2015年7月5日(日)
午後3時~
日本基督教団 旭東教会 牧師就任式
(ほぼ実録)就任の辞
牧師 森 言一郎
本日は、わたくしども日本基督教団旭東教会の牧師就任式に皆さまご参集下さいまして、心から御礼申し上げます。高いところからで本当に恐縮ですが、ひと言、ご挨拶を申し上げたいと存じます。
神さまがわたくしに、「旭東教会に行きなさい」という道をお示し下さり、今、ここで本当にご挨拶をするということは、当たり前のこととは実は思えないのです。
前任地の教会は、ロシアのサハリンが40㎞先に見える、日本最北の町稚内というところでした。お隣の教会まで、内陸では名寄教会が170㎞、日本海側に留萌伝道所は190㎞、そして、オホーツク海沿いに興部伝道所が200㎞。
稚内教会の就任式を執り行って頂いた時には午後5時開式でした。ある教会の先生が、おんぼろバスを仕立てて、集まって下さいました。
*
「どこでも一所懸命に仕える」ということは、聖書の言葉ではありませんが、わたしが生まれ育ってから今日に至るまでの姿勢です。
今は天に居ります父が、「生きているところ、働くところ、勉強するところ。そこが、一番いいところだと思ってやらなくてどうするんだ」といつも話しておりました。
ですから、どこでも、一所懸命にやって来たつもりです。九州にも居りましたし、新潟県の豪雪地帯にも居りました。温かなお交わりを頂きましたが、気候的に見れば稚内は雪国ではなく氷の国というのがふさわしい、そういう厳しさがあるところでした。
*
一つのことをひとりの人間として、牧師として、それでも一所懸命に続ける中で、少しは成長して行ったかなぁと思うことがあります。
(講壇の下から、長さ一メートル程の利尻昆布を取り出す)
これは一体何かと言いますと、北海道の稚内があるあの日本の最北端の方の海岸沿い数百㎞のところ、そして利尻島で採れる利尻昆布です。
*
三年間の在任という短い期間でありましたが多くの恵みを頂きました。振り返ってみて、わたしは、少しばかり自慢したいことがあります。
それは、たぶん、森言一郎は日本で一番昆布にくわしい「こんぶ牧師」だということです。(会衆席より笑い)
まだ、わたしの右に出る人は育ってないはずです。この昆布を通して、わたしは色んなことを勉強させて頂きました。
だらだらとしたお話にならないようにしたいと思いますが、昆布は凄い力があるのです。僅か10㌘、10㌢四方程度をつま楊枝ぐらいの細さに切って1㍑の水に入れます。昆布水を作るのです。
細かく切れば切るほど、昆布から良い出汁が出ます。昆布は面からは出汁は出ません。切り口から出汁が出るのです。
*
稚内教会は小さな群れでした。教会の皆さんに多くのご配慮を頂く中、牧師館の修築工事を致しました。しかし十分なお金もありませんでしたし、様々な経済的な弱さもありました。
着任してから暫くして、何か活気のあることが出来ないかなぁと考えておりましたら、神さまが「利尻昆布を売りなさい」と言われたのです。
その結果始めたのが利尻昆布バザーでした。
これを日本各地の教会に買って頂きました。利尻昆布を使った各地の教会にはお料理好きの方がたくさん居られて、多くの方からこう言われました。「森先生、これを使ったら、もう他の昆布には戻れません」と。
*
ある大阪の昆布問屋の大将が、色んな番組や新聞にも引っぱりだこになる位の方で、そこから勉強させて頂きました。普通は和食に使うのが利尻昆布だと思いますが、実はそうではありません。
和風の料理だけに使うのはもったいない。ビーフストロガノフでも、お好み焼きでも、たこ焼きの溶き水にも合います。利尻昆布の出汁は万能選手なのです。その大将は、先ずはお米を炊いてみて下さい、と言われます。
新米がおいしく炊けるのは当たり前ですが、ほぼ、どんなお米でも、少し水分を多めにして頂ければ、本当に冷めてもおいしいのです。おにぎり、お弁当がおいしいということになります。
ところが、昆布水がお米にしても、何かの料理に入った時にも、「あー、これは昆布の匂いがするね」ということは決して無いのです。
*
