2013年

11月

28日

2013年11月28(木)№94 『 増補改訂版 牧師室便り No.20 』(11/24発行分)

◎余計なことながら、だらだらとした文です。体調のすぐれない方やお急ぎの方は、いずれまたの方がよろしいかと思います。ではよろしく。

 

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冬の到来を告げた雪がいったん解け始めた11月12日(火)。稚内から歌登の匹田家での家庭集会に向かった。

 

いつもは少しでも時間を稼ぎたくて、稚内から猿払には山道を抜けるのだが、前日までの雪の影響を恐れて、海沿いの国道を選んだ。

 

宗谷岬を超えるルートだ。当日は、オホーツク海沿いを走っているとサハリンがクッキリと見える日だった。

 

しかし、稚内から猿払を抜けるあたりのカーブで、車が完全にひっくり返ってお腹を出して路肩に転がっている車を脇に見るなど、「」やー、気をつけないと大変なことになるなぁ」等と思っていたのだった。帰り道、気をつけないととずっと思っていたはずだった。

 

その気持ちは失わないまま、家庭集会を終え、130㎞の道を帰る準備をしながら、匹田さん、開地さんに「次は来春にんまるかなぁ? とにかく、安全第一に帰りますよ。3月にはまた神学生が来ますので、その時には必ず・・・」。

 

「ブラックアイスバーンに気をつけて」という言葉を聞きながら稚内に向かって出発した。

 

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午後6時頃、帆立貝で知られる猿払当たりの雪をくぐって、ほっとしながら宗谷岬を抜けた頃のこと。

 

制限速度40㎞位で走っていた車が、気が付いたときには、反対車線にスーッと流れ始めていた。「あーーっ」と思った時にはハンドルもブレーキも効かない。クルクルとハンドルを回しているうちに、車体の右側後方を海側のガードレールにぶつけながら体制を整え元の車線に戻った。

 

後で考えると、ガードレールがない場所もあるので、海に落ちるのを防ぐためのレールだったということだろう。助かった。

 

役員さんの一人に電話入れたり、駐在さんの事故検分を終え、「警察からの処罰はありません。北海道の開発部からガード修理のことで電話があるはずです」の声を聞き、牧師館に戻った。

 

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翌日、冷静になってから思ったのだった。

 

対向車が来なくて助かったんだなぁと。命を落とす所だった。いや、大怪我をして入院ということもあり得た。一生残る後遺症とか、罪の無い方を巻き込んでの大変な事故となってもおかしくなかった。

 

神さまが助けてくださった、ということだろう。

 

雪が降り積もって圧雪路になる前の道の危なさや、海沿いの道路やトンネル付近、あるいは、交差点の朝晩の凍結についての情報は頭に入ってはいた。が、こういうことは、経験してみなければやはりわからないと悟った。

 

とにかく、怖ろしさが身に浸みた。以前から、牧師館前の小さなな坂道を、四駆で上れない、あるいは、滑ってブレーキが全く効かなくて止まらないを経験していた妻は、「わたしはもう、冬の間は絶対に車に乗らんけん!」と再度宣言した。

 

北海道の道。4WDだろうが何だろうが関係ない。ダメなときはダメ。お世話になっている自動車屋さんに車を持ち込んだら、同じ日に、わたしよりも大破した車が2台。さらに、これからもう一台運ばれて来ます、とフロントの方が言っていた。そういうことなのである。

 

以上、反省と共にご報告いたします。修理などは保険の登級を落とすだけで済んたことでも、ホッとしている次第だ。

 

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そういえば、嬉しい変化が歌登の匹田家の集会であった。

 

到着すると、本当は久しぶりにお目に掛かるのに「森先生とは、いつも会ってる気がする」と芳子さん。「〈あれ〉で見るもんなぁ」と御主人。開地さんもうなずく。

 

そう、インターネットを利用出来る環境にある匹田さんと開地さん。教会には来れなくても、礼拝のライブ配信や録画での礼拝参加が可能になり、しばしばご覧になっているのだった。

 

礼拝中継で“出番"が長いのは牧師だ。なので、いつも顔は見ておられるというわけだ。風邪気味だったので、おとといの声の違いに直ぐに気が付かれた。

 

歌登の方たちは、酪農家である。

 

皆さんのいつもの仕事の流れからすると、どうしても早朝から10時過ぎまでが午前の部。それから午後4時前から午後の部の仕事となるのだ。

 

酪農家のお仕事には平日も日曜日もない。年中無休で働き続ける。それゆえ、礼拝出席は、教会までノンストップで2時間半掛かることを考えると無理に等しいわけだ。

それだからこそ、インターネットの配信は画期的だ。小さいけれども、確かな福音の分かち合いの機会となっている。共に恵みに与れる場が生まれ、それを確認出来ることを素直に喜びたい。

