2012年

11月

25日

2012.11.25 (日) №12 『 名寄駅前は 氷点下12℃・・・出張報告書! 』

2013年度、つまり、来年度の「教区年頭修養会(北海教区の真冬の伝統行事!)」の第一回準備検討委員会が名寄の道北クリスチャンセンターで開催された(少し大袈裟)。 ちなみに、2014年の1月に旭川で開催されることが内定です。

 

開始時間は日曜日の夕方4時。名寄までは約170㎞。いい季節ならば飛んで走って休憩なしでわたしの場合は2時間40分。休憩すれば3時間コース。つまり、車で向かえば雪のない季節ならば何とか間に合う。

 

しかし、道北地方は10日程前から雪が降り積もり始めている。どうも、今頃の季節が、夜間になると日中一旦解けていた雪が凍り始め、アイスバーン状態となり、一番滑りやすいそうだ(幾人もの方が事故の経験、命拾いの失敗談を知らせてくれた)。

 

特に、音威子府(おといねっぷ)から中川沿いの40号線は鹿が飛び出て来たり、反対車線の車がカーブなどで飛び込んでくることもある、と聞いた。命に関わるなぁ、死にたくないなぁ。オレも飛び込んでいくのか・・・の声が心の中に少しだけ響く。

 

妻が探してきた『北海道ファンマガジン』というWEBサイトには、【一般に、乾燥路面、濡れているだけの路面(凍っていない)、新雪が積もったばかりの路面、シャーベット状の路面、わだちの路面、圧雪状態の路面、凍った路面と大別することができ…】と懇切ていねいな説明があり、警告してくれている。

 

つまり、北海道で長年暮らして居る方たちはその微妙な道路変化の状況をよーく理解しているらしい。次第に自動車あきらめスイッチが入り始める。わたしは北海道では新米だ(素直に認める)。わたしのような方がスリップしてあっちに突っ込み、こっちに流れて飛んでくるということで事故多発になるのだろう。

 

妻からの猛烈な“自動車による出張反対運動”の声を背中に、前日の土曜日、北斗観光さんを訪ねて割安切符をゲットすることを決定。結局、O戸新治さんにJR南稚内まで送っていただき(妻は恐くて運転拒否)13時49分にサロベツ号に乗車した。

 

上りのサロベツ号は4割程度の混み具合。助かった。車内販売は無くても快適だ。今年の1月、初めて札幌から稚内へと列車で向かったときには物珍しい気持ちばかりだったのだが、停車する駅名と風景が、とっくに日没している線路沿いで、ほぼ何も見えなくてもおおよそ分かるようになっていた。旅人から住人への変化を実感。

 

ときどき、晴れ間が見えると妙に嬉しいが青空は長続きしない。小さな吹雪か、列車自らが舞い上げるのか、というような天候の中、とても特急列車とは思えないスピードでサロベツ号は進んだ。でも、車は諦めて正解だった。安全第一、疲れも5分の1以下位だろうか。元気に23時過ぎには牧師館に戻れたのだった。

 

道中、積ん読状態だった本を開くことが出来た。わたしが一方的に友と思い込んでいる塩谷直也氏の『聖書 -信仰生活の手引き-』(日本キリスト教団出版局)を開いて感動。わくわくしながら、そして、シャープペンシルでどんどん線引きするのも久しぶりだった。

 

名寄駅を下りて、塩谷先生に「いやー、久しぶりに興奮しながら読んだ本でしたー」と電話を入れようとしたが、携帯電話はわたしの使用電話会社の問題なのか、この地域では使えない・・・・という意味の案内が聞こえて来ること2度。諦めた。それにしても彼の本はどれもわたしにとっては面白すぎるし感情移入してしまう。親身に感じてしまうのはわたしだけではないだろう。それにしても嬉しい気分だった。

 

タクシーに乗り込んでセンターへ。道北地区の委員会は、本当の意味で真面目だ。ユーモアもある発言、そして、トンチンカンになりそうな発言もあたたかく受けとめられていく。この会議は、信徒の方も尊重されていて、いや、それどころか、現在の道北地区の委員長は旭川六条教会の信徒さんだ。いろんな経緯があってそこにたどり着いているにしても、これって、全国の日本キリスト教団の各地の地区・分区では、すごく珍しいというか、異例というか、最先端のことだと今頃になって分かってきた。

 

「こんなにたくさんの牧師先生方がいらっしゃるんだから、もう少しリーダーシップを!」という声が聞こえるも、笑顔で受けとめる仲間達は、「いやー、この、混沌とした感じから考えて行く方法を、道北地区ではたいせつにして来たんですよー」のようなことを、まったくトゲもなく、穏やかに伝える。すると、少し力がはいって発言していた信徒さんも、やがて納得するのだった。

 

19時過ぎ会議終了。「すみません、車押して下さい。滑って出せませーーーん!」の声が聞こえる。

 

士別教会の難波牧師に送って頂き、20時07分発のスーパー宗谷稚内行きに乗り込む前、名寄駅前のロータリーにある電光掲示板に目が行った。“ただいまの温度、マイナス12℃”と出ていた。掲示を見るまでは寒いと思わなかったのに、急に体が震える(ような気がした)。

