2014年
5月
29日
木
「寒いなぁ。ストーブつけようよ」
そう言っては、しばらくするとスイッチを切り、また入れる。そんな日が続いた。
このお便りを最初に書き始めたのは5月19日(月)のことで、その日もう雪はないだろうと思っていたら、牧師館から5分ほどの所を散歩で通りかかったところ、陽がほとんど射さない土地に残雪を発見。
増補版として手を煎れている26日(月)、名寄からの出張の帰り道にも、山辺には多くの雪が見えた。
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この季節、稚内は明らかに、札幌や旭川辺りとは気温が違う。
寒いのだ。
今年は北部は冷夏の長期予報が聞こえるが、九州育ちのわたしには、春だなぁという感が今も乏しい。
道内に赴任して10数年を経た岩手出身の同労者が、札幌近郊に赴任してから数年の頃に、「あ、これって冷房病?」と気づいたことがあったそうだ。
なるほど、そうかも知れないな、と思う。
新潟県上越市の教会に仕えていた頃、空の低さというか雲の低さに重苦しさを感じ、軽井沢を抜け、埼玉方面に出張するときに、空の高さがあまりに違うことに驚いていたことを思い出す。
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さかのぼっての話で恐縮だが、4月のおわり、北海教区総会の開催に合わせて札幌に出かけた。
前日から札幌に入り、医療関係の用を済ませ、ちょっとした買い物を終えた頃には、楽しみにしていた札幌駅前の百貨店・大丸内のうなぎ屋さんまで出向く元気もすっかり萎んでしまった。
それなら、ボリュームのある中華にしようと思って入店しカウンターに座った。
餃子の王将だ。
6時頃のことだったが、しばらくすると、一人の青年をはさんで右隣りに、なにやら特徴ある髪形が目に入った。そう、見間違えようがない。数日前に稚内に所用で来てくれた牧師仲間だった。
「おう、何だぁ。札幌も狭いなぁ」と挨拶。
食事を終えた時間。それぞれの宿に向かうのに少し早すぎたので、「これからどうするの?」と念のために聞いてみた。
すると、にこにこ笑顔で、「7時に開店する良いお店があるんです」との言葉。
「だったら、僕もついて行ってもいい?」には満面の笑顔で応答があった。
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それから約2時間、そう遠くない所にある、プロフェッショナルな日本酒専門のバーに連れて行ってもらった。
顔を合わせた相手も、わたしがお酒を飲まない(30年前にある肝臓病が切っ掛けでやめたのです)ことは知っているのだが、いっこうに構わず、日本酒専門のバーへと案内してくれた。
開店して間もないお店には、最初、他にはお客さんはいない。
そこでの時間。ひとことで言えば楽しかった。
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カウンター越しの棚に並べられている日本酒は、普通のスーパーや酒屋さんではぜったいに見つからないものばかりを揃えているとのこと。
とくべつな問屋さんがあるのだろうか。日本各地の地酒。見たことも聞いたこともないような、選りすぐりのものしか並んでいない。
わたしはと言えば、その日案内してくれた方の故郷の飲み物でもある、ポンジュースという、愛媛県産のオレンジジュースを頂きながら過した。
カウンター越しのママさんなる方とお話しするのは何年ぶりだろうか。カラオケがあるわけでもないそのお店は、お酒を味わい、会話を楽しむのに最適。
そんな、実に大人の空間だった。
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しばし会話を楽しみながら過ごしていると、やがて、一人でふらーっと入って来た30歳位の男性のお客様。
続いては、二人組の40歳前後の女性キャリアウーマン風の方たちが来店。
思い思いの酒瓶を指さしては「きょうはどうしますかぁ」「じゃ、最初は○○○」とオーダー。冷やのまま一升瓶から注がれる日本酒の音が心地よく聞こえる。
どうも、冷蔵庫にしまわれている酒瓶は冷やで味わうものらしい。それ以外は、お燗向きということのようだ。
あー、みんな一生懸命お仕事して、息を抜いて、しばし、ホッとしに来たのだなぁ、等と思いながら身を置いていた。
日夜戦い続けている企業戦士たちの様子も含め、たまにはこうした空気に触れることも必要だな、と思った。
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ママさんと友人の話を聞いていると、ワインの値段の高さ等に比べると、日本酒の奥深さ、ゆたかさ、値段の安さは表彰ものらしい。なるほど、そうかも知れない。
宝塚の誰かに似た所のあるママさんの心配りの仕方も興味津々だった。確かお店を始めて7年だったと思う。
おそらく、サービス業の最先端を生きている自負を抱いて居られると思う。ママさん。かつてはある一流ホテルでブライダルのお仕事に係わっていたとのこと。プロの仕事の在りように触れて、良い勉強の場となった。
それにしても明朗会計には感動。
気の利いた本当にちいさなおつまみ4点と合わせて2千円と少し。倍以上の金額を予想したので驚いた。
友は(カウンターに座って)「本でも読みながらもう少しゆっくりしてます」とのことなので、わたしは先に失礼した。
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ところで、ここ数週間の間に、私的には、たいそう気になるニュースがあった。
そのひとつが5月9日、民間有識者で検討したという「人口減少問題検討分科会」による子どもを産む中心世代である20~39歳迄の女性の人口の将来推計が、各紙に掲載されたことだった。
稚内北星学園大学の図書館に出向いて各紙を比較してみた。
道内に絞ると、2040年には147の市区町村で半減とある。それだけの数の市町村が存続の危機に直面するということ。つまり、札幌以外の道内の多くはそうした状況なのだ。
函館や旭川という、大きな都市と思っていた所までその中に含まれているとは知らなかった。
最新の稚内市の人口。
稚内市報によれば、一ヶ月で287名の減。それから世帯の数も93の減とある。春の異動時期とはいえ、一気にこんなにも多くの方が市外に転居してしまうとは。
果たして次月は少し持ち直すのだろうか。
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こうした人口減の中でのキリスト教の伸展、目に見えた伝道の成果を感じるということが、果たしてあり得るのだろうか、と思う。
このような人口減・過疎化という厳しい現実の中で、なお、神さまの真実なご支配が実感できる教会生活を、わたしたちは祈り求めたいものだ。
先の北海教区総会でも話題になったが、日本各地の小さな町、端っこに踏み止まっている教会が見捨てられてしまうのでは、と心配になるようなことが起こらないように、共生の道を何としても進んで行きたい。
