2015年
8月
26日
水
※2015年8月発行 東中国教区 教区通信への投稿文です
*写真説明が可笑しな表示なので以下ひと言。
「2015年8月25日(火)松山出張の帰り、仲間に誘われて道後温泉を訪ねる。風呂は入らずも雰囲気に浸れた。職人さんたちらしき方たちの仕事の様子に惹かれた。」
自己紹介
旭東教会 森 言一郎
先の教区総会の時、「森先生、鰆(さわら)の刺身を教会の冷蔵庫に入れておきました」という電話が留守電に入っていました。
季節のお刺身でかーるく一杯ご飯を頂くのがささやかな私の幸せと伝わっていたのです。
鰆(さわら)の刺身がこんなにも美しく、おいしいとは知りませんでした。
これまでの我が人生で鰆(さわら)は焼き魚でしたがここでは違います。前任地、日本最北の町・稚内教会に仕えていた時、本場のホッケを口にして驚いたことに通じます。
岡山市東区・旧西大寺市にある旭東教会は、瀬戸内市や備前市方面の伝道の使命も担っているようです。
裸祭りで知られる観音院を中心に発展したこの地域は、小さいながらも町の機能が集中していて本当に暮らしやすいです。
伝道者になって20数年が経ちましたが、牧師として積むべき挫折や失敗を幾つも経験し、やっと牧会のスタート地点に立ったという思いを抱くこの頃です。
恵みに応え明るく励みます。
今年55歳。既に、高校時代の友人たちも定年後を視野に入れて過ごしている年代です。
やがて隠退を迎えた時は、自分の気に入ったブレンド珈琲を日替わりでお出しする、ワガママな珈琲屋の親父になるつもりです。
お時間が合えば香り高い珈琲豆をガリガリと挽き、私がポットで一杯ずつドリップいたします。旭東教会へ是非お立ち寄り下さい。
2015年
8月
18日
火
2015年7月5日(日)
午後3時~
日本基督教団 旭東教会 牧師就任式
(ほぼ実録)就任の辞
牧師 森 言一郎
本日は、わたくしども日本基督教団旭東教会の牧師就任式に皆さまご参集下さいまして、心から御礼申し上げます。高いところからで本当に恐縮ですが、ひと言、ご挨拶を申し上げたいと存じます。
神さまがわたくしに、「旭東教会に行きなさい」という道をお示し下さり、今、ここで本当にご挨拶をするということは、当たり前のこととは実は思えないのです。
前任地の教会は、ロシアのサハリンが40㎞先に見える、日本最北の町稚内というところでした。お隣の教会まで、内陸では名寄教会が170㎞、日本海側に留萌伝道所は190㎞、そして、オホーツク海沿いに興部伝道所が200㎞。
稚内教会の就任式を執り行って頂いた時には午後5時開式でした。ある教会の先生が、おんぼろバスを仕立てて、集まって下さいました。
*
「どこでも一所懸命に仕える」ということは、聖書の言葉ではありませんが、わたしが生まれ育ってから今日に至るまでの姿勢です。
今は天に居ります父が、「生きているところ、働くところ、勉強するところ。そこが、一番いいところだと思ってやらなくてどうするんだ」といつも話しておりました。
ですから、どこでも、一所懸命にやって来たつもりです。九州にも居りましたし、新潟県の豪雪地帯にも居りました。温かなお交わりを頂きましたが、気候的に見れば稚内は雪国ではなく氷の国というのがふさわしい、そういう厳しさがあるところでした。
*
一つのことをひとりの人間として、牧師として、それでも一所懸命に続ける中で、少しは成長して行ったかなぁと思うことがあります。
(講壇の下から、長さ一メートル程の利尻昆布を取り出す)
これは一体何かと言いますと、北海道の稚内があるあの日本の最北端の方の海岸沿い数百㎞のところ、そして利尻島で採れる利尻昆布です。
*
三年間の在任という短い期間でありましたが多くの恵みを頂きました。振り返ってみて、わたしは、少しばかり自慢したいことがあります。
それは、たぶん、森言一郎は日本で一番昆布にくわしい「こんぶ牧師」だということです。(会衆席より笑い)
まだ、わたしの右に出る人は育ってないはずです。この昆布を通して、わたしは色んなことを勉強させて頂きました。
だらだらとしたお話にならないようにしたいと思いますが、昆布は凄い力があるのです。僅か10㌘、10㌢四方程度をつま楊枝ぐらいの細さに切って1㍑の水に入れます。昆布水を作るのです。
細かく切れば切るほど、昆布から良い出汁が出ます。昆布は面からは出汁は出ません。切り口から出汁が出るのです。
*
稚内教会は小さな群れでした。教会の皆さんに多くのご配慮を頂く中、牧師館の修築工事を致しました。しかし十分なお金もありませんでしたし、様々な経済的な弱さもありました。
着任してから暫くして、何か活気のあることが出来ないかなぁと考えておりましたら、神さまが「利尻昆布を売りなさい」と言われたのです。
その結果始めたのが利尻昆布バザーでした。
