2013年
12月
30日
月
石原裕次郎。僕らの年代だと、「太陽にほえろ!」や「西部警察」のボス。
彼が歌った歌に『勇者たち』(作詞:なかにし礼、作曲:浜圭介)という曲があることを知った。
つい最近まで知らなかったけれど、どうも、日活全盛期の時代の映画『嵐の勇者たち』の主題歌らしい。調べて見ると、こんな歌詞だ。
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①
雨が上がれば 虹が立つ
嵐すぎれば 鳥が舞う
それが人生の 約束だから
今は涙の 味覚(あじ)を知れ
捨てるなよ戦いを 男なら
最後に勝つ者になろうじゃないか
生命がある 勇気がある 夢がある
そして お前にゃ 俺がいる
②
風が強けりゃ 岩陰で
息をひそめる 鷲になれ
爪を練磨(とぎ)ながら唇かんで
羽根をやすめていればいい
捨てるなよ戦いを 男なら
最後に勝つ者になろうじゃないか
誇りがある 祈りがある 愛がある
そしてお前にゃ 俺がいる
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『 勇者たち 』の歌詞がなぜ出てきたのか。
最近このブログにも登場していたSさんに、北九州ホームレス支援機構の働きなどで知られる、奥田知志(おくだ ともし)さんの『もう、ひとりにさせない』(いのちのことば社)という小さな本をお貸しした時、返信の手紙の最後に記されていたのだった。
クリスマスイヴ礼拝もおわってホッとしていた、12月26日(水)夜の入門講座。
讃美歌の歌い方がわからない、というSさんに、同じ入門講座のメンバーで、市内の学校の音楽の先生でもあるY恵さんが、楽譜の読み方の基礎を教えてくれる時間があった。
確かその時に、歌うことの延長線で、カラオケの話題が出て、石原裕次郎のことをSさんは話題にしていた。どうも、かつてどこかで接点があるらしく、「裕次郎は歌は上手くないんだ。バックがよかったからごまかせた」なんて事を話しておられた。
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上記の、奥田知志さん。
わたしは、20年近く前にその存在を初めて知った。以来、信頼と尊敬の思いをもって見守っている方。
わたしが担当させていただいている稚内北星学園大学のキリスト教概論の学期末のレポートでは、奥田さんが北九州・筑豊の小さな教会の伝道集会で語った説教をコピーして配り、その感想を求めている。
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Sさんのお便りの始まりはこうだった。
先生 手紙にて ごめんなさい
先生より この本を読んでみませんかとすすめられた、奥田知志先生の本(「もうひとりにさせない」)、読ませていただきました。とても感動いたしました・・・・
そして、あれこれの話題を記された後に、こう続いた。
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今の私は先生と出会い、先生より生出た者と 感謝しております(アーメン)
・・・・ですから、私の年は0歳です。
・・・・聖書は読む事だけでなく 一つでも実践することが大事だと思う今日です。
・・・・また先日は、〇〇先生より 楽譜 讃美歌など 教えていただき、感謝 感謝です・・・・(アーメン)
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このあとに、
讃美歌では有りませんが 私の大好きな歌詞なのです
という言葉と共に、なかにし礼さんの歌詞が書き写されていた。
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本当は、ご覧のように、①節の最後は本来、
【そして お前にゃ 俺がいる】でおわる。
が手紙では、
【そして 私には 森先生がいる】とある。
照れるではないか。惚れられたか。
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それ以上に感動したのは、②節だった。
【誇りがある 祈りがある 愛がある そしてお前にゃ 俺がいる】
これが、なかにし礼さんの元の歌詞。だが、Sさんはこう書き変えていた。
【誇りがある 祈りがある 義がある そしてお前には 神がいる】と。
《 義がある、神がある 》だと思ってくださる。うれしいじゃないか。
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人は手紙を頂くだけでも嬉しいもの。
初め、気が付かなかったがこれは「恋文」だ。ラブレターが届けば心は弾む。
が、それ以上に、②節で書き変えられた、その肝心な所を、Sさんに見続けてくださればと願う。
オイラはしがない土の器の牧師に過ぎない。俺にがっかりすることは、きっと、これから幾度もあるだろう。
でもね、神さまは裏切らない、本当にね。そう信じてます。end
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■追伸
《参考までに 大学で紹介する 奥田知志(おくだ ともし)さんのプロフィール》
○東八幡キリスト教会牧師
○NPO法人「北九州ホームレス支援機構」理事長
○NPO法人「ホームレス支援全国ネットワーク」代表
▽NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』などの番組に出演
【略歴】
1963年7月、滋賀県大津市生まれ。関西学院大学神学部大学院修士課程卒業、西南学院大学神学部専攻科卒業。学生時代に訪れた大阪市・釜ヶ崎(現:あいりん地区)の日雇い労働者の現状を目の当たりにし、ボランティア活動に参加したことがきっかけで、牧師の道を歩み始める。
1990年から福岡県北九州市にある、東八幡キリスト教会の牧師就任。1990年よりホームレス支援組織「北九州越冬実行委員会」に参加。
その後2000年に認定NPO法人 北九州ホームレス支援機構を設立し理事長に就任。
ホームレスへの炊き出しボランティア活動は、毎週金曜の20時~新勝山公園にて。
【著書】
○『もう、ひとりにさせない』出版社:いのちのことば社 1,365円
○『「助けて」と言おう (TOMOセレクト 3・11後を生きる)』
出版社:日本キリスト教団出版局 840円
2013年
12月
25日
水
ある日の説教を読み直した。
下の聖書とも関連する、マタイによる福音書18章21節~35節をもとに、『借金の帳消しできます』という題で語ったもの。
天にまします我らの父よ、御名が聖められますように。
御国が来ますように。
御旨が天にて成るのと同様に、地にてもなりますように。
来る日の我らのパンを今日も与え給え。
