日までの雨で雪はとけていて助かった。

 

運転はわたしだったのだが、運転席が高めの車はなかなか快適だったし、4名のご婦人方を乗せての運転は、何かいつものマイカーの運転とは違う緊張感と楽しさがあった。

 

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休憩で立ち寄った「道の駅なかがわ」(稚内から1時間半ほどのところ)では、幼稚園バスに幼子の姿を期待した子どもたちが脇を通りがかった。

 

幼稚園のバスだと一目でわかるので、かわいらしい子どもが見えると思ったのだろうか。

しかし、この日のトトロ号の乗員平均年齢は〇〇歳位だった。ごめんねチビッコたち!

 

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様々な気付きが与えられた「道北地区集会」だったなぁと思う。

 

わたしは、近隣教会のことを互いに知り合えている豊かさをかみ締めていた。これって、ありそうでないことなのだ。大都会のみならず、隣の教会の牧師の名前を知らないということは、しばしばあるのだから。

 

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きょう、旭川豊岡教会のTさんからのひと言メッセージが届いた。

 

Tさん。地区集会の感謝を語られた後、わたしがこのブログでも触れた豊岡のバザーでの買い物について簡潔に書いて居られた。

 

一つは、佐藤さんの背広の話である。

 

「教会バザーではお買い上げ頂きありがとうございました。佐藤兄は背の高い、ナイスミドルでした。先生に着て頂いてきっと喜んでおられることと思いますよ」

 

あっ、それから、妻の手首から出てきた《プレートとビス》のことも。「びっくりしました」と。

 

このような交流ができていることが、幸せな道北地区だと心から思うし感謝だ。

 

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本格的な冬を前に、わが家では食料品の買い物を〈札幌生協の宅配サービス・トドック〉にお世話になりはじめた。 

 

地吹雪やアイスバーンを押しての買い物からの解放は、春先に牧師館前で転倒骨折したり、1年前には宗谷岬でのスリップ事故に乗り合わせていた妻にとっても安心材料だ。

 

生協は広く知られるように、牧師でキリスト教社会運動家として歩まれた賀川豊彦先生にルーツがある。

 

稚内教会の誕生のきっかけに「賀川伝道」と呼ばれる大集会があったと聞いているので、これもまた、神さまのお導きかも知れない。

 

賀川伝道は、かつて新潟県上越市と現在の妙高市(旧・新井市)の教会でも大きな影響を与えていたことを思い出す。賀川伝道というその仕方や賀川先生の働きにはさまざまな評価がある。でも、福音の出来事、そして救いのみ業が起きたのも確かなのだ。

 

それにしても、トドックさん。

 

これから先の地吹雪や豪雪の時、ほんとうに本当にお先真っ白で、配達、危険でたいへんですが、よろしくお願い申し上げます。end

 

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