結論から申しますと、わたしは旭東教会でせっかく北の国で学んできたことも含めてございますが、徹底してこんぶ牧師に成り尽くす。出汁尽くします(笑いと大きな拍手)。
*
漁師さんのところに行って色んなことを教えて頂きました。利尻昆布は無駄が一つも無いのです。お見せしている利尻昆布は漁師さんが整形したものです。色が変わった部分は切り取っている。
でも、それは工業用とか、ラーメン屋さんなどお店屋さんに送る昆布は色が変わっていても構わないのです。値段の高い昆布はただ形が良いだけです。つまり利尻昆布は無駄が何も無い。
昆布は、和風も洋風も中華にも良いのです。麻婆豆腐でも何でも、それはそれは素晴らしい調和を生み出します。
*
さて、お待たせしました、旭東教会の皆さん。(笑い声)
わたくし、過去のことは忘れるつもりでございましたが、「こんぶ牧師」であることだけは引き継ぎたいと思います。
旭東教会でなければ生み出せない作品があると思います。今日、教会で発行された『緑の牧場』という会報のあとがき「こちら編集室」を見ました。心配を掛けて申し訳ないなぁと思いました。「森先生は猛スピードで駆け抜けておられますが、……」と書かれていました。
ご安心下さい。わたくし、これからはもう下降線に入ります。
*
わたしの願いは、み言葉が何とこんなにおいしいものであるのか、ということ。それをみんなが本当に噛んで噛んで、力となり、生きて頂きたい。
みんながうまく調和し、こんなお料理が出来ましたから、皆さんに来て頂きましょう、となることです。
イエスさまも、食べるところから、罪人を招いて下さいました。
あらゆる意味において、おいしいね、嬉しいね、というものを生み出せる教会として、わたしたちは、もちろんこの地に無くてはならない教会でありたい。
旭東教会ここにあり、今日はこんなおいしいものが食べられます、というものを生み出せるようになることを願っています。
*
わたしの尊敬する牧師の中に戸村政博先生という方が居られます。
戸村先生のご本のあとがきを就任式前に読み直しました。こうあります。
「“説教者”とは、たんなる職名ではなく、したがって単に説教する者が説教者であるのではない。説教の巧みなもの、それが説教者であるのではない。説教せざるを得ないように召されている者、わたしはそうせずにはおれない(第1コリント9:16)というアナンケーを持つ者が、説教者である。
たとえを設けるならば、詩を作る人が詩人であるのではない。詩作や作品やその評価によって、人は詩人になるのではない。詩を作るほか生きようがない者として、自分を自覚している者が詩人である」(『路上の生 山谷から』教団出版局)
*
わたしは牧師を辞めたいと思ったことは一度もありませんが、本当に牧師であり続けることが出来るのだろうか、ということは何度もの挫折の中で本当に思いました。
説教を語ることが出来なくなるのではないか、あまりにぶつぶつと呟き続けた時、妻が「そんなに言うんだったら、冷蔵庫の横に立って、わたしが聴くから話してみなさい」と言ってくれたことがありました。
わたしはみ言葉を語ることを本当に喜びとしています。幸せなことです。
しかし、それはもっと深めて考えるならば、語らなくては生きては行けない、ということなのです。
稚内に行く前に、わたしはある市役所の臨時職員の採用試験を受けました。落とされました。それが神のみ心で、「お前は、説教しなさい」となお言って下さったのだと思います。
もちろん、今もその覚悟をしっかりと深めて抱いています。
*
わたくしはまことに欠けの多い者です。
しかし、神さまは詩編の8篇6節において、「彼を欠けさせた」「人を欠けてつくったのだ、少し、神よりも」(直訳)と言われるお方です。
欠けが多い者ですが、用いて下さることを心から感謝し、旭東教会の皆さんと共に、主のみ足跡に、本当に従いたい。
主がもっとも小さくなられるのであれば、もっとも小さい者として、どん底まで下って生きて行きたい。そのことを心から願い、ご挨拶と致します。
本日は本当にありがとうございます。end
※このあと、讃美歌21-412「昔 主イェスの」を賛美。