 

でも、疲れよりもちいさな希望を、ぬくもりを抱えて帰宅。あらためて感謝だなぁ、と感じる51歳11ヶ月と20数日の夜だった。

2012年

11月

23日

2012.11.23 (金) №11 『 長ぐつの件 どうもスミマセン 』

遅いのか早いのか、とにかく本格的な冬到来だ。稚内育ちの方たちも「寒いっしょ」と話しかけて来られる。これくらい、たいしたことないだろと感じる程度の雪なのに、気温が0℃、あるいは氷点下2-3℃なので1度降った雪が解けない。そして車が通ると踏み固められてしまい、いつの間にかスケートリンク状態ということになる。

 

新潟の上越地方にある教会に仕え、暮らして居たことがある。「この雪の下に○○町あり」と言われ、冬場は住まいの2階のドアが出入りというようなそこは日本でもかなりの豪雪地帯だった。

 

しかし、気温が2-3℃位で雪は降り積もっていたし、教会の真ん前の表通りも教会の駐車場も、道路の真ん中やホースから融雪の井戸水が噴出していて、それなりに雪は解けていた。夜通しチョロチョロと水を噴き出させていることも珍しくなかった。稚内では考えられないことだ。そんなことをしたらスケート場が出来てしまう。

 

ということがここ1週間ほどでよく分かった。牧師館から教会へ向かう坂道は気を抜くと収拾がつかない。いや、教会に向かう途中の平坦な歩道も横断歩道も気を抜けない。

朝方、登校途中の小学生や中学生の履き物を見ると、まだ、長靴を履いている子は半分もいない。そして彼らは平気で駆け足で目の前を走り去っていく。

 

そう。あの子たちは、幼い頃から、多分嫌という程転んだからだろう。恐くないのだ。転んでも骨折もしない自信があるのだろう。スバラシイ。

 

わたしはと言うと、ちょっとおしゃれな長靴は福岡から準備して来ていたものの、これからは雪かきもするだろうから、根性の入った長靴を買わねばと思ってお店に行ってみた。しかし、種類が多すぎて悩んで躊躇した。そして少しお高い。でも、温くないとたぶん春先に出来ていたように、足の指先にシモヤケが出来てカユカユになるだろう。

 

そうだ。幼稚園のイケメンの若者・○○大輔先生に聞いたらお奨めの長靴を教えてくれるだろうと思って、ひょこり教会に顔を見せてくれた時に聞いてみた。

 

「あのー、○○大輔先生はさぁ、長靴なんかどんなの履いてるのー?」「オレ、転んでも、ずーっとスニーカーなんすよー」。50のオッサンがインタビューする相手を間違ってました。どうもスミマセン。勉強して出直します。稚内一年生の冬はまだ始まったばかり。

2012年

11月

12日

2012.11.12 (月) №10 『 楽しみでもあり 中々難しいもの 』

 20年少し前頃学んでいた神学校の何年か後輩に、入学前まで渥美清や山田洋次という、「山田組」と呼ばれる映画製作に長年関わって来られた方が居られた。今は東北の雪深い教会で牧会されているY先生。個人的にお話しすることは、偶然なのだが、殆ど無いままだった。おそらくわたしよりもお歳は上。夜間の学校では、後輩が年上なんてのはざらだった。

 

 Y先生のことで一つ印象に残っていることがある。それは卒業論文の題名だ。同窓会報などで正確に調べれば分かるのだけれど、確か「説教題の神学」というようなものだったと思う。論文の内容も神学校の図書館に行けば、卒論は保管されているので読ませて頂くことが出来ると思う。

 

 果たしてどれくらいの関連文献があるのだろうか。あまりに少な過ぎて、とてもわたしなど手出しできないけれど、おそらく、Y先生は映画のお仕事に関わって居られた頃に、広告や宣伝が専門だったのかも知れない。

 

 かつて吉祥寺教会(東京都武蔵野市)で牧会され、東京神学大学で教鞭をとられ、多くの牧師を育て、かつ、数多くの説教集を出版された竹森満佐一先生は、神学的にであるのか、信仰的な信念かは不明だが、基本的には説教題は付けない方だったはずだ。いやいやそれどころか、宗教改革の時代の人々も説教題など付けていないはず。そういうことも頭の片隅にある中で、きょうは“説教題”の話題である。

 

 先日、数週前の礼拝をやむを得ないご事情でお休みされたひとりのご婦人に、説教テープをお貸しした。パソコンを使っている生活環境には無いご様子でもあり(メッセージのブログをご存じないと思う)、たぶん、説教を聴きたいと考えてくださっているのでは、と思ったのでこちらからお声がけしたのだった。

 

 1週間後、小さなメッセージが添えられた便せんに「それにしましても毎回牧師先生の説教題はよいですね。礼拝に出席して是非ともお聴きしたい題です」とあった。ちなみに、その日の説教テープの題は「そこに道があるのだから」だった。

 

