2013年

1月

27日

2013.01.27 (日) №21 『 何かが 少し わかったような気がする 』

稚内に初めてやって来たのは、ほぼ一年ほど前のこと。いわゆる、お見合い説教を、ということで、福岡からやって来た。

 

当時、稚内教会の牧会をされていた柳幸三郎先生から、金曜日の昼前頃、ある教会の祈祷会に出席していたところ、電話が入った。

 

「天候があまりおもわしくない。吹雪という予報が出ている。稚内入りするのに際して、交通手段を考えなければいけないこともあると思いますので、よろしくお願いします」というようなことが伝わって来たのだった。

 

つまり、土曜日に、東京経由で稚内に飛行機で飛ぼうと思っていたわたしに、飛行機が飛ばない、あるいは、着陸できず、札幌や旭川で下りることになったり、運休も考えられるかも知れないですよ、ということだった。

 

わたしは慌てた。そして、パソコンに向かい、その日のうちに北海道に入ることは出来ないかと調べはじめた。すると、夕方の名古屋空港経由の便に乗り込めば、深夜近くに札幌に入れることを確認。すぐに切符の手配をし、仕事に出ていた妻に、「きょうのうちに北海道に向かうから」と伝えて、大慌てで福岡空港に向かったのだった。

 

無事に千歳空港に到着し、翌日の土曜日の朝、JR宗谷線の稚内行きのスーパー宗谷に乗り込んで稚内にやって来れたのだった。あれからちょうど一年が経った。

 

もしも、同じパターンで、今年、つまりきのうの土曜日、稚内に向かおうとしていたら、猛吹雪のため、JRにしてもバスにしても、稚内入りは不可能となっていた。

 

昨日の土曜日、日本海側を襲った吹雪はかなりのパワーを持つものだったようで、町内のお友だちから「今回の吹雪は、冬の暮らしに慣れた市民にとっても大変なものだと思いますよ」とのメールを頂いた。

 

また、他の方たちの話を聞いていても(わたしには吹雪の中の生活を経験をしていないので想像するしかないのだけれど)稚内でも久しぶりの強い吹雪だったようだ。NHKのニュースでも稚内の町が映し出されているほどだった。

 

きょう、礼拝が終わって、集会室でお昼を頂く頃に、会員のご婦人がお話しをしていたのだが、あーそれって、極意かなと感じた言葉を耳にした。

 

「雪かきするのも、戦ったらだめよ-。力を入れるのではなく、軽やかにやらなきゃ。肩に力を入れるのではなく、体操するような気持ちで」というような事をお話しておられたのだった。福音だった。

 

沖縄には沖縄時間というのがあって、時間通りに集合というのはあり得ない位の感覚があると聞くし、沖縄に出かけた時にもそれを感じたことがあった。

 

稚内時間というのは、まだ、聞いたことがないけれど、自然の猛威とは戦わないで、待つときはじーっと静かに、時がくるのを待つことができる“ゆるさ”が、必要なような感じが、少し見えてきた。

 

漁師さんの多い稚内と聞いていて、地元の新聞で、市場にあがった魚の情報なども目に入ってくるのだが、どうも、荒れる冬の海では、海に出られる日の方が少ないような感じだ。つまり、冬はじーっと、網の繕いをしたりしながら過ごすか、他のことに時間を充てておられるのではないだろうか。

 

あくせく、せっかちに動いてしまうことが多いわたしだが、ふっと力を抜いて、なすがままにというのか、変えられないこととむやみに戦わないで、しかも、向き合うときは力を抜いて。そんな感じが、楽に暮らしていく近道かも知れない。

 

稚内の冬はまだまだこれからが本番だろう。でも、この気づきは、雪の大さや重さとは裏腹に、何か少しこころが軽くなり、嬉しくなる今宵なのだった。end
*・・・前回の年頭修養会関連の続きを書く余力はありませんでした。どうもすみません。

2013年

1月

17日

2013.01.17 (木) №20 『 ♬ は~るばる出かけて来たぜ、函館~♪ 』

北海教区の年頭修養会が1/14(月)~15(火)、函館 湯の川温泉で行われた。函館には稚内へ引っ越してくる前に、二度出かけたことがあった。ご縁のある地だと思う。

 

