2014年

4月

28日

2014年4月28(月) №131 『 “ことば”の一人歩き 』

2014年4月20日(日)・稚内北星学園大学で15時から開かれた、ピースウォーク稚内主催の「考えてみましょう 戦争と憲法」市民の集いには130名を超える参加者。
2014年4月20日(日)・稚内北星学園大学で15時から開かれた、ピースウォーク稚内主催の「考えてみましょう 戦争と憲法」市民の集いには130名を超える参加者。アンケートでは、今後も是非このような集いを、との多くの声を頂いた。若い世代も少し居た。大学生も数人。

いろいろな巡り合わせというか事情があり、わたし、柄でもないのに先頃行なわれた「『考えてみましょう 戦争と憲法』 市民の集い」のパネリストの一人として話をする機会があった。

 

主催はピースウォーク稚内。わたしも共同代表(3人)を務めている。

 

1週前の日曜日、つまり、イースターの愛餐会が終了して間もない、4月20日の午後3時過ぎの事。場所は稚内北星学園大学の大教室だった。この教室、とっても良い環境で、話しやすく聴きやすい空間だったようだ。

 

この手の集会としてはかなりの参加者があり130名を超える人達が集まった。ちなみに、北海道新聞には約150名と報じられていたが、そこまでは行っていないのは確か。

 

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わたし以外の二人のパネリストは、とっても素晴らしい方たちで、お話の内容も心に深く残るものだった。

 

お一人は、樺太から困窮の中で引き上げたご自身の体験。そして、サハリン残留日本人の一時帰国に関わった事のある前・稚内市教育長さん66歳(男性)。

 

もう一人は、空襲を経験した事のある市内の74歳の主婦で、なんと11人のお子さんを育てられたという事を聴いただけでも、感動した。挨拶を交わしたときに、カトリックの信者ですと教えて下さった。

 

そんな心に残るお話の後に、戦争経験の無いわたしの乏しい想いを、わたしは語ることになったのだった。

 

わたしは最初、こういう事を口にした。

 

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15年前の事というと、皆さん、ずいぶん昔の事に思われますか?

 

二十歳の方の15年前と、わたしの世代とか、60代、70代の方たちにとっての15年前は、ほんの少し前の事ではありませんか。

 

わたしが生まれたのは昭和35年です。その15年前が終戦です。わたしを育ててくれた両親も祖父母も、あるいは、周囲の人たちも、15年前の事について、積極的に語る人は居ませんでした。

 

ある方がわたしにこう言われた事があります。「思い出したくなかったのだと思います」と。

 

父方の祖父が、戦中、(朝鮮半島の)京城少年院の務めに就いていたのですが、その頃の事を聴こうとすると、あまりよい顔をしなかった・・・・

 

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15分間という時間の中で、最初の数分、上のような事を枕詞にして語り始めたのだった。

 

ただ、両親を責める気持ちとか、どうして語ってくれなかったのか等とは、これっぽっちも思っていなかった。

 

そして、その後も、年配者が戦争体験を語って欲しい、という意味の事はひと言も触れなかった。

 

「十戒」の殺してはならないとか、イエスさまの山上の説教「地の塩・世の光」の話とか、戦中に日本基督教団が犯した過ちについて駆け足で語ったのだった。

 

締めくくりの言葉としては、人は真実な言葉を探して生きていると考えるが、平和憲法である第9条は、真理の言葉として、どのような立場の人とも共有し認め合う事が出来るものではないでしょうか、と話した(つもりだ)。

 

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明けて月曜日。

 

北海道新聞のS記者がまとめたわたしの発言は以下の内容だった。

 

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日本キリスト教団稚内教会牧師の森 言一郎さん(53)は「年配者が経験を語らないと、若い世代には戦争の姿が伝わらない。平和のために歩みたい」と表明。来場者から共感の拍手を受けていた。