 

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ところで、以前から時々記していることだが、月に一度、『稚内市報』が届くと【稚内市の人口】の欄に目が行く。最近は切り抜きをスクラップするようになってきた。

9月末の稚内市の人口統計。前月比で男女合わせて〈-67人〉。さらに、世帯数で〈-47世帯〉とある。

 

現在37,059人の町から確実に人口流出が続いていることが淡々と告げられ続けている。

 

一体、誰が、どこへ、何を理由に一家を挙げて引っ越していくのか。仕事、学業、高齢、病気などが考えられる。

 

北海教区の札幌在住のある先輩の調査に依れば、今後人口増が望めるのは、道内では札幌市だけというのは明白らしい。

 

稚内教会の教勢のみならず、右肩上がりの成長は道内ではあり得ない。その難しい現実がこの町にももちろんあるわけだ。

 

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だからといって、嘆いてばかりいてもつまらないし、意味はないだろう。

 

さればこそ、小さな教会・小さな町だからこその〈豊かさ〉に自信を持てる共通の価値観を見いだしてゆくことが大切なのだな、と最近あらためて思う。

 

小さい交わりの恵みをわたしは最近とみに感じることが多い。稚内に慣れて来たからだろうか。狭すぎる、小さすぎることもあるのかも知れない。

 

けれども、人と人とが本当の意味で出会えない交わりよりも、大切な小ささというものが存在するのではないか。

 

かつてわたしは、多くの園児がいる幼稚園の責任を与えられていた頃があった。しかし、各ご家庭のこととか、園児一人ひとりのことについて丁寧に心配りできたか、園児の名前を顔が一致したのかと言えば、170人と110人の園児のことを覚えられるわけがなかった。

 

しっかりと頭と心に刻まれたのは、余程のトラブルが発生したときに限られていたのが実状だった。

 

親友と言える友が、大分県のある地域で夫婦二人で小学校の教師をしている。断片的な言葉だけれど、彼らは小さな学校の楽しさを口にしていたことを思い出す。

 

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〈利尻昆布バザー〉のことも少しふれておこう。今年の春先には全く想像出来なかったのが〈利尻こんぶバザー〉である。しかしこのバザーの交わりが全国各地の教会や個人の方たちとゆるやかに与えられ始めていることは、神さまからの〈贈り物〉としか言いようがない。

 

かつての仲間たちとの交流が新しく生まれたり、稚内という町や教会のことが知られているのが様々な形でわかる。

 

名古屋のある教会のバザーでお買い上げ頂いた品物を、川崎市在住のクリスチャンのご婦人が手にし、その話を聞いた身近な方が、「わたしも欲しいというので」と電話が入ってくるようになった。

 

こちらのことは、ご存知『こんぶ通信』等で、知って頂いている分、明らかに初めましての思いを越えて、親しげにお話し下さるから不思議な気持ちになる。

 

こんぶちゃん、あなたは本当に素晴らしい。いやいや、これは【神わざ】なのだとわかって来た。人の思いだけではこうは決してならない。

 

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秋から冬に季節は動いたのだが、夏の前後、旅人が稚内教会を幾人か訪れて下さった。しかし、地元に根付いて暮らして居る方を新来会者として礼拝に迎えることが難しいのは事実だ。

 

教会への来会者の数は正直言って気になる。

 

でも、旅行者や遠くにお住まいの方たちにとっての励ましとなる〈灯台〉のような役割が稚内教会には与えられていることがハッキリとしてきた。

 

「北へ」。

 

それは憧れか、ロマンなのかも知れない。多くの方が訪れてみたいと思って下さるのだから。そして、とりわけクリスチャンの方たちに対しては、教派を超えて「最北の小さな町にある稚内教会が、しっかりがんばっている」という姿にふれて頂いて、元気が伝わって行くのならば、幸せなことではないかと思う。

 

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「子ども祝福礼拝」が11月17日におこなわれた。礼拝堂には30名近いお子さんたちと共に、健やかな成長を願うお父さんお母さんの顔も見えた。

 

子どもたちへのメッセージと祝福を終えた後、保護者の方たちは説教もシッカリと聴いて下さっていた。わかりやすい話を心掛けてみた。

 

翌日、祝福の直前にお名前を呼ぶと、手を挙げて「ハーイ」とお返事してくれた〈ぶんた君・2歳?〉のお母さまNさんが「きのうは楽しかったです、ありがとうございました」と玄関前に立ち止まり笑顔でお話下さった。

 

わたしも楽しかったから自然と笑顔になる。これは、お互い心底そう思っていたことだと確信がある。

 