それは心からの願い。
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妻の左手首の骨折。色々と考えさせらることが多い。
骨折にもさまざまあるにせよ、こんなにもダメージが大きい事態になるとは、当初、全く想像できなかった。
“骨折”を知るホームページ「骨折ネット」が世に存在して様々な情報を得られる。
妻の骨折は、単に、整形外科的な事柄や機能の回復の問題だけではなく、心理的に“ぽきんと折れる経験”をしているのだという、信頼する専門家の言葉を聴いて「やっぱり」と思った次第。
病気や怪我の苦しみというものは、当人にしか分からないことが多い。リハビリの苦しさ、不自由さ、不安。側に居て、言葉の掛けようがない。
ある友人が「順調に、悪くなっている」「骨折しなかったら、もっと大変だったから骨折したんだ」という見方もあるのだ、と教えてくれた。
なるほどと思う。
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おしまいに体重の話題。
わたし、体重をこれ以上は増やさないように、とあらためて思うこの頃だ。既に何度かこのblogでも記したことなのになぁ。やれやれ。
運動、節制、その他。
あれもこれも足らないのだろう。いや違う。反対にあれもこれも多すぎるのか。
ある年若い著名なお坊さまが、「60回噛むように心がけてご覧なさい、そうすれば…」と言われてることを知った。
確かに、感謝しつつ噛み締める食し方が本当に足らないと思う。がつがつと食べるのは、味わうということも、感謝することも、ずいぶんと不足していることを認めざるを得ない。
うーん、悔い改めが必要なのだなぁ。
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ただ思うに、がりがりに痩せてしまい、お尻の骨がとんがって、椅子に座ることが耐えられなかった、5年程前のある時期よりは、かなり健康的だろう。
本当にそう思う。
初夏が間もなく終わるとラジオで話す声が聞こえた。
が、初夏どころか、早春が足踏み状態の稚内。めげずに、元気に気持ちよく、外を歩き始めよう。end
2014年
5月
25日
日
5月21日(水)
「イエスの降誕物語」を学び始めた稚内北星学園大学のキリスト教概論の時間の最後に聞いてみた。この日の出席者は22人。
【何色に感じるかな、今の自分の色、そして、日本の社会を包む色】と。
『讃美歌21』より243番の「闇は深まり」を紹介。クリスマスの出来事の時代背景について少しふれた後のことだ。
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学生さんたちからの応答
【自分の色】
オレンジっぽい感じ、青に近い白、紫、オレンジ色、深緑、濃青、明るい青、黒、薄紫、オレンジ、濁った白、紫、白に黄色がかかっている、青・緑、朱色、クリーム色、灰色、群青色、虹色、暗い黄緑、バラ色、紫色。
【日本の社会を包む色】
水色、黒に近いグレー、黒、グレー・水色、黒8白2の灰色、黒と白、黒が強い灰色、黒8赤2位の色、よどんだ緑、灰色、紅白(右寄りになってきているから)、灰色、グレー、ピンク色、紫色、黄色、白、混じり合わないマーブルカラー、無色、クレーと青、灰色、黒に近い灰色。
わたしが学生だった頃、右肩上がりの“いけいけどんどん”の時代だった。その頃の、社会を包む色は、もう少し明るかったかな、とも思う。
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記してもらいながら、
【誰かー、皆の前で、ここで自分の色を発表できる人、いるかなぁ?】と尋ねた。
すると程なく、【バラ色】ですとT君。
【バラ色】の声に、わたしも含め、クラスの中で、若干の質問というか突っ込みがあった。
だが、T君は【やっぱりバラ色でいいです】との結論。
今考えて見ると、若者らしい、とても素晴らしい色だったなと気づく。一人くらい、そういう若者が居てよかったのだ。
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さらにもう一つ、わたしは皆に質問した。
【はーい、自分を救ってくれる神がいるなら、どんな神さまと出会いたいか】
以下、たいへん興味深い言葉のオンパレード。
◇優しくてキレイな若い女性です。
◇自分のことを救ってくれるなら不公平な神で良いです。
◇たまに襲いかかる猛烈な孤独感から解放してほしい。
◇わたしの弱点や良い所を知ってくれて、自分が自立するために様々なことを考えさせてくれる神。
◇優しく色々なことを教えてくださる神。
◇相談に乗ってくれる神、人には言えないことを聞いてくれる。
◇過去に戻してくれるか、自分の性格を直してくれるようなことをしてほしい。または、もう一度、人生をやり直すチャンスをもらいたい。
◇八百万の神がいると思っているので、もう出会っている。または、自分を救うのは自分なので、自分が自分の神の可能性もあります。
◇相談を聞いてくれて、助言を親身になって与えてくれる神。
◇えこひいきしないで人間にあまり干渉してこない神さま。
◇自分を救ってくれる分を他の人々のもとへ行ってもらいたい。わたしは自分の足で歩かせてくれる神で良い。
◇自分を救うのは自分だと思うので、自分を客観的に見ることができる自分が「自分の神」である。
◇神はいません。自分を救えるのは自分です。自分が神です。
◇私の話をよく聞いてくれる神に会いたい。綺麗だと嬉しい。一定基準の悪者を消してくれる神に会いたい。
◇教えではなく考えさせてくれる神。
◇運命を決めない神がいいです。
◇私にとって、救いの神に願うことは実はありません。私は、今以上の事を求めません。
◇私がしてきた罪を許すとまではいかなくても、側で「大丈夫」と言ってくれる神。
◇どんなストレスも受け止めてくれるような神。そして悪い所を指摘してくれるような神。
◇ほんとうの「愛」について教えてくれる神。
◇年上の大人な女性。
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とっても素直な気持ちを記してくれたなぁ、と思う。
この日の講義の冒頭、前回の講義の最後に、プリントに質問を記してくれていたことの一つについて答えた。
【先生にとって、キリスト教ってどういう存在ですか? キリスト教がなかったらどうなりますか?】についてだ。
これに対しては、雑誌『信徒の友 6月号』の「神に呼ばれて」に寄稿したものをコピーして配布・朗読させてもらった。そして、「召命」という言葉の意味を少し解説。
わたしからの応答とした。
神からのcallingに答えようとして生きているから、もしもキリスト教がなかったら・・・・・生きていけないかな、と。
ただ、もう一つ伝えたいことがあった。それは、【わたしはキリスト教を信じて居るのではなく、キリストを信じている】ということだった。これ、今春、ある神学校の卒業式メッセージで語られている言葉だ。いずれまた、語ることが出来れば幸いだ。