そして、我らの負い目を赦し給え。
我らもまた我らに負い目ある者を赦しましたから。
そして、我らを試みにあわせず、悪より救い出し給え。
新約聖書 マタイ福音書6章9節~13節
田川建三訳
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きっかけは、きのう=12月24日(火)、クリスマスイヴの午後1時過ぎ、電話の先からSさんにこう聞かれたからだ。
「先生、5,6分いいですか」と。
Sさんは「入門講座をやっていますが、来てみます?」の声に、二つ返事で「はい、お願いします」とお答えになった方。
同時にSさんは、ひとりご自分のお部屋で旧約の創世記より、少しずつ読み続けておられ、栞をはさんで、ここまで読みましたと見せてくれた方である。
ずばり「聖書の神はきびしいですね、義ですね」と言われた。
新約のイエス・キリストに辿り着くまで、このままでは時間が掛かり過ぎると思い、教会の書棚にあった、教会学校の新約の分冊をお貸しした。『口語訳』より読みやすいからこれを手元に、と『新共同訳』を。
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電話での「先生、5,6分いいですか」という言葉を聞いたわたし。あー何か相談かな、と思った。
が、直後に出てきたのは【ファリサイ派と律法学者とは?】について。
続いて、【ピラト】とはどういう人かを尋ねられた。
最後に、【聖書の中の「負債をゆるす」。先生、あれは単に、借金のことじゃないんでしょ・・・】というものだった。
以下、しばらく、説教より抜粋編集。
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総決算という言葉がある。夏の大バーゲンとか年度末の決算前の大売り出しなど。
実は、わたしたちの人生も神さまの前で決算をしなければならない日が来る。王が「家来」と決算するというのは、自分と神との関係の実情がただされることだ。
旧約から新約を貫くメッセージ。それは、わたしたちの人生の総決算が必ずおこなわれる日が来る。それが聖書の告げている真理だ。
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『新共同訳』では「決済」と訳されている。
【18:23 そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。18:24 決済し始めたところ、・・・・】
とある。
ほかに、『口語訳』と『田川建三先生訳』は「決算」と訳す。『塚本虎二先生訳』は「精算」と訳す。
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ところで、聖書には《負債》が《罪》を意味していることを教える、とてもよく知られていて、わたしたちにも、なじみ深い箇所がある。
それは、イエスが祈りについて教えられた「主の祈り」だ。『口語訳』には《負債》と出てくる。『新共同訳』では《負い目》。
天にいますわれらの父よ、
御名があがめられますように。
御国がきますように。
みこころが天に行われるとおり、
地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。
わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、
わたしたちの負債をもおゆるしください。
わたしたちを試みに会わせないで、
悪しき者からお救いください。
(口語訳)
天におられるわたしたちの父よ、
御名が崇められますように。
御国が来ますように。
御心が行われますように、
天におけるように地の上にも。
わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
わたしたちの負い目を赦してください、
わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。
わたしたちを誘惑に遭わせず
悪い者から救ってください。
(新共同訳)
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聖書の中の【ゆるし】と【負債】そして【負い目】。これはその人の生き方を大きく左右する程の重要な事柄だ。
負債 = 負い目 = 罪
そのように、言い切っていいだろう。【罪】の問題は生きている限り断ち切れない課題だ。
【罪】それがゆるされない人生はどうなるのだろうか。
マタイ福音書18章21節以下で、大きくクローズアップされた人物。
この人には 絶対に返済することができない借りがあった。そのことは明らか。金額の多さから言えば、この人の借金は決してゆるされるようなものではない。
つまりこれは、神がわれわれ(〈わたし〉も〈あなた〉も)の【罪】を見られたら、決してゆるすわけにはいかない。それ程の大きなものであることを意味している。
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ところがである。
神はそれが、返済済みだと宣言されていたのだ。金銭による精算がおこなわれたのではない。
ご自分のいのちを差し出す、血潮を流されるそのことによってだった。独り子が売られたことによって、我々の人生の罪、負債に対する借金請求は終了した。
「もう、精算は完了。済んでいる」と言われる。
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なぜ、そんなことが可能か。
ここには、十字架の秘儀。一人の方が現に売り払われた。このお方を通して精算が実行されることが前提で語られている。
ここに起こるゆるし。それはただ王の憐れみによるもの。負債の減免どころか、帳消し=棒引きである。
王(主人)が負債をまじめに取り立てる気持ちがないからではない。やかましく言うことがない人だから、というのでも、大目に見てもらったというのでもない。
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詩編103篇にこうある。
【103:8 主は憐れみ深く、恵みに富み/忍耐強く、慈しみは大きい。
永久に責めることはなく/とこしえに怒り続けられることはない。・・・
父がその子を憐れむように/主は主を畏れる人を憐れんでくださる。】
み子イエス・キリストは、義の神を超えて、慈しみと憐れみを十字架と復活の出来事を通して、わたしたちの救いの道を示してくださった。ただ感謝しかない。
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Sさん。
あなたが聖書をもって二度目に教会においでになった時に言われたように、旧約の神は、きびしい裁きをもって人に臨むお方。
