53年前、稚内教会から生まれた稚内ひかり幼稚園。
園児たちは学期末になると、各学年ごとに教会の礼拝堂にやって来て、礼拝をする。
わたしは、お祈りとお話を担当することになっている。
一学期終了間近とななり、年少、年中、年長の順で教会に来てくれた。
「ぼくし せんせーぃ」と言いながら彼らはやって来る。
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今回は年長さんとの礼拝が最後だった。
年少さんや年中さんに較べると、お話の内容を、物語性ゆたかに話すように努力してみた。
運動会を終えてたくましさを増している彼らを見ると、3歳、4歳のこどもたちに較べれば、集中して聴く力が大きいというのがハッキリとわかる。
ヨシッと思った。何かのスイッチが入ったのだ。
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「きょうはモーセさんのお話をするよーっ」と始めた。
モーセに率いられてエジプトから脱出の旅を始めたものの、食べ物・飲み物の不平不満が聞こえて来てモーセは悩み、さらに、目の前に、葦の海が広がり、後ろからはエジプト軍が戦車で追いかけてくる。
絶体絶命のピンチの時に、モーセは杖を持って、主に命じられた通りに・・・と、臨場感が少しでもあるようにお話しする努力をしてみた。
時々、オーバーアクション気味に、「われらーを みーちーびーく」と行進(足を高く上げる仕草を)しながら歌ったりして。
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メッセージを終えて、脇に退こうとした、とその時、わたしとしては思いがけないことが起こった。
それは拍手だった。
前方に居た、わたしの方から見れば左側の子どもたちからの限定的な、全員では無い。
でも、数人のしっかりとした拍手だった。
純粋な子どもたちの拍手。それは、先生から促されてのものでもなく、ゴクゴク自然に起こったもの。
だから、なおのこと嬉しかった。
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30年くらい前のこと、わたしは時々、母教会の礼拝で、拍手をしたくなる衝動を覚えることがあった。
それは、牧師の説教に対してのものではなかった。聖歌隊の賛美の美しさに感動した瞬間だった。
都会にある大きな規模の教会で300人程の礼拝出席者がいらしたのだが、拍手が起こることは一度もなかった。
だから、そういうものだ、と自分に言い聞かせてはいたが、実のところわたしは拍手をしたかった。
素晴らしい!と。罪人のわたしたち人間の賛美が、なんでこんなに美しいのだろうと不思議に思ったものだ。
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年長さんの君たち。
ありがとうね。
思い出すとさ、ボクはなんか嬉しくなるんだよなぁ。
人間ってそういうものなんだな、と思うよ。
ありがと。
あの拍手は、たしかに僕を支えてくれる。end