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それにしても、3年目のキリスト教概論。楽しいながらも、90分の講義。実は終るとかなりぐったりする。
けれども、それ以上に明記しなきゃならぬことがある。
それは、とても大切な力をそれ以上に受けているのでは、ということだ。
ごくごくふつうの若者たち。キリスト教にこれまでほとんど触れてこなかった彼らとの出会いは、とても貴重な時間だと思う。
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さいごに、Z君からはこんな質問が記されていた。
◇「コーヒーの豆はどんな豆を使ってますか? どこの国の豆を使ってますか?」
◇「おすすめのコーヒーをのめる稚内の喫茶店はありますか」
「ありがとうございました」(とも記してある)
Z君「美味しいコーヒー、豆を挽いてごちそうするから、飲みにお出で」の言葉に、誠実に質問してくれたのだ。
◆「豆はねぇ、今はケニアAAマサイ、それからキリマンジャロのいずれも浅煎。そして、京都“小川珈琲”のショップブレンド(ブラジル浅煎5%、コロンビア深煎25%、コロンビア浅煎10%、ジャワ浅煎10%)があるよ!。喫茶店は行かないからわかんないや。以上 とにかく一度、稚内教会に珈琲飲みにおいで。10人は厳しいけれど、3,4人だったら、一度に煎れられるよ」end
2014年
5月
19日
月
『 信徒の友 』
日本キリスト教団出版局から発行されている「信仰生活を豊かにするキリスト教の月刊雑誌」として知られる。いのちのことば社の『百万人の福音』がライバルだろうか。
キリスト教界ではそれなりに知られる老舗雑誌かと思う。1964年4月の創刊だから、今年50年を祝っていたのも記憶にあたらしい。
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実は、先頃発売になったばかりの、2014年6月号の『信徒の友』に、依頼を受け、わたくし、微力ながら書かせて頂いた。
毎月、各地の牧師が交替で綴っている連載「神に呼ばれて」である。
いわゆる「献身」に係わることを、あれこれ思い起こしながら入稿した。
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わたしの両親がもしも健在だったら。
「おふくろ、送るから読んで」と、わたしも言うのかも知れない。せめてもの親孝行か。
おやじが元気だったら、車は運転できないので、原付バイクにまたがって、最寄りの本屋さんに走り、10冊くらい取り寄せてしまうのではと思う。
本当に。
顔写真入りだもの(笑)
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稚内教会の何かに載せているものであれば、このblogにさっそくアップロードし、皆さんにも読んでいただいても構わないのだろう。
だが、今回はそういうわけにはいかない。発売になったばかりの雑誌の記事をというのは、さすがにツツシマナケレバならないだろう。
編集部のIさんとのやり取りでも、
「1年後でも売られて居ますので、ぜひ、お買い求め頂けるように、森先生からもご協力をお願いします」
とのこと。
おっしゃることは、ごもっともです。
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というわけで、お手元にない方で読んでみたいなんて思って下さる方は、どうぞ、定価586円なりですが、これを機に一冊どうぞご購入下さいませ。
それがどうしても無理な方。
教会のお友だちか、牧師先生に頼むなりしてみてください。
それもムツカシイ方。blogのメール欄から、著者(アハハ、わたしです)にお声がけを。
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それはそうと、雑誌の投稿というもの。思った以上に大変なものと知った。
細かに聴きはしなかったけれど、編集部なり、あるいは、出版局内部で定められたかなり厳密なルールがあるのだ。
だから、自分が書いた通りの原稿がそのまんま掲載されているわけではない。敏腕編集者の手によって、さまざまなチェックが入る。
読みやすく、うつくしく、等々。
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こぼれ話、二つ。
「森先生、顔写真をお願いします」という依頼も受けた。一応、数ヶ月前迄の「神に呼ばれて」を確認。
そうか、男前のを探さねば、と思って探してみた。大きく写った顔写真というのは、意外と少ないもの。
それでも、パソコンに収まっている幾枚かの写真を、ま、これなら大丈夫だろうと考えて、エイッと添付して送信。
編集集のIさんも、これで大丈夫です、と一度は伝えて来てくれた。
ところがしばらくしてからこんな連絡が届いた。
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お世話になっております。今回、先生の写真を3点送っていただきましたが、どれも掲載するにはサイズが小さく、印刷すると粗く出てしまうので、他のものを送ってくださいと、デザイナーからリクエストがありました。
また、ピンもちょっと甘いので、もう少しクリアに写っているものをお願いできればと思います。
デジカメでお撮り直しいただけるようでしたら、バックは白など薄めの無地の背景で、自然光に近い蛍光灯の下で撮っていただくとよろしいかと思います。
週明けまでにお写真を2、3点お送りいただけますようお願いいたします。
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そうかぁ。雑誌って、デザイナーが入るのねぇ。
困ったわたしは、写真のお師匠さんに相談することにした。
稚内教会にお出でになって数ヶ月。求道者と言ってもよいと思うが、わたしも週報棚に名前を入れている、Sさんがお師匠さんだ。
そんなわけで、とある土曜日の午後、「学生時代の写真の先生から、人物を撮るならこのレンズで、と教えられていますから」と言いながら、バシバシ、カシャッ、カシャッ。あっという間に撮影をして下さった。
編集部からのオーダー通り、礼拝堂の白い壁をバックにして10数枚を撮影。さらには、どのような手を入れられたかは不明ながら、微修正というか色調なのか、Sさん、仕事をされたとのこと。
その中の何枚かをわたしなりに選んで編集部に送り、編集部側で決めて下さった写真が、この度の「神に呼ばれて」に添えられた顔写真だ。
Sさん、ありがとう。今後、力いっぱいおいしいコーヒー、挽き立てのをお入れしますよーっ(^^♪)
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もう一つのこぼれ話。それは、見出しと、リードの部分の話だ。
編集担当の方がわたしの原稿を読んで下さって、立派な大見出しをつけておられた原案が別にあった。そして、5行にわたる導入のリードもそこには添えられていた。