ある人は、やはりあなたが言われたように、それを「義の神」と表現する。
しかし、神の独り子イエス・キリストを通して、神はその慈しみを徹底した形でお示しになったのです。
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わたし自身へのみ言葉。そして、ご一緒に読みたい、み言葉を記しておわります。いずれも使徒パウロのことば。
【 1:15 「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実でありそのまま受け入れるに値します。わたしはその罪人の中で最たる者です。】
テモテへの手紙 一 1章15節
【2:11 実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。】
テトスへの手紙2章11節
クリスマスおめでとう Sさん。そして、ありがとう。end
2013年
12月
23日
月
作家で劇作家というのか、演出家でもあった井上ひさしさん。
彼のモットーにこういうことばがあるそうだ。
「 むつかしいことをやさしく、
やさしいことをふかく、
ふかいことをゆかいに、
ゆかいなことをまじめに 」
以前、切り抜いていたことばなのだが、どこかでいつの間にか紛失。
もともとの出どころはハッキリと知らない。再会したのは、阿刀田高さんの、とある本の中だった。
阿刀田さんいわく、ご自身をかえりみて「“むつかしいことをやさしく”は私もそこそこ実行している。・・・・しかし“やさしいことをふかく”は、とても井上さんには及ばない」と謙虚に記されている。
阿刀田さんのご本も、十分にやさしく、ふかいと思うのだが。
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「 むつかしいことをやさしく、
やさしいことをふかく、
ふかいことをゆかいに、
ゆかいなことをまじめに 」
ぜんぶひらがな。それなのに、読みにくさを感じない。これもすごいな、と思う。
わたし。漢字とひらがなの使い方は、けっこう気になるたちである。いつの頃からかと言えば、新潟県上越市の教会のHPに、「森牧師の部屋」をもっていた頃から特に気になり始めたのだった。
かつて定期購読していた『 ENGINE・エンジン 』(新潮社)という月刊誌がある。その雑誌で創刊時から編集長をされた鈴木正文という反骨の編集者も、ひらがなが多かった。かなり。
こんなところで平仮名か、と思う時にも使うのだった。骨太の編集者でライターがである。
今年の一月、函館でおこなわれた、北海教区の年頭修養会の講師としておいでになった、柏木哲夫先生が、どんな文脈だったかもはや忘れたが、「〈生命〉と〈命〉ずいぶん感じ方が違うでしょ」とお話になったと思う。
が、《いのち》はさらに受ける印象がことなる。
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わたしがかつて学んだ、牧師を養成する神学校のカリキュラム。
この何年間か、「神学基礎文章理論」という授業が行われるようになった。くわしいことは聴いていないけれど、現在の教授陣(わたしに近い世代が多くなった)が、これがどうしても必要、ということで設けたものなのだろうと思う。
面白そうだなと思うが、たいへんそうでもある。でも、これが必須なのかな?という感じもする。すこしお節介ではないかという気もするが、そこまで手を差し伸べなければならない、そういう過保護な時代なのか。
私的には【書くこと】は、わたしたち牧師にとっての【語ること】と、かなり密接に関連してくると思う。
漢字の多い説教(原稿)では、当然、《やさしく・ふかく・ゆかいに・まじめに》というのには近付けないような気がする。
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村上春樹さんは次のノーベル文学賞の最有力候補に挙げられるような方。
久しく彼の作品を読んでいないし、今、手元に置いて確認していないので、村上さんの、漢字とひらがなの使い方はわからない。
【Wikipedia・ウィキペディア】によれば、村上さんの小説は「敷居の低さ」と「心に訴えかける」ことを意識しているものらしい。確かにそんな記憶がある。
ただし、たとえ文字の形態としては読みやすい小説であっても、いつしかわからない世界に(まるで『ヨハネ福音書』のように)グルグルと引きずり込まれていくので、むつかしいな、と思うことが多かった。
興味深いのは、彼は翻訳家でもあるということだ。おそらく村上さんは、そこで文章を学び鍛練し続けているのだと思う。
牧師の仕事は、ある意味において、おわりのない翻訳作業を続けることにあるようにも感じるのだ。書くことにおいても、語ることにおいても、歌うこと、祈ることにおいても。
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札幌在住のN子さん。最近、わたしからの定期のお便りに応答され、メールを送ってくださった。
こう言ってはげましてくださったのは、素直にうれしかった。
【先生の『牧師室便り』、『こんぶ通信』は、楽しくそして心にジーンと残る文章です。先生は、教会の様子や先生の考え、世の中のことを温かい目で軽妙に綴っています。宗教って、難しいことばでちょっと固苦しいもので読むのは、たいへんと思っていましたが、森先生はキリスト教を親しみやすく表現され・・・】とあった。
井上ひさし、阿刀田高、村上春樹。そうした方々の文章を、わたし、研究したわけではない。そして、多分これからもそんな時間はなかなかもてないと思う。
でも、聖書のことばを礼拝説教の場で翻訳して、現代の物語として語り続けるということにおいて、プロフェッショナルでありたいと願う。
たいせつな先生のおひとりが、今、個人訳の聖書を発刊されているが、その先生のことばとの取り組みもまた、たいへん面白くあれこれ気になる。
『ヨハネ福音書』冒頭にある原典のギリシア語“ロゴス”を「ロゴス」のままにされたのは、少しばかりさみしかった。なぜって、わたしの《言一郎》の《言》の源だから。
けれども、「ロゴス」を他の言葉にできなかったという語学の達人とも言われるその先生のお仕事には、翻訳という仕事のむつかしさと限界があることを正直に認められている思いも十分に感じられるのだった。
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きのうのクリスマス礼拝。
こどもたちには、パペット=指人形のリスくんと共に語りかけた。
それもまた、わたしの翻訳の働き。
苦労よりも楽しい、という思いの方がおおきい。明日はイブ礼拝。こんなもん打っている場合ではないのに、キーボードを打つ罪深さ。
さて、ワープロソフトの《一太郎くん》。読みやすさの具合はいかが?