※最後の「来場者・・・」の部分は、3名のパネリスト全体の発言に対してとも受け取れる。

 

新聞記者のSさんには、こう聞こえて、わたしがこう言いたかった、と受け止められただろうか。

 

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かたや、地元タブロイド紙の『稚内プレス』(増税後も月額500円を維持は立派。拍手)はこうまとめられた。

 

日本キリスト教団稚内教会牧師の森さんは「殺してはならない(せんそうしてはならない)」「平和を求める人達は幸いである」など聖書をひも解く中、「稚内を終着駅でなく始発駅として平和の尊さなどを発信していきたい」と語った。

 

と報じられた。これは、プレスの社長さんのKさんのもの。

 

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どちらがわたしの伝えようとした事に近いか。あるいは、正確なのか。

 

答えは簡単ではない。

 

どちらも正しい可能性はある。

 

そして、他の聴衆の心の中に、どう届いたのかもわからない。そして、記事だけを読まれた方たちは、いったい、何を知ることが出来たのか、少し不安を抱かざるを得ない。

 

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実はこれ。説教でもほぼ同じことが起こる。

 

いやいや、会議であろうが、ふとしたときの何気ない会話でも同じ事があるのだ。

そう。

 

わたしたち、ニュースを読むのと違って、自分のスタンスで何かを誠実に語ろうと、自分のことばを探して語ったとしても、その受け取られかたは、さまざまなというか、まったく異なる事が起こりうる、という事なのだ。

 

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誰が聴いても、聞き間違いが起こらないというか、一つの受け止め方しか考えられない言葉も世の中にあるのだろう。

 

しかし、それはそれで、何か恐ろしさをはらんでいるようにも感じる。

 

このたびの経験。

 

言葉を口にしたり、記したりする事を務めとするものとして、よい経験となったと受け止め、精進したいと思う。end

 

 

2014年

4月

21日

2014年4月21(月) №130 『 一番心に残ったことを・・・ 大学にて 』

写真は4月23日(水) 稚内北星学園大学でのキリスト教概論の講義で「レーナ・マリアさん」のDVD25分程のものを上映時にクラスの後方から撮影 (^^♪

キリスト教概論の3回目の授業では、出席をとって間もなく、レーナ・マリアさんのDVD観てもらった。いろいろ考えることが多かった様子。
キリスト教概論の3回目の授業では、出席をとって間もなく、レーナ・マリアさんのDVD観てもらった。いろいろ考えることが多かった様子。このあと、世界宗教分布図とか、キリスト教の発祥地はどこ?などと問いながら旧約の学びの入り口に入った。

 

※写真はこの文を記して一週間後のものです。あしからず。

 

2014年度も稚内北星学園大学で、「キリスト教概論」を担当させて頂いている。

 

これが本当にたのしい。

 

今年で三年目。

 

少し慣れてきたこともあるかも知れないが、若者達との交流は大いに刺激を受ける。

選択科目なのだが、今年は自分の考えていた予想をずいぶん超えて、登録者が30数名。いささか面食らうところもある。

 

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4月16日(水)の第2回目の講義。

 

この日は、日本基督教団が毎年発行している『日本基督教団 年鑑 2014年』の広告集のコピーを元に、教会やキリスト教が関係している分野を確かめながらの時間を持った。

 

「はーい、どんな分野の広告がありますかぁー!ノートにメモしながら探してみてください。5分間さし上げまーす」と。

 

5分後。学生たちはボソボソと答え始める。

 

パイプオルガン、病院、高齢者福祉施設、聖書や讃美歌の書籍類、ホテル、葬儀屋さん、○○学院という多くの大学の名もある。

 

こうして、わたしたちの生きている社会にすでに浸透しているキリスト教の各分野がおぼろげに見え始めるのだった。

 

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講義の最後の10分になると、わたしは大学備え付けの小テスト用に作られたかに見える、A4版3分の1程の大きさの用紙を配布する。

 

