2013年

3月

26日

2013.03.26(火) №31 『 春を届けてくれたのは・・・ 』

稚内教会と我が家に、思いもしなかった形で春を運んで来たのは、日本聖書神学校から春季伝道実習生としてやって来てくれた、縣洋一(あがた よういち)さんだった。

 

朝7時前から夜11時過ぎまで、「先生、お聴きしたいんですけれど」「恐縮です」「あっ、いいんっすか」「ありがとうございます。あっ、すいません」「ウーッす」「うーーーん。やぁ、これ、さいこう旨いっすねぇ」等という声が聞こえて来たり・・・。稚内温泉ドームの露天風呂で裸の付き合いでカラダを震わせながら、日本海に真っ赤に燃えながら沈んで行く太陽を見た。

 

最後の土曜の夜、別れたのは4時半。次に「久し振りぃ」と言って元気を振り絞って顔を合わせたのは6時40分だった。

 

朝晩、礼拝堂の最前列でコートに包まって祈りを合わせるうちに、互いになぜか涙を流していることも複数回あった。

 

「先生、さっきの言葉ですけど、もう一度教えて頂いていいですかぁ」ということが何度もあった。「詩人は詩を作れるから詩人なのではなく、詩を作られなければ生きて行けない人・・・それは、説教者も同じ・・・」。「逃げ道をつくっておくべきだし逃げ出してもいい・・・・。一方で、逃げ道は封印してしまわない・・・」等など。

 

わたしは今春、牧師となって20年目に入る。もしも、順風満帆な道を進んできていたとしたら、伝えるべき事も言葉もさほど持たなかったのかも知れない。本当にそれが実感である。

 

失敗し、回り道し、後戻りし、座り込んで動けなくなったことが幾度かあった。しかし無駄な道は無かったと今更ながらに思う。

 

もう一つ。ちいさな日本の最北端にある、様々な傷を抱えている教会と牧師がもちいられることは、不思議な経験となった。神さまはすごいと思う。他に立派な教会や牧師はたくさんあるし、居られるだろう。

 

春伝を終わる時、二階の礼拝堂に駆け上がった。『讃美歌 21』の90番 「主よ、来たり、祝したまえ」を歌うことにした。まず、二人で大きな声を出して、歌詞を読んだ。どちらからともなく、声を詰まらせながら。

 

・・・われらみな、主のものなり、笑うときも、泣くときも。

・・・悩みにも、苦しみにも、打ち勝つ信仰 与えませ。

・・・なみだもて 種まくもの ときいたらば むくいられん。

 

その後、二人で、これでもかという程、大きな声で賛美した。そしてわたしは講壇から派遣の言葉を祈った。「今、行きなさい。わたしはあなたを遣わす」と。

 

わたしが講壇から降りて来ると、彼はなぜか「兄貴」「兄さん」と言って手を握った。稚内空港でもそうだった。でも、なぜかそれがしっくりする。先生よりも、きょうだい。どうろうの仲間なのだ。

 

教会の庭の氷がバリバリと音を立てて割れはじめた。確かに春が来た。

 

アンパンマンならぬ、まーるい顔の、いつも憎めない男=自称=あんぽんまんは、涙と共に稚内の空に消えていった。

2013年

3月

14日

2013.03.14(木) №30 『 “あい”ってなーに? 』

あすの卒園式を前にしてのひかり幼稚園。ちょっとした印刷の用があり、職員室におじゃました。ホールでは年長さんたちが、卒園式の最後のリハーサル中。かーーるく吹雪いているものの、陽射しが完全に春で、季節の移り変わりを感じる朝だ。

 

“ひかり”の縁の下の力持ち的なお働きをされているT嶋先生は、いつものように淡々と、しかし、何かしら感慨深げに、小さな机の上で卒園式の式次第を一枚一枚、ていねいに折っている。これもまた、少しじーんとする光景。

 

きらきら保育園の先生方の机の片隅に、幼稚園の年中さんの補助をされているS藤先生が居られた。Lくんという年中さんのお相手である。マンツーマンかぁ。すごい。丁寧な保育をしているのが分かる。何かの理由で、Lくん。みんなが居る教室から職員室に移って、過ごしている様子。時々あることなのだろう。

 

印刷機の近くを、うろうろしているわたしの耳に「“あい”ってなーに?」というLくんの声が聞こえた。

 

