2013年

4月

25日

2013.04.25(木) №38 『 なるほどなぁ 作り始めてみて思うこと 』

3月迄でいわゆる“2012年度"が終了した。教会の方たちと相談して、年に一度の「文集」をつくってみよう、ということで、原稿集めをしている最中だ。

 

もしも、投稿する方が少なくても、それはそれでいいじゃないですか、という気持ちで始まったものである。

 

しかし、4月末の原稿締切を前にして、動きが少なかったので、少しあせりを覚えていた。

 

そこで、もしやこの方は何かを書いて下さるかも知れないなぁということを感じる、普段お目に掛かることが出来にくい方にも、「これこれ、こういう趣旨で文集を発行したいと思ってるんです。よろしかったら、○○さんも、何か書いて見ませんか」と駄目元と少しばかりの勇気を振り絞って、お尋ねしてみることにした。

 

得手不得手が人にはあるものなので、「昔、大恥かいたから、先生、わたしはもう・・・パスします」という方も居られた。そのような方には決して無理は言えないし、やがていつか記して下さる日がくれば、それはそれで嬉しい。

 

一方、ひとしきりわたしからのお願いの電話の言葉を聞いて下さったあと、「教会員じゃないから遠慮していたんですけど、週報を見て、わたしも何か書きたいなぁって思ってたんです。ありがとうございます。いつまでですか?」という方も居られるではないか。

 

あるいはこう言われた方もいらした。「わたしは、学校で教えていたとき、学級文集とかお便りをいつも書いていたから、そういうの気にならないんです。いいですよ」と。

 

なるほどなぁ。

 

かつて仕えていた教会のご婦人が、新聞やラジオに投稿するのを楽しみにしていることが、ふとしたことからわかったことがある。今でも、その方のお名前をNHKのラジオで聞くことがある。

 

新聞社の場合、採用のご褒美に図書券という場合があるようで、それを大切にとっておられて、何かの時に「これ、お使いください」と言って差し出されて、本当に目立たない形で牧師をお支え下さった。

 

自分の気持ちをまとめてみるという作業。

 

人が心の中で、何となくしていることではあるけれど、そういう場や時間が、とっても大事なものなのだろうなと改めて思う。それが人目に触れない場合でも、書き出すこと自体に、深い意味があるのだろう。

 

まだ、文集のタイトルすら未定なれど、少しほっとしている。投稿はして居られない方も含めて、手にして目にするみんなのこころが、少しでもなごみ、“ラポール"が生まれるとうれしい。end

※追伸

“ラポール"とは国語辞典によれば、「親和関係。互いに親しい感情が通い合う状態。打ちとけて話ができる関係」というような意味合いの言葉です。(広辞苑、大辞林参照)

2013年

4月

22日

2013.04.22(月) №37 『 増補版・牧師室便り №13 早春号 』

※稚内教会の公式ホームページでは、「お便り・ご案内」の部屋で、PDF版としてお読み頂いているものですが、こちらでは、多少の加筆・増補をしてupいたします。

 何より、PDF版ですと、面倒であったり読みにくい場合もあると思いますので、最新号から『森牧師の部屋』でも、このブログに載せることにいたしました。お交わりの程、よろしくお願いいたします。

 

****************

 

2013年04月21日 『 増補版 牧師室便り №13 早春号 』

 

稚内教会 牧師   森 言一郎

 

晴れ間と曇り空が目まぐるしく変わる稚内の春が来ました。ただ、少しさみしいことに、いつもお花の手入れを黙々と続けていた90歳近いお隣のおばあちゃんが、3ヶ月程前から入院され、庭いじりをする姿が見えないのです。今年は見事な芝桜が見られないのか、それとも自然発生するのか、今のところ不明です。

 

お花のことをお尋ねしたり、あいさつを交わせないだけでも、本当にさみしい。そう思います。お庭に咲いているお花があまりにきれいだったので、お留守番をしているご家族にお願いして、先日、カメラをもって写真を撮らせて頂きました。

 

