3月末、最北の町・稚内から“風”に押し出されて旭東教会に運ばれ、以来、牧師として歩み始めてから8ヶ月が過ぎた。
初年度だからということもあるとは思うが、やはりあっという間に時は過ぎる。
時が流れた、というとなんだか寂しい。充実していることは確かで、感謝でいっぱいだ。
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季候の違いはほんとうに大きいと思う。
特にこの2ヶ月程は季候の違いが大きいと感じた。つまり秋が全く違うのだった。夏もそうだったけれど、稚内では、「春・秋・冬・真冬」で夏はないに等しく、秋も駈け足どころではなかった。
そう感じる理由はやはり冬の厳しさが並大抵ではなかった、ということにある。
北海道で登録したままの「吹雪メール」。
先日から頻繁に届き始めている。例えば【今後宗谷北部・稚内で3時間以内に視程100m未満の障害が発生する恐れ。お出かけや運転に注意】というような内容。3月下旬、引っ越しの始まる朝も、猛吹雪だった。
南の国育ちの私たち夫婦にとっては、こんな命がけの自然環境はさすがに厳しさもあり、特に妻は左手首を骨折後外に出ることがむつかしくなった。
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最後の冬は、ただただ安全のためだけで、食材の大半を生協の宅配に頼んでいた。もちろん、外での買い物にも出掛けるが、最小限はこれで済ませて、危険を少しでも減らそうとしたのだった。
いやいや、隣り近所のみならず、彼の地では食材の宅配は多くの方が利用していることに気付いたのは3年目になってからだった。
今、「吹雪メール」に象徴されるようなことに身構えて暮らさなくても大丈夫なことは本当に有難いこと。風雪に対する緊張から解放され、大分県は大分市と博多の九州育ちの私たち夫婦は本当に安心して過ごしている。
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11月22日にお迎えした関田寛雄先生。たいせつな先生、正に恩師のひとりである。
87歳になられ、歩幅こそ10年ほど前より狭くなっていたものの説教や講演の言葉の重みと力強さは全く衰えがなかった。
いやそれどころか、鋭さが増した部分もあったのではないか。
夕飯をご一緒した時、少し年下の奥さまのことをいたわり「最も近い〈隣人〉として大切にと思うこの頃です」とお話になっていた。
千葉のご自宅に帰宅前には、奥さまと世界遺産登録された富士山を見る約束をされていたと後で知ったが、その後の私個人への便りにも「大兄もお忘れにならぬよう願います」とあった。
亡き父と同世代の恩師のお元気な様子に触れた私。
隠退後は珈琲屋のオヤジに等ということは返上を促されたように感じる。方向修正開始の時のようだ。ちなみに、大兄は、関田寛雄節のひとつで、お便りを頂くと、時々この言葉が出てくる。
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最近の私のぼんやりとした悩み。
それは近くの同労の仲間たちとの語らいやそれに通じる何かが足りないなぁ、ということだと感じ始めた。
わたし自身ものんびり過ごす日々だとは言わないけれど、地区の教師たちの集まり方と散り方は実に味気ない。
そして何がそんなに忙しいのだろうか、と思う程に先を急いで居られる方が多いように感じるのは気のせいだろうか。
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北海道に居た頃は、同じ地区の仲間たちに、少なくともわたしは距離的にも頻繁に顔合わせすることは無理だった。
けれども、おのぼりさんの様に、名寄や旭川に出掛けていった時は、あれこれ語らう時間があったし、雑魚寝も半分は予定されていることが多かった。
北海教区・道北地区では、10数教会・伝道所の週報を月に一度稚内教会に送って頂き、そういう当番を引き受けていたのだが、妻に助けてもらいながら(大半を彼女が仕切っていたが)『交流ファイル』という名の一冊にまとめ送付していた。
週報や月報の等の情報に触れるだけでも、互いの教会の様子が自然と分かって励まされる事が多かったのだが、今考えるとやはり貴重なものだったと思う。もっとも、わたしの転任後は、その作業も少し間隔を開けているはずだが。
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そんなことを思う中、同じ岡山県東部地区の蕃山町教会が、教会報発行毎に各教会へ送付される姿勢には教えられる。
なんと蕃山町教会の会報は国会図書館にも納める伝統あるものだという。それにはさすがに驚いた。
蕃山町は旧・日本基督教会系の改革長老主義の教会形成をされている。一方の我々旭東教会は会衆主義の組合教会の背景を持つ。
個性は随分違うけれど、蕃山町教会の会報の誌面を通じて積極的な伝道の取り組みを知るとやはり刺激を受ける。子どもたちの勉強会もいつも行っているようだし柔軟な姿勢は素晴らしいと思う。
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さて、この『旭東教会 牧師室便り』も次はお正月号となる。
岡山のお雑煮の出汁は何だろう。
我が家は“かしわ"と“利尻昆布”が近年の到達点のようだ。岡山の餅の主流は丸餅なのか切り餅なのかはまだ確かめていない。
どこに暮らしていても、おいしいご助言、大歓迎である。end