2016年
3月
19日
土
3月11日(金)午前、倉敷教会で行われた信徒と牧師を交えた30人程の研修会に講師として出張。
「岡山県中部地区教会教育研修会」というのが正式名称。
風邪などで欠席が10名を超えた様子。でも、その方がよかった感がある。程好い規模になった。
光栄なこととは言え、講演と説教は同じように見えても色々と違いがある。
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表題の『木曜深夜2時』とは、木曜夜の祈祷会後もあれこれ準備をしていました、ということ。
正確にはレジュメができたのがその頃で、それから印刷をしたりしていたので時計は3時をまわっただろうか。
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「結婚式のスピーチは短い程よい」と言われるし、カトリック教会の説教「10分を超えると信徒さんからお叱りを受ける」等という話を聴く。
しかし、今回は、「全体で2時間の内60分~90分程のお話をお願いします」という依頼を担当者のHさんから頂いた。
これは、通常のわたしの説教の構成では応用がきかない。
まして、初対面の方も居られるので、心の架け橋をつくる関係づくりから始めなければならなかった。
幸い、プロフィールの「サッカーのゴールキーパーでした」に関心を持って下さる方の声が始まる前に聞こえて来たので、そこから始めた。
「転ぶのは上手いですよ。妻にも誉められます」と。
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主題は『 力は弱さの中でこそ ~福音を生きる道~ 』
日頃、牧会する旭東教会で語っていることと無縁のことを話せるわけがない。
いつも心にとめていることながら、「弱さや失敗、恥や躓きを安心して語れる交わり」をというメッセージも携えて行った。
〈霊〉に導かれたと確信するが、わたしが15年程前にしでかした結婚式の司式者としての大失態も語った。
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どれくらい大失敗かは、まだ、書き物に残すのは止しておこうと思う程のこと。
そして、教会内部ではなく、知る人ぞ知る、世に名だたる由緒ある結婚式場でのことだった。
それゆえ、ビジネスとしてはそのままではゆるされず「始末書」を提出したのだった。始末書を書いたのは生涯であの時だけかも知れない。
遅刻とか忘れていた、なんてことではありません。はい。
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講演会の終盤、前日夜の祈祷会前に大慌てで100円ショップに買いに出掛けた大判の付箋に「記して後悔しない程度のことで構いません。自分自身の情けない経験、失敗など、記せる範囲内でどうぞ」とお願いした。
時間も限られていたので、全てを分かち合ったわけではないけれど、お互いの学びと研鑽の一助になったら嬉しい。
ある牧師が「祝祷するのを忘れそうになりました」と記して下さったりと有意義だった。
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旭東教会からは92歳のK兄が同行して下さった。
「ご一緒してくださるとしたらKさんしかありません。よろしかったらどうぞ」と前日の夜お伝えすると、「勉強したいと思います」とのお言葉。
有り難かった。
当日は、最前列で傾聴して下さった。
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帰宅したその日の夕刻、K兄から電話。
そして、二日後の日曜日にも励ましのお言葉を挨拶代わりに下さった。
講演でわたしが「牧師も信徒も互いに誉め合いましょう。誉めてあげないとねぇ。高得点求めすぎなところがありますから」と伝えていたこともあるかも知れない。
「信徒だけでなく、牧師先生方のためにもよかったと思います」とのお言葉も頂けたことは幸いだった。
若手の牧師たちも喜んでくれていたようで、「『牧会百話的』な要素を感じました」とお二方から伝えられた。
わたしも少し歳を取り始めたと思った。
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資料として準備したものの一部に、以下の抜粋もある。
当然、この日、わたしが語ろうとしていたことと深い結び付きがある。
この20数年、折々に引っぱり出しては眺めることがあるもの。関心あればどうぞお目通しを。(もり)
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◆ファシリテーター・金香百合(きむかゆり)さんとの出会いより
※この方、文書や本の人では決してない。ライブで話を聴いて出会って考えるべき方。でも、この文章も深い。
自分の弱いところを見せるというのは、とても深い自己表現です。ふだんは閉ざしている心の扉を開いて話しているうちに、お互いの弱さをさらけ出せるようになるのは、いい対話といい人間関係でもあります。誰でも弱いところいやなところがある。それを隠す必要もあまりない。ただ自分がその弱さとうまくつきあえていたら、それでいいし、いつもそのことにチャレンジしたいいのです。
