2013年

2月

25日

2013.02.25(月) №27  『 “教会へいらっしゃい”の発信 』

 ある経済評論家のメルマガを定期購読している。と言っても無料だ。株で儲けたいとか、そういうつもりは毛頭ない。“元で”もないですが。

 

 以前その方が、あるところで連載記事を持っていて、なるほどと思うことが何回かあったことがきっかけだった。ただしその時は、そのうち飽きてしまったのも本当だったが。

 

 詳細は忘れてしまったけれど、何かの偶然でメルマガのメンバー登録をしたのだろう。そのメルマガはほぼ毎日届く。そして面白い。自分の専門分野とは異なることが発信されているのもいいし、ホームページを訪ねなくても、勝手に向こうから登録をしているとメールを送ってきてくれるのもちょうどいいかもしれない。読みたくない気分の時は、読まなければいいのだから。

 

 その方の言葉に【Giveの5乗】というものがあった。パソコンのメモを調べて見ると、4年前のものなので、もしかするとその方はすでに考え方を多少方向修正している可能性もある。それはそれとしてもう少し記そう。
 
 一般に、他人に対して良いことをすると、最後は自分に返ってくると言われる。日本の故事「情けは人のためならず」もそれに通ずるかと思う。その方は、自分の得意なことを、いっさい見返りを求めず、Give Give Give Give Give し尽くす気持ちで生きることを知り、それを実践し始めたのだ。つまり、自分を出し惜しみしないで、自分の一番得意なこと、すなわち、自分の考えていることをコトバにすることを熱心に行うことを始めたのだった。

 

 すると、人生が変わったという。目から鱗が落ちた、とも記されていたと思う。「目から鱗」は新約聖書の使徒言行録 9章18節のみ言葉でもあるけれど。

 

 話は少し横道にそれるが、昨日の日曜日、礼拝後のお茶の時間に、美輪明宏さんのことが話題になっていた。わたしは、故・寺山修司さんの作や演出の舞台に美輪さんが出演されていた30年近く前頃から、美輪さんのことが好きだったのだが、昨年末の紅白歌合戦に出場して、ますます、美輪さんへの注目が高まっているそうだ。

 

 つい最近、その美輪さんがあるテレビ番組でこういうことを言っていたと聞いた。詳細は不明だが、どうも人生相談的なことだった模様。

 

 「ほしい、ほしい。ください、くださいじゃなくて、あなたが、人に与えなさい。そうすれば人生変わるのよ」と。

 

 単純明快だ。使徒言行録の20章35節に【 あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。】とあるのに結びつく。

 

 話は元に戻るが、メルマガの経済評論家は、メルマガを毎日発信するようになって、周囲からのレスポンスに明らかな変化があるという。そして自分自身も色々な学びに積極的になっていると記している。

 

 最新号では、(少し比喩的だが)サイコロを振り続けるという作業に力をいれて躍進中の魅力あるスーパーマーケット「オオゼキ」について記していた。

 

 スーパーチェーンの「オオゼキ」の躍進の裏に「NPS」= Net Promoter Score と呼ばれる論理があるとのこと。要するに「あなたは自分の知り合いに、そのお店や商品・サービスを勧めるか」ということだという。つまり、顧客満足度の指標のことらしい。

 

 「オオゼキ」のお客さまのうち、52%が「ぜひ、オオゼキを友人に勧めたい」と評価しているそうで、どうもこれは、そういう類いのアンケートの中では相当な高評価らしい。そして、「オオゼキ」はお店の500メートル以内に住む人は、何としても第一に自分のお店を選ぶようになるための努力を続けているという。なるほど。

 

 教会へいらっしゃい、という、いわゆる伝道にかかわる話の二つの気づきを最後にまとめたい(わたしの頭の整理です)。

 

 ①満足=喜び=感謝を発信する努力

 それは、内側から発信されていくことこそ健全であり、本当の力になるだろうと思う。言い換えれば口コミこそ最高の宣伝というのは、どこの世界にも通じるものであるはず。わたしの仕える教会でそのエネルギーやダイナミクスが働いているか、いささかこころもとない。しかし「NPS」に触れるような何かが教会にも必要なのは間違いないと思う。

 