それは、なるほどなぁ、編集のIさん、そういう風に読まれたのかと感心すると同時に、とても心を込めて書いて下さっていることが伝わってくる素晴らしいものだった。
が、どうしても、著者にしか分からない思いというか、秘めた祈りとも言える部分というのだろうか。グイッと力を入れた部分が在ったため、編集の方と相談の上、わたしなりのものを逆提案させて頂いた。
有り難いことに、それを受け止めて下さって完成したのが今回の記事という具合だ。
それとて、サッサッと出来るものではなかった。編集作業とは、かくもあれこれ手を入れることが出てくるものなのか、と知らされた次第。
****************
一昨日の土曜日の夜。
母教会の(現在の)主任牧師に電話を入れた。わたしの献身時の主任牧師・鵜飼勇牧師は天に居られる。
カラーン、カラーン、カラーンと銀座の街に鳴り響く「銀座の鐘」の音。そして、教会の働きとして今も続いている、「福音会英語学校」のことも拙文には記してある。
だから、ひと言、感謝を伝えたかった。
「心配ごとで電話を入れたのではありません、いつもお支え頂き感謝です、実は・・・・」と報告。
「読ませて頂きます。(関係者は)喜ぶでしょう」の声が受話器越しに聞こえた。
****************
また、神学校時代の同級生からもメール。以下、抜粋転記。
*
『信徒の友』拝見。机を並べていた頃、今のようには深く貴兄のことを知らなかったと思います。・・・・互いに抱えている苦悩も思いも違いながら、召命に対する向き合い方も違いながら、しかし20数年が経ちました。
・・・・『あの時の「召命」は現在を指し示す「照明」であったのですね。・・・・現在の北の辺境での伝道生活・・・・ただ御言葉に必死て仕えていれば、ある日、すべてが「照明」の中に置かれると思います。
・・・・。伝道者の生涯は冒険の生涯なのですね。この地上にある限り「神との冒険」を喜びつつ、楽しみつつ、歩んで行きたいと思います。・・・・良き省察を与えられたことに感謝・・・。
****************
1年と少し前、春季伝道実習に来てくれた、A神学生も、彼らしい、メールを送ってきてくれた。
*
信徒の友6月号!読みましたあ!!
首のスカーフ、やはり日本の牧師の中で、いや世界中の牧師の中で森先生ほど似合う人はいないのではないかと思いました。
私としてはスカーフの森先生の姿を日本の教会の皆様に知っていただいたことが大満足です!
先生が・・・・出身だとか、・・・・にいたとか、初めて聞くことも載っており新鮮な驚きをもって読ませていただきました。
・・・こととかも書いてあり、・・・・な森先生らしい文章だなあと感じました。きっと・・・稚内教会の皆さんも本当に嬉しかったことだと思いますし、教会の喜びですね。
私も伝道実習の先生がこうやって皆さんに知ってもらえるのはとても嬉しかったです。説教原稿作られているときにすみません。
****************
神さま、ありがとうございます。
また、これから精進してまいります。end
2014年
5月
16日
金
昨夜は、ニュースをラジオやネットで確認することなく休んでしまった。
やや昂奮ぎみに夕飯をとったからか。
教会での仕事を20時過ぎに打ち切って、某所での夕飯なら裏切られることは無いだろう、との思いを胸に車を走らせた。
が、なぜか、スーパーの前を通ると、フラーッと駐車場に向かって入店。おーっ、まだやってんのか、と思いながらかごを持つ。
夜9時迄営業とあって助かった。稚内のお店は大きな街に比べれば早じまいが多いので嬉しい。
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刺身にするか、揚げ物にするか等と思ってお魚売り場に行くと半額のラベルが目に入る。幼稚園で顔なじみの保護者も、もしや、賢い買い物の時間を狙ってなのか挨拶した。
【生うに】が板に天こ盛りでウインクしている。
何だなんだ、いくら? 3080円の半額。1500円かーっ、と言うことで、「俺も男」だから、とは思わなかったけれど買いました。
そして、うに丼を堪能し夜は更け、就寝。
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朝、新聞を手にした。
今、我が家では『毎日新聞』と地元(夕刊)『稚内プレス』が定期の情報源。
毎日新聞の見出し。
「日本をとりもどちゅっ!」と叫び始めるところから始めた珍蔵くんが、もとい、晋三さんが、カメラを120パーセント意識しながら、ゴルフで鍛えた左拳を握る写真が一面にある。
「集団的自衛権 容認を支持」が白黒の反転の大見出し。
縦のゴシック中見出しで、「首相、解釈変更に意欲」
社説は「集団的自衛権 根拠なき憲法の破壊だ」
新聞は「斜めから読むか、信じないで読むべし」という意味のことを妻から言われることがある。
が、忙しい朝だけど、ひと言打ちたくなった。
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ちなみに、他社の社説は以下の通り。
【読売】 集団的自衛権 日本存立へ行使「限定容認」せよ
【産経】 集団自衛権報告書 「異質の国」脱却の一歩だ
【朝日】 集団的自衛権 戦争に必要最小限はない
【中日】(東京) 行使ありきの危うさ 「集団的自衛権」報告書
【北海道】集団的自衛権 首相が示す方向性 日本の安全を危うくする
◆このブログを書いた夜に以下5行は追記
北海道新聞は、他のどの紙面よりも丁寧に報じていたと気づいた。ボリュームも最大級。「安倍首相の会見全文」、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会の報告書の全文」まで完璧に網羅。それらだけでも紙面の五ページにわたるもの。そのほかに、道内の自衛官家族らの不安と覚悟の取材など、頭が下がった。この日の『道新』は38頁の分厚いものだ。ちなみに、『毎日』の北海道支社発行の13版は30頁。
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ピースウォーク稚内の共同代表の3人のうちの一人として、少しばかりではあるけれど、これまでとは違う思いで、あれこれを責任もって考え、行動したいと思うようになっている。
つい最近、ピースウォーク稚内の仲間達との話し合いがあった。
その中で、識者か、それに準じるかと感じるある人(報道に携わる方)の、集団的自衛権に関することばが紹介された。
文脈はわすれたけれど、「女性はいろいろ心配しているけれど、俺は男だから、集団的自衛権は容認せざるを得ない・・・・」という内容だった。
明解さんで知られる、『新明解国語辞典 第七版』によると、「識者」というのは、「大所高所から物を見、正しい判断の出来る人」とある。
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「男らしさ」ということばが、新聞を手にしてふと頭をよぎった。わたしの中では、ピースウォーク稚内の会議での話題とも繋がったのだ。
