2012年
9月
30日
日
「おばんでございます」。会員のご婦人のお宅に夜電話をすると、地元育ちの父さんがこう言って電話に出られる。わたしも「おばんでございます」と応える。なんとも、たのしい。
稚内に越してきて半年が過ぎた。朝、いつものように『ローズンゲン・日々の聖句』を読んだときにそのことを感じた。
稚内教会は小さな教会だと思う。だから時間がたっぷりあって、のんびり牧会しているのか、と言えばそうじゃないのが不思議だ。「なんだか、以前の5倍くらい、みんなの話を聴いているねぇ」という会話を妻と先日も交わした。
彼女も、「わたし、これでも、毎日忙しいんだから」と言う。わたしは毎日、昼ご飯を食べに教会から戻ってくるので、朝は軽いものであるにしても、三食 食べさせて頂き、洗い物もお任せというのは、ハードワークのようでもある。とは言っても、台所に立って、あれこれとやり繰りしながらの毎日は、傍らから見ていても楽しげである。一安心だ。
これまた、妻と話をするのだが、わたしたち、毎日少しずつ、頂き物をしているような気がする。とても有り難く、助けられている。
きょうは保育園の仕事をされている信徒さんから、園児と一緒に出掛けた芋掘りのジャガイモ数個を頂いた。昨日は勇知というジャガイモが美味しい所で焼かれたパン2個。その前日は、幼稚園の先生から欠席園児の牛乳パックを5本。そして、その前の日は、秋刀魚4匹。その前は、ジンギスカンとハンバーグ、そして焼き芋1個。あ、稚内特産のほっけ数匹と新米6合も訪問の際に頂いた。酪農家のお宅におじゃますると、帰りに絞りたての牛乳を大きなボトルに2本がお土産。
これは、聖書的に言うならば、天からのマナ以外の何ものでもないような気がする。上に書き漏らしているものもあるはずだ。わたしも届けたのにという方が居られたら、ご免なさい。悪意は全くありません。
最近よく食べるのは、秋刀魚の塩焼きである。九州に居たときも、新潟に居たときも食べたはず。でも、なぜか、美味しい。今日食べてもまた食べてもいいかな、という気持ちに、多分、明日の昼頃にはなっているような気がする。旬の食材の持つものの旨さはすごい、と改めて感じている。
日本のどこに暮らして居ても旬の食べ物はあるに違いないのだけれど、稚内の美味しさは格別。そういう感じなのだ。
稚内を離れ札幌をはじめ、都市部に暮らす多くの方が居られると聞く。市役所に働いているような方でもお子さんが都市部で生活していると、定年後に引越をされるそうだ。
教会の方たちの親しい方々がお付き合いを続けていて、よく聞く言葉があるという。「稚内が恋しい」「稚内を忘れられない」と。皆さん食べ物が恋しいのではなく、稚内LOVEが体に染みついているのだ。と思う。
このことについては、いずれまた、と思う。程よい小ささのこの町稚内が、みんな好きなのだ。
牧師館の工事に来られる幾人かの業者さんがふとした瞬間に「わっかない いいところだもんなぁ-」と呟かれたりする。するともうひと方が「そうだぁー」と言ってにんまりする。
それを聞いているわたしは今、幸せだなぁと思いながら秋を迎えている。これから初めての稚内の冬に向かう。
2012年
9月
10日
月
9月9日の日曜日、お茶の時間も終わり、初めての集会〈マナの会〉がすんで、しばらくの歓談を終えて、バスの時間を待っていた方と集会室で話をしていたところ、何やら玄関に人の気配。ひとりの小柄な青年が立っていた。
「すいません、あの、キリスト教のことを知りたくて来ました」という。小さな稚内の町で、教会にこんな形で訪ねて来てくれる若者が居ること自体、嬉しい出来事。「どうぞ、さあ、上がって」と声をかけた。
少しの会話をするうちに、集会室ではなく、もっとキリスト教ぽい何かが感じられる所を見たいんです、というビームを感じて、「あっ、礼拝堂は2階だから行ってみよう」と伝えるとニッコリ。そりゃそうだなぁ、教会に来たんだから、教会ぽい所を見ないと納得いかないだろうな、とようやく気付く。こちらも鈍いものだ。