「2071文字、漢字25%、カタカナ5%」ですよと教えてくれた。
ということは、70%が平仮名かい。
これが平仮名使いの上限かな。
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『 森牧師の部屋 』
わっかないで書き始めて、めでたく100号をむかえました。長文型のブログとしては、よくがんばっているかな(笑)
今号、故郷おおいたの高校時代からの友人との思い出につながる『コーヒー雑感』の題で書くつもりだったのに・・・・、いつもこんな感じですわ。
これからも楽しくぽつります。continue.
2013年
12月
19日
木
以下、2013年12月15日 牧師室便り №21 の増補改訂版です。
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何やら我々の暮らしに暗雲を呼び寄せたとしか思えない「特定秘密保護法」。突き詰めて考えれば、有権者の責任。それだけに複雑な気持ちだ。
参議院で可決した翌日の12月7日(土)。
『北海道新聞』はいつもと違う誌面構成だった。なんと「社説」が一面に置かれているではないか。こんな誌面、普段はないこと。つい先頃、その日の全国の新聞は、社説でどのように扱ったかのか、の一覧を見た。
全国販売部数一の読売と、産経は明らかな賛成の論調だという。それを読んだ読者はどう受けとめているのか。気になる。
北海道新聞の扱い方にみるように、今、我々の暮らす日本では、普通ではないことが起こっていることは明らかだろう。
そのことに対するマスメディアの明確な怒りの「否」の表明です。地元『日刊宗谷』でも、採決のだいぶ前の社説で「反対」が掲げられていた。
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詳細を語ることはよしておくが、「幸いなるかな 平和をつくり出す者」というお言葉をイエスから語りかけられ、そのことばに従おうとする者として、自分自身の責任ある生き方を選び取る上でも、今一度考えさせられる新聞の態度表明だった。
ほぼ時を同じくして、稚内市内の有志の方たちと、平和憲法を守り、平和について考える自主的な学習会に参加し始めまた。
様々な分野で活動して来たであろう“骨のある優しさ”がある方たちとの出会いが与えられたと感じた。今、そして、これまでの戦いについて自己紹介の時にお話し下さったの聴いていて感じたことだ。
一人のキリスト者として心引き締めなければならない時代に生きていることを思う。日本基督教団の消し去ることのできない過去が戦中にあったことを勉強会では紹介し、自分も、そこに連なる者として罪責の自覚について簡潔に挨拶した。
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久しぶりに旭川での会議に出席。日曜日の会議はふつう名寄の道北センターだが、今回は、諸々の事情で旭川開催となった。
先般の自損事故を踏まえ(保険に入っていたからよかったが、50万円を超える修理代だった)、雪道の危険を避けて、安全第一でJRを使って旭川に向かった。12月8日(日)午後のこと。
教会の皆さんは、昆布の袋詰めをしている日だった。
この数ヶ月私たち道民のみならず、心を痛めてきたJR北海道のさまざまな事故関連の影響で、宗谷本線の昼間の特急サロベツ号は運休中。代わりに臨時快速列車が準備されているが、旭川までは4時間掛かる。
「なーんも、まぁ、大して影響ないだろう」と思ったのも束の間、二両編成で旭川に向かう快速列車は快適では無いことに気が付いた。そして、あれこれと寂しさを感じる時間となったのだった。
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二両のうちの一両は世に「お座敷列車」と呼ばれる車両。最初、それに乗り込んだが、背もたれのシッカリしていない座椅子は悲しいかな30分も我慢できない。おまけに車両の温度調整も最悪に暑い。
これが本当のサービス?と疑問符だった。座椅子はこれ以上お安いものはありませんという程度の、安っぽいもの。本当に残念だった。
とてもではないが、旭川までは耐えられないと悟った。さっそく移動したもう一両は日本各地で見られる鈍行用のトイレ付きの古ーい車両だった。
旭川豊岡教会で行われる北海教区の年頭修養会の準備会議が18時~23時という設定。
そのため「各自食事を済ませて来てください」という連絡が入っていた。
妻に持たせてもらった弁当を、お隣のお姉さんの視線を感じながら、膝の上に広げようにも、テーブルがあるわけではない。やはりかなり不便だ。
「JR北海道さん、何としても頑張って下さい」と利用してみて思った次第である。幹部社員の方に利用してみて頂かないと分からないだろうと思った。
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年頭修養会準備会議。遅くに始まるのは、仲間たちが私の到着を待ってくれていたからだった。
1月13日~14日に掛けて、450名を超える人たちをほぼ貸し切り状態でホテルに迎える会。これを切り盛りするには、相当周到な準備が必要である。司会担当の先生は、時にきびしい言葉を繰り出しながら導いていかれる。
15名程の夜の準備会の参加者のうち信徒の方が半数以上で、わたしからみると本当に頼もしい限りだった。参加していて素晴しい方たちが力を合わせる様子に触れられて大いに励まされる。
