5月22日(日)の早朝4時半頃召天されたN兄の葬儀に際し、助言を求めて相談した友人が居た。
S牧師。彼はたぶんわたしより10歳程若く、学んだ神学校も違う。牧会の経験もだいぶ少ない。関東在住の牧師だ。
しかし、彼に出会ってからというもの、折々に垣間見る、額に汗しながらひたむきに仕える、愚直な伝道牧会の姿勢に刺激を受け続けている。
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23(月)の朝、彼に電話したのは、この度の葬儀では〈前夜式〉ではなく〈前夜の祈り〉で行こうとわたし自身で決めたことが切っ掛けだった。
さまざまな経緯があったのだが、とにかく、N兄の〈前夜の祈り〉の「式次第」は日曜日の夜遅くに作って印刷した。
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手元にある日本基督教団の『新しい式文――試案と解説』が1990年に出版された頃から、「前夜の祈り」という言葉は目に触れるようになっていた。
さらに、最近、広く手にされるようになった最新の教団の式文にも「前夜の祈り」という言葉はある。
この度の葬儀では、単に呼び方が「前夜式」から「前夜の祈り」となるだけではなく、実際、中身においてもご家族と列席者が分かち合い、祈りを合わせる心を自然に共有し、告別式を迎えられるようにと願った。
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だいぶ前から、前夜式と告別式で、ほぼ同じ内容のもの(わたしの場合、「式辞」変えている)が2度繰り返されるようなことは避けたいなぁと思っていた。
しかしながら、そのまま真似ることが出来るような葬儀の現場に立ち会ったことがない。
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日曜日も遅くまで、手元にある葬儀関連の著書を数冊開いてみた。妻も書棚から、「こんな本もあったよ」と運んで来てくれた。
中でも『礼拝と音楽』の葬儀の特集号では、実践神学の世界ではかなり知られる関西のF先生の論考があって、赤線を引いたりもした。
しかし、そういうものですら、知りたいと思うことはさらーっと触れられている程度に過ぎない。
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こういう時に頼りにしたくなるのが信頼できる友だ。
月曜の朝、わたしは目が覚めると、S牧師の師匠にあたる方(牧師)が、比較的最近、ご自身の奥さまの葬儀で、〈前夜の祈り〉の時をもった、という記事を『信徒の友』の特集記事で読んだことを思い出した。
読んで以来、ずっと心の片隅にあったというべきかも知れない。
S牧師とあれこれ言葉を交わしていくうちに、「森先生、わたしの師匠も変わって行きましたから、状況に応じて臨機応変に考えればいいんですよ…」という言葉でわたしは安心。
心が定まった。
向き合って行くご遺族の生きている文脈も背景もさまざまに異なるのが牧会の現場。
友の言う通りだと思う。でも、自分だけでそうだと思うよりも何と心強いことか。
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結果はどうだったか。
ご遺族もわたしが準備するに至った思いに(たぶん)共感されたと思う。
実際、〈前夜の祈り〉では、なんとご遺族のご次男が、ほぼ普段着で出席された。
さらに、84歳で召天されたN兄の妹さんは既に80歳に近いと思うけれど、やはり、礼服ではなく落ち着いた感じのお召しもの、それもpantsスタイルで参列された。
そして、それぞれに、故人の思い出を前方でマイクの前に立って話して下さったのだった。
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ちなみに、この度の〈前夜の祈り〉で、わたしは故人の略歴を紹介したものの、式辞は語らなかった。
そして、略歴をご紹介したのち、式次第のほぼ真ん中で、複数の方々に思い出を語って頂いた。そしてそのあと、教会の兄弟姉妹の有志にお祈り頂いた。
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プログラムには記していなかった賛美歌も歌った。
曲は「諸人こぞりて」。クリスマスの曲だ。
新潟県上越市の牧師時代に、天の栄光が顕れたと感じた方の葬儀でクリスマスの賛美歌を歌って以来のこと。
「主は来ませり、主は来ませり」と賛美し続けていると、ふと気づかされたことがあった。
そうか、主はクリスマスだけでなく、N兄を天国連れて行って下さるために、お出でになったのだ、と。
みなさんと心を合わせてお送り出来たこと、心から感謝。end