4月16日(水)の講義ではこんなお願いをした。

 

「はい、きょうも授業でいちばん心に残ったことを記してください。それからぁ、今日は、自己紹介を兼ねて、今、皆さんが頑張っていること、これが得意です、のようなことを書いてぇー」

 

何しろこちらは90分の講義の中で自己開示し続けているわけなので(例えば学生さんは、第一回目の授業への応答として「21歳の時にインドにリュックを背負って旅行したよ・・・というところ辺りのこと、もう少し聞きたかったです」等と記してくる)、受講される皆さんとの響き合いもたいせつにしたい、と考えている。

 

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さて、実はわたし。

 

先日は、プリントを配る直前に、讃美歌を一曲紹介した。

 

前回も讃美歌と讃美歌自動伴奏機(ヒムプレーヤー)も持参していたのだが、良いタイミングが見つからなかったので実行しなかった。

 

が、きょうはこれ行けるなと感じたので『われをも救いし アメージンググレイス』を流して、教室で歌い始めた。

 

歌詞は第二編のバージョン。

 

1節 われをも救いし くしきめぐみ
      迷いし身もいま 立ち帰りぬ。
   
3節 苦しみ悩みも くしき恵み
      今日までまもりし 主にぞまかせん
   
5節 この身はおとろえ、世を去るとき、
    喜びあふるる み国に生きん。

 

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NHK連続テレビ小説「ごちそうさん」の主演女優の杏さんも「アメイジンググレイス」をCDの中で歌っていたよ!彼女は○○学院の幼稚園の頃、とある教会の教会学校にお兄ちゃんと来てたんだ。僕のお話も聴いていた・・・等と言いながら。

 

歌詞の5節「この身はおとろえ、世を去るとき 喜びあふるる み国に生きん」。

 

なぜ、死んで行くのに喜びなのか。学生さんたち。もしかすると疑問に思ってくれたかも知れない。

 

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講義が終わって、ひと仕事終えてから、彼らからの応答に目を通した。

 

以下、全部ではないけれど、ある事に共通して触れているものを抜粋して抜き出して記してみる。○毎に、ひとりの学生さんの応答。いずれも全文ではなくその一部分。

 

○キリスト教の生と死についての話で、死についての考えが、今までの自分の考えと違っていて、こういう考えもあるんだなと思いました。先生の歌がとてもきれいでした。

 

○われをもすくいしは なんか いい歌でした。

 

○歌がよかった。聞いたことがあるような曲だったので、やっぱりキリスト教が普段の生活の中にも入ってきているんだなと思った。

 

○イースターはゲームで名前は知っていましたが、復活祭といういみがある事を始めて知った。先生の歌の上手さに驚いた。正直一番印象にも残りました。

 

○今日、心に残ったことは最後に先生が歌ってくれた曲の歌詞についてです。よろこびあふるる み国に生きん という言葉がキリスト教の考えの大切な部分だとなんとなくわかりました。

 

○心に残ったことは音楽のことがとても身にしみると感じました。アメイジンググレイスがもともと好きです。

 

○今日初めてこの授業を受けたが、なつかしい音楽を聞けたり、イースターなど、あまり聞いたことのなかったことについて学べてよかった。そして森先生の歌が上手くて驚いた。僕は朝起きるのが苦手な人間です。これから毎朝早起き出来るように頑張ります。

 

○特に印象に残っているのは、最後の先生の歌とオルガンの演奏です。どちらもとても心に響いて、朝から良いものが聴けてよかったです。

 

○・・・実は出身がキリスト教系の幼稚園でしたので、賛美歌等なつかしい気持ちで受講させて頂きました。

 

○「われをもすくいし」の歌詞はすごく深い意味があると思いました。

 

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なんと、この日の出席者20数名の半数が、賛美歌「われをもすくいし」に触れてくれた。

 

光明か? 前向きにそう考えたい。

 

