※教会で配布したものに少し補筆したものです。
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汗がどーっとが吹きこぼれてくる感覚。
実は、前任地、日本最北の町にある稚内教会での日々では完全に忘れていたいたことだ。
サウナ風呂が好きというわけでもなし、温泉のサウナに入ることもないので、今は本当に久しぶりに大汗をかいている。
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7月初め、赴任して最初の教会報・『緑の牧場 NO.27』が発行された。
読んでいてそうだったなぁと思い出したことがある。
それは4月6日のイースター愛餐会、つまり、最初の日曜日の場面だった。
当日は、確か、市議会議員選挙の頃で、外からは名前を連呼する車が幾度も通りかかった。
愛餐会の出席者の自己紹介を聞きつつ(一度で覚えられるわけがないのに)、途中でふと「教会に何分かかって来られるか。距離はどれくらいか?教えて下さい」というお願いをしたのだった。
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それ以後、ぽつぽつと家庭訪問を続けてはいるものの、初対面の人間関係作りには時間が掛かる。夏までにはと思っていたのが、今は、秋までには、となりつつある。
いやいやそれどころか、秋にはクリスまでにはに変わるか。
幾度もお見舞いにうかがう方もあるので致し方ない。
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旭東教会は岡山市東区にある。
赴任するまで分からなかったけれど、JR岡山駅あたりを岡山の中止と考えると決して中心地にあるわけではない。そしてそのことが、妻も含めて私にとっては本当に幸いしている。
妻の生まれ育った福岡県の筑紫野市にも雰囲気が似ているし、その利便性といったら、驚くばかりで、こんなに暮らしやすいところはないのでは、というのが嘘偽りない実感なのだ。
備前、牛窓(うしまど)、邑久(おく)、岡山市中区等々、隣接している所との距離感、車で出掛けると何分位か、近道は等々、見当がつき始めているこの頃。
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就任式の前に、聖霊の働きがあって(だと信じるが)、『旭東教会略史』を急きょ作成した。
まだまだ、この地ではよちよち歩きの私。
結果的に色々なことを客観的に見つめることが出来て良かったなぁと思う。
教会の長老からも、よかったです、とお誉めの言葉を頂けて嬉しかった。誉めること、誉められること、ほんとうにたいせつだ。
11月22日の特別礼拝にお迎えする関田寛雄先生(神奈川教区巡回教師、青山学院大学名誉教授)からも「とても参考になりました。その特色を維持したいものですね」との励ましを頂いた。
お出で頂くことを正式にお願いするに際して、依頼文と共に、略史を入れたのだった。
今後は、新来会者の方などにも差しだすことが出来そうで、初めに苦労していてよかったとも思う。
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歴史と言えば、教会関連の写真を見ていて旭東の財産だなぁと思うことがある。
それは講壇の両脇に立つ風格ある「2本の柱」だ。
旭東教会は1923(大正12年)年3月11日に、今も毎週使っている礼拝堂を献堂している。
その翌日に撮影した、紋付き袴姿の人々の写った記念写真を礼拝堂入口の扉上に掲示している。
その「柱」が大正12年の写真のみならず、折々の旭東教会の集合写真には、背が高いため、必ず写っているのだ。
最近では、8月2日の礼拝にお出でになると連絡があった、S姉追悼記念のご本の中で見つけた。当時3歳位と思(おぼ)しき教会員の安佐子姉がちょこんと座っていたりして不思議な気分になる。
旭東教会の礼拝堂は不思議な落ち着きを醸し出しているその力のひとつは、確実に、あの柱なのだ。
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長期入院中の恭子姉がベッドの上で先日こう仰った。
「段々《うち》の教会っていう感じが甦ってきた」と。
お届けする『週報』を穴が空くほど見つめ、教会の皆さんの姿や名前を探して居られるのだろう。
わたし自身も《うちの先生》になり始めているところだ。
盛夏のたいへんさ以上に、恵みを探しつつ歩んで行きたい。end