その後、再び集会室でおしゃべり開始。今年25歳になる彼は漁師をしているという。○○で今はホタテをやってます、と言う彼は、はや10年近くの漁師としての経験をもっているという。決して漁師という仕事が嫌なわけではない。でも、どうしても今の彼からすると、大人の価値観についていけない。みんな、横並びの考え方で・・・と言うことらしい。
オレ音楽が好きで、ニューヨークに行ってミュージシャンとして試したいっす。特にビートルズが好きで、レノンが好きで、古典に間違いなくなる力をもっているビートルズは、さかのぼると、宗教音楽・キリスト教にたどり着く、というのが彼の来会の切っ掛けの様子。
ほんものを探している彼。納得できるオレの道を探している彼。2時間は話し込んだだろうか。じっとこちらの顔を見ながら話している瞳に、すこしだけ光が差し込んできたように見えた。携帯電話番号の交換を終えて「これで、最後にすんじゃないぞ」と背中に声を投げかけた。小雨が落ちる日曜日の午後だ。
その夜、日本最北の映画館へ出かけた。昭和60年代の稚内の中学は荒れ果てていたという話を少しばかり聞いていた・・・・。そして、そこからの復活の途上で「南中ソーラン」が生まれたそうだ。
そのただ中にあった稚内南中学を舞台にした斎藤耕一監督の『 稚内発 学び座 ソーランの歌が聞こえる 』が二日間だけの上映ということを知って、どうしても観たくて出かけたのだった。
稚内に来てから初めて観た映画だったが、〈稚内LOVE〉が深まる内容に大満足。よかった。幕が下りて灯りが点るとハンカチで涙を拭いている女性の姿。こちらも久しぶりに眠くならない2時間だった。漁師の町稚内の苦悩や歴史も少しばかり知ることができて、感謝。昼間の青年の気持ちにも少しダブった。
それにしても、新しい稚内駅のビルの2階にあるキタカラの中にあるシネコンは、素晴らしい小屋だ。列毎の段差が大きくて、前の方の頭が全くと言える位、気にならない。おまけに椅子の出来具合が素晴らしい。これほど疲れを感じさせないシートって珍しいのではと思う。
日曜日の夜、疲れた牧師の背中を完璧に包んでくれていた。次に何を観に行こうかと思わせてくれる心地よさ。稚内では映画をお薦めします!旅行でお出での方も、寝る前にシネコンへどうぞ。マジ、いいですから。
追伸:
2012年11月03日公開の、吉永小百合さん主演『 北のカナリアたち 』は、礼文島・利尻島を舞台にした映画ですよ。こちらもお楽しみに(^O^)
2012年
9月
03日
月
9月の最初の日曜日の朝、牧師室のメールをチェックしてみると、教会のHPのポストに一通のメールが届いていた。はて、誰からだろうと思いながら開いてみると、久しぶりに見るNからの便り。持ちつ持たれつ。助けられることも多くあった友からのものだった。
今、ある病気のために、心不全で倒れてしまって自宅で療養中だという。「トレッチャーに乗せられ、死ぬかも知れないと思った時、ご無沙汰してしまったこと、約束を守れなかったことがあったことなど、心底悔やまれた」とある。そして、大切なひとり息子のJ君の結婚式と自分の葬儀、お願いしているんだから、忘れないで、と記されていた。
よかった。生きて居てくれて。先生はだいじょうぶ?と言ってくれている。だいじょうぶ。いつか稚内に遊びにお出でよ、とひとまず小さく返信。
この日の午後、教会の役員会があった。そこでは、愛唱賛美歌や好きなみ言葉のアンケートをとろうという話が動き始めた。いや、それだけでなく、お葬式をというような時に、必要な思いを、伝えておくものを準備した方がよいのでは、という声が大きくなって、じゃあ、次の役員会までに少し準備を進めましょうということになった。
神さまは不思議だなぁ、と思うときに、生きて働いてくださることが、これまでもしばしばあった。偶然じゃない。大切な友からのメールを日曜日の夜改めて読み直して、そんなことがあたまの片隅をよぎった。
葬式を僕が司式するには、年下の友よりも長生きしなさいということだ。元気で居なきゃならない目標がひとつ出来た。遠くの友からの手紙をしみじみ有り難く思った。そして、Nにも、愛唱讃美歌と好きなみ言葉、人生の節目となった出来事など箇条書きにして、送ってくるように伝えなければならない。