 ②メルマガ毎日発信

 これは伝道チラシ配りの今日的な働きと読み替えることが出来るかも知れない。同じことは、わたしにはとても出来ないけれど、そこからのヒントは応用しつつ、適切な適応を工夫することは、現代の教会にも求められることだろう。ま、わたしの拙いブログが、何かしらの力や出来事、そして出会いに結びついて行く日がくれば素直にうれしいと思う。
 
 以上、どうも、鍵は「give」ではなかろうか。

 

 宣教や伝道を実践する上で、わたしは、今もこれからも、ちいさな出会いや出来事からの真理をたいせつにしたいと思うし、それこそがわたしの生き方だと思う。しかし同時に、ここに記したようなことも、バランス良く考えながら変化し、成長できる者でありたいなと感じている。end

 

※経済評論家は“勝間和代さん”です。テレビにたくさん出ているようなので、違う紹介の仕方がふさわしいかも知れません。ちなみに、彼女はスイッチ切り替えのためにオフを取るとき、北海道北見市のお宅に来られています。

2013年

2月

22日

2013.02.22(金)№26 『 プロの踊り子さんの瞳 』

 サハリン館での歌と踊り、2月28日迄なのでもう一度、あるいは、二度出かけてみようと妻と話をしている。ブログにアップする楽しみもあって、初心者向けのデジタル一眼レフカメラを抱えていくのだが、写したものを家で確かめてみて、あることに気が付き、ちいさな感動を覚えている。

 

 その感動とは、かわいらしい女性ダンサーの「瞳」だ。Nikonのお客さま相談センターに電話を入れて、一回目にことごとく失敗してしまった、激しい動きのある被写体の時の写真の撮り方を学習。そんでもって、二度目にサハリン館で、シャッタースピードの調整をしてから、再度撮影してみた。

 

 男性ダンサーとの比較でも明らかだったのだが、彼女は、ほとんど目をつぶっていない。幼い頃からダンスを勉強してきた方、ということがチラシに記されていた。サハリンで、あるいは、ロシアの中でどれくらいのレベルにあるのかなんて分からないけれど、他に較べるものをもっていないわたしからすれば、十分感動ものだった。

 

 カメラに収まっている彼女の瞳は、ほぼ完璧に近いくらいに開かれている。一緒に舞台に上がっている男性のダンサーも、踊りは素晴らしいものだった。ただ、その場に居る限りは気付かないけれど、シャッターを押して記録されている多くの写真で、彼は目をつぶってしまっているか、うつむき加減になっているのだった。

 

 ところが、彼女はと言うと、ほんの少しばかりあごをあげ気味に保ち、カメラ目線を維持している。それになぜだか、彼女だけはフラッシュをたいても“赤目”ではない。偶然なのだろうか。

 

 舞台に立つようなプロだったら、目をつぶらないことなんて当たり前なのかも知れない。しかし、そういうことを知らなかったわたしからすると、うーんこれがプロなのだな、という感動になる。

 

 プロの職人芸とは実にこういうところにもあるのではないか。しかも、日本の北端の小さなちいさな舞台でも、彼女は最高の踊りを披露してくれているのだと思うと嬉しくなる。

 

 これはもちろんわたしの牧師としての働きにもどこかで通じていることではないか、と感じる。なんだかたいせつなことを教えられたと感謝している。“デジイチ”でなければ分からないことだったので、それも良かったかなと思う。end

2013年

2月

17日

2013.02.17(日)№25 『 ロシアが近くなったなぁ 』

 稚内から一番近い外国。それはロシアのサハリンである。宗谷岬の僅か40数㎞の距離にあるのがサハリンなのだ。『スーパー大辞林』によるとサハリンについて、こう記している。以下抜粋。

【サハリン】
 ロシア連邦,北海道の北方に連なる南北に長い島。シベリア大陸とは間宮海峡で隔てられる。面積7万6千平方キロメートル。1809年,間宮林蔵が探検して,初めて島であることを確認。以後,日露両国人が雑居したが,75年樺太・千島交換条約で全島ロシア領になった。日露戦争後の1905年から北緯50度以南を日本が領有したが,第二次大戦後,ヤルタ協定でソ連領(のちロシア連邦)となる。石炭・石油・パルプなどを産出。樺太。サガレン。古称,北蝦夷 (きたえぞ)。(引用終わり)

 

 稚内に暮らし始めるまでは“サハリン”について考えることもなかった。もちろんんロシアはまことに遠い国だった。

 