私は難聴で、補聴器をつけています。これは私の弱さです。でもこの弱さが強さなんですね。私は耳がよく聞こえないから、ずっと「きく」ってどういうことやろうと考えてきました。「『一四の心』で聴く」というのは、本を読んで得た知識ではありません。自分がやっている「きく」を分析したらこういうことだったのです。私の弱さが強さに変わったのは、それをあるがままに受容した時でした。
※『金香百合のジェンダーワークショップ』(金香百合・解放出版社)
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◆ノンフィクション作家 吉岡忍の言葉
まるでおとぎ話のように 「遠まわり」
どうしてそんなに旅行が多いの、と聞かれるたびに、私は言う。
「遠まわりしたいんだね、きっと。真実ってやつにまっすぐ向かうんじゃなくて、あちらこちらまわり道して、できれば、ちがうゴールにたどり着きたい。それが夢だな」
(中略)
あるときふと、踏み間違えたと気づくことがあるとしても、過去の足跡を消すことはできないし、消すことがいいとも思えない。いくらか長生きしたあとでできることは、過ちを自覚することだけ。その自覚の深さが、死の間際までつづく自己救済の努力を実らせる唯一の扉なのかもしれない。
(中略)
ノンフィクションを書く、という仕事の中で何百の現場を歩き、何千人の人たちの話を聞いてきたあとで、私にいまようやく確言できることがあるとすれば、それはとても単純なこと。――遠まわりが人を豊かにする、寄り道が人の魅力となる、まわり道が人の年輪を刻む、ということである。………あれからずっと旅がつづく。遠まわり、寄り道、まわり道が続いている。end
初出 朝日新聞 1996年(平成8年)10月6日(日)
2016年
3月
06日
日
早いもので、もう間もなく岡山に暮らし始めて一年になる。春が早いなぁと思うこの頃。稚内では、そろそろ氷割りが始まる頃だろうか。
2015年の3月下旬、最北の町から、JRのコンテナー貨物の移動のスピードに合わせて南下した旅からあっという間に今となっている。
教会の長老が「この一年は長かった。最近は時間の流れが速かったのに」と先頃お話されていた。忙しいだけならば早く時が過ぎていくと思う。何事もよい方向で考えよう。
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実は最近、我が家の食卓の定番メニュー入りした料理がある。
メインの材料が季節のものなので作るのには制限があるが、おそらくこれから先も、食材が手に入る限りずーっと続くだろうな、と思う程のおいしさ。
それは旭東教会創立113周年の愛餐会で初めて口にした〈伝統のかけ汁〉だ。
一般には、〈ふな飯〉と呼ばれるアレである。
「伝統のかけ汁」とわかるような分からない名の料理が「鮒・ふな」を利用したものだと聞いた時、わたしは後ずさりした。
けれども、実際に、教会の愛餐会の食卓に出てきた時にははっきりとおいしかった。そして、鮒じゃなくても大丈夫という情報も得ていたこともあり、ぜひ、森家でもと思った。
いや、思ったのはわたしだけではなかったようで、妻もすぐに乗ってきて既に何度か頂いている。
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我が家では“ふなミンチ”は使っていない。
というか、なかなか普通の魚屋さんには並ばないお店が多い。この辺ではハローズさんにあっが。岡山には沼が多いことも影響あり、と聞いているが、岡山市の中心地にはなんと川魚専門店があるので、教会のご婦人方はそちらから購入している。
鶏肉でもいいらしいが、妻がよく行くスーパーで時々見掛ける“げた"=「シタビラメ」で作っている。
“げた”というイントネーションは履物下駄とは違う、ということもようやくわかったが、舌平目とはすごい。美味しくないわけがない、という感じもする。
何より栄養満点で、全く飽きることもなく、本当に思い起こすと、夜中だとお腹が鳴りそうな位である。
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旭東教会の立つ西大寺と言えば東本願寺系の観音院で行われる裸祭(はだかまつり)と聞いていた。
「会陽(えよう)」というのだが、2月20日(土)その日がやって来た。日本の三大奇祭の一つとも言われるそうだ。
会陽の一週間前から、隣接する旭電業さんという会社に提灯が下げられ、前日にはお騒がせいたしますの挨拶も受けた。オーナーが西大寺に関係する方なのだろう。お隣さんが社を挙げて参加して居られたので大いに勉強になった。
博多祇園山笠を知る者にとっては、町全体でこの祭りを!という所まではなっていないのだなぁ、と分かったけれど、それはそれ。
室町時代からの何かが続いているだけで十分素晴らしいし嬉しいことだ。
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会陽(えよう)前日の夜、妻と観音院さんに散歩に出掛けてみてカメラを構えて初めて気付いたことがある。
それは、会陽(えよう)に参加する方々は観音院の境内の片隅にある“鳥居”の先の「垢離取(こりとり)場」で身を清めるということだ。