北海道の北端から南端まで少なくとも500㎞はあるのではないかと思う。ホテルの着物のお姉さまたちも、お見送りの時「稚内からですかー。いやー、遠いですね。ありがとうございました」と言って居られた。たぶん、東京などよりも稚内の方が相当に遠い国、と感じて居られるのではと直感。

 

日曜の礼拝が終わり、その後、1時45分発の特急サロベツ号に南稚内から乗車。夜7時過ぎに札幌に到着。歩道でもかなり凍結している札幌の町をヨタヨタと歩き、宿のクリスチャンセンターに向かった。

 

翌朝は、8時20分にJR札幌駅の鐘の広場に集合。外だと思い込んでいたら、鐘の広場は屋内だった。目に入ってきた受付をしてくれているお兄さんの所で、「稚内教会のもりです」と胸を張って申し出るも沈黙が続く。

 

もりはない?なぜ?と思いつつもう一度「稚内教会の森言一郎です」と今度はフルネームで。しかし、やはり名前がない。最後まで名簿に名前は見つからない。わたしを怪しんだお兄さんが「ワカサギ釣りの方ですよね」と言うではないか。やれやれ、52歳のわたしは、困ったオヤジに完全になってしまっている。わたしの責任かどうかは不明も、バスは20分遅れで出発した。

 

今年で61回目という北海教区年頭修養会。稚内教会も昨年秋に創立61周年を祝ったから、同じ長さの歴史があると気付く。北海道の各地から約350名近くの方が集まり、今年は、ホスピスケアに長年関わって来られた柏木哲夫先生(現:金城学院大学学長、元:淀川キリスト教病院ホスピス長)をメインの講師としてお迎えして、じっくりと話を伺った。

 

1時間半ほどのお話。大阪人だからというわけではないと思うが、笑わされながらいつの間にか、聴衆をグッと引き込む語り口は、並の先生では無いと感じた。かんたんな言葉で大切なことを届けようとされる姿勢にも教えられた。

 

人は生きてきたように死んで行きますよ。そのように、2500人をホスピスで看取って来られた方が言われる言葉には、必然的に相当な説得力がある。聴いている誰もがわが身について考えざるを得ない。今からでも遅くないから、悔い改めなければと身につまされる話である。

 

そして、「これはわたしの造語ですが、〈矢先症候群〉というものがあります・・・」というのも妙に説得力があった。退職をして、いよいよこれからゆっくり旅行してと思っていたら、大病をして、召されて行くというようなことがしばしばあるとのこと。すなわち、“生と死は裏腹であり、人は誰しも死をいつも背負っている”ということなのだ。

 

西東京教区からの来賓としてやって来ていたのは神学校の後輩で、同時に人生の先輩だった。不思議なお導きにあれこれと話も弾んだ。

 

夜、相部屋となった方々たちとは、まるで高校生のように?2時近くまで話し込んでいた。みなさん道北地区からの参加者ばかりで平均年齢は65歳ほどか。雪道の恐ろしさについて、こんこんと教えて下さった。吹雪の時には「ぜったいにトラックの後ろに着くな」「前の車から、追い抜けと合図されても決してその合図に乗らず、とにかくのろのろ着いて走りなさい」等々。ありがたいご助言。

 

その他の、本当に、どうってことのない話は何とも楽しい時間だった。わたしは一滴も飲めないけれど、珍味をかじりながら、みなさん、函館の焼酎をしっかりと味わっていた。こうして、一日目の夜は、相当に更けていったのだった。(余力があれば続きを書きます。end)

2013年

1月

10日

2013.01.10 (木) №19 『 いよいよ冬本番 でも恵みもこぼれてる 』

除雪が追いつかなくなり始め、幼稚園のブルに急きょ応援要請をしたり、会員のOさんのご主人が見回りに来てくれたり、裏のお宅との境界辺りに牧師館の三角屋根から容赦なく滑り落ちる雪がうずたかく積もってしまい、とうとう業者さんに助けてもらっての排雪が行われた。今日はそれが終わってホッと一息の気分でもある。

 

1月3日~4日に掛けての雪は、稚内市での観測が始まって以来2番目の積雪量とのこと。チラチラと降っているかと思ったのに、気が付いたらドッカーンとなっていたのだ。周囲の方たち、つまり、稚内に長年暮らして居る方たちが「1月にこんなに降ったのは初めて」「いやー、さすがに、まいった・・・・」等と話している。そう、たいへんなのは北海道一年生の私たちだけではなかったのだ。

 