本当の意味で、豊かな会となることを心から祈っている。講師の金香百合さんは、10年以上前に、研修会でお目に掛かり、私からすると、かなりの衝撃を受けた方。
お招きしましょう、と強く勧めたのはこの私で、再会を楽しみにしている。
北海道の真冬に開催される年修の最大の敵は天候。これを無事に乗り切れるかどうか、今も主催者のわたしたち、あれこれと心配している。
お招きする講師を大阪と東京から無事に旭川に入れること。遠くからの参加の方も交通機関が、雪で通行止めや運休にならないように願うばかりだ。
私は閉会礼拝説教を担当する。
早めに求められた説教の題は『利尻昆布10㌘の重さ』。果たしてどんな風に語れるかだろうか。黙想を深め始めている。
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車の運転で早々に事故を起こしたこともあり、これまで以上に「急」の付く運転を無くすように注意している。
旭川で乗車したTaxiの運転手さんの言葉は、なるほどと思わされた。
「一般の方たちは冬の道路を甘く見ていることがあります。通勤の決まり切った場所だけ走っているのと、求められればどこへでも行く私たちとは注意の仕方が違います」と教えて下さったのだ。聞けてよかった言葉だと思う。
実際、すこしなめていたところがあるな、と今になって思うのだ。
久しぶりに利用したJR北海道の宗谷本線。稚内から旭川まで、地図を見ながら数えてみると多分50の駅があるはず。
以前は車窓から目に入ってくる風景を見ても、一体どこに居るのか、ほぼ見当もつかず、《逆・おのぼりさん》状態だった。
しかし2年近くを経て列車に乗っていると変化というか、慣れを感じた。景色を見ていて、あー、だいたいこのあたりは・・・というのがわかり始めたことに気づいた。
少しばかり、道北・宗谷地方の牧師になってきたかなぁ、という感じがしてうれしかった。
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間もなく2013年も幕。来る年2014年も一所懸命に皆さんと共に仕えていきたいと思う。ひとりで出来ることは実に限られている。だからこそ、皆さんと、ということになると思う。
振り返って見ると、とりわけ、春から《利尻昆布バザー》の取り組みを始められたのは、神さまのご計画だったと感じる。いろんな助け手が与えられ、知恵が与えられ、何とか形になってきているのだから実に不思議なのだ。
だって頓挫してもまったくおかしくない企画だった、と冷静に考えるとわかるのだ。
神さまはこれをやんなさい、と後押しされていると思う。だからこそ、これからがとても楽しみであります。応援、どうぞよろしくお願いいたします。end
2013年
12月
16日
月
【新約聖書 ルカによる福音書18章10節以下より】
二人の人が祈るために神殿に上った。一人はパリサイ派で、もう一人は取税人である。・・・・取税人は遠くに立って、眼を天に向けて上げようともしなかった。ただ自分の胸を叩いて、言った、罪人なる私に対しお怒りをしずめて下さいますように。
あなた方に言う、この者は義とされ自分の家に下って行ったのだ。
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いい日曜日だった。
きのうの日曜日(2013年12月15日)のことだ。
まるで、あんまりよくない日曜日もあるようだが、それはそれ、深く聞かないでください。いろいろあるから。
とにもかくにも、きのうの確かな余韻が、月曜日の午後の今になってもある。
上の聖書。ある方の個人訳のルカ福音書。
当日の礼拝で朗読された箇所ではない。が、この聖書の箇所が実現したと実感したのだった。
それは報告の時だった。
****************
昨日の日曜日。わたしは一人の方が、礼拝にお出でになるのを待っていた。
Sさんだ。
前日の土曜日も、その前の金曜日も、かーなり緩やかであるけれど、「日曜日。10時半からの礼拝に来てください」とお誘いしていた。だって、そこにこそ救いがあるから。俺も牧師だし。
ハッキリと「じゃぁ、日曜日は礼拝に必ずまいります」という声を聴いたわけではなかった。でも、待っていた。
お話に依れば、宮崎県延岡市で過ごした幼小時代、母親に手を“引かれ”てSさんは教会に通ったという。さらには、牧師の奥さま手焼きのクッキーに“つられ”て、教会に通っていたという。
それから半世紀以上の年月が過ぎている。
わたしの故郷大分でも過ごされた方で、久しぶりに聞く、佐伯・安心院(あじむ)・日出・富貴寺など、懐かしい地名、また、大分合同新聞なんていうのも嬉しい響きだった。
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「さんびか、歌えないんだよなぁ、せんせい」と言っていたSさん。
土曜日には、「ここまで読んだんだ」という『聖書・口語訳』と『讃美歌(1954年版)』を見せてくれた。
とある場所に置かれていたものを、部下が「捨てましょう」と言うのをとめて、「馬鹿、これは大事なものだろ」と言って、持ち続けているのだった。
布団にくるまって、わからないなりに、最近も読んでいたそうだ。栞がはさまれている。
****************
礼拝も終盤に近づき、献金が終わった頃のこと。
礼拝堂の入口のドアが開いた。
昨日、献金当番だった妻は、祈りを終えて聖餐卓から入口に向かっていたタイミングで、ドアの方に自然と顔を向けた。