 かつて、新潟に暮らして居た時に、結婚式を教会でお引き受けしたカップルが、かつてのサンクトペテルブルク(旧:レニングラード)に新婚旅行に行くと言われていたのが身近に話を聴いた最後ではなかったかと思う。

 

 おっと、もう一つ「ボリショイサーカス」がある。これも新潟に居たときに全国公演が巡ってきて、妻と二人で観に行ったのを思い出す。「ボリショイサーカス」を調べて見ると、ロシアでの名称はロシア連邦サーカス公団というもので、ロシア連邦文化省に所属する組織だという。あの時間も楽しかったことを思う。

 

 2月に入ってから、稚内市内の観光施設でもある「副港市場」という施設の中に、稚内サハリン館という名の舞台が臨時に設営され、選りすぐりのプロフェッショナルのメンバー8名(「ルースキー・テーレム」という名前のアンサンブルのようです)によるロシアの歌とダンスが披露されている。初めて見て、初めて聴く楽器も美しいし、民族衣装が本当にきれいなのだ。

 

 2/17(日)の夜、ある方の声掛けもあって、前から気にはなっていたが、ぜひということで妻と出かけた。日曜日の緊張から解き放たれるひとときだった。17時からの公演(18時からも別プログラムで有)に出かけたが、席は始まる頃にはほぼ満席。無料で見せて頂き、聴かせていただいて良いのかという位の充実した公演だった。歌も楽器も踊りも新鮮だ。わたし的には、チケット少なくとも2千円分位はあると感じる。

 

 稚内の地元新聞を読んでいると、少々乱暴なと思うようなトラブルが起こったときに「ロシアからの・・・」という記事が目に入ってしまい、ほんの断片的な情報であれこれと勝手に考え、決めつけてしまいそうになることがあったのだ。申し訳ないことです。ゴメンナサイ。

 

 公演が終わって外に一歩出てみると、何か、ロシアの方たちが急に身近になるから不思議なものだと思う。

 

 今の世界の情勢で、中国にせよ韓国や北朝鮮にしても、頭を抱えてしまいそうになることが起こっているけれども、なるほど、文化交流というものには、秘められた力があるものだと改めて知らされた感がある。

 

 公演の最後には、踊りと歌を披露して下さった方たちがステージから降りて来られて、幾人かの観客を舞台に上げられた。わたしも美しいロシア美人に手を取られるままに、“ロシアからの愛を込められた笑顔”につられて、手を挙げ、足を鳴らしていたのだった。

 

 リフレッシュする最高の夜となった。稚内にもしお出での方が居られたら、2月のこの公演、見逃してはもったいない。ほんとにそう思います。商工会議所や関連の方々の努力に頭が下がります。ありがとうございました。end

※調子に乗って舞台で踊っている写真、気ままフォトにupしております。

2013年

2月

13日

2013.02.13 (月) №24 『 一足早く 春が来た! 』

*森二号が書いてます。
インターフォンが“ピンポ~ン”と鳴った。
緑町のお友だちFさんだった。

 

「綺麗な箱のお菓子を見つけたのでどーぞ」とやさしい笑顔にこちらもニッコリ。

「こんどお茶しましょう」の楽しみな約束もいただく。

 

さっそく開けてみると、春の香りが感じるイチゴの洋風おまんじゅう[?]が出てきた。
大好きな“柳月”(りゅうげつ)さんの季節のお菓子だ。
福岡のデパートで、3ヶ月に一度ぐらいの割合で開催されていた『北海道 大物産展 』。楽しみに出かけてた。

柳月のお菓子と乾燥豆とを毎回購入していた。

 

昼過ぎ、大工のNさんが、天井裏に入ってお仕事してくれた。
Nさんにも、柳月をお裾分け。大工さんとわたし、二人とも笑顔がこぼれた。

 

※気まぐれフォトにお茶とお菓子の写真あります(*^。^*)
 沖縄の“琉球漆器”にはハイビスカス。

2013年

2月

12日

2013.02.12 (月) №23 『 名寄にお出かけ 』

2/10(日)、礼拝のあと、道北地区委員会と地区牧師会が名寄の道北クリスチャンセンターで行われた。教会の皆さんの、車は使わないで列車で行ってください、の声に従う。

 

宗谷本線の列車は極端に少ない。というか、利用者の数から考えればこれが妥当なのだろうが、朝と夕にスーパー宗谷。昼間はサロベツ号だけが札幌方面に向かう特急である。バスもあるが、名寄、旭川は路線から外れている。

