この【213号】のタイトル。
なんだかでかい話のようだ。
けれど、これが一番素直な思い、正直な題名だ。
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世界一小さなキャロルをと計画したのは「クリスマス イヴイヴ」の昼間だった。
大学生たちがあふれるような教会であれば、12/24のイヴ礼拝後に、「さぁ、出掛けよう!」と、会員のお宅や駅前、或いは、病院の窓辺に立って、という企画もアリかも知れない。
かつて、薬大のコーラス部の学生がクリスマスになるとやって来てくれる教会で仕えさせて頂いていた。その時は、教会に戻って来て深夜までの語らいが続いた。
そして、だいたいその数日後には発熱したり、疲れも一因だろう、牡蠣にあたったりしたものだった。
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されど、われら旭東教会の現在の平均年齢○7歳?らしい。
たぶん誤差があっても2,3歳。
とてもではないけれど、そんな大学生たちとのキャロリングのようなことは無茶だ。
というわけで、12/23の休日に、ミニキャロルを行うことになった。
旭東教会恒例の行事、ということではなく、わたしが発起人となり、オルガニストの光代さんが取りまとめの労を担って下さり、おぼろげなイメージを抱きながら呼び掛けをした。
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さて、一体どれ程の参加者がという一抹の不安を感じながらも、もともと、わたしは前任地でひとりきりで、しかも、公言せずにミニキャロルを行っていた人間だ。
だから、参加人数は計画当初から問題ではなかった。
2014年3月、日本キリスト教団の教師の友編集部から依頼を受けて、クリスマスのメッセージを書くことになった。その際投稿したものに、こんなことをわたしは記していた。
前任地の北海道の最北の町にある教会でのことである。
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ひとりで稚内市立病院に入院中の方たちをお訪ねしました。
そこは日本で一番北にある病院です。私が暮らす稚内の冬は雪国というよりも、氷の中にあるという感じに近いかも知れません。
その日も凍て付く道の日でした。
市立病院にはお二人の教会員の方が入院していましたので、私は出来たての燭火礼拝のプログラムと讃美歌をもって出かけました。
「せめて、〈きよしこのよる〉だけでも一緒に歌うぞ。ひとりキャロリングだ」と思いながらです。ご病気のため教会でクリスマスイブのお祝いすることができない方のことをそのままにして、夜の燭火礼拝を守る気持ちになれなかったのです。
おそらくその思いは、若き日の私自身の闘病生活とつながっています。
以上、わたしの書いたものながら、引用終わり。
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さて、そんなわたしの発案によって、旭東教会のミニキャロルの準備はゆっくりと進んだ。
参加者は前日までに10名を数えることになった。「先生、わたしも連れて行ってもらえますか?」という声も飛び込んできたりもした。
嬉しかった。
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「世界一小さなキャロルを!」と計画したその日。 参加者はそれぞれの思いを胸の奥底にしまっていた。
いや、秘めていたと思う。
それぞれに人生の重荷があり、また、神さまに託されていることがある。
でも、それは簡単に説明も出来ないし、聴いてもらうことも難しい。
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市内のキリスト教主義の施設で過ごして居られる信治兄のお部屋を午後に訪問。
信治兄の妻・安佐子姉は、先のクリスマス愛餐会・祝会でストーリーテリングを披露して下さった幹子姉に「ぜひ主人にも、あの語りを」と願われた。
それは突然の申し出だった。
けれど、もちろん、幹子さんも快くお引き受けくださった。
とは言え、その道20年近い幹子さん(市内の公立幼稚園や小学校で、ボランティアティーチャーとしての歩みを重ねておられる)にとっても、これは新たなチャレンジの場となったようだ。
12/27(日)に幹子さんとお話をして知ったけれど、やはり、事実上会話が成り立たない方への語りは全く想定されたことがない新しい経験だったとのこと。
そうだ、幹子さんは、間もなく旭東教会へ転入予定の姉だ。
重ね重ね嬉しい。
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奥さまの安佐子姉でも意思疎通が難しい状況にある信治兄。
その枕元に幹子さんは近づいた。
グリム童話の短編・『おいしおかゆ』の語りが枕元で始まった。
信治さん。
娘さんの誉(ほまれ)さんとそっくりと聴く円(つぶ)らな瞳でじーっと見つめ、耳を大きくして聴き入って居られた。耳は何㎜か大きくなり、瞳は何かをさがして集中していた。
一部始終を、安佐子姉はひざまずいて見守った。
それは祈る人の姿。安佐子さんもまた集中された目を大きく見開いてそこに居られた。
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亮子(りょうこ)姉のことも記そう。
午前は瀬戸内市・邑久(おく)にお住まいの91歳になる迪子(みちこ)姉宅を訪ね、午後はキリスト教主義教会と施設を運営する博愛会にご一緒した教会の仲間に、亮子さんが居られた。
亮子さん。