春は引っ越しシーズン。わたしもほぼ一年前に福岡から稚内に2千数百キロを移動して来たわけですが、この一年の間、礼拝の奏楽奉仕を月に一度担当して下さっていた、きらきら保育園の保育士・Sさんが、ご主人の転勤で北見に移って行かれました。

 

いつも“入魂(にゅうこん)”を感じた力強い奏楽が聴けなくなったのはさみしいというのが本音なのですが、失うものよりも与えられた幾つものことにまず感謝しなければなりません。S先生、わたしも願い、祈っていたことですが、北見市内のキリスト教保育をしている幼稚園で、6月からお仕事が内定したとの連絡が入りました。これもまた神さまのご計画。福音だなぁと感じます。

 

転勤と言えば、わたしには祈りつつ待っていたことがあります。それは、各地から稚内に引っ越して来られた方の中に、クリスチャンが居られたら、ぜひ稚内教会にというものでした。

 

稚内は小さいながらも官民それぞれに転勤族の町でもあります。一人、あるいは一家族でも、と期待しておりましたが、今のところ気配はありません。シクシク。

 

でも数年の内には、新風が吹く日が来るような気がしています。これまでの信仰生活の中でも、他の地域、そして様々な経験をもって居られる方との出会いは、多くの場合、教会に様々な気づきをもたらしてくれますから、楽しみに待ちたいと思います。

 

先月は、東京の日本聖書神学校より派遣された縣(あがた)洋一神学生が来稚(らいち)。10日間をご一緒しました。縣さんを通じて、わたし個人、そして、教会としても沢山の刺激と気づきを運んでくれたのですが、振り返ってみると縣(あがた)さんとの日々は、神さまが備えられた“伝道集会”だったような気もしています。

 

縣神学生とは2度の礼拝をご一緒しました。最初の礼拝では献(けん)身(しん)に関わる“証し”を依頼。神学生らしい心熱くなる内容でした。礼拝後、ある会員の方が口にされた言葉が、とても心に残りました。「稚内教会で証しを聴いたのは久しぶり!」と、ちょっぴり高揚した表情でお話になっていたのです。

 

実はこの一年の間に、わたしの体調不良の際にはN姉が急きょ奨励を担当して下さった日もありました。少し遅めの夏休みを頂いた10月には、信徒伝道週間と銘打った礼拝で「どうして私が」というT姉による証しも語られたのです。きっとその時の恵みとは異なる衝撃が、縣(あがた)神学生の証(あか)しにはあったのですね。

 

証し。それは誰にも与えられている神さまとの出会いについての「発信」と「傾(けい)聴(ちょう)」の時です。わたしが受洗・献(けん)身(しん)した東京の教会では、毎週火曜日の早天祈祷会の最後に10分程の証しの時間がありとても楽しみでした。

 

ただし半年に一度位は「森くーんお恵みだよ」と牧師からの証しの依頼があったものです。

 

日頃、お顔をお見かけしていても、どのようなお考えをお持ちなのか、知ることが出来なかった信仰の大先輩の一面に触れたり、自分自身も証しさせて頂くことで、いつしか、信仰の訓練を受けていたのだなぁ、と今になって気付きました。

 

分かち合いは教会の活力だと思います。今、みんなの思いが込められた『文集』の発行を目指しているのも、今の稚内教会の“証し"の実践なのですね。ゆっくりと、分かち合いのめぐみが広がり始めると嬉しいです。

 

稚内から車で3時間の所にある、歌登の酪農家・H家を縣(あがた)神学生と共にお訪ねしました。道中、一緒に歌ったり、笑ったり、神妙な話になったり、思い出すとほんと楽しい一日でした。

 

縣さんは免許をもっていないということで、行きも帰りも運転をするのはわたしでした。帰り道、睡魔に襲われ、縣さんに「目の覚めるような面白い話をしてくれー!」と何度か頼みましたが、ついに、耐えられなくなり、教会まで30分の所で、道路端に車を止めてバタンキュウと20分寝たりということもありました。縣さん、あの時、何をして待っていたのだろうか????