えらく、大事な問題を、Lくん、さりげなく言葉にするではないか。年中児、恐るべし。お家で「愛」なんて言葉が、君の耳には聞こえているのかい? と思った。

 

で、机に近づいて行って、彼が楽しげに眺めている大きなものを見に行った。幼稚園で先生方が使う教材の、『 通信販売 catalogue 』だ。

 

たしかに「あい色」ってあるな。他にも10数色。“藍色”ってさぁ、ふだん、あんまり使わないね。S藤先生も、説明に苦労している様子。

 

Lくん。楽しい時間でした。牧師先生、完全にやられたよ。

 

職員室を出る頃、T嶋先生の「Lく--ん、あとでさぁ、お部屋にこれ持って行ってくれる?」と優しい声が響いていた。end

2013年

3月

11日

2013.03.11(月) №29 『 不思議に カゼをひかない冬だった 』

 きょうは3.11の朝だ。NHKのラジオ第一放送を聞いていて、こんなわたしでも、あれこれ思うこともあるのだが、とてもではないが、ここに記せるようなものを、まとめられない、というのが正直なところである。そして、一歩踏み出すためには、自ら何かをしっかりと引き受けたり、傷ついて行く覚悟が要ることは自覚している。

 

                ****************

 

 ところで、わたしと妻が、最北の町・稚内に九州・福岡から引っ越して来て、間もなく一年になろうとしている。「寒いでしょ」と聞かれれば確かに寒い。「稚内は風が強いでしょ」と声を掛けられれば、「強いですね」と答えるだろう。

 

 昨晩のことだ。日曜夜のくつろぎの時間に、戴き物のハワイのKonaコーヒーを煎れて、それと一緒に気の利いた“sweets”がひとくち欲しい!と思った。ところが、わが家の、押し入れ、兼、食料庫にはそれが見当たらない(シクシク)。

 

 受難節の真っ只中、サタンの誘惑に負けてしまったわたしは、妻からの「ここに700円あるけんね。なんかこうてきてぇ」との明るい声に送りだされて、20時過ぎに、われら北海道民の強い味方である“セイコーマートさん”まで、ゴミ出しついでとは言え、トボトボと歩いて買い物に行ってきてしまった。シマッタ(∋_∈)。

 

 そのときにあらためて感じたのは、子どもの頃からこの年まで抱いてきた、いわゆる「雪国」というよりも、どちらかと言えば、北九州出身の井上陽水の歌ではないが「氷の世界」という感じだった。新潟の豪雪地帯に居たときの方が、どちらかと言えば、雪国という感じがあったような気もする。

 

 きのうは、吹雪きそうで吹雪かないで終わろうとしていた一日で、夜のお買い物のその時分には、何かうっすらと晴れ間が見えていたような気もする。が、気温は零下7度位だったのだろう。

 

 では、家の中はどうかと言えば、わが家で言えば、10-14度位に設定した大型の石油ストーブをリビングでつけ、あとは、膝掛けを置いていれば、そんなに我慢することもなく耐えられる。

 

 うちの場合、室温は18~19度が適温。それ以上だと、妻かわたしか、どちらからともなく「なんか、暑いねぇ。切る?」という言葉が出て来る。そして、30分程ストーブを切ることも珍しくない。道産子からすると考えられないのでは、と想像するが・・・。

 

 つい最近も、九州のこころ優しい、わたしの母くらいの年齢のご婦人から、「北海道の吹雪のニュースを見ておりましたら、お二人のことばかり考えておりました。神さまの御計らいとは言え、九州育ちのお二人にとっては・・・・。

 ・・・わたくしの娘も、秋田に7年暮らしておりましたが、娘が申しますには、家の中は暖かくても、除雪が・・・・」というようなお便りが届いた。ご心配はごもっともです。

 

 わたしはここ10年、いや20年か。年に一度は、もうれつな喉の痛み、そして発熱で、かならず寝込んで来た人間だ。微熱が続き、いつまでもすっきりしないため、3~4日分頂くかぜ薬と抗生物質を飲みきったあと、「先生、治りません。もう少し違う薬は・・・」「抗生物質は効いてるはずですがねぇ・・・」というようなやり取りが、内科医との間に起こるのが典型的なパターンだ。完治まで10日ほどで掛かることが多い。

 

 ところが“今年”、あるいは“この冬”はどうもおかしい。(別に困ることでは無く、むしろ喜ばしいことかも知れないのだが)カゼをひかない。なぜ、カゼをひかないのだろうか。