当然、“あっ”と思い、そちらを向いていつもと違う表情をした。Sさんが見えたからだ。わたしは録画ビデオを確認した。
ライブ配信を見ていたあるご婦人が、たまたま、遠方にいてもインターネットを通じて礼拝に与れることの喜びを伝えて来てくれた。「こんな大雪の天候でも教会が近くに感じられてありがたいです。来週も」の言葉。
と同時に、「美樹さんのカメラ目線は笑いました」とひと言添えていた。
なぜカメラ目線?と思っていたが、Sさんの入堂、それが妻のカメラ目線に見えた理由だったことが、ビデオの記録で判明した。
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わたしは昨日、祝福の前の讃美歌に、『 讃美歌21 』の276番・4節を選んでいた。アドヴェントだからこそさんびできる歌詞なのだった。
『 讃美歌21 』276番・4節
愛する主イェスはアルファまたオメガ、初めと終わり。
み恵みによりて この身をも祝し、み国へ招く。
アーメン、アーメン。まもなく来られる主イェスよ、せつに待ち望む。
Sさんは、手渡された讃美歌の本を見ながらこれを聴いた。わけも分からず聞いた。
歌詞なんて何も残らないだろうけれど、でも、読み返してみると、まるでSさんのために準備されていたかのような歌詞じゃないか。
****************
礼拝の報告も礼拝の一部。
祝祷後の報告は、個人消息などを分かち合う場合もあるデリケートなところもあり、礼拝のライブ配信は行わないことにしている。録画にも残っていない。
初めて来会の方が居られます、と司会の勝幸さん。
後ろの方に座って居られたSさんに「ひと言、じゃあお願いしましょうか」とわたしが言うと、思いがけずSさん、前に進んで来た。
聖餐卓の前に立ったSさん。口を開いた。近くにいたわたしにも全部聞き取れない声になった。
でも、居合わせたみんなにハッキリわかったことがある。
Sさんはしばらくの時間黙り、目頭を押さえた。そして、挨拶を終えると、深く、深く、90度の角度でみんなに頭を下げて席に戻った。
礼拝がおわると、茶色い封筒に準備して下さっていたものをわたしに差し出した。献金袋に二人で捧げた。
****************
その夜、偶然Mailをくれた出席者の一人の方はこう添えていた。
「新しい方がいらっしゃってよかったですね。ご挨拶を聞いて、きっと何か重いものを背負っていらっしゃるのかな?と思い・・・・」とあった。
そう、たぶんそう。でも本当によかった。
年末恒例の大掃除だと伝えると、Sさんも仲間に加わって下さった。三平汁の昼食を終え、みんなが居なくなった頃、Sさんが言った。
「先生、上にちょっと行って来ていいですか」と。Sさんは姿を消した。2階は礼拝堂。
夕方、妻と共に買物に出かけ、スーパーに居たとき、携帯に電話が来た。「先生、最初の日から遅刻して、すみませんでした」「Sさんが来てくれただけでも嬉しかったですっ」と答える。
****************
これからもご一緒できる限り、あれこれお喋りしながら、共にあゆみたいものだ。
あのルカ福音書のイエスの譬え話のみ言葉は、きのう成就してたことを信じる。
日曜日の礼拝。
そこには、人の思いを越えた“story”がある。神さまが備えられた物語。
だから、わたしはここが好き。end
追伸:
二日後、幼稚園のページェントを観に来ていた時、休憩中に職員室にいた。そのとき、Sさんがひとり教会にお出でになる姿を妻が見つけた。わたしは急いで教会に向かい、降誕劇を観ましょう、と誘いに走った。
1階には人影はなし。礼拝堂へあがった。
目に入ったのは、聖餐卓の前にひざまずいているSさん。ありがとうございました。たいせつなことを教えて頂いています。感謝。
2013年
12月
10日
火
○わっかない教会 【 こんぶ通信 3号 2013年12月 】
『 こんぶ 湯豆腐だけに あらず 』
( 稚内教会による福音物語 その3)
サラリーマンをしていた20代半ば頃。私は東京の練馬区桜台に暮らしており、西武池袋線・桜台駅の近くの定食屋「鴨ちゃん食堂」というお店に、週に4、5度はお世話になっていました。
その頃の私にとっての豪華メニュー。それは「焼き魚定食」や「天ぷら定食」に《湯豆腐》を単品で付けるというもの。定食 +(プラス)《湯豆腐》の組み合わせは、当時の私には、最強のご馳走満腹セットだったのです。
今思い出してみるならば、あの一人用の小さな土鍋に、木綿豆腐が半丁、白菜3枚、太めのネギも3つ、椎茸の小一個と共に沈んでいた、縦4㎝×横3㎝の黒い物体こそが《利尻昆布》だったのではないかと思えてきます。
早朝、練馬から築地の魚河岸までの20㎞程を、えっちらおっちらと旧式の自転車をこいで仕入れに出かけていた「鴨ちゃん食堂」の“鴨下のおいちゃん"でしたから、昆布にこだわりがないとはとても思えません。
稚内に引っ越して来るまで、ハッキリ申しまして《利尻昆布》とは縁遠かった私です。先の「湯豆腐話」のように、昆布は“お鍋"の時にしか出番がないと思い込んでおりました。
あー、恥ずかしいなぁもう。
おいしいだし汁がとれて、料理に活躍するのは“鰹節”“煮干し”“干し椎茸”だと決め込んでいたのです。
人生折り返し点をとっくに過ぎましたが、《利尻昆布》と真っ正面から出会えて幸せです。本当によかった。今のわたくし【昆布さま】に足を向けては眠れません。
稚内教会が利尻昆布バザーを始めるようになり、わが家の食卓も随分変わりました。全国各地の皆さんにお勧めするからにはということで《利尻昆布》をいろんな形で試すようになったからです。