道路を挟んで向かいの、たぶん90歳を越えている独り暮らしのおばあちゃんは、そんな中でも除雪車がやって来ると、二階の窓から屋根に降り立ち、勇ましく、雪を一生懸命に道路に落とし始める。こちらも手伝う余裕も無く、危ないと思う以上に、おばあちゃんのたくましさにある種の感動を覚えてしまうのだった。

 

牧師館の奥には教員住宅が二軒並んでいるが、お正月を挟んで、二人の独身の先生共に暫くお留守にされていた。昨日先に戻って来られた奥の方の先生。車が雪に埋もれて動けなくなってしまっていたそうだ。わたしが帰宅すると、妻が「わたし、今日、善きサマリア人になったけん」と報告してくれた。

 

スバルの新型の四輪駆動車に乗っている高校の先生も、タイヤが空転してしまって脱出出来ない状態だったとのこと。助けを訴える視線を感じた妻は、近寄って行き、一緒に奮闘するも解決できず、「先生、これはJAFを呼んだ方がいいよ」とアドバイス。

 

その後、JAFが到着するとこんどは「牽引の金具はトランクのスペアタイヤの下よ、ほら」と指導したそうだ。3週ほど前に我が家が経験したことをそのまま生かすことが出来た。でも、雪の降る中、険悪になるのでは無く、助け合えて良かったとしみじみ思う。「隣人になったねぇ」と拍手しつつ、大いに誉めてあげたのだった。

 

時間は前後するけれど、1月6日の日曜日、嬉しいことがあった。一つは賛美を巡ってのこと。聖餐式の終わり近く、ふと会衆席のみなさんの様子を見ると、席にいるみんなが、ゆーっくりと体を揺すりながら賛美している。

 

聖餐の時の讃美歌は座ったまま歌うのだが、身勝手に揺れているのではなく、ほぼ体の揺れが一致している。今までもこういうことは時々起こっているのだろうけれど、その瞬間を見たのは初めてだったような気がする。何とも言えぬ幸せを感じた。礼拝で讃美歌を歌っていて、とても感動する瞬間が時々やって来るのだけれど、この日もそうだった。

 

もう一つ、訪問聖餐を行った時のことも忘れられない恵みの場となった。役員会が終了してから、16時半過ぎ。雪の中、小高い丘の上のお宅に向かった。そこは先日受洗されたA兄のお宅だった。妻も共に訪問。Aさんにとって最初の聖餐式をと考えて出掛けたのだ。

 

奥さまは、「初めての聖餐式だから写真をお願いしようかしら」ということで、妻はカメラマンに。到着時今ひとつ元気がなかったA兄だが、しばらくの懇談のうちに笑顔が出てきた。その時の写真も今日、祈祷会の時に届いた。珍しい写真なので何とも嬉しい。聖餐には不思議な力があると思う。そんなことを改めて言うまでもないのだが、やはり力を感じる。聖礼典を重んじることの大切さを感じた。

 

一昨日の夜、かつて仕えていた新潟県の教会の現任の牧師から電話を頂いた。「悲しいお知らせなんですが・・・・美穂さんが召されました。前夜式、葬儀が・・・」「あのー、○田先生、美穂さんはお幾つでしたか」「あと一ヶ月で97歳でした」とのこと。恐縮しつつ、彼の地での思い出を妻とポツリぽつりと語った。そしてある光景を思い出した。

 

ある土曜日の午後、わたしが田園地帯の見晴らしのよい村の中にある美穂さんのお宅に伺うと、その日はお一人で居られた。居間の食卓に座ってあれこれとお話しをするうちに、「先生、わたしも(礼拝の時の子ども祝福のように)頭に手を置いて祝福してください」と言われたのだった。美穂さんは冗談めかしてそう言われたのではなく、ごく普通に、いつものように淡々とそう口にされた。

 

その他、古ーいアルバムに収められていた、ご出身地の秋田での結婚式の着物姿の写真を前に、懐かしい思い出を語って下さったことも忘れられない時間だ。天国で会えることを楽しみにしたい。また一人そんな方が増えたが、悲しみよりも、確実な恵みとして備えられているように思うのだ。

 

稚内でのきびしい冬の暮らしや出会いの中にも、瞬間瞬間に、よーく目を凝らして見ると美しいものが広がっていることを思う。今朝の冬の晴れ間も素晴らしかった。そんな感性を失ってしまわないように過ごしたいと願う。end