今までも観音院さんには何度か足を運んでいたけれど、あの大きな鳥居には目が行かなかった。
神仏習合である。
それがこれほど明確に生きて残っている証しに、ナルホドと妙に関心してしまった。
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会陽(えよう)が終わって一週間程して、地元で生まれ育った電器屋さん・花口さん(教会会員のH兄と同級生)とお話する機会があった。
何と、花口さんの話を聞いていると、祭りの中で福男を目指す方々は、定期的に集まってきては練習を重ね鍛錬しているというではないか。本番ではかなり組織的なプレーもあるらしいことも教えて下さった。
さらには、グループ内の交流も兼ねて、岩手県内の由緒ある祭りに出掛けて出稽古?まで行っているという。
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花口さん、ひょんなことから最近お世話になるようになったが、今は天国に居られる教会員の故・H兄のご指導の元、西大寺のボーイスカウト活動をなさっていた方。
旭東教会のコピー機を置いてあるお部屋に入られた時、「あー懐かしいなぁ」と仰っいたことも重ねて嬉しい。
感謝な出会いが与えられている。やはり地元の方々との関係が出来ていくことは、わたしたちにとって無くてはならないことと思う。
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北海道の道東に中標津(なかしべつ)という町がある。知床半島に近い方面だ。
そこに日本キリスト教団・中標津伝道所がある。稲葉信一牧師が現役のまま急逝されてほぼ一年経つ。昔から存じあげていたし、わたしのことも知っていて下さった方だ。召される前には手紙をお送りした。
わたしは前任地の稚内教会で利尻昆布バザーを立ち上げたのだが、中標津伝道所はゴーダチーズを販売している。さすがにチーズを作っているわけではないが。
余談ながら、北海道内には他に季節の野菜を販売する島松伝道所、木工クラフトを扱う置戸教会、お酢を販売する栗山教会等があある。
それぞれ、本当にまじめな方々が、教会を支えるために頑張っている。
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その、中標津伝道所に去年4月から出席されている旧知のご夫妻Aさん達から、蝦夷ふくろうの写真付きのハガキが届いた。ご主人は〈道(どう)〉(県ではなく)の農業関連の職員で転勤族だ。
わたしが稚内教会の牧師をする以前のある時期に稚内教会の会員だった方で、ごきょうだいが神学校の後輩、かつ、九州教区であれこれご一緒していたこともあり、いつしか親しくお話するようになったご夫妻だ。
お便りにはこうあった。
「森先生、お元気ですか。昨年の異動で、中標津伝道所に通っております。本日(2/21)聖日、強風雪のためそれぞれの家庭で礼拝を守ることになりました。旭東教会ホームページより2/14『悪魔の誘惑とわたし』マタイ福音書4章1~14節の御(み)言葉をいただきました」と。
インターネットで旭東教会音声メッセージブログに辿りつかれたようだ。
奥さまの方の挨拶によれば、今年から『ローズンゲン』の日課を読み始めたとあったので、そのような主にある交わりも含めて、感謝だなぁと心から思う。又一人、ローズンゲンの友を確認できた。
そして、北の大地ではこの季節〈強風雪〉ゆえに家庭礼拝でお過ごしになる方たちが居られること思い起こした。
春が心底待ち遠しいことだろう。
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小学生の頃だと思うが、鷲羽山(わしゅうやま)という四股名(しこな)のお相撲さんが居た。
鷲羽山は横綱や大関というわけでは無かったのでその名前もすっかり忘れていたけれど、その方の出身地だとお聞きした倉敷市児島の鷲羽山(わしゅうざん)に2月下旬の月曜日、休養日に妻と出掛けてみた。
高松の教会員をお訪ねする際、瀬戸大橋を渡って高速で四国に向かう時に鷲羽山という地名が目にとまっていたので、機会があればと思っていた。
これが本当にイイ所だった。
我ら夫婦の体力に見合った距離にあり、息抜きにぴったり。家族や友人たちが岡山を訪ねて来てくれたら案内したい所の一つと言い切れると思う。
その後、就任式で司式をして下さった嵐護牧師が牧会される琴浦教会を訪問。児島教会も尋ねようとしたが、思いがけない程狭い道で、離合困難な状況に遭遇。
今回は諦めた。
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各地で頑張っている同労の仲間たちが仕える教会が立っている風土など、わたしにとっては興味深いこと。
琴浦教会の礼拝堂を案内して頂いたりしている中で、補聴器システムを検討中であるとか、礼拝堂にエアコンがないので……等というお話もお聞きし、同じような取り組みをしていることもお話できた。
嵐先生、失礼しようとしたとき牧師館に駆け込んでいかれ、故郷の土佐からご高齢のお母さまが送って来られたという、おいしい土佐文旦を持たせてくださった。
それがまたシミジミおいしく嬉しかった。感謝。end