さらに、数日前のこのブログに、【釧路のいわし 味付】を紹介したことも思い出した。
【釧路のいわし 味付】
缶詰職人さんの味付けの仕方が、見事にすきっと決まっていて、「男らしいじゃないか」と少し思いかかったのだった。しかし、いやいや、「女性らしいのか」とも思った。
違う、ちがう。
そういう感覚自体が古く、可笑しいんだなと反省しつつ、あらためて思ったりしていた。
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『ウォール・ストリート・ジャーナル日本版』に肥田美佐子さんという方のNYリポートが載っている。
「男らしさ」について、Googleの検索で11番目に出てきたもの。
日本男性の「男らしさ」について、自衛隊を取材したアメリカの女性教授に聞くということで、カリフォルニア大学サンタバーバラ校のサビーネ・フリューシュトゥック教授(現代日本文化研究)へのインタビュー記事だ。
日本人男性への集中的な取材などを通して、「マスキュリニティー(男らしさ、男性の特質)」を分析する際、イラク戦争開戦前後、数多くの自衛隊員にインタビューを行ったそうだ。
彼女は短期入隊を許可してもらい、基礎訓練にも参加。一人2時間くらいかけて、入隊の目的から人生観、父親や祖父をはじめとする家族などについて、じっくり話を聞いた上でのリポートだった。
****************
フリューシュトゥック教授 ・・・・(隊員は)戦争に行きたいと思っているのではなく、災害時の救助活動など、もっと大きく重要なことを世の中のためにして役立ちたい、というポジティブな動機が目立った。両親とうまくいかなかった人が、入隊によって人生を立て直したいというケースもあった。国防といった大きな問題よりも、むしろ個人的な人生観にかかわる入隊動機が多かった。
――草食化など、日本人男性の男らしさは危機にさらされているのか。
フリューシュトゥック教授 ・・・・「男らしさ」は、国を問わず、時代によって変わることを理解すべきだ。たとえば第二次大戦のころと今とでは、すさまじい変わりようだ。男らしさは流動的である。
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子どもの頃、「男だろ」とか、「男らしさ」とかの洗礼を受けたかも知れない。
しかし、わたしも変わった。
「俺も男」というよりも「人として」。
今、この時代の進み方に、危機感を抱かざるを得ない。
否は否と申します。
集団的自衛権の行使の憲法解釈を変更して容認する、という道。
明確に反対。ささやかですが、表明。
イエス・キリストに最期まで従いたい。end
2014年
5月
15日
木
◆いつもでしたら、関係の皆さんにお届けしたものに、このブログでは、あれこれ補足していますが・・・・今回はなしでUPします。
****************
みなさまへ 『 最北通信 稚内教会 牧師室便り』
2014年4月20日 №25
牧師 森 言一郎(もり げんいちろう)
稚内市立図書館で開催されている(4月6日~20日)『故久保田喜代巳写真遺作展』を見ました。深く感動です。
数日前、偶然図書館に立ち寄った時に気づきました。写真道の師匠?になってもらっている方に、その場で興奮気味にメール送信。「市立図書館ですごい写真展を行っていますよ。見ていなかったら是非」と。
****************
4月13日、棕梠(しゅろ)の主日の礼拝後、利尻こんぶバザーの作業が終わってから、日曜日の閉館時間の午後6時の直前に、カメラを抱えて再び写真展に足を運びました。
「閉館でーす」「今、帰りまーす」の声が響き合う中、展示されている写真を撮影。夜、パソコンで改めて見ました。やはりすごい。『つるし雲と利尻富士』『うろこ雲』『喜びの大地』『青空に白銀の華が咲く』『漁師』『けあらし』等、どれも心に焼き付きました。
遺作展ですから、作者の久保田さんのお話を聴いたり、お顔を見ることはもう出来ないのです。
昔ながらのフィルムに焼き付けられている一枚一枚の色調は、デジタルの写真とは違い、染みてくる優しさがあります。
テクニックでも偶然でもない。私は、久保田喜代巳という方が抱いて居られた、ファインダー越しの被写体に対する深い愛を感じました。
****************
作者の久保田さんについて、会場の小机に置かれていた紙にこう記されています。
【昭和6年稚内市に生まれ、長年にわたって沖合底曳き漁船の機関長として水産業の発展に貢献。退職後趣味の写真に本格的に取り組み……。久保田さんが撮影した稚内や宗谷の風景写真……煌(きら)めく斜光線を大事にした独特のもの……】。
郷土の海を、山を、大地を、そして海に生きる人々を慈しむ思いがこういう形で遺され、伝えられることを教えられました。
キリスト教の「三愛精神」(神、人、土)にも通じるな、と思った次第です。
****************
全国的に広く名が知られた方でも、図書館の遺作展に人だかりがあるわけでもありません。しかし著名人ではない、稚内に生きた久保田さんの作品は不思議な力をもって私に迫りました。
「年度始めの多忙さゆえ、行けるのとしたら日曜日」と返信してくれていた私のお師匠さん。「素敵な写真ばかりで自分の写真魂がまた燃え始めました(笑)」という返信をくれました。
****************
ここ数年、日本一小さな大学を競っているかも知れない稚内北星学園大学。私は「キリスト教概論」の講義を担当させて頂いています。
新入学生が20数名の大学なのですが、経営さえ成り立つのであれば、私はそれはそれで、とても良いことだと思っています。私自身、寺子屋のような夜間の神学校で学んだ人間です。それゆえ、少人数の学校の良さを身を以(もっ)て経験しているからです。
半年ぶりに教室に戻りました。1年生から4年生まで誰でも選択できる授業で、果たして何人来てくれるかなぁ?と、1講目のプリントのコピーを大学で始めました。
教務担当の方から、「森先生、今年から部屋が変わりますのでご案内します」と言われ、「あっ、こりゃますます駄目だ」と覚悟。
もしかすると5人位かなと思って教室へ行くと…。なんと25人も来てくれました。
嬉しい。
私の拙(つたな)い講義。毎回、最後にその日の感想を記してもらうのですが、先日はこんな言葉を見ることが出来ました。
「浄土真宗大谷派からキリストへの新たな挑戦です」とか、「愛とは何か、愛し合うということは何か。キリスト教から見る視点、視野を広げたくなりました。15回が終わるまでに、森先生に会いに教会へ行けたらいいです」「ひかり幼稚園だったので深くキリストのことを学んでみたい。自分の抱いている〈愛〉の理想とキリスト教での〈愛〉はどのように違っているのかも学んでみたい」等々。
今後が楽しみです。
****************
「タニタ食堂」を皆さんはご存じでしょうか。
今年の復活祭(イースター)前のLent(レント)。私はスーパーで買ってきた「タニタ食堂監修の即席みそ汁」に毎朝お世話になっています。