 

歌登訪問の際、一番最初にHY子さんからお聴きした話に言葉を失いました。クリスマス前、歌登で一番親しかった酪農家のご婦人が、牧草ロールの下敷きになって召されているのが見つかり、遺されたご主人は、近く離農するという内容でした。

 

すでに事故から3ヶ月が過ぎていて、本当に遅ればせではあったのですが、涙ながらの言葉を聴かせて頂き、祈りを合わせました。クリスマス、新年と晴れない気持ちを抱えながら、お過ごしだったのだなぁと思うと、何か自分にできることがあったのではと思いもしました。

 

また、離農をせざるを得ない遺されたご遺族=ご主人さまもどんなにか辛いことか。そして、Hさんのお宅は、後継が居られるわけでもなく、日頃から、いつまで体力が持つだろうか、ということを口にされていますので、いよいよ、考えさせられる出来事でありました。

 

おわりに、ちょっと別のお話を。

 

北海道での暮らしが始まってからというもの、なぜかというか、自然に、プロ野球日本ハムファイターズを応援するようになりました。福岡にいるときは、ソフトバンクホークスを応援しておりました。変わり身は早いなぁと我ながら思います。

 

で、ファイターズの栗山英樹監督のことが前から気になっていて、ある本を手にしました。栗山さん、栗山町にお住まいを構えていたり、監督経験なしだったにもかかわらず、昨シーズンは見事パリーグで優勝を果たしています。年齢もわたしに近いのです。

 

その本は、栗山さんご自身が書かれた本ではありません。栗山さんを取材して書かれた本なのですが、栗山監督が監督として一番幸せだと感じる瞬間は、選手が喜んでいる姿を見る時なのだと紹介する言葉に目が止まりました。

 

それを読んで、もしや栗山監督は、勝負師に徹しきれない何かを持っているのかも知れないと思ったものです。例えば、中日の元監督の落合さんなど、ぜったいにそういうことは言いそうにないような気がしました。しかしその反面、わたしは彼にグッと惹(ひ)かれたのです。やっぱりこの人、オレの好きなタイプの人間ではと感じました。

 

牧師、あるいは一人の人間として、出会いを与えられている皆さんが元気になっていく姿やその声に触れることが、わたしの幸せだと確信するこの頃です。

 

もちろん、他にも大切にしたいと思うことがいろいろありますが、人が人となっていくのは、神さまと共に生きることであると同時に、神に創られた出会っている方と、隣人になっていくことだと深く思わされています。それは、距離が離れていても可能なことのようです。

 

2013年度も主イエスに従う旅をご一緒いたしましょう!end

2013年

4月

21日

2013.04.21(日) №36 『 “愛しのミツウマ”とは、 しばらくお別れ 』

きょうはあたたかい日曜日だった。夕方、気分転換を兼ねて、車に乗ってスーパーマーケットに買い出しに行こう、ということになって外に出た。いい天気で、暖かい。今朝は久しぶりに裏山の方に散歩にも出掛けた。やがて、ウグイスの鳴き声も聞こえ始めそうだ。

 

買い物のために乗り込んだ我が家の車。寒冷地向けだからだろうか、外気温計が付いていて、その表示は、かなり信頼のおける数値を表示しているということを、ひと冬の間に確認出来た。夕方の4時過ぎ頃で9度と出ていた。

 

稚内にやって来る前、福岡で暮らして居たわたしの感覚で言うと、10度以下は真冬だった。それなのに、今はいつの間にか、9度であったかいと感じるようになってきたのだった。慣れというのはすごいものだ。

 

稚内の若者が、「おいおい、まだ寒いだろう」と思う頃から、T-SHIRTを着ているのを時々見掛けて、去年はそれがぴんとこなかった。しかし、一年暮らす内に、それも腑に落ちるようになってきた。

 

何しろ、8月の平均気温が22度位なのだから、夏は自らゲットしてその気分に浸らないと、「春・秋・冬・真冬」の四季になってしまう。

 

