夏休みを頂き久しぶりに九州へ向かった。
北海道・稚内での暮らしの間、妻は帰れても、4000キロ程の距離はやはり遠かった。
稚内からだと札幌まででも、バス、JR、自家用車を使うと札幌まで概ね6時間。飛行機は40分の搭乗時間ではあったがお財布に厳しい。
その6時間を考えると、妻の実家の福岡までは羽田乗り継ぎか、札幌乗り継ぎかを利用すると搭乗時間は4時間。
稚内は空港まで車で20分以内、福岡空港も降りてから1時間以内で、掛かる時間は短かった。東京⇔稚内は2時間だから、なんとも不思議な距離感というか時間の掛かり方だ。
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さて、自動車大好きなわたし。今回も多少疲れても運転したいと思ってハンドルを握った。
九州入りの前に一つのお楽しみがあって湯本温泉に泊まった。以前宿泊して温泉街の真ん中にある宿が目に止まり、機会があったら、あそこに行ってみたいねぇ、と話していた宿に泊まった。
結論は〈はなまるの宿〉だった。値段は標準より少しだけ高いかも知れないけれど、それも少しだけのことだ。
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偶然、ある方が、「あの宿は日本一です。あそこに行ったら、もう他に行く必要ない」と言い切ったのだが、実は、それに近い思いを抱いて宿を出た。
もっと正確に言うならば、宿を出ようとするとき、ひと言、御礼と質問をしてみたかったので、玄関に立って車を送りだしてくれていた着物を着たお嬢さんに言った。
「行き届いた心配りで感動しました。教育されているのは一体誰なの?」と。
「女将(おかみ)です」と即答。
そして、「あいにく、今、女将は別館に行っております」と言われたあと、彼女が振り向いた先に女将が居られた。
にこやかな笑顔で近づいて来た女将に、「あまりに素晴らしいので、鬼が出てくるかと思いました」と伝えると「鬼でございます」とほほ笑まれた。
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萩焼が目的というわけではなかったのだが、その後、福岡には直行せず、途中、心地よい思い出のある萩市にも出掛けようと言うことになった。
かつて、傷つき破れた心と体の状態の時、優しく受けとめてくれた空気はかわらなかった。そして、振り返ってみると、萩は品格がある町なのだ。凄いなと思う。
歴史をしっかり学び切れていないけれど、明らかに品格がある。風格とは違う。歴史というものは凄いなぁと教えられた。
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萩の歴史的な地域は幾つかの焼き物店がある。
ぶらぶらと歩いているうちに、青色の珈琲カップとお皿のセットも置いてあるお店にひとりぶらっと入り一目惚れしてしまった。ささやかだが、2千円の買い物となった。
奥から出てこられた女性に「何だか、気分がいい作りですね、こちらは。いろんな先生の作品を置いているのですか」と話しかけた。
「ありがとうございます。一ヶ月前に開店したばかりなんです。夫が焼いたものだけを置いているんですが、この辺りにずっと店を構えたいと思って探していました。一年間からお店をと思って動き始めたのですが、さまざまな規制があって土を掘り起こしたり・・・・・・」との話だった。
引き続き、がんばってほしいなぁと自然に思った。
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もうひとつのお店でもあれこれお話聴いた。いや、一見の客でも、長年萩焼一筋で歩んで来られたお店の方が、気軽に話をしてくれたとも言える。
そのお店の奥には「一期一会」という大きな額文字が飾られていた。本当にそうだなと思った。器だけでなく人もである。
ここ数年、わたしは色んな場で声掛けすることが多くなった。それが平気になった。
厚かましくなったのは歳のせいだろうか。
いやいや、教会での出会いの数に比例し話し好きな人になって来たようにも思う。
大も小もある。破片のような出会いと語らいもある。
それは「人生という名の旅路」の、とても奥深く、楽しく、幸せなことであり、神さまからの贈り物と思えてならない。end
※旭東教会『週報』コラム「窓」に加筆しているものです。