これを日本各地の教会に買って頂きました。利尻昆布を使った各地の教会にはお料理好きの方がたくさん居られて、多くの方からこう言われました。「森先生、これを使ったら、もう他の昆布には戻れません」と。
*
ある大阪の昆布問屋の大将が、色んな番組や新聞にも引っぱりだこになる位の方で、そこから勉強させて頂きました。普通は和食に使うのが利尻昆布だと思いますが、実はそうではありません。
和風の料理だけに使うのはもったいない。ビーフストロガノフでも、お好み焼きでも、たこ焼きの溶き水にも合います。利尻昆布の出汁は万能選手なのです。その大将は、先ずはお米を炊いてみて下さい、と言われます。
新米がおいしく炊けるのは当たり前ですが、ほぼ、どんなお米でも、少し水分を多めにして頂ければ、本当に冷めてもおいしいのです。おにぎり、お弁当がおいしいということになります。
ところが、昆布水がお米にしても、何かの料理に入った時にも、「あー、これは昆布の匂いがするね」ということは決して無いのです。
*
結論から申しますと、わたしは旭東教会でせっかく北の国で学んできたことも含めてございますが、徹底してこんぶ牧師に成り尽くす。出汁尽くします(笑いと大きな拍手)。
*
漁師さんのところに行って色んなことを教えて頂きました。利尻昆布は無駄が一つも無いのです。お見せしている利尻昆布は漁師さんが整形したものです。色が変わった部分は切り取っている。
でも、それは工業用とか、ラーメン屋さんなどお店屋さんに送る昆布は色が変わっていても構わないのです。値段の高い昆布はただ形が良いだけです。つまり利尻昆布は無駄が何も無い。
昆布は、和風も洋風も中華にも良いのです。麻婆豆腐でも何でも、それはそれは素晴らしい調和を生み出します。
*
さて、お待たせしました、旭東教会の皆さん。(笑い声)
わたくし、過去のことは忘れるつもりでございましたが、「こんぶ牧師」であることだけは引き継ぎたいと思います。
旭東教会でなければ生み出せない作品があると思います。今日、教会で発行された『緑の牧場』という会報のあとがき「こちら編集室」を見ました。心配を掛けて申し訳ないなぁと思いました。「森先生は猛スピードで駆け抜けておられますが、……」と書かれていました。
ご安心下さい。わたくし、これからはもう下降線に入ります。
*
わたしの願いは、み言葉が何とこんなにおいしいものであるのか、ということ。それをみんなが本当に噛んで噛んで、力となり、生きて頂きたい。
みんながうまく調和し、こんなお料理が出来ましたから、皆さんに来て頂きましょう、となることです。
イエスさまも、食べるところから、罪人を招いて下さいました。
あらゆる意味において、おいしいね、嬉しいね、というものを生み出せる教会として、わたしたちは、もちろんこの地に無くてはならない教会でありたい。
旭東教会ここにあり、今日はこんなおいしいものが食べられます、というものを生み出せるようになることを願っています。
*
わたしの尊敬する牧師の中に戸村政博先生という方が居られます。
戸村先生のご本のあとがきを就任式前に読み直しました。こうあります。
「“説教者”とは、たんなる職名ではなく、したがって単に説教する者が説教者であるのではない。説教の巧みなもの、それが説教者であるのではない。説教せざるを得ないように召されている者、わたしはそうせずにはおれない(第1コリント9:16)というアナンケーを持つ者が、説教者である。
たとえを設けるならば、詩を作る人が詩人であるのではない。詩作や作品やその評価によって、人は詩人になるのではない。詩を作るほか生きようがない者として、自分を自覚している者が詩人である」(『路上の生 山谷から』教団出版局)
*
わたしは牧師を辞めたいと思ったことは一度もありませんが、本当に牧師であり続けることが出来るのだろうか、ということは何度もの挫折の中で本当に思いました。
説教を語ることが出来なくなるのではないか、あまりにぶつぶつと呟き続けた時、妻が「そんなに言うんだったら、冷蔵庫の横に立って、わたしが聴くから話してみなさい」と言ってくれたことがありました。
わたしはみ言葉を語ることを本当に喜びとしています。幸せなことです。
しかし、それはもっと深めて考えるならば、語らなくては生きては行けない、ということなのです。
稚内に行く前に、わたしはある市役所の臨時職員の採用試験を受けました。落とされました。それが神のみ心で、「お前は、説教しなさい」となお言って下さったのだと思います。
もちろん、今もその覚悟をしっかりと深めて抱いています。
*
わたくしはまことに欠けの多い者です。
しかし、神さまは詩編の8篇6節において、「彼を欠けさせた」「人を欠けてつくったのだ、少し、神よりも」(直訳)と言われるお方です。
欠けが多い者ですが、用いて下さることを心から感謝し、旭東教会の皆さんと共に、主のみ足跡に、本当に従いたい。
主がもっとも小さくなられるのであれば、もっとも小さい者として、どん底まで下って生きて行きたい。そのことを心から願い、ご挨拶と致します。
