聖書の学びと祈り会。水曜の夜と木曜日の昼過ぎにある。
レントに入って二日目の木曜日の昼過ぎ。
Iさんと二人で始めるかなぁと思っていたとき、玄関先にご婦人の姿が見えた。
「しばらくお休みします」、という連絡を、クリスマスのあとだっただろうか、メールでくださっていたM子さんだった。
嬉しいじゃないか。
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ヨハネによる福音書14章15節以下を三人で読んだ。
ひととおりの解説をし、自分でも、あたらしい発見もあって、いささかの充実感というのか、いい時間だったなぁという満足感を覚えていた。
「わたしからは以上ですが、きょうの話に関係なくても構わないですから、何か聞いてみたいこと、感想があったらどうぞ。答えられないこともあるかも知れないけれど・・・」とわたし。
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この日の主題は「聖霊」だと思ったので、ヨハネ20章の、鍵が厳重に掛けられた部屋に、復活のイエスが顕れ、「あなたがたに平和を」「聖霊を受けよ」と言われたこと。あるいは、使徒言行録2章の聖霊降臨の箇所などにも触れた。
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少しの間があったのちに、M子さんが言った。
「あのー、トンチンカンなこと、聞いてもいいですか。(イエスさまは)死ななきゃならなかったんですか? 死なないで、という方法があったんじゃないですか」
わたしは、この質問をしてくれて本当によかったなぁと思った。
詳細には記さないけれど、「その質問、本当にど真ん中のたいせつな問い掛けなんですよ」という意味のことを伝えた。
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イエスがキリストであるがゆえに、十字架の上で死ぬこと。
ヨハネでは、19章28節で「渇く」、30節で「成就した」と語られたことが記録されている。
つたない解説だけど、それしかないから、必然だったのだということを含めてお話しさせて頂いた。
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とんちんかんだったり、脱線だったり、脇道にそれたり。
隙間があるところに何かが起こる。
真実に出会っていくために必要な道は、思いがけない形で見えて来ることがある。
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まだ、教会にお出でになり始めて間もないM子さんの問いは、幼子のような質問だからこそ、ど真ん中を突いてくれるものだった。
受難節・レント二日目にふさわしい分かち合いの時となっていたのだ。
そうか、聖霊は確かに働いて、その場に風を吹かせて下さったのだと、わたしは今気がついた。
神さまありがとうございます。end