賛美歌を通じて、キリスト教のエッセンスを伝えて行くことはとても重要なというか、手がかりにしたいなと、以前も感じていたが、やっぱりとあらためて思わされた。

 

あさっては、早くもキリスト教概論の第3回目の講義の日となる。

 

さてと、新たな賛美歌をさがした方がいいかな。いやいや、まずは、アメイジンググレースをみんなで歌う方が良いかも知れない。

 

賛美歌って、やっぱりすごーい力持ち。そう実感している。end

 

 

2014年

4月

20日

2014年4月20(日) № 129 『 故・久保田喜代巳さんの写真遺作展 』より

 稚内市立図書館を会場に、2014年4月6日(日)~20日(日)までの二週間、開催されていた写真展。

 

感動が大きく、カメラをもって撮影させて頂いた。

 

海外の美術館の著名な絵画の前で、忍耐強く、(他の来館者の邪魔にならないように)シャッターチャンスを待って撮影する方々居られる。オーバーに言えばだが、それと同じ心持ちで、このたびカメラを持って図書館に向かった。

 

 久保田喜代巳さんのお人柄を忍びつつ、宗谷、稚内、利尻を愛する想いに満ちた写真を皆さんにもご覧頂きたいな、と思った次第です。

 

◇写真はクリックしてご覧ください。作品説明はあえてひかえます。

『 故 久保田喜代巳写真遺作展』(於;稚内市立図書館)から、森撮影セレクト作品

2014年

4月

16日

2014年4月16(木) №128 『 ドラマと物語としての礼拝 』

稚内市立図書館の写真展で撮影。久保田喜代巳さん 「つるし雲と利尻富士」。絵ではありません、写真。
稚内市立図書館の写真展で撮影。久保田喜代巳さんの「つるし雲と利尻富士」。絵ではありません、写真なのです。感動

 

礼拝が「ドラマ」。そんな言い方をすると、不謹慎と叱られるか。

 

しかし、その側面は否めないと感じる。

 

「物語」とも言えるかも知れない。

 

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「いや、そのとおりですよ、森さん」

 

今年、天国へ行かれた、礼拝学を始め、本当に多くのことをお教え下さった、今橋朗先生(※最後に簡潔にご紹介)は言われるかな、とも感じる。

 

礼拝は「祝宴」。あるいは「祭」とも言うことがある。

 

これは礼拝学の神学書に記されているはず。

 

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4月13日の棕梠の主日の礼拝。

 

わたしにとって、多くの物語が、神さまの不思議なみ手によって織りなされた。

 

きょう、興部教会の伊藤牧師が稚内に来てくれて『道北地区通信』の打ち合わせをした。

 

あれこれ話していたときに、「この季節、転勤してくる方を、毎年首を長くして待っているけれど・・・・・現れずだよねぇ」で妙な諦めの一致。

 

そんな(お引っ越しの方が相変わらず姿を見せない)中で、来てくれると嬉しいなぁ、と願っていた幾人かの方たちが、棕梠の主日の礼拝に、重なって姿を見せた。

 

彼らはそれぞれ、ご自身の生きているコンテキストの中で、礼拝に連なっている。

 

そして、キリストが準備された物語に客演し、欠かせないcastとなっていくはず。

余韻の深い礼拝は、出来事が、神によってなされる。

 

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ある時、礼拝について、メールでこう記して下さった方がいた。

 

あー、それって、昔の自分のようだとも感じた。

 

【礼拝に行くと心がとても軽くなる感じがします。まだ賛美歌もうまく歌えず、聖書も理解できてはいませんが、森先生の説教を聞くことで理解を深めている気持ちになっています。・・・・

 

 礼拝で心が軽くなっているというよりも、教会に足を運ぶ事で心が軽くなっていると思いました。うまく説明ができないのですが・・・そこにいるだけで気持ちが晴れる感じ・・・】と。

 