妻の美樹さん。春の吹雪後の圧雪で牧師館前で転倒という受難。左手首をボキッと骨折し手術・入院中です。
神さまを大切にするのと同様、かみさんを大切になさいという神の啓示でしょうか。ほろ苦い北国の春を迎えました。
2014年
5月
14日
水
稚内北星学園大学の「キリスト教概論」の時間。
第5回目となり、だいぶ、学生さんたちとの呼吸や間が良くなってきた。
前回、プリント配布して紹介していた「モーセの十戒」の学びを始めた。先週は、「殺してはならない」について少し踏み込んで考えた所で終わっていた。
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きょうはみんなで「十戒」を読み上げてみた。そして、おもむろに質問。
第九番目「隣人に関して偽証してはならない」との兼ね合いでの問いかけだ。
「はーい、顔を上げてぇ。みんなの中で、嘘をついたことのない人。手を挙げてくださーーい」
この日の出席者。あらためて出席簿を数えてみると23人。一限目だけど、眠気もない様子で、お目々パッチリ、しっかりとこちらを見ている。
もちろん、誰も手を挙げない。
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「じゃぁさぁ、皆に、自分がついた嘘を告白できる人。自分なりにもう既に整理できていることでいいよ。クラスのために、お互いのために、誰かいるかなぁ」と呼びかけた。
しばし沈黙。
やがて、一人目のZさんが手を挙げてくれた。
「じゃ、前に出てきて。お願い」と伝える。
Zさん、小学校の時の夏休みの算数の宿題で、引き算をどうしてもしたくなかったそうで、母親に嘘をついたことを黒板に図を描きながら告白。
ご自分の中で、どうしても忘れられないウソなのだろう。
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続いてVさん。
話し始めた内容は、意外にも、つい最近のこと。
某所で、かなりの人を巻き込んでついてしまった“うそ”が、更に家でも“うそ”を呼んでしまった模様。
毎回、授業のおわり一〇分になって記してもらう小さなプリントがある。きょうは「キリスト教概論の講義を聴いてよかったこと。参加してよかったことを記してください」と伝えた。
Vさん、最後に短くこう書いていた。
【今回、自分の犯したウソを皆の前で告白できて良かった】と。
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ほかにはこんな声も。
Wさんは、短くこう応答してくれた。
「・・・・しかし。他人とうそを分かち合うと言うのは、考えた事もありませんでした」と。
なるほど、めずらしいことだよなぁ。実は僕も考えてなかった。神さまのお導きなんだ。
キリスト教って、分かちあうことがすっごく大事なんだよなぁ、本当に。
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あるいは、Uさんはこう記していた。
「前回・・・・について書きましたが、・・・・嘘をついてごまかしました。誰にも言えないことが苦しかったです。聞いてくれる人がいただけで、気持ちは楽になるんですね」と。
わたし、Uさんのことが、とても気になっていた。なぜなら、前回の応答の最後にこう記して終わっていたのだ。
「今日の講義は聞いているのがつらかったです」と。
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他には、第七番目の戒め「姦淫してはならない」の罪を犯した者に対して、これから学び始めようとしている、イエスという人物は、一体どんな形で向き合ったのかを一緒に考えることにした。
その際、ヨハネによる福音書8章の、「姦淫の女」と呼ばれることの多い記事を紹介。新約聖書だけは教科書指定をしている。
「この女の人は、イエスとの出会いで、最終的に何を受けたのだろう。どんな気持ちになったのかな。どうだろう」と問うた。
しばらくして、一人の学生さんが小声で口にした。
「救われた」と。
「そうだね。救われたんだと思う。助かったとも言える。前回、イエス・キリストの名前について考えたよね。イエスは名前。キリストの意味は何だった?」
「救い主デス」
「そうだよね。《わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない》って、言えるのがイエス・キリストなんだよ」とわたし。
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講義の中で、キリスト者で哲学者として知られる、森有正の言葉を思いだし、その一端を紹介したくなった。
そういう展開になるとは、自分でも予想していなかったので、配布するプリントは準備出来ていなかった。頭の中に残っていた一部分を伝えることにした。
「親にも、友人にも言えないことが僕らにはある。心の一隅。隅っこって書くかな。そういうものを、何か抱えている。それが、僕たち人間というものじゃないかなぁ」と。
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森有正の本にはこうある。次週、講義のはじめに配ろう。
【人間というものは、どうしても人に知らせることができない心の一隅を持っております。醜い考えがありますし、また秘密の考えがあります。またひそかな欲望がありますし、恥がありますし、どうも他人に知らせることのできないある心の一隅というものがあり・・・・・
人間がだれはばからずしゃべることのできる、観念や思想や道徳や、そういうところで人間はだれも神様に会うことはできない。
人にも言えず親にも言えず、先生にも言えず、自分だけで悩んでいる、また恥じている、そこでしか人間は神様に会うことはできない】(「アブラハムの信仰」『土の器に』、日本キリスト教団出版局)
こう記してくれた方がいる。
「親や友人など、誰にも言えないという、心の一隅というものが私にだけではなく誰にでもあり、あって良いものなんだと思えたことが良かったです」と。
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そういえば、この日の最後の15分。
持参した絵本『 たいせつなきみ 』(作: マックス・ルケード、訳:ホーバード豊子、いのちのことば社)の読み聞かせにあてることにした。
ちょっと冒険と思った。
が、思いの外、学生さんたちの反応は好意的だった。さっそく、大学の図書館に置いていただく申請をした。図書館のHさんも喜んで下さってホッとする。
小さなペーパーへの声はこうも記されていた。
「最後に読んでいただいた絵本は小さい頃に見たことがありました。自分はよいところなんて、なにもなくて、ダメダメ人間です。でも、絵本のおかげで、もしかしたら、そんな自分でも大切に思ってくれている誰かがいるかもしれない、と思えました」
これは、「今日の講義は聞いているのがつらかったです」と上で紹介したNさんのことば。