《利尻昆布》にお世話にならない日はゼロ。
本当にそんなに使い途があるの?と不思議に思われるかも知れません。実は、ご飯を炊く時のお水の半分に「こんぶ水(すい)」を使うようになったのです。
わたくし、長年の習慣であったはずの朝のパン食にアッサリと別れを告げ、ご飯と味噌汁党に変わってしまいました。
何しろ、ご飯があまりにも見事においしく炊けるのですから。朝から稚内名物、ほっけの干物と共に頂いたりします。絶品です。はい。
新米は何でもオイシイ!という話はよく聞きます。でも「こんぶ水」を使って炊いたご飯は古米でもうまい。ご飯が冷めると「こんぶ水」で炊いたお米のうまさが際立ちはじめます。
ですから皆さん、お弁当がまた楽しみになるのです。この『こんぶ通信3号』をワープロに打ち込みながら「こんぶ水」で炊いたご飯を思い浮かべるだけでも腹が減り始めます。
10㌘の利尻昆布があなたの人生を変えるかも知れない。そうお伝えしようとしているわたくし。4日に一度位のペースで、寝る前位の時間に、台所の妻から呼び出しを受けます。
「ちょっとぉーっ!こんぶ切ってぇー」と。
料理ハサミを手にしたわたくし。10㌘のこんぶを幅2㎜、長さ4㎝程にちょきんチョキンと切り落とすのです。写真、見えますか?
私たちが《利尻昆布バザー》でお勧めしている「こんぶ水」を作るために、ポットに昆布を切り落として水を注ぐ。使い切ってしまったら、もう一度注いでもOKの優れもの。一晩冷蔵庫に置いた「こんぶ水」を使って炊き上げたご飯の味。一度知ったらクセになります。
洋食の隠し味に「こんぶ水」を使うのも実はピッタシではないかというのが最近の森(もり)家(け)での一致した見方です。カレーもスパゲティーも「こんぶ水」で味がまろやかになります。さらにオニオンスープなんかも実に味わい深くなりました。
ここ半年程のわが家の食事の時間に増えたもの。
それは笑顔。今までどうだったのかは、聞かないでくださいませ。おいしいものって人の心を和ませて幸せにするのですね。わずか10㌘のこんぶをチョキチョキと切って水につけて置くだけで凄い力を発揮。
食べ物がオイシイのに、しかめ面(つら)するのは無理です。わが家の小(こ)言(ごと)係数の減少は確認済み。利尻昆布10㌘の秘めたる力、畏(おそ)るべしなのです。
イエスさまは12人の弟子たちを召し出される時に、なぜか漁師から半数近い人を選ばれました。これは漁師の町と言われることもある稚内。そして教会を励ましてくれる記述です。
イエスさまが稚内教会の面々に向かって、「あなたがたは世の光、地の《昆布(塩ならぬ)》である」と言われたのではないかと、聖書をめくって確かめそうになります。残念ながら聖書には《昆布》の文字は見つかりませんが。
ある平日のこんぶ作業の日、一人のご婦人が作業を開始して間もない頃に、ぽそっとこう言われました。
「海に昆布が無ければこのバザーは出来ないっ」
「買って下さる教会がないと売れないっ」と。
きっと思い巡らすことがあったのでしょう。私は確信をもって「利尻昆布バザーって“神わざ"ですね」と申しました。
人の力を超えた所で利尻昆布バザーは展開中。「こんぶ 我らを 救う」。そんな言葉も出てきます。わずか10㌘の昆布から福音が染み出るのですから。
(*たぶん 続く)
2013年
12月
09日
月
何やら、あれやこれやと重なった週末から週明けだった。
と言っても、わたしの忙しさだから、たかだが知れているのだが。3年前位を振り返ると、元気になったものだ。
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先週の金曜日。おそらく日本一かわいらしい大学ではないかと思う(東京神学大学の方が小さいかな)稚内北星学園大学の会議に参加。
この大学、さまざまなおとなの事情もあり、あまり目立たないようにしているのだが、なんと建学の精神に「キリスト教精神の根底にある人間の自由と尊厳を重んじ平和を愛する人材を育成」と明記されている。
人口37,000人余りの小さな稚内市にある、貴重な公設民営大学なのだ。市民の税金だと思うけれど、大学が生まれた時には、稚内市の皆さんで力を注いでくださったそうだ。
わたしも微力ながらお手伝いに出かけている。
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翌日の午後(つまり土曜日)は、今、本当に目を離せなくなっている、憲法や平和について考える小さな集いの準備会が市内某所で行われたので参加。
これまた、出会うこと自体がありがたいみなさんとの小会議だった。互いに自己紹介をしながら心傾ける。わたしからすれば、人生の先輩が多い中で、共に歩み出そうということになった。
わたしは2つのことをお願いした。
「先生と呼ばれる方が多いようだけど、この会の性格を考えて、さん付けにしましょう。どなたも気楽に仲間入りできるのに大切な事ではないかと思うので・・・」
「大物を呼んだりして満足するのではなく、地道に発信を続けましょう。多くの人が多様な意見を交わしながら出会えるように」と。
秘密保護法成立に関しても、当然のごとく、語り合う場面もあった。
うれしいなと思ったことがある。
北海道新聞が、12月7日(土)の《社説》を、通常のページではなく、第一面において、【憲法を踏みにじる暴挙だ】の見出しでかかげていたことを知ったのだ。