異なる道を進む一人ひとりが、イエス・キリストに出会う中で、物語を織りなしているのだ。

 

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妻が思いがけないアクシデントで入院。

 

フキノトウのように、ほろ苦い春。

 

夜、妻を見舞う便りを下さった網走の友に電話。

 

おわりに「雪解けはどうですか?」と聴く。

 

「今年の網走は雪が深いです。まだ、窓辺には雪・・・。畑は見えません」と言われた。

 

「今年は百姓を頑張ります」とある時の便りに記していたから、土を耕し、種を蒔き、汗をかいて・・・の日々を楽しみにして居るのだろう。

 

こんな話もまた、わたしの礼拝の物語には通じている。

 

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夜の空を見た。雲が宗谷の風に流れている。

 

「明日の満月は観られるでしょうか」と昨晩、札幌の友が問いかけてくれた。

 

「見えましたよ。確かに春分の日の後の最初の満月が・・・」

 

満月の次の日曜日には、キリストの十字架の受難を打ち破る復活の物語の幕開けの朝が来る。continue

 

*今橋朗先生とは・・・

 横浜の蒔田教会牧師を長年務めつつ、日本聖書神学校教授・特任教授、校長。そして、日本キリスト教団讃美歌委員会、WCCへの参加など枚挙に暇がないとはまさにこの方か。でも、ほんとうにすばらしい牧会者というか、ひとりの牧師なのです。先生は牧師であることから一歩もぶれていない方でした。

 

 

 

2014年

4月

10日

2014年4月10日(木) №127 『 お豆腐屋さん ごめんなさい 』

ふと気がつくと、ブログの更新をしていなかった。というか、出来なかった。

 

年度末、年度始めであれこれが重なり、けっこうバタバタしているこの頃。

 

めずらしく、外からの原稿の依頼を受けたり(日本キリスト教団出版局の定期刊行物『信徒の友 6月号』の連載・「神に呼ばれて」を書きました)、教会の一年の振り返り資料と新年度の計画を考えたり、北海教区総会の準備委員会の資料作り、新年度の稚内北星学園大学講義のシラバス再検討など、駆け足だった。

 

左手首の骨折で入院している妻との今朝のメールのやり取りでは、「今週は、何だか一週間がながく感じる」と打った。

 

たぶん、それが本心かなと思う。

 

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さてさて妻が骨折してしまった。

 

手首にチタンの穴付きプレートを埋め込み、ビス留めする手術を受けた。

 

さすがに、手術室で意識があるままでは、「あっ、やばい」「ダメダなあぁ」なんて声が聞こえてしまうと大変なことになるからか、全身麻酔で2時間程眠らされての手術だった。

 

無事終了とは言え、あれこれ気になる。

 

看護師をしている方から、【手首の骨折、太い神経が走っているところなので、痛みは想像を絶するものと察します。一日も早い回復と、後遺症が残らないことを祈ります。】とお見舞いメールを頂いて、ありゃま、大変だなのと改めて気になる。手首を使わない生活は考えられないので、本人が一番心配だろう。

 

たぶん精神的にもダメージを受け、次の冬や雪の季節、怖じ気づく気持ちになるのが自然だろうと思う。折れたのは骨だけではない。

 

「北海道嫌いにならないでね」と道北の牧師仲間からの声がけもあった。

 

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実は妻の事故絡みで、トラウマを抱えることになった、一人の方の存在が、とても気になる。

 

それがタイトルの【お豆腐屋さん】だ。

 

不定期のようだが、この地域、お豆腐屋さんが車でときどき販売に来てくれる。かなり大型の油揚げなど(20センチ四方?)とても評判のようで、見ていると妻は何枚か購入しては冷凍しているようだ。

 

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4月5日(土)の午後1時過ぎ、そのお豆腐屋さんの笛の音が、スピーカーから牧師館に居た妻の耳に聞こえたらしい。

 