秋田県のある教会で、長年、伝道・牧会をされていた大先輩が居られた。その先生、東京だろうが、どこだろうが、長靴で歩き回るのである。背広に長靴。真夏でも長靴。当然、畑でも長靴だった。

 

冬の間、わたしがどこへ出かけるのにも愛用したもの。それは、大正8年小樽市に創業。北海道が誇る、“ミツウマの長靴”だった(お馬さん3頭がシンボルマークです)。

 

春になってあらためて気付いたのだが、この長靴、何とも履き心地が良いものだったのである。牧師館の玄関にそれがあれば、他の履物よりも、そっちを選んでしまう。それほど使い勝手が良い。

 

それにもまして、何があっても恐くないみたいな、何とも言えない安心感があるのだ。今朝も、裏山にはまだ雪があり、水たまりがあって、長ぐつだったらなぁと思うところがあった。

 

妻は、わたしが“長ぐつ先生”になってしまうことを恐れたらしい。さっさと、どこかに、“愛しのミツウマ”を片付けてしまった。end

2013年

4月

15日

2013.04.15(月)№35 『 言ちゃんへ のメール 』

 

 二人姉弟の姉が1999年春、数年の闘病生活を経て血液の病気で召されてから今年で14年。桜の満開のときに姉は亡くなり、桜が散る日に葬儀だったので、桜と姉はなぜかわたしの心の中で、しっかりと結び付いている。

 

 その姉には二人の息子が居るのだが、久しぶりに、お兄ちゃんの方の甥っ子から連絡が入った。『言ちゃんへ』というメールだった。

 

 わたしはサラリーマン一年生の頃、神奈川県藤沢市にある鵠沼(くげぬま)という、穏やかな空気に包まれている静かな町に暮らして居たことがある。東京駅前・八重洲口のofficeまでは東海道線を毎日使って決して近い所ではなかったが、“江ノ電”の沿線には風情とちょっとした上品さがあって、独身寮暮らしの頃の良い想い出となっている。

 

 当時姉は、横浜の金沢文庫という町に新婚間もない家庭を構えていたので、日曜日になると、ドライブを兼ねて、よく食事をしに、江ノ島の海岸を走り、風情ある鎌倉の町の裏道を抜けて行ったものだ。姉は今、鎌倉から金沢文庫に向かう小高い丘に眠る。

 

 で、甥っ子の○太くんは、その頃生まれたのだった。もう彼も20代後半ということになる。

 

 つい最近、ひかり幼稚園で働くイケメンセンセイの大輔くんにはじめてのお子さんが産まれて、おめでとうを兼ねてインタビューじみた言葉を投げかけると、すこし神妙な顔をしていた。

 

 その際、しばらくの間を置いたあと、大輔先生が「オレ、実感がまるでないんすよ。“さる”みたいでした」と正直にお話していたのが印象的だったのだが、その言葉を聞いていた時、わたしの頭に思い浮かべていたのが甥っ子の○太くんのことだった。

 

 わたしが初めて○太くんに会ったときに口にしたのは、姉だから遠慮なく言ったのだと思うけれど、「ETみたい」(“ET”もうだいぶ古くなりましたね)だったと思う。ねえちゃんゴメン。オレもほぼ間違いなく猿だったと思います。

 

 甥っ子の○太くん。お父さんが北海道・札幌出身ということもあり、「近く、稚内を訪ねたいのですが、言ちゃんのご都合は?」というではないか。嬉しい。それで、昨日の日曜日の夜、久しぶりに電話を入れた。というか、はじめてかも知れない。

 

 電話を終えると妻が、「なーに、そのきごちない話し方。○太くんに、敬語使わんでもいいやろ」と言っていたが、なるほど、だいぶぎこちなく、変な言葉遣いになっていたと思う。

 

 「日曜日の礼拝にも出席したいと思っています」と奇特なことを言ってくれて、おじさんを喜ばせくれるではないか。なぜか電話を切ってしばらくしてから、目が急にかゆくなって、おじさんはゴシゴシとこすっていたのだった。

 

