病床が信仰の原点にあるわたし。
20代の半ば、東京の下町・柳橋という総武線の駅にほど近い病院の一室のベッドの上で洗礼を受けた。
先日、十文字平和教会礼拝応援に初めて出掛けた折り、自己紹介を兼ねた説教の中でこんなことを語った。
「神さまはわたしを、折々に、病床や病院へと導かれるのです。」と。
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今日の午前、少し覚悟を決めて岡山市内のとある病院の外科の診察に出掛けた。受診するのはわたしだった。
妻も同行。
重苦しい気持ちはなかったけれど、多分、夫婦それぞれに(互いに確認はしなかったが)ちょっとした覚悟をして診察を待った。
実は、もしかすると、甲状腺の腫瘍ではないか、という検査の結果を聴きに行くためだった。
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一週前、担当の外科医は、こともなくこう言われた。
「細胞検査をしましょう。そうすれば分かりますから」と。
つまり、良性か悪性か調べますということだった。
同意書に署名をし、手術室から来られていると思われる、白衣ではない手術室対応のムラサキ色のユニフォームを着ている看護師も見守る中ことは進んだ。
「はい、電気消して、細胞を採ります」と言われ、程なく、ぶすっとやられた。
もちろん痛かった。その後も違和感はある。
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地元のある内科医の先生に二月に一度位のペースで簡単な診察を受けるわたし。
そのドクター、聴診器をあてるのと同じように、首の付近を触診される。丁寧な診察をなさるのだ。
他にもベッドに横になって、内臓、特に、肝臓の触診もしてくださる。どんなに待合室が混んでいても、この先生、お構いなしでじっくりと診察してくださる。
趣味は将棋とお聞きしている。
で、その方が、甲状腺の異常に気づかれたのが、かれこれ二ヵ月前だった。
いろいろあって、超音波検査をして頂くのに時間が掛かったけれど、ひっかかってしまった。
で、専門医が居られる中規模の関連病院での診察と相成った。
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今日の結果はセーフだった。
その他、血液検査関連のお話もされたが、とにかく、半年後に、ということだった。治療もないし、気をつけてこれをしなさい、ということもなし。
半年後の予約の仕方が記された紙を渡された。
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それにしてもだ。
「ここにⅡとありますね、5段階あるんですが」とモニターを見ながらの検査の結果を聞き始めたとき、夫婦それぞれに、どうやら同じことを思ったようだ。
「あっ、だめだったかな、手術か。岡大ではなく、兵庫県の甲状腺の治療なら日本一と聞いている専門病院を紹介して頂こう」と。
しかし、どうやら、一番悪いレベルがⅤ(5)ということらしい。
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昨日の、教会総会後の役員会。議事が終わってから、牧師からの報告をした。
「甲状腺の異常が見つかり、検査結果によっては手術があり得ます。元気になることを優先したいと思いますので、あれこれ悩まず、手術となったら、日曜日も含めて入院します。その時は、礼拝を皆さんで相談して守ってください。週報もつくるなどよろしくお願いします」と。
祈祷会ではゆるやかーにお話して、伝えていたことでもあったので、寝耳に水ということではなかった。
けれども、役員会の皆さん、緊張されたことと思う。
その日の夜、ひとりの役員さんに、あることを相談するのを忘れていて電話したのだがこう言われてハッとした。
「先生、そんなことは後回しでいいです。まず、明日の検査の結果です」
そうか、そうだった、と深く反省することになり、自覚の足りなさを思った。
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診察結果はすぐに役員会メンバーに報告。
その後、ひとりの役員さんから来たのがこういうショートメールだった。
「Very goodでしたね」と。
創世記1章からの説教を昨日語った時に、次の箇所に触れていた。
1:31 Then God saw everything that He had made, and indeed it was very good. So the evening and the morning were the sixth day.
【it was very good.】邦訳で、「見よ、それは極めて良かった。」とある。
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病院を出てランチは外食となった。
「好きなものを食べていいよ、お祝いやけん」の言葉を聞き、ステーキランチを某所でお腹いっぱいに食べ、和気町の藤棚を見に行った。
夕刻、昨日の定期教会総会・役員会、そして、診察の疲れが出て、牧師館に戻ると直ぐに布団に入った次第だ。
夕食後、『森牧師の部屋』のホームページのヘッダーの写真を新しくしする力が出てきた次第。感謝します。