 

エゾシカが線路に出てくることがこの時期は頻繁なようで、しばしば連続する汽笛と共に列車は停車。先頭車両に偶然乗車したところ、鉄道ファンの鉄男の中でも「撮り鉄?」の方々や親子が幾人も居られてびっくり。

 

そして車両先頭の運転室横のスペースには、黄色いヘルメットの保安要員さんが後ろに手を組んで見張っている。エゾシカ関連の事故(車両に衝突、死亡はしばしばの様子)に備えているのだった。

 

名寄駅の改札を抜けて、タクシー乗車競争に遅れてはいかん、と思って走り出したところ、どこからか「森先生」と呼び掛ける声。名寄教会員の稲益さんが迎えに来てくれていた。助かった。

 

車中、昨秋に作成した「略史」(教会HPに歴史のページがあります)によく目を通してくださっていて驚いた。道北地区は交流ファイルという、教会の週報その他の印刷物がスクラップされて、互いの教会の様子が分かるようになっているのだが、かなりじっくり読み込んでくださっていた。いやー嬉しい。

 

名寄から稚内寄りに15㎞程の所にある美深(びふか)。その美深にある美深教会(現在は、日本基督教会で、教団ではありません)において昭和20年代中頃牧会をされていたのが“深山佐太郎牧師”だ。

 

最初、稲益さんは「深山」と書いて「みやま」と読むことに気付かれなかったそうで、「深山」が「みやま」だと気付いてから、ご一緒に教会生活を送っておられる方の中に「みやまぼくし」から洗礼を受けた方が居られることなど教えてくださった。

 

いつもながら、道北地区の仲間たちは、ユーモアもいっぱいあるのだが、ほんとうに真面目である。16時開始の会議は、延々、21時まで続いた。夕食のお弁当を食べる時間も惜しんでの語り合いだった。地区レベルでこんなにやっている所は他にないのではと思う。

 

来月の地区総会に向けていろいろなことが話し合われた。稚内教会の経済的な窮状を訴えたところ「そういうことを話し合うのが地区委員会なのだから」と、あれこれと考えはじめてくださった。

 

少しでも稚内教会の負担を減らせるようにと、「○○教会は○○増やしても大丈夫です」「うちも○○円増やして、その分、稚内を減らしてください」「うちも減らさなくて、昨年と同じでいいですから」等という感じで会議は進んだ。新たな支援金まで頂くことが内定。恐縮と同時に深謝。北端の教会が孤立しないようにと思いがあたたかだ。

 

会議は9時まで続き、それからお弁当を頂く。翌日の牧師会もあるため牧師だけは残って深夜までおしゃべりが続いた。

 

面白かったのは説教原稿の準備の仕方。手書き、ワープロ、そして、アウトラインソフトというものを使いこなしている人など。旭川豊岡の韓守賢(はん すひょん)先生から、アウトラインソフト(アップルPCでしたが)を使いこなしている原稿を見せて頂いたり、興味深い時間を過ごした。これって、ありそうでなかなか無い時間だと思う。

 

その他、幾人かの牧師仲間は、しっかり、スキー場に出かけて、スキーを楽しんでいることも確認。そうか、じょうずに息抜きしているんだなぁと反省。

 

牧師会終了後、旭川廻りで帰りたいのでと口にすると、韓守賢先生が「どうぞ、行きましょう森先生」と快く引き受けてくださり、ドライブを兼ねるような形で帰路に着いた。

 

途中、初めて、和寒伝道所に立ち寄ったり、「三浦綾子さん」の作品にちなんでの“塩狩”にある〈塩狩峠記念館〉にも行くことが出来た(ただし、月曜日は休館日で中には入れず)。わたしは自覚的に教会に行くようになった頃、入院生活を繰り返していて、三浦綾子さんの闘病に関連する幾つもの書に励まされ導かれた者なので、思いがけないご褒美のような小旅行となった。韓センセイ、ありがとう。

 

ただ、昼ご飯にと当てにしていた、旭川駅前の「山頭火・塩ラーメン」が、ビル建て替え中で食べられなくなって肩を落とした。旭川には有名なラーメン専門店が幾つもあるようなので、今後の旭川方面に出かけた時の楽しみにと思う。待ってろよ旭川(旭川は何も憎くありません)。

 