 「せっかくだから、利尻か礼文に一緒に行こうか」と言うと、○太くんは、「利尻には憧れがありますので、ぜひお願いします」という話になり、ちいさな喜びを与えられた夜となった。北海道に居る恵みが、こんな形でも与えられた。感謝。end

 

****************

 

追伸:体調のことで
 ご心配下さる方が居られますのでご報告。あたたかいお言葉、感謝しております。
 めまいは完全には抜けません。が、ひどくもないし、フラフラするわけではないのです。少し根を詰めてなにかを続けたあと、ふーっという何とも不快な感じが、目から頭の方に抜ける感じがあります。

 

 さりとて、病院に行く程ではなさそう。というか、混み合っている待合室で待っているうちに気分が悪くなりそうで、散歩でもしている方が健康的だという確信あり。自分の心掛け次第でも改善できそうな部分がありそうですから、努力いたします。はい。以上です

2013年

4月

08日

2013.04.08(月)№34 『 うえからの“イエローカード”だったようで 』


 先週の水曜日の夕食後に、体がみょうに軽い感じがした。なんとなーく、ふわーん、くるーんと回るような気分である。気持ちよくない。

 

 夕食はふつうに口にしたが満足感よりも軽い吐き気のようなものがあった。風呂に入って、しばらくリラックスタイムをもう少し過ごせる時間帯だったが、わたしはポソリと「もう、休む」と言って布団に入った。

 

 ところが布団の中は極楽どころか、ますますいやな感じではないか。起きていても気持ち悪かったのだが、横になってもさらに気持ち悪い。15年ぶりくらいだろうか。かなりのめまいだ。気持ちは悪いのだが、とにかく休みたいという、カラダからの強めのSignが勝ったのか、その気持ち悪さを抱えたまま、眠りに落ちていった。

 

 翌朝、何度も目覚めるが、飲みたくも食べたくもないし、起き上がれない。そんな時間がだらだらと続き、もたもたしているうちに、お医者さまの数が限られているこの町で診て頂く場所を失ってしまい、とうとう、市立病院の急患窓口にお世話になってしまった。

 

 2週前まで教会で行動を共にしていた、縣(あがた)神学生とのやり取りのなかで、どうも、わたしはこういうことを伝えていたようだ。縣さんが送ってくれた最近のメールにこうあった。

 

【森先生が教えてくださった「心には限界があることを」しっかり念頭にいれつつ、聖書にあるイエス様の生涯を思い起こしつつ・・・】と。

 

 そんな風に、将来の同労者に対して話していたにもかかわらずのダウンだった。まぁ、今回は心の問題ではなく、客観的に考えると、自分も50を過ぎて体力も明らかに下り坂になっているのに、己を顧みず無茶をするから、そんなことになってしまった、ということだと思う。

 

 めまいと吐き気と胃の不快感はかなりのものだったので、もしや、一年の内に深刻な病気が発生して進行してしまったか、等という思いがよぎったことも事実。ほぼ確実にそれはないのだが。

 

 それにしても教会の方々には、説教も、役員会もすべてキャンセルして・・・と心配をお掛けしていたようで心苦しい。

 

 わたしたち夫婦の共通の友からは土曜日にメールが届いていた。妻を経由して、ダウンしていたことが伝わっていたらしい。

 

 【 代役がいない人で、どうしても休養が必要・・・けれど決して自分から休もうとしない人には、神様がこうやって休息を与える・・・。寝ているのもイライラしますが、日曜日にダウンされたわけではないので、神様さすが。「ゆっくりなさって」等と申し上げれば、焦るだけですから、そのようなことは決して言いません。メッセージを楽しみにしています!】との励ましを頂いた。おかげさまで気合を入れられました。

 

 その後、さきの縣神学生からは、【先生、 めまいということですが、もしかしたらそれは、疲労からくるものだと思われます。というのも、私もめまい・・・・出るとジェットコースターに乗ったような感じになり、吐き気をもよおします。なので、私はまわりそうなときは、集中して何かをするのをやめて、休養を取るようにしています。とにかくメニュエルの大敵は『睡眠不足』です。ほかにも疲労やストレスなどが絡んでくるのですが、とにかく寝るのが大事なようです。】とメールを送ってくれていた。アリガタイおことば。