2013年

1月

02日

2013.01.02 (水) №18 『 新年の覚悟 “お掃除ロボット”は要らない! 』

 みなさーん、あけましておめでとうございます。本年も、このさえないブログ、よろしかったら時々お訪ねください。有益な情報はたぶんありませんが、ある方が「眠れなかったから、森先生のブログを全部読んで寝た」というようなことをおっしゃったとか。

 

 おー、何と素晴らしいこと。お役に立てたのかも知れないです。自分で自分をほめてやりたいと思います。拍手ものです!(笑)

 

 ところで、年の始めから実に妙な質問で恐縮ですが、みなさんのお宅では、掃除機は、どんなものをお使いですか?まさか、かの有名で高嶺の花の「iRobot社 ルンバ」や対抗心むき出しの「東芝 スマーボ」、あるいは「LG の HOM-BOT(ホームボット)など」の自動掃除機をお使いのお宅があるのでしょうか。

 

 元旦礼拝も終わり、静かに夕飯も済ませたあと、我が家で始まったのは、遅ればせながらのお掃除でした。あれあれ、確かクリスマス礼拝後もそうでしたっけ。

 

 福岡から引っ越して来て間もなく、徒歩で3分位のところにある“くまがい家具”さんで奮発して購入した、リビングルームのじゅうたん掃除をわたしは始めることにしたのです。

 

 「ねぇ、掃除機かけるぅ?」と言うと、家族はとてもニコニコで「うん」と申します。そうか、やっぱり家内安全はここから始まると悟り、さっそく掃除機を引っ張り出しました。

 

 森家の掃除機は東芝製のかなり旧型のものですが(9年目くらいかな)、それでも、吸引力は落ちていません(と思います、と言うか較べられないので分からないいというのが本当・・・)。

 

 とりわけ、あの、てっぺんの所を、小さな隙間に差し入れるものに装着し直すと、まるで別人みたいに、掃除機君は張り切って吸引力を猛烈に上げてくれます。4畳半ほどのベージュ系のジュータンですが(だから汚れが目立つが)、わたしはひざまづいて、一区画を30センチ四方に心の中で区切ってから、ひたすら塵とほこりを吸うのです。その間、ストーブも消します。というか、かなり熱くなります。換気もできるし。

 

 何より良いのは、無心になれることでしょうか。みなさん、どんなに大きな家に住んだとしても、われわれは、この雑念を忘れさせてくれる崇高な時を、お掃除ロボットごときに明け渡してはならないのでは無いでしょうか。

 

 ぜったいに買わないぞ。だって買えるわけ無いし。高すぎだ。でも一度部屋の中を転がして、性能を確かめて見たいとも思う。しかし、そんなことは一生ないだろう。というのが現在の結論です。

 

 牧師館の元旦の夜は、こうして、穏やかな空気に包まれ、お年賀をくださった方々には、きよめられた心を込めて、このあとお返事を書かせて頂きました。

 

 仕える教会で、少しでも、神さまに喜ばれる働きができるようになるためには、このような、家庭での清い家族関係!がたいせつな模様です。この気づきは生涯たいせつにしなければ、と元旦礼拝ではみ言葉が与えられ、夕べには掃除機を通して、神さまは教えてくださったのです。

 

 あっ、我が家の愛する掃除機の写真をアップ致します。これでもしばらくは行けそうです。ホントは他のもいろいろ試してみたいという誘惑が電器屋さんに行くといつもありますが、封印であります。

 

 あっ、稚内教会のホームページは色々と情報を真面目に発信していますので、どうぞ時々ご覧ください。写真館にも力を入れています。

アドレスは、http://wakkanaich.jimdo.com/です。

 

 プラス、稚内教会の礼拝メッセージブログの方もあります。 そちらの方のアドレスは、http://www.voiceblog.jp/mikotoba/です。ほぼ、毎週更新されていますので、お役に立てれば幸いです。それではみなさま、本年も、何とぞよろしくお願い申し上げます。end

 

◆【 (日記以外の)新着 おしらせ 】

1)写真館に最近ものをすこし ^^♪16.5.30

 

2)「ブログ選集・PDF版」の部屋です

○『我 ステテコを愛す』(14.7.31)

○『「きょう一日元気で歩みます」とあった』(14.6.23)

○『美穂さん』(14.6.1)

○『我が師のアスケーゼ』(14.5.31)

 

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