昨年のクリスマスに洗礼を受けた方。ご両親やおじいちゃまが熱心なキリスト者。わたしと同年代の方だ。
わたしはこの日、始める前にも、終わる時にも、いったん立ち止まって何かしらの分かち合いをすることを心掛けていた。
全てのプログラムに参加した方は居られないので、それぞれの経験を分かち合いたかった。
12/28の朝目にしたとある読みものに、「経験の共有 それが愛」と、キリスト教とは全く関係のない文脈の中で語られていたことが心に響いた。本当にそう思う。
深く共感する言葉だ。
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そんなわたしだから、ミニキャロリングの解散前、病院のロビーで輪になった時、わたしは亮子さんに訊ねた。
「亮子さんは、今日のキャロルはどうでしたか」と。
その声掛けに対して彼女は、わたしからすると思い掛けない言葉を、しかし彼女らしく、だいぶ早口で語られた。
「はい、わたしは今日、父の讃美歌を持参していました。きっと、(2012年11月20日召天の)父も喜んでくれると思って」と、涙声を詰まらせた。
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散会後、わたしはふたりの姉妹を家の前まで車でお送りした。
何もそのことを恩着せがましく記すのではない。ごく自然な流れのことだ。
実は、この送りがなければ、出会えなかったかも知れない方が、クリスマスのポスターを見るために、旭東教会の掲示板前に軽自動車を停め、小走りで降り立つところに遭遇しなかったのだ。
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〈Fさん〉という方だとは、もちろんそんな場ではお聴きも出来なかった。
でも、〈Fさん〉だとその後知ることになるのだ。
「わたし教会の者です。噛み付きませんから、ぜひ、気軽にいらして下さい」とクリスマスの案内や週報をお渡しした。
イヴの夜にお目に掛かれたらと祈りつつ。
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27時間後。
Fさんは旭東教会のクリスマスイヴ燭火さんび礼拝にお出でになっていた。新来者カードに記名も下さった。そしてティーパーティーでもご一緒した。
Fさんのことが、その後もずっと気になった。
ジュニアサークルのリーダー会議がその週の土曜(12/26)の午後に開かれたのだが、わたしは、何故かFさんの新来者カードをその会議に持っていた。
すると、光代さんが、「先生、Fさんは・・・・・・」と、ティーパーティーの席でわたしがご一緒していなかった時の会話の一部を紹介してくれた。
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12/27(日)。
わたしたちは、旭東教会の一年を締めくくる歳晩礼拝を捧げた。
不思議と言う言葉はキリスト教会にはない、と教えて頂いたことがある。一度聞いて頭を離れない。
わたしもそう思う。
礼拝の最初は気がつかなかったのだが、ふと見た方向にFさんが居られた。
クリスマスイヴの時と同じ、一番後ろの右端に居られるではないか。
神に感謝した。
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点が点でなくなり、線となる。
それは、わが人生55年が経ち、最近つくづくそう思うことが多くなってきた。長生きするともっとそのような経験が出来るとしたらたのしみになる。
つい最近、地元の電器屋さんのHさんとお話しすることがあった。
教会の小さな電気工事をお願いしたいと思って出会った電器屋さんだ。西大寺らしく、店の前に東芝の乾電池の自動販売機を今も据えているあのお店だ。
彼は旭東教会の最年少役員の亮さんと同級生だと知った。幼い頃、ボーイスカウトで旭東教会にもおいでになったことがある様子。
彼のお辞儀は、嘘偽りなく直角、つまり、90度に曲がり、2秒停止する。
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打合せと相談をするために、Hさんが二度目においでになったとき、話はおわっても彼は直ぐに帰ろうとしなかった。
彼はわたしの話を聞きたがっていることに程なく気付いた。
聖書の話ではない。
初めて会ったときに、わたしは稚内から転任してきた人間でアリ、その前は九州、さらには新潟と挨拶した。
そのわたしの物語を彼は聞きたがっていてくれた。興味を持ってくれているのだ。
生まれてこの方、間違いなく住民票移動20回を既に肥えている。浮き草のようでもあったわたしが語る話を。
いや違う。
実は彼は、無意識のうちに、わたしの後ろで働かれる神さまの御支配に触れてくれているのだ。
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12月28日(月)
『日々の聖句・LOSUNGEN』のみ言葉はこれ。
【わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。】(第一コリント書 15:58)
アーメン。そう言うほかない。
そしてわたしはこのみ言葉を想う。
【神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。】(ローマ書 8:28)
ほかにも、多くの福音の物語が、この世界一小さなキャロル、そして様々な出会いの背後に秘められていることを思わざるを得ない。
だから、私は教会が好き。
そして伝道を続けて行く。神さまの備えられた道を、これからも歩んで行ける。end
※旭東教会週報コラム・【 窓 】『 私たちの12/23 』に大幅に補筆したものです。