Sさんは
「まさかこの年で、絵本の読み聞かせがあるとは思わなかったが、何だか小さい頃を思い出して懐かしく感じた」と教えてくれた。
ほんとね、まさかなんだよ。でも、それって楽しいよな。
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さいごは、わたしの宿題。
ある学生さんはズドーンと、こんな質問を記してくれた。
「先生にとってキリスト教ってどういう存在ですか? キリスト教がこの世になかったらどうなりますか?」
来週、応えようと思う。すごい質問ありがとう。
ほかにも、難問が届いた。ありがたいこと。end
【追伸】
『 たいせつなきみ 』は比較的最近、稚内教会のブログでも紹介している。
毎年稚内ひかり幼稚園の卒園前の子どもたちに読んでいる絵本で、2014.3.4(火) 『 《 卒園記念礼拝 》の《 パンチネロ 》・・・ 』で紹介してます。関心のある方はどうぞ(^^♪)
2014年
5月
13日
火
こまった。
すごい「缶詰」に出会ってしまった。
誇り高く、自信に満ちた感じで、缶の表にはこう書かれている。
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良いものが獲れればそれを缶に詰めるのが缶詰職人。
当社釧路工場の目の前にある釧路港で水揚げされた鰯を醤油味の缶詰に仕上げました。
【釧路のいわし 味付 固形量100グラム】
釧路の職人達が造り上げた自慢の缶詰を数量限定でお届けします。
製造者 マルハニチロ北日本釧路工場
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思わず写真におさめてしまった缶詰。白ごはんとお茶、梅干しがセットだ。
恐るべしこの缶詰。本当にそう思った。
一昨日の、日曜日の昼飯のことだ。めずらしく、夕刻に予定されていた納骨式までほぼ何にも無い穏やかな午後。
実家に里帰り中の妻の留守の間、次は何を食べようかな、と心のどこかでいつも考えている。
作り置きしてくれたおかずを冷蔵庫や冷凍庫をまず見る。それから、差し入れに頂いたあれこれとか、お招きを受けての食事会とかもある。つい500円ほどを握りしめて行ってしまう、牛丼のすき家さん(吉野家、松屋は稚内にはない)も捨てがたい。
それぞれにありがたかったり、おいしかったりする。
しかし、おとといの昼ごはん。ひとり感動してしまった。本当にマイッタ。
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あまり大きい声では言えないが、最近、口にしたものの中で、一番食べたかった味ではないか、と振り返って見て思う。
稚内教会の会員「強さん」がお住まいの稚内市の恵比寿地区に「株式会社オホーツクニチロ宗谷工場」がある。いつも右手にニチロを見ながら、左折して「強さん」宅を訪ねる。
しかし、そこでは造られていない【釧路のいわし 味付】。
そりゃそうだな。鰯が揚がったとは、愛読紙『稚内プレス』にも書かれることは無い。
鰯は釧路に大量に揚がるのか。田村先生、そうなの? もしや、釧路はイワシ産業も、水中に潜っていく炭鉱と共にすごいのか。
【稚内のほっけ 味付缶詰】はおそらく、永遠にないだろう。ほっけは干物しかない。ま、フライにしても旨いが。
しかし、干物は焼かなければ食べられんから、缶詰の前に、勝負にならない。わたしの場合。
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NHKの午前中のラジオ第一放送の人気番組「すっぴん!」
《フードコート》という時間に「かんたん、かんげき、ハッピー缶づめ」なる番組があって、缶詰博士こと、コメンテーターの黒川勇さんの話をおもしろく聴いていた。
「カンニチハッー!」の挨拶から始まり、缶詰を侮ってはならん、とやさしい笑顔で教えて下さる。顔は見えないが。
でも、黒川さんも、【釧路のいわし 味付】は訳あって紹介出来ないだろうなと思う。
黒川さん程の人物が【釧路のいわし 味付】の美味しさを知らないはずがない。
でも、類似品というか競合品が存在しないから、唯一の商品を紹介することになってしまうのではなかろうか。
それゆえ、躊躇するだろう・・・・・、と勝手に想像。
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骨折しても、けなげに片手でジャガイモをむき、リンゴジャムを作ってくれていた妻には報告できないが・・・
【釧路のいわし 味付】。
明日は少し時間がありそうだから、買いに行こう。3缶いっちゃうかな。
嬉しいことに、【釧路のいわし 味付】の原材料は、ぜったいに安全そうだ。
〈 いわし、糖類(砂糖、糖みつ)、しょうゆ、しょうが汁、食塩 〉
うーん。
なかなか、サッパリしていていいじゃないか。ケチのつけようがない。
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缶詰と言えば、「鯖味噌」とか、「サンマの蒲焼き」と思い込んでいたが、時代は先に進んでいた。
缶詰の表書きにあるが、缶詰職人のど根性が、この一缶には込められている、と真面目に思う。
こんな美味しい缶詰があっていいのか。
いやー、参るな。
敬愛する東海林さだおさんのご本かマンガで取り上げて欲しいものだと思う。
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月火水木金土日。
毎日はいやでも、月・水・金くらい行けそうかなと思うのだ。札幌のニューオオタニや、グランドホテル、オークラの、朝の和定食の焼き魚は止めて、こっそり【釧路のいわし 味付】で勝負したらどうだろう。
大人気になるのではないか。
だって、小ぶりな鰯の味付けと言ったら、ほんと、食が進んで堪らなかった。
過日、札幌滞在中に頂いた、ホテルの朝食の焼き魚は、二日続けて「鮭のナンチャラカンチャラ焼き」で、肩を落としたものだった。
だが、【釧路のいわし 味付】だったら、朝は少食のわたしでさえ「おねえさん、ご飯、お替わりお願い」と言えそうだ。
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缶詰のツラガマエも、かなりの出来映えである。本当に映えている。
黒を基調にしつつ、緑色の北海道の大地を描き、太平洋に面した釧路の沿岸部を薄く、なぜか茶色に染め(薄味をイメージか)【釧路のいわし 味付】とぶち抜く。
缶の色がまたすごい。
白色の味噌味もあるらしいが、何か、この黒色というのは高級感があってたまらない。「これは、ひょっとして、カニ缶並みの特別に高価なやつのかい?」と思わせぶりである。
しかし安心あれ。中身は鰯である。
ネットでも、スーパーでもほぼ同じ。税抜き価格189円。税込みでも204円の超安心価格だ。
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皆さま、お試しあれ。