 

 “湿度”のもんだいなのか。勧められて使い始めて、今では手放せなくなった“ネックウォーマー”を寝るときも基本的には外さないからか。それとも、牧師20年目にして、ストレスを感じない生き方を身につけて(そんなこと、あるはずがありませんが)、日々、ノンキな暮らしを送っているからだろうか。あるいはまた、本当の馬鹿になれたのかしら。

 

 今日の答え。むつかしい言葉は必要ありません。今の時点で浮かび上がってくるわたしの自然な結論は、「稚内が合っているからじゃないの」ということかも知れない。何と有難いことよ。

 

 最近、通じるようになったと思うことが不思議なことに連鎖的に、チラチラと見えたり感じられる。感謝だなと思う。点が線になり、面になるのか。間もなく2年目の春である。

※追伸:

まだ、稚内の冬は完全に終わっていない様子なので、これから、発熱するかもしれません、でございます。

2013年

3月

04日

2013.03.03(月) №28  『 “Hymnさん” で騙すつもりはありません 』

 

 鎌倉在住の友人が居る。彼女は声楽家でもあり、同時に、とある教会の奏楽者で(たぶん)長年のキリスト者だ。

 

 わたしがかつて奉仕していた新潟県の上越地方の教会の頃から、折々に、わたしたち夫婦を励ましてくれるありがたい存在。鎌倉は日本のおいしいお菓子のお店が集中している所なのか、いろんな風味豊かな隠れた銘菓を季節を考えながら送ってくれる。大変これも有難い。Thank you. これからもよろしく(o^-')b

 

 また、稚内の厳しい寒さを、風邪一つひかないで乗り越えられそうなのは(まだまだ油断大敵だが)、実は、彼女のおかげと思う。というのは、あったかく冬を過ごすためにと、手作りのネックウォーマーがあるから、と言って送ってくれたのはこの人だった。

 

 喉は、歌を歌う者にとっては一番たいせつな楽器の一部なのです、というような信念を持っていることを教えてもらったこともある。

 

 香辛料などは控えめか取らないと言われていたと思う。また、朝の讃美のためには早朝に布団から出てウォーミングアップするのは当たり前。当然、そのためには早く休む。それに合わせて夕食も早めに、ということを何十年も続けて来られたとのこと。

 

 さすが、プロとはそういうものかと教えられる事が時々ある。とは言え、彼女も人の

子。適当な面もあって大いにほほえましい人なのだが。

 

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 ところが、彼女の耳を、完全に騙してしまう事件が発生(*^。^*)してしまった。もしかすると、彼女のプライドを大きく傷つけてしまった大事件か、とも思うのだが、信頼しているので、構わず、話を続けよう。

 

 いろいろな偶然が重なってと思うし、説明するのも無理なこともあるような気がするので、話は飛ぶが、鎌倉の友人は、稚内教会の奏楽者のことを熱烈応援してくれているのだ。楽譜の提供をしてくれたりもするし、CDを送ってくれて、渡して下さいということもある。

 

 一ヶ月ほど前から、稚内教会の礼拝メッセージブログ(http://www.voiceblog.jp/mikotoba/)の方で、考えるところがあり、説教後の讃美と後奏なども一緒にupしている、つい先頃、3月3日の礼拝説教後のオルガンの音を聴いて、以下の感想をさっそく送ってきてくれていたのだ。

 

 少し裏の事情を記しておこう。3月3日は、北海道の東部や北部に襲いかかった猛吹雪の影響で、この1年弱の間、奏楽を進んで担当して下さるようになった、保育園に勤務するRさんが奉仕予定だった。ところが、折しもの吹雪の影響で、彼女は日曜日の朝も、家の外に出ることが出来なくなり、急きょ「ヒムプレーヤー」を、妻が奏でる?ことになったのだった。

 

 声楽家の友は、この日が、Rさんの担当の日、と思い込んで聴いてくれていた。3月4日(月)の朝、こんなメールが届いていたのだった。

 

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(抜粋、編集済み)
 森先生・・・Rさんの奏楽を聞いてビックリしました。格段の進歩です!! ・・・先日、ご自身で疑問に思われ、また質問をして下さった事柄を素直に受け入れ、またかなり勉強されたのだと思います。讃美歌第2編58番の「いかなればきみはかく」 を伺っていて、すぐに判りました。(※“Rさん”と“鎌倉の友”は直接話をしている。)