その後、保育園の園長先生からも、幾人かの方たちから、「ありがとうございました」の声が届いているというお話も伺った。どんな形で実を結ぶ日が来るのか。それはわからない。

 

成長させてくださるのは神。そう信じて委ねたい。

 

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「利尻昆布バザー」と言えば我が家でのヒットした美味しい味わい方を一つご報告。それはカレーだ。

 

当初、「カレーうどん」をということで、妻が、小麦粉とカレー粉からのいつものスープを作り始めたところ、「こんぶ水(すい)」の作り置きを水の代わりなのか、カレーに入れたところ、たまげるほど味がまろやかになっていた。

 

もしや、うどんよりも、ラーメンの方が旨いのではという判断で、カレーラーメンとなって食卓にのぼったのだが、これは本当においしかった。あの美味しさは病みつきなる。ぜったいにお勧めできる。

 

味の革命だとすら思う。すごいぞ、利尻昆布の「こんぶ水」!

 

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このブログでは、既にご報告の通り、遅い夏休みというのか、休暇を頂き、10月末に網走の小さな森の中のお宅でひと息つくことができた。

 

お世話になったのは、妻の友人夫妻の家。一度も会ったことがなかったのに、遠慮の“え"の字もなく、お言葉に甘えて二泊させて頂いた。

 

幾つもの驚きと喜びを経験したけれど、チェロとバイオリンの伴奏で讃美歌を歌うという、夢のような幸せにあずかった。ご夫妻も讃美歌の伴奏?をすることを楽しんでくださったのだから、これもまた良かったと思う。

 

「暗くなる前に、ぜんぶ、ほっぽりだして、風呂に行こう!」。そうご夫妻に割れて、逞しく見える四駆に乗せられて、地元の方だけが行くような温泉を楽しむ贅沢も味わった。

 

癒されたなぁ、と思う。道東の景色は、道北とはかなり違った。いや宗谷と違うと言うべきか。野菜畑が広がる景色は稚内には基本的にはないのである。目の前に広がる丘、トラクターの種類が違うのだ。

 

オホーツク海の豊かさや、知床連山の美しさにも初めて触れ、「うつくしいのは、利尻だけじゃないのだなぁ」と遅ればせながら知った次第だ。

 

長年北海道に暮らして居ても、稚内には来たことがない、という方も大勢居られることを知っているのだが、北海道は広いなぁと改めて思った。

 

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今の稚内教会。

 

治療がとても難しいご病気と闘って居られる方がとても多い。いのちに関わるご病気との闘いの日々を過ごしておられるご家族が多い。

 

牧会の現場に仕える者として、最近は、30年近く前、わたし自身の病との兼ね合いで死を恐れ、死について悩んでいた頃に訪ねていったある先生の言葉を思い出す。

 

それは、上智大学のアルフォンス・デーケン神父様が「生と死を考えるセミナー」で教えて下さった「にも関わらずユーモアを!」という意味の言葉であり生き方だ。

 

ベッドの上で洗礼を受けたわたし。キリスト者、そして、伝道者としての原点は病床や病院、そしてその周囲にあるのだ。いろんな形で、その地点に引き戻されることを思う。

 

これもまた神さまのご計画。そのことを信じて疑わない今を歩んでいる。end

 

 

2013年

11月

26日

2013年11月26(火)№93  『 キッコーマンのお醤油 二本 当たった 』

 

今夜の森家の夕食。

 

ノシャップ岬にある、「稚内・あきかわ屋さん」という、それなりに知られたお店に立ち寄った時には必ずのぞく海産物の売場にあった、《北寄貝・ホッキガイ》のお刺身をおいしく口にした。

 

北寄貝をさばくのは妻。かなりの大型のもので、3個480円。このブログの中の「気ままフォト」にかつても感動して写真をUPしているかと思う。

 

たまらないおいしさであります。森家にお出での際に、ご希望があれば出てくるかも知れませんよ。

 

あきかわ屋さんの北寄貝は市内のスーパーや魚屋さんに並んでいるものとは、大きさだけでなく味が違う。どういうルートなのだろうか。こちらのお店、稚内近郊の海でとれているものしか置かれない。他のスーパーは、道内の様々な所から入荷しているようなのに。

 

きっと、頼りになる漁師さんと特別な関係があるんやろうなぁ、等といつも想像する。

 

レジのおばちゃんに「あきかわ屋さんの北寄貝、大きさも味も、他ともぜんぜん違いますよ・・・」と伝えると、どうもそういう自覚がなかったらしく、「大将に伝えておきます」と笑顔で言われた。

 

