新潟県上越市・高田(たかだ)。
豪雪でも知られるこの町の教会に仕えていた頃、バス通りを挟んで真向かいにある《大手屋さん》という昔ながらの旅館のおかみさんからこう言われたのを思い出すことがある。
「先生、2月20日を過ぎれば地面が温かくなり始めるから、どんなに雪が降っても積もらないよ」と。
確かにその言葉通りに季節は動いた。大雪が来たと思っても大して積もらない。やっぱり、地元育ちの方は違うなぁと思ったものだった。
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岡山で初めての立春を迎えた2月4日(木)の朝。
いつもの厚手のセーターに袖を通すと暑苦しくなった。
二十四節気(にじゅうしせっき)の暦通りに季節が動くとは何とも嬉しいことだ。
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今年3月末、稚内から岡山への引っ越しの時以来、久方ぶりにJRを利用して倉敷教会に出掛けた。避けていたわけでもないが、JRに乗ることが本当に一度もなかった。
妻は一度、里帰りで新幹線利用の際に乗っている。
この日は、もしかして、車より列車の方が便利かもと思い三原行きに乗り込んだ。恥ずかしながら列車の中の路線図を見るまで、三原という町が一体どこにあるのかも知らなかった。
岡山の在来線のJR。列車の扉の開け閉めは、外も中も、自分たちがボタンを押してする形式のものが多いらしく驚いた。離合待ち合わせの時間が長いことが理由らしい。
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車窓から景色を眺めながらたくさんの刺激を受けた。
この一年近く、車で走りまわって、だいぶ土地勘がついてきたので、線路と駅と道路の位置関係が結び付くようになったのは大きな進歩だ。
移転したばかりの岡山市立市民病院。急患を必ず受け入れてくれるという素晴らしい病院だ。
JR北長瀬の駅の前にあると聞いてはいたが、西大寺からは遠いと言う声があった。
だが、私からすると、北長瀬がどれくらいの遠さなのか、さっぱりわからないままだった。
結果は、そう遠くはない。いや近い。安心だ。
北海道時代の病院の少なさや遠さを思うと、本当に嘘みたいに恵まれた環境と言える。医療過疎地域で暮らしている方々のご苦労。並大抵のものではない。
当然ながら、車から見える景色とは大分違う。JRを利用して旭東教会に通っておられる方たちのことも考える機会となり良かった。
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そう言えば、その一週前頃には、西大寺から岡山教会に行くのに初めてバスを利用した。
自分の運転では全然目に入らないお店を見つけたりと新鮮だった。
それにしても西大寺は暮らしやすく便利な所だと思う。
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1月下旬、休暇を頂き、妻と小旅行に出掛けた。以前から姫路城を眺めてみたかったのだった。別名「白鷺城」と言われる姫路城そのものには当初から登るつもりはなく庭や周辺を散策。
その後、淡路島に出掛けて海の幸や玉ねぎ料理も満喫した。淡路島は想像以上にのどかな田舎だった。そして、玉葱と鯛の料理には驚いた。美味しさもスケールも大きかった。
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翌日、これは偶然だったが、淡路島から徳島県を抜けて岡山へ帰ろうと思っていた所、鳴門海峡の絶壁に立つ大塚国際美術館の存在に高速道路の通りがかりに妻が気がいた。
妻がお世話になった高久眞一先生から頂いたカードが大塚国際美術館で販売されたもので、一度出掛けて見なさい、と言われていた美術館だった。
これを逃す手はない、ということで昼過ぎに到着。あれやこれやを、駈け足だったが楽しむことが出来た。
古代から現代に至る美術品を原寸大に陶器の技術を用いて展示するという世界で唯一の構想には心底驚き、それを実現した大塚グループの皆さんや協力者の方々の志の高さに敬服した。
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大塚国際美術館。
少なく見積もっても、おそらく5分の2はキリスト教というより聖書関連の美術品が展示されていると思う。キリスト教徒がこれを見逃していたら大損だと思う。
我々も、午後から夕刻まで駈け足での観賞はもったいなかった。誰でも頂ける程度のパンフレットを見ると、何と1074もの作品が展示されている!
その日は、何も分からないままに、システィーナ礼拝堂の天井画や壁画を案内して下さる方の輪の中に入った。ただ乗りはマズイかなと思ったが、さにあらず。
大塚国際美術館の人気ベストテンをまわるグループだった。
小気味よく丁寧な解説に感謝しつつ、移動の途中に「このように案内して下さる職員さんは何人位おられるのですか?」とお聞きしてみた。
すると、「私も含めてみんなボランティアで70人です」には重ねてビックリ。
次回は、ボランティアの皆さんの案内の時間などを事前に確認の上、じっくりと楽しみたいと思ったものだ。
有志によるツアーを計画しても楽しいかも知れない。ただし、足腰を鍛えておかなければならないだろう。
館内のレストランも値段も決して高くなく上質な料理が提供されていて感謝だった。
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旅行の前日の夕刻、N村節(みさお)姉が長期入院中の病室を訪問。
その時、嬉しいことが起こった。
いつもは、お兄さまの正兄とご一緒するのだが、その日はひとりだった。
ベッドの傍らに立って「節(みさお)さーん、旭東教会牧師の森ですよー」とお声がけしてみた。あまり期待をしないで。
するとどうだろう。決して見逃しようがない位に、はっきり、にこーっと笑われるではないか。
いつもは大きく首を振るようにお見受けする動きは分かることはあっても、笑顔が広がるとは全く予想していなかった。
日頃は目をお開きになることはないのだが、もしもこれで目を開かれたら腰を抜かしたかも知れない。
祈りの声も聞こえているのだと確信した。病室を出ると直ぐにエレベーターホールから正兄に電話を入れた。
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教会創立113周年記念日礼拝を捧げた1月31日(日)の夕方4時過ぎ。
O隼(はや)子姉を正兄と訪問。聖餐式をと思っていた。隼子さんの愛唱賛美歌をうかがい、賛美し、聖餐の時を持てたことは感謝だった。
姉はこの半年あまり体調がすぐれず、あれこれの痛みを抱えておられる。
隼子姉、何年来のことのようだが、痛みが少しでも無くなるようにと願ってあちこちのお医者さまにかかったようだ。
「このために、幾らお金がかかったかわかりません」と仰った。聖書に登場する人物の言葉に重なった。
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そんな中、隼子さん、ひと段落するとこう言われた。
「あのー、悪いことばかりじゃないんです。ひ孫が生まれたんです」と。
お孫さんの結婚式に出席された時の立派な記念写真を開きながら嬉しそうにお話下さった。こちらも嬉しくなる。
語らいの時、昨年9月に召天された一成(かずしげ)兄と12月に召された和義兄の描かれた絵が幾枚も目に入って来た。
お願いして小机に並べてみた。そして写真撮影。召されて行った神の家族との交わりが今も続いているのだと感じた。
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創立113周年記念日の愛餐会で頂いた伝統のかけ汁。
フナミンチなんてまさかの食材を使う料理ということで、だいぶ身構えていた。
長年の経験とこころのこもったもので、満点のお味だった。さらには、利尻昆布の出汁も効いていたかも知れない。
今年の復活祭は3月27日。
イースター前の美食の節制、大変だけどなすべき事と思う。end