泣く泣く、セブンイレブンで助六寿司を購入。朝もセブンのミックスサンドイッチだったのに。でも、腹が減っていたのか、これが思いの外おいしい。笑顔を取り戻した。人間、いい加減なものだなぁと思う。end
【三浦綾子・塩狩記念館】http://www.tesio.net/~dhpress/special/1999dhspecial/siokarikinenkan/siokarikinenkan.htm

2013年

2月

04日

2013.02.04 (月) №22 『 “落雪”注意予報 あれは本当です 』

もう、2週間程前のことになる当地でも珍しいと聞いたかなりの迫力の吹雪が去り、近頃では、故郷の九州からは梅の花の便りが聞こえ始めた。関東地方ではなぜか20℃位まで気温が上がったというニュースも目に入った。

 

そう、先週の木曜日から金曜日にかけて、つまり、1月31日~2月1日は、稚内も相当にあたたかだった。信頼できる気温をいつも表示するわが家の自動車の温度計が、+5℃くらいになっていたと思う。

 

こうなると、雪降ろしの作業をするのも、雪が一気に解け始めるため危険だ。ひかり幼稚園の屋根に上って作業をしている方たちが、用心深く声を掛け合って仕事をされている様子を見て、危なさが十二分に伝わって来た。

 

金曜日の夕方近く、教会の牧師室で仕事をしていると妻からやや興奮気味に電話。「ねぇねぇ、すごいことになっとうよ。お隣の教員住宅の屋根の雪が落ちてきて、大変やけん。見たらわかるけん、戻って来てみりいよ(妻は“博多弁”の文化で育ってます)」。

 

忙しさにかまけて、彼女の声を軽く聞き流してしまったわたしは、あとで、妻に、申し訳ないことをしたかなぁ、という気持ちになった。妻は相当な恐怖の中、不気味な音と共に始まった落雪の様子を、ほぼ一部始終、映画のワンシーンを観るような形で心の目に焼き付けてしまったようだった。彼女は、一枚の厚い板が、そのまま、ずるーーっと一気に落ちてきたようだと振り返る。

 

電話から1時間以上経ってから、食事に戻って来た所、お隣の学校の独身の先生が、背広のまま黙々とスノーダンプを動かしている。

 

はて、と先生が行き来している先を見上げると、牧師館と教員住宅の間の幅4メートル×10メートル位の空き地には、まさに、うず高く山のような巨大な岩石と化した雪の塊が ゴロンゴロンと転がっているではないか。教員住宅の屋根に積もっていた雪が、一度に、完全になだれ落ちてきたのだった。写真は“気ままフォト”に一枚upしてます。

 

お隣の高校の先生は、わたしたちの居住空間に多大な迷惑を掛けてしまっていることを自覚されていたのだろう。申し訳なさそうに、「何とかしますから」と言われた。

ギリギリ、辛うじて牧師館の窓辺にまでその岩石化した雪の塊は押し寄せなかったものの、見れば見る程、ウォーと叫びそうになるほどの雪の量にさすがに驚いてしまう。まさに、山である。

 

教員住宅の屋根から落雪してきた時に、万が一でもそこに身を置いていて、もしも近くに誰もいなかったら、ぶっ倒れて、気を失い、埋もれたまま呼吸が出来なくなり、命を落としたのではというのが実感である。なるほど、落雪に注意とはこういうことなのか、と知った。

 

危ないから気をつけるんだよ、というお声がけを、教会の方から何度も聞いていたが、実際に経験してみないと、やはり恐ろしさはわからなかった。

 

冬の初めの頃に妻が庭に植えたチューリップの球根。本当に咲くのだろうか。咲くのだろうと信じていたいが、にわかに不信を抱きそうになるこの頃。春がやはり恋しい。そう感じています。負けてはいかんfight!と自らに言い聞かせてます。

 

さっき、留萌宮園伝道所の三浦牧師とお話しする時間があった。日本海側が荒れると必ず出てくるのが「留萌」だが、「ここ一ヶ月、家の中にずーっと居た感じですねぇ」とのこと。やはり、この地に於ける過ごし方は、そうなるのだと納得であります。

 

*追伸
 妻は既に立ち直っておりますのでご心配なく。「負けたらイカンちゃけん(博多弁 ・笑 )」と言っています。ある方が、「森家は美樹さんが元気だったら大丈夫ですね」と言っていましたが、まさに、その通りであります。

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