あきかわ屋さん、お土産ものだけでなく、地元の人向けにも、尽くしてくれているのであります。

 

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「やっぱうまいなぁ」と北寄貝のお刺身とゆめぴりかの新米をパクパクを口にし、満腹になった頃、妻がつぶやいた。

 

「うちー、お金 ないっちゃんねぇ」(by 博多弁です。 「ないっちゃんねぇ」を共通語に翻訳すると、〈やや困った顔をしながら 小声で〉「ないんだよなぁ」のニュアンス)

 

北寄貝3個を食べたからか、新米が出てきたからか? 何なんだ この言葉のタイミングはと思う。

 

しかしきっと、あれこれのやり繰りをしている人だけにしかわからないことがあるのだろう。

 

ありすぎて困るなぁという経験は一度もないので(お金です)、いつものことではあるけれど、聞き流しつつ、夜は更けていく。それしかない。

 

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その後、何やら片付けものをしていたかに見えた妻が、今度は、遠くで独り言のように何やらつぶやいた。

 

夫のさらなる推測では、どうも、何か食べられるモノが、押し入れに眠っていないか、さがしていたようでもある。わがやの押し入れ、食物倉庫を兼ねてます。

 

一時間半ほどしてからのことだった。

 

「 さっき あたしが、お金ないって 言うとったらぁ、キッコーマンのお醤油が2本、当たっとったぁ 」と、やや、申し訳なさそうに妻は言う。

 

これは、目には見えないお方に対しての懺悔だ。

 

「 醤油が押し入れから出てきたの? 」

 

「 メールが きとったぁ 」(多分、何かに応募していた模様)

 

この間の日曜日は、別名:「終末主日」だった。待降節・アドヴェントを前にしての一幕でした。悔い改めの季節到来です。

 

神さまありがとうございます。end

 

【追伸】

妻はこのブログをみてあらためてしみじみ言いました。「かみ・・・、不思議やんねぇーっ」(博多弁)と。11月12日(火)のアイスバーンでのスリップ事故の日には、「手作り味噌」を頂き、胸に抱いておりました。はい。

 

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《 あきかわ屋さん 》
稚内にお出での時、ここのお魚売場もご確認を。決して高い値段ではないものが、ひとつふたつは必ずありますから。例えば、夏頃かな、利尻島の甘エビとか絶品ですから。6月は、多分、ウニも並んでいるはず。あきかわ屋さんからは何も頂いておりません(^_^)ノ
【住所】097-0026 稚内市ノシャップ2丁目4-25
【TEL】 0162-22-4112
【ホームページ】http://www.akikawa.co.jp/

 

 

2013年

11月

25日

2013年11月25(月)№92  『 大学講堂にて 〈 音楽教師たち 〉に学ぶ 』

 


いきなり、漢字が多くて恐縮なのだが、「主催、北海道高等学校音楽教育研究会名寄・留萌地区」の音楽の先生方主催の『 音楽演奏会 』に出掛けた。

 

先週の金曜日の夜、地元にある、稚内北星学園大学の講堂が会場だった。いつもは講義に出かける大学に、パイプオルガンも置かれている立派な講堂がある。

 

入場は無料。関係の先生からご案内を頂いていた。

 

企画・出演されたのは次のような方々で、何年も続けているプログラムの様子。

 

北海道名寄高等学校教諭
北海度名寄産業高等学校教諭
北海道稚内高等学校教諭
稚内大谷高等学校教諭
北海道浜頓別高等学校教諭
北海道天塩高等学校教諭
北海道留萌高等学校教諭

 

そして、他に、賛助の立場で、地元稚内より、
稚内市立 稚内南中学校教諭
枝幸町立 枝幸中学校教諭

 

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それぞれ、音楽を専門に学ばれ、音楽の教諭として働いておられるのだが、最初の方のあいさつで聞こえたのは、「道北の他の高等学校には、他には音楽の教師は居りません」という言葉だったような気がする。

 

さらに、「それぞれが、専門の科目以外の授業を担いながら、日々一所懸命に頑張っている」という意味の事を言われたように思う。確かに、わたしが存じ上げている方も、家庭科を教えておられるとお話されていた。

 

曲の合間のマイクを持ってのお話が、どなたも聞き取りにくかったのが惜しまれた。

 

わたしは、どなたの演奏も、いろんな意味で感動し、「自分も頑張らなきゃいけないなぁ、切磋琢磨し、励まし合いながら歩むって大事だな」などと思いながら、牧師の世界のことをあれこれ考えたりだった。

 

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演奏された方たちにとっては当然のことかも知れないけれど、ステージの上でソロで奏でることの厳しさは、わたしの日常では考えられない程のものだと知った。

 