いやいや、もっとすごいのありますよならば、是非、メール下さい。
思いっきり腹を減らして、勝負してみませふ。
鰯さん。君は少しも「弱」くない。end
2014年
5月
05日
月
睡眠時無呼吸症候群。
もう何年も前のこと。もしや、俺ってそうなのかと心配になり、泊まり掛けでの精密検査を受けたことがある。
当時、猛烈な眠気に運転中に襲われることがしばしばあって、信号停止をしている間に、気がつくと居眠りしていたのだった。
いびきがすごいからとか、というわけではない。
当時お世話になっていたクリニックの案内板に、その症状がある人は睡眠時無呼吸症候群の可能性あり、とあって、心配になって検査して頂いた。
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結果はグレーだけどセーフ。
循環器が専門の医師の見立てでは、眠りが浅いことの方がどちらかというと心配です、と言われたと思う。
また、その頃、お世話になりいつも的確な助言を下さっていた精神科医は、「もりさーん、眠りが浅くなる原因を除かないと・・・・、それが問題でしょっ!」のようなことを口にされたはず。
なるほどな、と思いつつも、それで、睡眠時無呼吸症候群のことはおしまいにした。
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車が好きで、運転が好きなわたし。
信号待ちの眠気と同質なのかわからないが、一度、眠気がやって来ると、数分でも停止して休まないと、“瞼がのり付けされてしまうか”のような状態になり、アウトになることが今でもある。
というか、遠くに行くと必ずある。
でも、それって、睡眠時無呼吸症候群なんてものとは違って、ただの疲れのような気もするしなぁ。
睡眠時無呼吸症候群のことを思い出したのは、先日、なじみのお店に散髪に出かけた時、余りに眠くなるので、これは一体どうしてだろうと思ったのが切っ掛け。
「大丈夫ですか」
「出張があったからなぁ」等というやり取りを思い出したのだった。
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なぜだか、他の町よりも床屋さんの数がやたら多いように感じる稚内。
眼医者さんや耳鼻咽喉科や皮膚科はないのに、歯医者はたくさんあるのも不思議だが。
この世に生まれてようやく50数年。
特に、成人してからの散髪屋さんとは、引っ越しすることも多かったわたしは、たくさんの散髪屋さんと出会ってきたものだな、と思う。
散髪屋さんって、かなり濃密なお付き合いをするお仕事の方ではないか。
理容店特有の顔剃りをするかしないかにも依るが、「いのち、あなたに預けてます」みたいなとろも大有りだと思う。
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物心ついてから、今でも思い出せる床屋さんの一番手は、ふるさと大分県の浜入口というバス停前にあった、江村理容院さんだ。
ひげがモジャモジャで、土佐犬を自転車で引いている江村のおじさんから、何度もこう言われた。
「げんちゃん、ワカメ食べんから、髪が赤くなるんでぇーっ」
こう言われると、縮み上がって、自転車を必死になってこいで、半べそで家に帰っていったことを思い出す。おばちゃんはやさしかったのにねぇ。
以来、わたしは、何十人、いや、もしかすると軽く100人を超える職人さんたちに散髪してもらったのかも知れない。
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数多い理髪職人さんの中で、今、稚内でお世話になっている方。
わたしはその方の腕が、自分にとっては、ピカイチかピカ2(笑)と見ている。年齢は35歳くらいか。
中学の頃から、散髪から家に戻ってくると、何かしら不満があって、ハサミを手にすることがしばしばだった、という記憶がある。
ところが、今の床屋さん。
お店が少し煙かったりという不満はあるけれど、こと、髪を切ることにおいては何の不安もない。
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「サッパリしましたね、という感じでお願い」と伝えると、それで、チョキチョキと仕事を始めてくれる。
無駄口をきかないのもありがたい。
「後ろはこうして」「耳には少し掛かるくらい」
何ていうことはひと言も言わなくても、しっかり仕上げてくれる。
最初の数回、それまでの自分の好みとは違うバランスで髪を切るので、多少の違和感を感じた。
しかしそれは、ぜったいにこっちの方が似合っていますから、というプロの確信に基づく仕事だと理解してからは、もう何も言わないことにしている。
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こっちは何の身構えも必要ないからだろうか。過日は、やたら眠くなってしまったのだった。
首がなんどもガックン、となってしまう程の脱力だったので、家に帰ってから自分でも心配になった。
ネットで調べて見た。
「なぜ、床屋にいくと眠くなるのか?」で検索すると、あったあった。
以下が、これはかなりオレの思いに近いかなと感じる、納得のベストアンサーだ。
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【全てを床屋に任せることで、肉体的に、精神的に弛み、気持ちよくなるからです】
本当にそう思う。
他に、ある理容師さんはこう投稿している。
【理容師です ハサミの一定のリズム音などが眠気を誘う事があるみたいです。こちら側からすると、寝るのは最大にリラックスされてる状態だと思うので嬉しいです。いつもは寝ないお客様が寝ると自分の自信に繋がる事も。これは勝手な思い込みかもですが、技術者はお客様のリラックス状態を望んでいますので気にしないで良いです】
そうか、あそこにはリズムがあったか。
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札幌での年に一度のおおきな会議のみならず、あれこれと緊張が続いたこの1ヶ月半程。
疲れがたまっていたのかも知れない。
が、このアンサーも、かなり合点が行く。
【小さい頃、親に頭をなでなでしてもらった人は多いのではないでしょうか!? しかも、それがやたら、ほんわかして安心感があると言うか…。床屋さんとかは、髪や頭を触るので安心感から眠くなるのかと。。あとは頭は急所でもあるので、そこを預ける事でもやっぱり安心感があるんじゃないでしょうか?】
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いやいや、厳冬に身構える緊張がようやく解けてほっとした、その疲れもあったのかと思う。妻の骨折、手術もあったしな。
「ケキョ、ケキョ」と、鳴き方をまだ身につけていないウグイスの声が、朝、裏の森の方方に散歩に行くと聞こえ始めた。
稚内もこんどこそ間違いなく春が来た。「きょうは立夏」って新聞に書いてるんだけどね。やれやれ end