やや難聴があるわたしは気づかなかったが、慌ててお財布を手にした妻が、「おじさーん、待ってー」と駆けだした。

 

牧師館のおもての小道。

 

二日間続いた春の地吹雪の後、稚内市の除雪車がやって来た後で、圧雪路になっていたことを、わたしも後で知った。

 

それはそれは、史上最強かと思う程、猛烈なツルンつるんで、これじゃ誰だって転ぶ、と思った。

 

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しばらくして、なにやら玄関から聞こえて来たのは、「ただいま」の妻の声ではなかつた。

 

聞き慣れないくもった感じの「ご主人居られますかぁーっ!」の叫び声。

 

なんじゃ、と思いながら出て行くと、お豆腐屋さんが立っている。

 

「お、お、奥さんが・・・・」との声で慌てて飛び出すと、わたしもステーンとなりそうな具合だった。

 

見ると、妻が圧雪路に倒れていた。

 

その倒れ方は、痛くて苦しんでいるとかではない。銃で撃たれて身動きしないかのような、気絶しているというか、あれ、やばいのかと感じたような姿だった。

 

然るに、わたしは「どこが痛い?」と聞いたのではなく、生きているのかと体を揺すったような状態だった。

 

【ボキッ】と折れたときの痛みは相当なものだったようだ。

 

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お豆腐屋さんには、その後、ひと言電話を入れた。

 

この地域で長い間、こうして、販売してくださっているお豆腐屋さんだと思う。

 

お豆腐、油揚、がんもどき、豆乳。

 

買い物に出て行くことが大変なご高齢の方など、冬場は特に頼りにし、楽しみに待っているのではなかろうか。

 

だとすると、間違いなくお優しいお人柄に見えたおじさん。

 

常連の方たちに「急いで出てこないようにね・・・・・危ないから」と、心の内に抱きながらお過ごしであろうかと思う。たぶん、いつも気になるのではと思う。走ってこないでね、と。

 

そんなお豆腐屋さんのことを想うと、かなり心苦しい。

 

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妻が世話になっている6人部屋の整形外科の病室。

 

親しくなるに連れ、ご一緒している方たちのご事情がわかって来たようだった。

 

お一人は、お葬式のためにはるばる富山から来られて転倒して入院。もう一人、向かいのやさしいおばあちゃんは、利尻島からドクターヘリを使って運び込まれてきたというではないか。

 

妻とも数日前に、「まだ、稚内市でよかったよな。これが離島とか僻地で病院がなかったら・・・」と話していたら、やはり、そういうことになるのだった。

 

春が来たな、と思っていたら、さいごに落とし穴。妻も辛かろうと思う。

 

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久しぶりに米を研いで、我ら自慢のこんぶ水で炊いてみたが、今ひとつ上手に炊けない。いやはや、困ったものだ。

 

きのうは、夜の祈祷会が終わり、そら夕食だということで、牛丼チェーンの「すき家」に車で直行。一人テーブルに座った。

 

牛丼中盛りと、味噌汁、お新香、生卵のセットを食べ終わり、「チョコムースとコーヒー」を頼もうかなと思った時に、後ろから何やら若者たちの声。

 

振り向くと、稚内北星学園大学の「キリスト教概論」を受講している男子学生さんと目が合ってしまった。

 

「今晩は!」と互いが笑顔で声を掛け合った。

 

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が、その後、わたしの頭の中は妄想も駆け巡った。

 

「キリ概のもり先生、結婚してねぇのかな」

「結構さみしい暮らし、してんだなぁ」

「いや、あの、あの、あの・・・・」

 

と心の中でつぶやいたり。

 

「ここでデザートのチョコムースと有機栽培珈琲にイッチャウと、目立つかなぁ」とかである。結局食べられなかった(シクシク)

 

ま、そんな暮らしが、しばらく続きそうでござる。やれやれ。

 

あ、お祈りお励まし、ほんとうに感謝です。end

 

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