それはそれは、たいへんな緊張感を伴うものだろう。アドリブなどゆるされない。言葉の言い換えがあるわけでもない。一発勝負で逃げ場はなし。週替わりで説教を語り続けるのとピッタリ重ねるものではないにしてもだ。

 

その道のプロの先生方とは言えども、取り組みやすい曲を選んだとはとても思えなかった。

 

当日のプログラム用紙にも、例えば、「今年度ピティナ・ピアノコンペティションの課題曲にも取り上げられており、全楽章中最も難易度が高い名曲です」と紹介される【piano sonata第15番 「田園」より第4楽章 ベートーヴェン 作曲】とあったりする。

 

ピアノのみならず、クラリネットの独奏ほか、最後の合唱に至るまで、素晴しかった。

 

20代の頃、寺山修司の天井桟敷、唐十郎の情況劇場、SET・スーパーエキセントリックシアターなど、小劇場の「ナマの舞台」の力に触れた時の興奮に通じるものもあったのだった。

 

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わたしの感動。それは、他の演奏家の音色や弾き方を知らない素人だからなのだろうか。

 

違うと思う。

 

わたしは彼らの姿にプロフェッショナルを見て、そのことに感動していたのだ。いや、まだ言葉にならない確かな感動が心に刻まれたことを感じる。ありたがい。

 

この音楽会。300人は軽く入れるであろう大学の立派な講堂に、どう多く見ても50名に満たない観客。

 

しかし、皆さん堂々と、魂を込めて演奏された。

 

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わたしは小さな教会の牧師。

 

礼拝堂は詰めれば100名は集えるだろう。だが、平均の礼拝出席者は10数名。でも、10数名だからこの程度でよかろうというような思いは、一度たりとも抱いたことはない。

 

当たり前のことだけれど、心を込めてみ言葉を語る備えをし、何かを削り仕える。

 

おそらく、彼ら、彼女ら、北海道高等学校音楽教育研究会名寄・留萌地区の音楽の先生方は、たとえ、聴衆が一人でも、いや、席に誰も外からのお客さまが、一人もいなくても、祈りを込めて自らの命を削りながらでも、歌い、奏でたはず。

 

チェロを、ピアノを、バリトンの歌を捧げずには生きていけない人たちなのだ。そのことを知ることができてよかった。それが音楽家なのだ。

 

中にお一人、舞台の袖に居られる時、そして、演奏中、さらに演奏を終えた後の立ち振舞いが脳裏に焼き付くのを感じた方が居られた。祈りを感じ、ささげる喜びに生きているように見え、聞こえた。まさか、講壇での牧師の「姿勢」についても考えさせて頂けるとは。

 

この点でも、思いも寄らぬ音楽会だったのだ。

 

そして、不器用そうに見えた男先生の姿にも嬉しくなった。好きだなぁ、あの感じ。あのたたずまい。舞台から猪突・・のように降りて来る歩き方。すばらしいです、本当に。

 

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最後に出演者全員で歌われた「旅立ちの日に」。

 

歌詞をパンフレットに記して下さっていたら、わたしにとっては満点の音楽会だっただろう。

 

【全員で心を込めて歌います。会場の皆さまも御一緒にどうぞ】とあったので、稚内の《イル・ディーヴォ》( *下に注)は、「ぼ、ボ、僕にも歌詞をください」と手を挙げて叫びそうになった。end

 

*【イル・ディーヴォ】イギリスの4人組のヴォーカル・ グループ だそうで、先だって知りました。興部伝道所との交換講壇で、説教卓の間近に居られた奏楽者の方に「イル・ディーヴォみたいだ」と言われるまで知らなかった人たち。

 後日、職業柄どうしても気になったという声楽家の友人からは、メールで「見つけました !! 一番右のくせっ毛の方、中音域の声質が似ていて、そこだけピックアップすると、そっくり・・・」と言われて、“ウフふ"とおもっとります。 

2013年

11月

18日

2013年11月18(月)№91  『 ある映画のセリフと説教と 』

この日の礼拝は子ども祝福礼拝で、いつもと全く違う雰囲気(^^♪
この日の礼拝は〈 子ども祝福礼拝 〉で、いつもと全く違う雰囲気(^^♪ 写真のUPは気まぐれです。

昨日の日曜日。稚内教会では去年に続いての企画、〈 子ども祝福礼拝 〉の日だった。

 

子どもたち28人に対して保護者もおいでになる。母親だけ、そして、ご両親の場合もある。子どもたちへのメッセージも大切だけど、保護者、そして、幼稚園と保育園のスタッフの心に届くメッセージを、と願いつつ説教を準備した。いやいや教会の方にもは当然のこと。

 

説教題は『 いつでも帰っておいで 』だった。

 