 「素晴らしい説教でした」ではなく、素晴らしい“説教題”でした、というところが素晴らしいではないか、と自分を慰めている。いやいや、実際の所、説教が聖霊に導かれた結果、まずいなぁという自己嫌悪に陥るような内容だったとしても、題が心に残るだけでも、スンバラシイこと・・・のはず。

 

 いやいや、よ-く見ると、お便りの最後には、「勿論 素晴らしい礼拝です。感謝」とある。誉められているのは“礼拝”。深く考えれば、礼拝全体を心底喜ばれていることが一番喜ぶべきことかも知れない。シクシク。

 

 かつて仕えていた教会の前には路線バスの停留所があった。教会の入り口もバス通りに面していたので、バスが停まる度に、説教題と「どなたもご自由にどうぞ」の言葉が自然に目に入っていたはずだと思う(わたしはその町でバスに一度も乗らなかった)。

 

 ある日、白髪の一人のご婦人が教会を訪ねて来られた。そして、お話しをしていると、毎週、説教題をバスの中から楽しみにみておりました、と言って下さるではないか。嬉しい思い出である。看板を書き続けて下さっていたご婦人(90歳を越えていました)と大喜びしたことも懐かしい思い出だ。やがてその方は、洗礼を受けられたと離任後に伝わって来ている。

 

 何事も、人は誉められると嬉しいものだと思う。それは幾つになっても変わらない。説教の中身がだめでも、せめて、説教題だけでも頑張ろう、と思ったりもするのである。

 

 道内で活躍される新進の説教者の中に、「聖書の中の人間ばん馬」「どんなガンコな汚れでも」「おっと、ここでタイムです」「自由人(終身コース)募集」 等々、な、な、なんだこれはっ!と身を乗り出したくなるような説教題を掲げている方が居られる。大いに刺激を受けております。

2012年

11月

04日

2012.11.04 (日) №9 『 風とともに秋は去りぬ 』

 稚内に暮らし始めて半年。幾度となく、「稚内は風が強いから」という言葉を耳にしてきた。けれども、意外なほどに風が強くて困る日はなく、はて、一体いつ頃のことを皆さん言っているのかと思っていた。

 

 が、ここ数日、突然風が強くなり始めて紅葉していた葉っぱは見事に落下。あっという間に濡れ落ち葉になり果ててしまった。かつて、上越の高田という町で暮らして居たとき、高田公園の見事に色付いた桜や銀杏の落ち葉拾いを楽しんだように、当地でもこれから少し楽しもうかと思っていたが、強い風と雨と共に、ほぼ完璧に地面にへばり付いてしまった。

 

 今、このブログを記しているのは日曜日の夜なのだが、夕方お訪ねしたご夫妻のお宅で「これからの天気は、ずーーっとこんな感じですよ」と聞いた。ご夫妻は北海道外から引っ越して来られて10年程の方たちで、お話しを聞いている中で、最近訪れたという層雲峡の紅葉の美しい写真などをたくさん見せて下さったのだが、実はこれは、一生懸命に努力して探された、北海道の秋の数少ない光景だったのだと気が付いた。

 

 北海道での暮らしが始まるまで、わたしは(多分妻も)勝手な思い込みをしていたのだが、秋の北海道はさぞかし紅葉が美しく、どこに出かけても、紅葉を楽しめるものだと思い込んでいた。しかし実際はそうではない。「春、秋、冬、真冬」がこの辺りの季候だとお聴きしていたが、実際は“秋はほんの一瞬”というのが現実だった。

 

 そんな折り、妻が「お友だちからこんなメールが来たよ」とメールを転送してくれた。欧州の厳しい冬を経験されたその方の言葉を見ると、なるほど、と感じることが幾つもある。冬の心構えをしなければならない。少し引用してみよう。
 
 「北国の冬がきついと思うのは、寒さのせいではなく(それなら、元気を出せば耐えられる)、暗さのせいです。太陽の光らしい暖かい光がなくなって、昼間がひどく短く、昼前にやっと明るくなりはじめたと思ったら、もう夕暮れになっている。それも、辛うじて、たそがれの日差しみたいなのが朝から夕まで続くだけ。ヨーロッパ中部で(北緯50度)、七回越冬しましたが、最初の二回を除いて(その時は金がなかった)、残りの四回は、冬の終り頃にはともかく太陽の光が恋しくてたまらなくなって、復活祭の休暇にはたいていイタリアまで行く旅行を計画していました(実現したのは三回だけですが)。ともかく南の方に行って、少しでも太陽の光を拝みたかった。」

 

 わたしは陽射し・日光アレルギーの傾向があり、ここ数年、日傘を差して歩くことが多かった。さもないとあっという間に偏頭痛が遅いかかって来るからだ。さて、こんなわたしでも、太陽が恋しくなるのか。それともいい感じで冬を過ごせるのか。今はまだわからない。季候にまつわる報告は、これからもブログに時々記すことになりそうだ。

 

 そして最後にもうひと言。野の花を楽しみに過ごすことが出来た日々は、来春までお預けとなることを改めて身に浸みて感じるこの頃でもある。教会の礼拝堂に捧げられてきた花の美しさを、本当に感謝する思いの深さを教えられた半年でもあった。めぐみだと思っています。

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