日刊宗谷という地元紙も、10日位前だと思うが、明確な反対を論じる社説をかかげている。
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同日の夜には、再び、稚内北星学園大学へ。今度は妻と共にクリスマス会に参加した。
勇気をもって? 稚内教会のクリスマスのチラシを持参し、1分だけ時間をもらい、「クリスマスイヴにさみしい予定しかない方が居られた、ぜひ、教会に来て社会勉強してください」と伝えた。信徒の皆さんに、伝道を呼び掛けているからには、せめて、これくらいはしないと悔いも残る。
チラシは、キリスト教概論を受講していた女子学生が、「あ、森先生。わたし配りますよ」ということでお願いした。
うれしい声掛けを頂いた。
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12月8日(日)の礼拝後は、久しぶりにJRを使って旭川へ向かった。こちらのJRと言えば、当然、日本中をお騒がせしているJR北海道しかない。
宗谷本線も影響を受けていて、特急気動車(183系統)を使用しているサロベツ号は運休中。
代わりの快速は旭川まで2両編成の列車。一両はなんとお座敷列車なのだが、これまた居心地がわるく困ってしまい、早々にもう一両の方へ移動。それとて、本当に、こんな車両しかないんですか?というような列車で、何ともさみしかった。扉が開く度に妙に寒かった。
ガンバッテ欲しい、JR北海道。
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会議前に食事を済ませて来てください、というお達しがあったので、お隣のおばちゃまには申し訳なかったけれど、17時には弁当を開いてワシワシと食事を始めた。
最近、真面目な話、弁当がうまい。
何を隠そう、利尻昆布のお陰様なのである。ご飯をこんぶ水で炊いているので、冷めたご飯ほど、旨さが際立つのだ。あと、妻が発見した調理法でコンガリと焼かれたスーパーの半額になった牛肉の味噌漬けがこのご飯にピッタリと合う。
関心のある皆さん、美樹さんに作り方を問合せてください。
お弁当のチョーッといけてるおかずとして、これ以上のものはないのでは、と思う位に旨い。
ただし、お肉は半額を使用するのが我が家のruleであります。
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旭川では、敬愛する道北地区の仲間たち(信徒と牧師)と共に、来年1月13日~14日に旭川で開催される、第62回北海教区年頭修養会の準備実行委員会を行った。場所は旭川豊岡教会。
18時から23時までという変則な時間なのは、わたしの到着がどんなにガンバッテも18時過ぎになるためだ。教会の会議でこんなに熱心にやっている所って、ほかにはないのではと思う。頭が下がる。
ほぼ確実に400人を超える大集会を、北海教区は長年、一番集まるのがたいへんな時期を選んで続けて来たのだ。励まし合うためにかな、と思うが、守られることを願う。
講師はわたしの提案も組み入れられて、金香百合(きむかゆり)さん。楽しみだ。
司会の、韓守賢(はんすひょん)牧師は、時に熱くなりながらの、切り盛りだった。大先輩にも、「ちょっと-、〇〇先生、集中して下さいよー」と容赦ないのだが、それくらいでないと、乗り切れない会議だった。
お疲れさまです。
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終了後は、興部伝道所のの伊藤大道先生こと、チャーリーと二人で教会の2階で雑魚寝だった。消灯後、互いにひと言、二言口にしたものの、直ぐに深い眠りについた。
朝はJRの特急スーパー宗谷に乗り込む前に、わたしの案で旭川駅前の某ホテルに出かけた。
1050円のバイキングは値段に見合う内容で満足。
チャーリーは、「最近、わたし、一汁一菜なんです。だから、こんなご馳走、うれしいなぁ」と言う。「昼は蕎麦。夜はだいたい魚が多いんです。お魚頂くことが多いんです。先日もホッケを30匹頂いたので、粕漬けしてみました」と言う。
偉いなぁと思うが、嫁さんもらわんのかいとも思う。その後、あれやこれやと名寄まで喋くりながらご一緒した。楽しい時間だ。
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稚内には13時前に到着。いつもは南稚内駅で降りるが、あれこれ考えて、始めて、日本最北の駅、稚内まで乗ってみることにした。
うっかり愛用の何年も使って来たカシミアの帽子を車両に忘れてしまったりしたもので、駅員さんとも仲よくなってしまった。
バスに揺られて緑4丁目に向かうつもりが、バスは14時半位までないという。
仕方ないので、違う方向行きの路線バスに乗り込み、大黒付近で降りてからは、凍り付いた道をよろけながら牧師館へ帰った。
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ちいさな教会に仕えつつも、たくさんの方たちとの出会いが与えられ、共に何かたいせつなものを求めながら歩ませていただけること、幸せなことだと思う。
帰宅後も、いやいや道中も、利尻昆布バザー関連の問合せが入ったりした。これもまた、感謝なこと。だいたい日曜日に各教会でこんぶの取り扱いを相談してくださるので、日曜日・月曜日と連絡が入ってくる。
あれあこれやとあった週末から今日まで。クリスマスに向けて力を頂くことができた。神さま、ありがとうございます。end