前夜遅くまで準備した説教原稿。いつものように讃美歌にはさんで持っていた。けれど、一枚もめくらないまま語り終えてしまった。

 

牧師館での夕食時、「あーぁっ、せっかく原稿を準備したのに・・・」とつぶやくと、妻は「だけん言ったやろぅ、なんで無駄なことをするとぉーっ」と言う。

 

わたしはまた「いやいや、準備してなければ語れんって・・・・」と言葉を重ねる。

 

20数年前、神学校で説教学や聖書解釈のゼミを担当して下さったS先生は、確か、「説教原稿は無くてはならず、あってはならず」言われたような気もする。語られたその言葉の意味がよく分かるような気がする。

 

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説教はいつ出来上がるのか。

 

もしそう尋ねられれば、わたしの場合は、牧師室の机の上ではなく、当日の礼拝の、講壇に立ったそのとき、というのが本当だろう。

 

もうだいぶ前から、原稿を準備してもそのまま語ることが無くなった。でも、原稿、あるいはメモのようなものはないと不安。そして、それすら持たないと、何かいい加減な準備しかしていないような気分にもなる。

 

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きのうの説教の中で、ひとつのモチーフとなった言葉がある。

 

そのことを語ったわけではないのだが、説教題も聖書箇所も決まったあとだが、気付きをくれた。それは一本の映画だった。北海道の洞爺湖を舞台とした『しあわせのパン』という映画。その中の台詞だった。

 

ある方が、「いい映画なんです。両親が大好きで、ロケ地に何度も足を運んでいるんです・・・・・・映画の中のお店もあって・・」と言われ、「今ならDVDが家にあるから」と言うので、お借りして観たのだった。1週前のことだ。

 

原田知世さんと大泉洋さんが主演。手元にそのDVDと写真集が来てから、「あー、これかーっ」と思った。10月に行われた北海教区の牧師たちのための「教職講座」で、ソフトボールに参加しない人は、どうぞこの映画をと準備されていたのが『しあわせのパン』だったのだ。

 

わたしはと言えば、当然? ソフトボールに興じた。

 

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大泉洋さんが(らしくなく、しかしかなりの熱演で)クールに演じるパン職人兼宿屋の主人が、ひとりの何かしらの傷ついた過去を持つお客さまの女性を送りだす時、背筋を伸ばしてこう言った。

 

「また、来てください。いつでも、うちは、ここにありますから」

 

DVDを貸して下さった方には、「あの映画の主人公の夫婦は、どこかの教会の牧師夫妻にも感じた」と伝えた。当然、宿屋とパン屋を兼ねた所は教会ということになる。他にも、時々姿を見せた「月」は神さまのようでもあり・・・・等と。

 

さらに、映画の中で幾度も分かち合われた幾種類ものパンはとても象徴的なものに見えた。

 

台本も書いたという女性監督は、聖書の中のパンの意味など知らずに、原作の本から映画をつくり出されたのでは、と想像するが、パンはここでも普遍的な意味があると思わずにはおれない。

 

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「また、来てください。いつでも、うちは、ここにありますから」

 

つまりこれは、もしも、あなたが行き場所を失ってしまったとしても、大丈夫。ここに戻って来ていいのだよ、ということでもあるのだろう。

 

礼拝メッセージを準備していて、人には帰る場所がどうしても必要だという確信が与えられた。語った後には更にその思いが深くなる。映画のせいだろう。

 

礼拝では【創ってくれた人の所へ帰ってくる】ということは語った。でも、聖書やキリスト教にほとんど初めてふれる方たちにとっては、「????」だったのかも知れない。

 

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日曜の夜、土曜日の夜のうちに、「ホームページの【USTREAM】による礼拝配信を通じて明日は礼拝参加します」と伝えて来ていた関東の友人からメールが入っていた。

 

わたしが元々準備していた原稿にもない事柄で、礼拝の中でこう語るようにと導かれていった部分に敏感に気づいてくれたようで、おわりにこう記してくれていた。

 

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(説教で森牧師が)最後に話されていた、「みなさんが帰る家がありますように・・・・お祈りしています。」が心に響きました。

 

「ここが帰る場所ですよ!」という、言われ方はよく聞きますが、それよりも、広い心である、イエスさまが時を超えて、場所を超えて備えて下さっていることが感じられました。

 

そう。

 

教会に初めておいでになる、それも積極的に礼拝に参加しようと考えてお出でになったのではない方々に向けて、わたしは「教会、ここがあなたの帰ってくるべき場所なのです」と語らなくてもよいと思ったのだった。

 

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保護者の皆さんがお帰りになってからのお茶の時間に、月に一度行うとしている「マナの会」のような時間になったのには驚いた。

