勝間和代、という経済評論家の無料配信メルマガを読むことがある。配信されても読まないこともあるが、先だって誕生日を迎えた勝間さん。数日前に届いたメルマガのタイトルは『人生後半戦の楽しみ方』だった。
ほう、そうかぁ。そんなことを思っているんだと読みだしてみた。
こんな出だしだった。
【46歳になりまして、つくづく思うのが、すっかり「人生後半戦」だということです。平均余命からも、また、社会ステージからも、すっかり折り返して後ろ半分になり・・・「人生の余命をいかに生きるか」ということにフォーカスしています。とはいえ、まだまだ40年以上ありますので(たぶん)、コツコツとやっていきたいと思います】
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46歳の頃の自分は、まだ、余生なんてことを考えたりはしなかった。
でも、その後、体調を崩して、あれやこれやの身に滲みる苦労のようなことが始まった当たりから、はたと気付いたこと。
それが、勝間さんの言われるところの余命というか、あと、何年牧師ができるかなぁとか、残りの人生の年数を数えることだった。
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きのうの毎日新聞。確か二人の経済学者が登場して、かなり大きなインタビュー記事が載っていた。内容はともかく、大きな顔写真が目に入り、立派な先生なんだろうなぁ。
幾つくらいの人だろうとプロフィールに目がいった。
すると、一人は確か1963年生まれ、もう一人は1965年生まれ。
貫禄もそこそこあるから、当然、自分よりも年上だろうと思い込んでいたのに、なんだよ、二人とも年下じゃないか。
彼らが年相応なのか、自分が年齢に見合った顔をしていないのか、少しばかり複雑な気持ちになる。
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牧師にとって一番ムツカシイのは、その引き際、隠退の時期だと言われることがある。あるいは、隠退してからとも言えるが。
教団年金局は、73歳くらいまでは現役で頑張ってお働き下さい、年金局会計の維持のためにも、ということを言っていたような気がする。
これは、平均寿命を念頭におきつつ、できるだけ長く、掛け金をお願いしますという意味も明確にある。
お世話になった大先輩の姿を見ていると、いろいろと考えさせられる。人にも厳しいが自分にも厳しい方だ、と思っていた先生は、余力を十二分に残したところで、スパッと身を引かれた。あれから15年は過ぎたはず。
すごいなぁと思う。
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一ヶ月と少し前のこと、ふと、左手の親指の爪のあたりに目がいった。
「あらあら、俺は、爪を切ったときにこんなに思いっきり肉まで爪切りで切り込んでしまったのか。よくもまぁ、血が吹き出ないでいたなぁ。慌てていたから気がつかなかったにせよ、危ないところだった」
そんなことを思う位のかなり深い傷口が目に入った。
老眼が駈け足を始めると、爪すらもちゃんと切れなくなるかと、何かを少しあきらめたような気分になった。
傷口をながめ、しょうがないなぁ、と老いの坂道の始まりを受け入れることにした。
妻も、「気をつけないと、大変なことになるよー」と言うので、うなずいたものだった。
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しばらく放っていたその傷口が左上の写真。
なぜか、一端は忘れる程度にふさがっていたのに、最近、ふたたび開いて、これってマズイかも、と思ったのだった。この写真は血の気配はないけれど、最初気付いた時は、血が吹き出てもおかしく無さそうな色をしていた。
妻に見せると「これ、あかぎれ(ひび割れ)じゃないかな。塗り薬があるからつけた方がいいよ」と差しだしたのは、「キップパイロール-Hi」という薬だった。昔のオロナイン軟膏みたいなものなのか。よく効いた。
爪切りで切ったにしては、方向がおかしいとは思っていたけれど。
いやはや。あかぎれ(ひび割れ)なのか、爪の切り間違いなのかもわからんとは。
人間ってものは、こうしていつの間にか、下り坂をゆっくりとのぼり(降るだけではないと思う)始めるのかも知れない。
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きょうは、映画を久し振りに観に行った。
聖書の出エジプト記、モーセがまるまる映画になっている(『エクソダス 神と王』)というので出掛けて見た。ヨセフ物語の説教に役立つネタもあるかも知れないという期待も実はあった。
息せき切って走り込んだのだけれども、10時40分が上映開始なのに、10分近くが過ぎても予告編すら始まらない。
なんだ、どうしたんだ、と不安になったわたし。
切符きりのおにいさんの所に駆けていった。
「ちょーっとお尋ねいたしますが、かくかくしかじかで、ずーっと待っております。予告編が始まらないのですが・・・他のお客さんもいないんですよ。どうかしましたか?」と尋ねた。
「あっ、それは1番ですから、こちらでございます。もう始まっていますね」とのクールな声。
妻にはメールで、「すごいよ、ただ今、貸し切り」と送信後のことだった。
どうかしているのはこのわたくしでありました。やれやれですな。end