 

 恥ずかしながら、わたくしもりげんいちろう、Soccer審判員○級!の資格をもっておりますが、この度のダウンは、神さまからのイエローカードと謙虚に受け止めて反省しております。日付が変わる前には就寝し(お世話になった東京・巣鴨のおばあちゃまがお話されてました)規則正しい生活をする。それがこれからしばらくの目標でございます。

2013年

4月

03日

2013.04.03(水)№33 『 “チカ" が旨いって知ってますか? 』

 ある方のブログによると“チカ”はこう紹介されている。

 

【チカは主に北海道に生息する、ワカサギによく似たキュウリウオ科の小魚です。ここでは大チカと呼んでますが、あくまで小魚でその大きさは大きいものでも18cm前後。頭から骨まで食べられる、たんぱくな白身の魚です。

 

 産地の別海町では、冬場凍りついた湖に穴を開け、そこから網を仕掛けて採る”氷下待ち網漁”と呼ばれる伝統的な漁法が今でも続けられています。】

 

 きのう、久しぶりに「チカのフライ」がモリ家の食卓に上った。

 

 稚内のスーパーに行くと、数百円程度で、ぞんざいに扱われているように見えるのが“チカ”だ。二人家族の私たち夫婦にとって、充分すぎるくらいたくさん頂けるのが、チカのフライである。

 

 これ、本当に旨い。

 

 キスと較べることができないのが惜しいのだが、フライにしてこれ以上美味しい“おさかなくん”は他にないんじゃなかろうか。アジフライなんてもうお呼びではない。

 

 かるくって、パクパクといくらでもいただける。白飯もすすむ。ウスターソースとケチャップを少し、あるいは、マヨネーズでもいけるのだ、これが。

 

 神学生の縣さんがが春伝に来ていたときに食べさせてあげればよかった。新約聖書の中の漁師たちもビックリではなかろうか。ねぇ、ペトロさん!

 

 写真、いつか upいたしましょう。end

2013年

4月

01日

2013.04.01(月)№32 『 イースター礼拝後に夫婦二人で始めたこと・・・ 』

 

 今年のイースターは3月31日だった。ちょうど年度末で、復活祭と共に2012年度が終わったことになる。

 

 礼拝、愛餐会もたのしく終わり、教会の皆さんが帰られてから玄関掃除をし、牧師室に入った。部屋が見事に散らかっている。どうも気になる。ずーっと気になっていたのだが、いささかげんなりだ。

 

 昨年秋から、稚内北星学園大学の講師をさせて頂くようになって、資料の塊がひと山増えていたのだが、片付けが追いつかないままなのだ。

 

 妻から「手伝うから、少し片付けたら」の声があり、掃除を始めることにした。彼女は片付けが趣味みたいな人なので声も弾んでいる。

 

 各地から届く郵便物も多い・・・は言い訳にならないが、新年度に向けて能率良く仕事をするためにも“お片付け”をしなければ、ということで、妻と二人で始めたのが書斎の掃除でした。

 

 結局、15時過ぎから始めて5時間近くかけても終わらなかったのだが、それでも、随分整理ができた。あと1時間分くらいはあるが見通しがたった。ふーっである。

 

 書棚には、九州から引っ越してきたときに、当面牧師室に置いておいた方が良さそうな本や資料を並べていたが、全く触りもしないものが何と多いことよ。この一年を振り返ってみると、説教の準備の仕方に少し変化が生じて来ていて、以前は頻繁に開いていた資料も見なくなっている。で、それらはぜんぶ牧師館の書庫に移動することにした。

 

 それから、もしかすると使うかも知れないと思ってとっていたものが曲者だ。どんどん捨てることにした。気持ちがいい。仕事のできる人は片付け上手なのかも知れないなぁ、等と思いつつ。できない男の新しい年がもう始まっている。end

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