本日は本当にありがとうございます。end
※このあと、讃美歌21-412「昔 主イェスの」を賛美。
2015年
8月
12日
水
稚内に暮らしていた頃、「利尻昆布ラーメン」を時々食べていた。
これ、インスタントラーメンなのだが、とてもインスタントとは思えないおいしさだった。
安くはない。
一袋230円程だったはず。
安売りには決してならない。お土産物屋さんでも、スーパーでも基本的には同じ値段。
でも、高いとは思わなかった。
なぜなら、おいしいのだから。それだけの価値が十分あった。
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最近知ったけれど、大阪・日本橋のインスタントラーメンの専門店「S 日本橋店」さんというお店がある。
全国各地の袋ラーメンが取り揃えられており、ここの人気ランキング1位がこの「利尻昆布ラーメン」という情報もある。
いや、それどころか、稚内のお土産物屋さんでも、何かのラーメングランプリと書いてあったと思う。
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稚内教会で利尻昆布バザーの働きに汗を流していた頃、東京は世田谷区のご婦人と親しくお話できるようになった。教会では利尻昆布を扱いそうにないので、個人的にということだった。
ある時お便りがあった。
「もり先生、利尻昆布と一緒に、何かおいしいものがあったら、何でもいいから入れて下さい」
そこに至るまでに様々なやり取りがあった。よって、とてもではないけれど、むげに断ることは出来なかった。何でもいいから、というのは難題。
結局、箱詰めして入れて差し上げたのが、「利尻昆布ラーメン」。
いや、何かの折りに、遊びに来てくれた友へのお土産も、岡山に引っ越してくる途中に遊びに寄った方たちにも、「利尻昆布ラーメン」が手土産となった。
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「利尻昆布ラーメン」はインスタントだから、スープの素が入っている。
でも、我が家では、ある時期から、単にお湯で薄めるのではなく、「こんぶ水」を妻が作り、それを薄め、更には、野菜もふんだんに入れるようになった。
それはそれは美味しさ倍増以上となって、我が家の定番となっていったのだった。
懐かしい。
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時は流れた。
稚内から岡山市東区の西大寺に越してきてからというもの、ラーメンにお世話になることが減った。
外でラーメンは食べた記憶がない。「利尻昆布ラーメン」も食べていない。
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増えたのは「うどん」だ。
うどんの本場、香川県が目と鼻の先だということも引っ越して来るまで分からないような田舎者だったのだが、考えて見れば、大阪以西は、完全にうどんの文化圏なのだ。
母の故郷・名古屋はきしめん、そして、味噌煮込みうどん。いずれも似た所はあるけれど、岡山や四国のうどんとはあきらかに違う。
会員のK姉もうどん屋さんだ。
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風土というのは凄いものだなぁと思う。
甘エビ、ホッキ貝、帆立貝、ヒラメなどの刺身が食べたくない、とは言わない。
チカもほっけ本当においしかった。懐かしい。
けれど、今、岡山市東区の西大寺の我が家で頂く時、世界一うまい刺身ではないか、と感じたあの感動があるか、と言うと自信がない。
誰か送って下さい(笑)確かめてみます。
メロンも同じかも知れない。でも確かめてみたい(笑)
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なるべくお仕事はお休みにしようとしている月曜日。妻とふらっと外に出ることも多い。
そしてふり返ってみると、ふらっとうどん屋に行くことが多くなった。
そしてついに、今週は、どこから探してきたのか、「利尻昆布ラーメン」を凌駕しているのでは、と感じた位の、某名店の「ぶっかけうどん」の冷凍袋詰めを調理して、我が家の食卓に登場した。
正確に言えば、日曜日の夜が初登場。
二人、言葉少なに、黙々と頂いた。一袋を二人で分けて。
「これ、おいしいよ!うまい!」「へんなもの入っていないよ」
閉店間近の生協へ二人して走った。そして、ふた袋購入。ちょっと高いからそれ以上は勇気がなかった。
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月曜日のお昼。
今度は、ひとり一袋ぶんが準備されて、オクラや卵ものっけて美味しさは5倍増か?