 

「マナの会」は、単なるお茶飲み話や世間話ではなく、今日の日曜日に教会に来てよかったこと、礼拝全体の中での恵み、行き帰りの恵み、讃美歌の喜び、そして、説教の気付きを傾聴し合う時間だ。批判や非難はご法度だ。

 

この日は、利尻昆布バザーの作業を優先していて、マナの会を休会としていたのだが、いつしか、「きょうの牧師先生の説教は・・・」というひとりのご婦人の言葉から、あれこれの分かち合いへと展開して行った。

 

いつもより、メッセージ性が強い説教、そして、みんなが良く知っているルカによる福音書15章の放蕩息子の話という偶然もあったかも知れない。お兄さん息子への同上の声も複数あがっていた。

 

夜遅く、ケロログから配信している説教Blogのアップロードの準備をしていて気づいたのだが、わたしの説教としてはだいぶ短めの19分と少し。この短さも影響したのかも知れない。

 

詰め込みすぎていない説教の方が余韻があるのかなぁ・・・・等々。

 

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礼拝で語らせて頂いた言葉。

 

それはわたしの口を離れた途端に、“み言葉”として一人歩きを始める。風が吹き、自由に、ゆたかに働いている。end

2013年

11月

14日

2013年11月14日(木)№90  『 〈 愛車と悲喜こもごも 〉 ~ 神さまが備えられたこと 』

これがめでたく、富士重工・スバルの発行する月刊誌 『cartopia・カートピア 2013年11月号 』に掲載された写真。現在、市内の工場で鈑金修理中(シクシク)
これがめでたく、富士重工・スバルの発行する月刊誌 『cartopia・カートピア 2013年11月号 』 に掲載された愛車レガシーB4の写真。投稿した駄文はBlog内にあります。車内には妻。現在、宗谷岬でのアイスバーンスリップ事故で、市内の工場で鈑金修理中(シクシク)。

*今号だけ訳あって写真を載せます

 

NHKラジオを聴いていると少し前から、「冬の路面凍結に気をつけなさい」という主旨の呼びかけが、ある時間帯に必ず流されているこの頃。

 

きのうの夕方6時頃のこと、今振り返って見れば、いのちがあって元気にしているのが感謝、といういう自損事故を起こしてしまった。きょう、お世話になっているスバルのYモータースに車を預け、代車生活が始まった。

 

 

きのう、所用でオホーツク海方面に出掛けた。行き道・帰り道ともに、安全策をとって(のつもり・・・実はそれが裏目)、国道238号線をひたすら走る、宗谷岬を回るルートを選んだ。

 

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午前中通りがかった時に、稚内を出てから数十㎞の宗谷岬の辺りを超えてから「危ないなぁ」と感じるアイスバーンを見つつ、「こりゃ、帰り道、用心せんといかんな」と思いつつ通り過ぎた。

 

帰り道、その、危険だと感じていた登り下りのあるかなり危なそうな気配のする辺りを抜けて(それにしても、車の通りが少ないなぁと思って運転していた)、よーしこれでもう大丈夫、と思いながら、少し気持ちが、ゆるっとなり始めて宗谷岬を過ぎて数分後のこと。

 

気が付くと、我が家の愛車の車体が左車線から反対側車線に流れ始めたことに気が付いた。もう既にアウトだ。ハンドルが殆ど効かない。

 

あとで、助手席に同乗してきた妻は、「いやー、すごかったー、逆ハン切って・・・オーすごいと思って見とったし。わたしっ、あんなこと絶対出来んもん」と言う。

 

誉められて喜ぶような場面では当然ない。

 

宗谷湾に車が飛び込むのを防ぐ、ガードレール状の網と柱に愛車のテールをシコタマぶつけながら姿勢を持ち直し、150メートル程先のバス停留所付近に愛車スバルレガシーB4は止まった。

 

後ろから通り過ぎていった車が居たのを記憶している。前方からはどうだったか。記憶にない。

 

運転席から降りて見ると、右後方のバンパー大破損、テールランプ破損等々。事故証明を取るために稚内警察に電話を入れ、駐在さんが来るのが待つ間に、一体どこでぶつかってしまったのか、破片探しに暗い凍結路をよろよろしながら歩いてみた。

 

すると、だいぶ離れたゆるーやかなカーブの先にライトの破片が転がって光っている。

 

宗谷岬から来られた駐在さんがお帰りになる寸前に、「処罰はありません。あなたの後の車は同じように滑って事故を起こしていないのだから、何か、不注意な動きがあったのでしょう・・・以後、気をつけてください。ご苦労さまでした」

 