 

 きれいな四声の音楽が出来上がっていて、ソプラノのパートが、際立って聞こえるようになりました。「あいしたもうや」の後、テノールだけが動く経過音も正確に、キレイに入っています。この音を聞いて、ブレスをしますから、会衆も「しるをえず」が難しい3拍子であっても正しく歌うことが出来ています。会衆の「育ち」を感じる所です。
 
 頌栄(27番の「父・子・聖霊」)も同様にきれいです。難しい4分の6拍子が、会衆に惑わされずにカウントされているのでロングトーンの後「栄と力」「とこしえ」が、乱れることなく歌うことが出来ています。しっとりとして、素敵です。

 

 応答唱(「アーメン三唱」)もだらけずに(以外に難しいです)正確に弾かれています。休符の入れ方が、とても上手です。曲が終わることで、礼拝の終了を知らせる音楽になっています。最後まで気を緩めることなく、弾ききっていらっしゃいます。

 

 前回にも増して、(Rさんが)沢山勉強されたことがうかがえて、また努力の成果がきちんと現れています。ずいぶん心を砕いて、練習されたのではないでしょうか? 素直な心で聞き、細かいことに気持ちと時間を費やすことが出来、実践できる。見習わなくてはいけませんね。鍵盤楽器を弾かれることではなく、Rさんが持っていらっしゃる素直な心が一番の賜物だと思います。素晴らしいですね!!

 

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わたしは、鎌倉の友人に、これはヒムプレーヤーだから、と伝えることもしていなかったので、メールを読んで、色んな意味でびっくりしてしまった。もちろん、申し訳ない気持ちも抱きつつ。

 

 笑い話にもなる今回のこと。が、少し時間が経ってからふと思った。そして、わたしからの「実は昨日の奏楽はRさんではなく、ヒムプレーヤーだったんですよ。・・・・奏楽はオルガンの横に座って妻が・・・」というような内容のわたしからのお詫びのメールに対して、応答する形での便りを頂いてから、改めて思ったのだ。

 

 ヒムプレーヤー、恐るべし。使い方によっては、相当な力をもっているのでは、と。彼女は、数時間後に次のようなメールを再び送ってきていた。

 

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(メール抜粋)

 私が知っているヒムプレーヤーは、音質が違います????? 最近のでしょうか?? オルガニストの、音質(弾き方そっくりに弾いています)ビックリ?? 機械は、侮れないデス・・・。

 

 昨日は私の耳が可笑しかった?? 寝ぼけた頭で聞くのは、いかんですね。ダイナミックス(強弱)が付いていたのは、機械?美樹さん?美樹さんのヒムプレーヤーの腕を褒めなくては??? (大目玉ならぬ)雪の大玉?が飛んで来た様です。いゃあ・・・参りました!!

 

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 ヒムプレーヤーは最新型ではない。たぶん10年以上前のもの。ただ、妻は、わたしがかつて兼務していた教会で、オルガニストが居なくなってから、4年近くずっと、奏楽者として?ヒムプレーヤーを奏で続けて来た人だ。

 

 “Hymnさん”(人格を持つ存在として以下続けます)を操る人として、日本中で10本の指に入るのではないか、と思う。本当に。だてにボタンを押し続けて来た人ではない。

 

 稚内教会に赴任して間もなく、外の葬儀式場で会員のご家族を見送る葬儀に仕えさせて頂いたが、その時の奏楽も“Hymnさん”だった。そして幾人もの方から、「よかった」「ヒムプレーヤーがあれば大丈夫」との声を掛けられた。

 

 実の所、“Hymnさん”は誰でも簡単には扱えない部分がある。速さの調整、段取り、音量、そして司式者や牧師とのアウンの呼吸等々。熟練まで努力が必要である。

 

 日本各地の小規模教会にとって、奏楽者が居ない、オルガンを弾ける人がいない、新しい讃美歌が分からない、等という悩みはゴロゴロしていると思う。そして、多くの教会で“Hymnさん”は、我ら小規模教会を、陰ながら支えてくれているのだ。

 

 生のオルガンの音や息遣いと比較することなどおこがましいし、そんな必要はない。けれど、この度の、ひとつの、敢えて言うならば、プロの音楽家を完全に陥れてしまった“Hymnさん”さんの実力は、スンバラシイということではないかと思うのだ。end

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