2015年12月18日(金) №212 『 我が師の再発見 evangelist=福音伝道者 S先生  』

わたしが暮らす西大寺の昔を感じさせる通り。というか幼い頃に暮らした故郷にも通じる。
わたしが暮らす西大寺の昔を感じさせる通り。というか幼い頃に暮らした故郷にも通じる。

【今、人生を振り返るような年齢になり、つくづく私は他の牧師たちと比べれば成長の遅い人間だったと思います。】

 

最近読んだキリスト教関連の小冊子の巻頭特集でこう記しておられたのは、わたしが牧師というものになりたいなぁ、とおぼろげに感じ始めたときに最初に相談したS先生だった。

 

S先生はパッパッと行動し語られるタイプの方。

 

「森さん、それはショウメイです」とS先生に言われたことが忘れられない。

 

銀座の片隅から有楽町線に乗り、練馬方面は氷川台駅が最寄りだった6畳と台所の小さなアパートに帰るときに、ボケーッと電車の天上を見ながら「照明かぁ・・・・・・?」とつぶやいていたことも懐かしい。

 

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そしてまた、わたしが洗礼を受けて間もない青年会の一員の頃に、「“主の祈り"は一日に何度祈ればよいのですか」と真顔で聞いたのもS先生だった。

 

牧会の第一線は退かれてはいるものの、説教者としてのお働きは継続されているようだし、更には、伝道者としての集大成として祈りや聖書の読み方についての幾つかの本にまとめ始めている様子。

 

そんなS先生の冒頭の言葉には何かほっとする。

 

というか、《小器晩成》を自覚するわたしには大きな慰めだ。

 

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【毎週説教を作らなければならないという生活が、私の聖書読みを導いてくれていたように思います。恵み豊かな神は、私に必要な恵みを豊かに与えて下さっていたのです。】

 

冒頭の言葉のあとに、このように続けておられるが、実はわたしが強い影響を受けた説教者がS先生だ。

 

過去形ではなく、今現在も心の奥深くに、ひとりの説教者像としてのS先生が居られる。

 

昨年秋、日本キリスト教団出版局のベテラン編集者がS先生の説教の簡潔・明瞭さについて最北の町の教会においでになった時に偶然語られた。

 

編集者は、S先生が世田谷区の教会でお働きだった頃の信徒だったそうだ。

 

説教時間に関する、えーーっ、とびっくりするようなことを聞いたので、S先生に電話して直接確認させて頂いたのは、もう一年以上前のことだ。

 

電話を通して想像できたことは、先生の説教が時計の針を忘れさせるほどに短く感じるような形になっていた、ということだった。

 

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S先生。

 

大衆伝道、あるいは、都市型の伝道を好んで取り組まれるタイプの方で、多分、現在のわたしの生き方とはだいぶ異なることも多い。

 

しかし、S先生の説教のスタイルは「evangelist=福音伝道者」というのがピッタリであるからこそ、惹かれるし影響を受けていると思う。

 

「evangelist=福音伝道者」というタイプの説教者や牧師は、わたしがキリスト者になってから出会った先生方の中にはほとんど居られない。

 

当時のカセットテープを聴き直すことはもうないけれど、S先生の説教のメリハリがすごかったことを記憶している。

 

ある時には「起きろーーーーーっ!」という大きな叫び声を何十秒か続けてから語り始められたこともあったはず。

 

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S先生は、その当時、主任牧師ではなかった。副牧師のお一人だった。考えて見ると、主任だったU牧師は遠い存在、そして、倣っていこうというような方ではなかった。

 

だとすると、S先生は、わたしが抱き始めた伝道者像の原点に居られたのだと気付く。

 

もしかすると、今、S先生にお目に掛かると、伝道に対する考え方の違いがますます大きくなっているかも知れない。けれども、その違いは大事なことであるはずだし、わたしの伝道者としての大切な原点がS先生にあることは譲れない事実なのだ。

 

お元気で居て下さることは、今になってみると何とも有難いことだ。

 

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数ヶ月前の新聞週間の頃だったか、大きく両開きにして眺めることが出来る“誌面"で読む新聞は、自分が必要としない、あるいは好まない雑音が飛び込んで来るからこそ、今もこれからも意味がある、という言葉を読んだ。

 

そう語っていたのは、インターネット媒体を駆使して時代に何かを届ける仕事をしている方だったからこそ、説得力があった。

 

そのような人や本、そして情報との関わりを意識的に大事にしていくことが、少なくともわたしには必要なのだと思う。

 

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たまたま手にした雑誌の記事で再会させて頂いたS先生。

 

その肩書きは「日本基督教団 〇□△教会 説教者 S… 」とある。

 

こんな風に「説教者 S」と紹介されるのは本当に珍しいのではないか、と思う。そしてS先生らしさを感じる。

 

過日、お招きした関田寛雄先生も掛け替えのない“師"に違いない。

 

そしてこの度、S先生の言葉に触れ、自分自身の根っこの部分にある大切な部分が、S先生との出会いを通じて形作られていたことを確かめることが出来た。

 

本当によかった。S先生も、間違いなく“わが師"なのだ。感謝。end

 

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