「あっ、こちらこそ、ありがとうございました」と頭を下げて、赤の回転灯が回る白黒の車を見送った。

 

****************

 

一夜明けての今日。しみじみ思うのだった。

 

いのちがあってよかった。他人様にご迷惑をお掛けすることもなく、奇跡的に二人ともむち打ちの症状もない。

 

これくらいで済んで、「本当に、ありがとうございました」だと思う。任意保険のオールリスクに入っていたことも、我が家の可愛らしい家計には本当に助かった。

 

きょうお目に掛かった何人かの人に事故のことを話してみると、幾人かは私よりも大変な目に遭っておられることを知る。

 

とある市内の、やさしいおじさまはこう言われた。

「森先生。わたしは数年前、210万円の新車を買って数日後に、音威子府(おといねっぷ・稚内から1時間半程の所)の山間路で、150万円の修理代がかかる大事故を、アイスバーンで起こしました。スピードも滅茶苦茶だしていました。車両保険に入っていなかったから、360万円で今の車を買ったのと同じです。対向車にもぶつかり・・・・向こうから来る車を見た時、死ぬと思いましたから」

 

「わたし、先生と同じようなこと、5度ありました。反対車線を飛び越えて、田んぼに落ちて・・・今頃が一番危ないですよね。詳しいことはいずれまた・・・」

という笑顔の大物の若手女性も居られた。

 

うーん、北国の冬の初めに、本当に厳しい修行の場を神さまは準備して下さったものだと思う。運がよいだけでなく、神業で、最小限の損失に留められたのだ。

 

だが、前方から、仮にバスやトラックが来ていれば、ほぼ確実にアウトで、今頃、天の国である。いやはや、天国とはとても記せない。時間が経てば経つほど、恐ろしい事態だったなぁ、紙一重だったのだと気づく。

 

そして、やや落ち込みがちな一日を終えた、かに思った。

 

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「稚内学」という稚内市が企画した講座を終えて家に戻り、夕飯を食べ始めたとき、きょう修理に持っていった自動車屋さんに積んであった、スバルの富士重工が発行する『cartopia・カートピア 』の最新号11月号の投稿欄を最初に開いた。

 

2ヶ月近く前に、猿払の道の駅で、美しい夕暮れに遭遇した時、我が家の車と共に景色を撮影した写真と雑文を投稿していたのだった。

 

すると、あらあら、なんと、北海道・森 言一郎さんの投稿『B4で楽しむ 北海道ライフ』という題がつけられた(編集者のつけたタイトルです)写真と投稿があるではないか。

 

コメントには、「美しい夕景の写真をありがとうございます。北海道の冬はさぞ厳しいと思いますが、B4と共に愉しく乗り切ってください。北海道らしい美しい冬景色の写真も撮れるといいですね」とあった。

 

〈 QUOカード 500円 〉頂けるそうだ。

 

というわけで、今号はこれでおしまい。皆さま、安全運転、お互い本当に気をつけましょう。冬の始まりを告げる北海道の道は、やはり、容赦ない厳しさがあります。end

 

【十日後の追記 運転免許更新講座出席後(たまたまです)】

教訓:自分で防げることは自分で防御する。命はまだ惜しい。ひとさまの命に関わることをおかしたら、一生悔む(北海道安全活動推進センター?のビデオで死亡事故の遺族のことば集を延々見せて頂きました)。だから安全運転を本当に心掛けるしかありませぬ。はい。

 

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『cartopia・カートピア  11月号』の投稿は以下の通りです。頼もしく安心と胸を張っていたのも・・・やれやれですな。これが現実であります。

 

【B4に乗って6年目。パドルシフト付きのUrban Selection。新潟県上越市で購入後、福岡県T市を経て、今はなんと日本の最北稚内市にやって来ました。こんなに移動距離が長いスバル車も珍しいかもです。仕事にレジャーにひろーい北海道の道北地区を中心に走りまわってます。吹雪や圧雪路が当たり前の当地において、AWDのうちの子はどこに行くにも安心で頼りになる好い子です。親ばかですがどこに行っても絵になるヤツなのです。この写真、オホーツク沿岸を走る国道238号沿い、猿払村村営牧場の一角にある「さるふつ公園 道の駅」に秋の夕べに立ち寄った時のもの。広大な大地と焼ける空と愛するB4、そして、助手席にかわいい?妻が座っている、おかしくも美しい写真を撮ることができました。これからも北海道を元気に走りまわって楽しみたいと思います。素晴らしい車と出会って幸せです。スタッフの皆さんもぜひ最北の地に遊びに来てくださいね!】

 

 

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○『美穂さん』(14.6.1)

○『我が師のアスケーゼ』(14.5.31)

 

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