マイッタ。
スパゲティも減った、そばも減った、チャンポンも減った。
うどん、大躍進。
岡山暮らし一年生も5ヶ月目に入って、また、新たな変化が起き始めた。end
2015年
8月
07日
金
ひと言ふたことで終わりまーす。
岡山に来て初めての夏。当然、稚内とは比べものにならないくらい暑い。
岡山に長年暮らす方たちも、こんなのは初めて、という猛暑らしい。
去年の今頃は、メロン三昧とまではいかなくても、この頃から、メロンが稚内では驚くほど安く売り出されていたのを思い出す。
青果肉のメロンも、赤果肉のメロンも、とにかく安くておいしかった。熟れてきて半分になって売られているもので十分だった。
森家の2015年岡山での夏。
桃(清水白桃など聞いたこともなかったものを口にした)も葡萄(かなり色んな種類がある)素晴らしいが、庶民の味方はこれ「スイカ」だった。
もう何個分食べただろう、という感じで、いくら食べても飽きない。
たぶんこれからも暫く続きそう(^^♪
2015年
8月
03日
月
※教会で配布したものに少し補筆したものです。
*
汗がどーっとが吹きこぼれてくる感覚。
実は、前任地、日本最北の町にある稚内教会での日々では完全に忘れていたいたことだ。
サウナ風呂が好きというわけでもなし、温泉のサウナに入ることもないので、今は本当に久しぶりに大汗をかいている。
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7月初め、赴任して最初の教会報・『緑の牧場 NO.27』が発行された。
読んでいてそうだったなぁと思い出したことがある。
それは4月6日のイースター愛餐会、つまり、最初の日曜日の場面だった。
当日は、確か、市議会議員選挙の頃で、外からは名前を連呼する車が幾度も通りかかった。
愛餐会の出席者の自己紹介を聞きつつ(一度で覚えられるわけがないのに)、途中でふと「教会に何分かかって来られるか。距離はどれくらいか?教えて下さい」というお願いをしたのだった。
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それ以後、ぽつぽつと家庭訪問を続けてはいるものの、初対面の人間関係作りには時間が掛かる。夏までにはと思っていたのが、今は、秋までには、となりつつある。
いやいやそれどころか、秋にはクリスまでにはに変わるか。
幾度もお見舞いにうかがう方もあるので致し方ない。
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旭東教会は岡山市東区にある。
赴任するまで分からなかったけれど、JR岡山駅あたりを岡山の中止と考えると決して中心地にあるわけではない。そしてそのことが、妻も含めて私にとっては本当に幸いしている。
妻の生まれ育った福岡県の筑紫野市にも雰囲気が似ているし、その利便性といったら、驚くばかりで、こんなに暮らしやすいところはないのでは、というのが嘘偽りない実感なのだ。
備前、牛窓(うしまど)、邑久(おく)、岡山市中区等々、隣接している所との距離感、車で出掛けると何分位か、近道は等々、見当がつき始めているこの頃。
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就任式の前に、聖霊の働きがあって(だと信じるが)、『旭東教会略史』を急きょ作成した。
まだまだ、この地ではよちよち歩きの私。
結果的に色々なことを客観的に見つめることが出来て良かったなぁと思う。
教会の長老からも、よかったです、とお誉めの言葉を頂けて嬉しかった。誉めること、誉められること、ほんとうにたいせつだ。
11月22日の特別礼拝にお迎えする関田寛雄先生(神奈川教区巡回教師、青山学院大学名誉教授)からも「とても参考になりました。その特色を維持したいものですね」との励ましを頂いた。
お出で頂くことを正式にお願いするに際して、依頼文と共に、略史を入れたのだった。
今後は、新来会者の方などにも差しだすことが出来そうで、初めに苦労していてよかったとも思う。
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歴史と言えば、教会関連の写真を見ていて旭東の財産だなぁと思うことがある。
それは講壇の両脇に立つ風格ある「2本の柱」だ。
旭東教会は1923(大正12年)年3月11日に、今も毎週使っている礼拝堂を献堂している。
その翌日に撮影した、紋付き袴姿の人々の写った記念写真を礼拝堂入口の扉上に掲示している。
その「柱」が大正12年の写真のみならず、折々の旭東教会の集合写真には、背が高いため、必ず写っているのだ。
最近では、8月2日の礼拝にお出でになると連絡があった、S姉追悼記念のご本の中で見つけた。当時3歳位と思(おぼ)しき教会員の安佐子姉がちょこんと座っていたりして不思議な気分になる。
旭東教会の礼拝堂は不思議な落ち着きを醸し出しているその力のひとつは、確実に、あの柱なのだ。
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長期入院中の恭子姉がベッドの上で先日こう仰った。
「段々《うち》の教会っていう感じが甦ってきた」と。
お届けする『週報』を穴が空くほど見つめ、教会の皆さんの姿や名前を探して居られるのだろう。
わたし自身も《うちの先生》になり始めているところだ。
盛夏のたいへんさ以上に、恵みを探しつつ歩んで行きたい。end