「森さん、それは《しょうめい》です」とお世話になっていた牧師に言われて、当時利用していた都内の営団地下鉄有楽町線の蛍光灯の《しょうめい》をポカンと見つめていた私である。
「召命」を知らずに神学校受験について相談した時のことだ。
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「けんしん」と聞くと「健診」や「検針」。あるいは「上杉謙信」を思い浮かべるのが世の常かも知れない、というか普通だろうか。
だが、我々が生きているキリスト教会には「献身」という言葉がある。
次週10月11日は日本キリスト教団の教会暦によれば「神学校日」だ。同時にその日は「伝道献身者奨励日」となる。
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1987年だったと思う。
やがて入学することになる日本聖書神学校に初めて足を踏み入れた時のことが忘れられない。
日本聖書神学校は山手線の目白駅から徒歩10分のたいへん便利な所にある。今もその辺りは小さな森のようになっていて、足を踏み入れると落ち着いた気分になる。
当時在籍していた教会の女性の副牧師のS先生が卒業生で、夜間の学校だったら自分でも働きながら学べるかも知れない、と思っていたのだった。
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受験を志しはじめていたので、受験に関わる情報を得たいと思い、かなりドキドキしながら訪ねたことを記憶している。
多分、その時、数百円で「過去問」を頂いたのだろう。
入学するまで、神学生が学ぶ神学校とは修道院のような所なのかと、今考えれば笑ってしまうような、ズレたイメージを身勝手に抱いていた。
やがて先輩となる方と礼拝堂の近くで出会ったのだが、聖なる方が出てきた、と感じた。
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今仕えさせて頂いている旭東教会は会衆主義教会の伝統を重んじているので、同志社大学の神学部との繋がりを大切にしている。
4月から同じ日本キリスト教団の岡山教会で日曜日毎に京都から奉仕に来られている神学生が居られる。ある集いでご一緒して嬉しかった。
来年も岡山教会で奉仕されるようだから、是非彼のような方を、神学校日から少しズレた時期でも構わないので、説教者としてお迎えし講壇に立って頂きたい。
礼拝後には、最近の神学生の生活の様子も皆さんにお話して頂ければお互いのためになるだろう。
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神学生時代に私も教授や諸先輩方から言われたことだが、自分が育てられて来た教会とは全く違う雰囲気の教会に身を置いて見ることはとても意義深いこと。
都市型の岡山教会とは異なるタイプや規模の違う旭東教会に触れる機会は、心構えによっては大切な学びの時となることだろう。
以前仕えていた教会で、夏期伝道実習生や春季伝道実習生を受け入れたことを思い出す。牧師も鍛えられたというのが本当だった。
今の旭東教会は感受性豊かで好奇心旺盛な神学生たちにどのように見えるだろう。end