2014年7月15(火)№147 『 Dear みな子先生 ~ 神さまの風を感じた ~ 』

宗谷丘陵へ 空気が澄んでいて、この時期にしては珍しく、後方にはサハリンが見えた。三脚を使用して撮影してみた。
宗谷丘陵へ 空気が澄んでいて、この時期にしては珍しく、後方にはサハリンが見えた。三脚を使用して撮影してみた。

〇以下、神学校の器楽の先生でもあり、不思議な交流が続いている木田みな子先生の来稚の折の記録を抜粋する。

 

先だって、日記形式にした来稚感謝のお便りと小アルバムをセットにしてお送りしたものから、抜粋・編集した。

 

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(1)はじめに
みな子先生 今日は年に一度の七夕です。みな子先生とお目に掛かれたのは、七夕よりも、もっとお久し振りのことだったのに、そうとは思えない、二泊三日のあっという間のひとときでした。ほんとうにありがとうございました。

 

みな子先生の来稚から早一週間が過ぎ、明日から、夕陽丘パーキングから見渡した、あの日本海で、利尻昆布漁が始まります。

 

以下、ご一緒した三日間を、少しまとめてみます。わたしの記憶の不確かな所もあるかも知れませんが、ご愛敬です。

 

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(2)空港に到着
6月28日(金)全日空573便は定刻に羽田を13時過ぎに離陸。わたしは15時をメドに空港に向かいました。飛行機は予定通り15時に着陸。到着ゲートに姿を見せられたみな子先生、数日来の風邪か鼻炎かで、マスクをしておられました。

 

発熱は?と心配しましたが、黙っていました。

 

季節によっては、白鳥たちの飛来場所になる、大沼を左に見ながら教会に向かいました。この季節は、白鳥ゼロだったようです。

 

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(3)稚内教会 礼拝堂

明日の奏楽に向けて、どのようなオルガンが使われているか、それをまずは確認しようということで、20分程で教会に到着。

 

礼拝堂にご案内して目に入ったのは、みな子先生がほとんど弾かれたことのない、イタリアのデルマルコ社のオルガンでした。

 

1階の畳の部屋に置かれているヤマハのリードオルガンを見せてしまうと「森先生、こちらを何とか礼拝堂に上げられないかしら」と言われるのを恐れて(笑)おりました。

 

初めての礼拝堂。一体どのような音色が響くのか分からないのですから、ご苦労をおかけしたことと思います。

 

わたしも少し音を出したりしました。が、翌日の礼拝のアーメン三唱を耳にするまで、みな子先生が求めて居られる音に思い巡らすことは十分できませんでした。あの音色だったのですね。

 

これは森さん向きのオルガンだわ、と仰っていました。さて、その意味はワハハ。分かってますよ。でも、僕も少しおとなになりたいなぁ。もうすぐ54歳ですから。

 

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(4)珈琲ブレーク

休憩をしました。

 

わたしの楽しみの珈琲を豆を挽きますから、ということをお伝えして、珈琲を煎れますからとお伝えして一杯召し上がって頂きました。キリマンジャロなのに、濃かったですね。お湯を入れて薄めました。

 

ふと時計を見ると、18時半位でした。この日、19時半頃が日没だろうと思っていましたので、お話し途中ですが・・・と切り出して、「今から、30分お稽古して下さい。夕陽丘パーキンという所で、もしかすると、利尻富士と日没をご覧いただけるかも・・」とお伝えしました。

 

では、ということで、しばらくの練習。そして、パーキングに向かう前に、明日の奏楽の楽譜のコピーやらで少しバタバタいたしました。

 

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(5)鮨を食べよう
夕食は、わたしが稚内教会に招聘されるその時に、お見合い説教の前日に食事をした、お寿司屋さんに向かいました。

 

カウンターに座りましたね。

 

二人の職人さんが忙しそうににぎり寿司をどんどん握る。特に、年配の職人さんの手捌きが、ちょうどみな子先生の目には全部入って来たようで、そのリズム感、職人技を喜んで居られました。

 

お姉さまのことを伺ったのはこの時だったでしょうか。京都から東京への転居がお子さんたちの頼もしい行動もあって、無事に済んだばかりだったと知りました。

 

「こういう所、わたくし、どうしたらいいのか分からないの」と仰っていました。お品書きを見て、竹だったでしょうか、上寿司だったか、20分ほど待っていると、しゃれたお皿に一列に並んだお寿司が出てきました。

 

「地元の魚は?」 何てことを聞いたりしながら、頂きました。みな子先生、イクラから食べ始めましたね。イカとまぐろだったかな。わたしに回って来ました。美味しかった。

 

お茶もよかった。みな子先生の右側に座る必要があることもその時は、明確には分かりませんでした。あの日の自転車事故以来の・・・ということを知ったのは、教会でのお昼ご飯の時のことでした。

 

実はお寿司屋さんにご案内したその時、わたしのお財布には千円札が4枚しか入っていなくて・・・カードが使えなったらどうしようしら、なんて心配しましたが。ごちそうさまでした。

 

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(6)おやすみなさい、そして牧師館で

ホテルに向かい、お嬢さんの電話番号をメモしたりしました。明日の日曜日は、午前8時20分に迎えにまいります、とお伝えすると、8時20分は何かのご縁のある時間だったようで、大丈夫、忘れないわ!と仰いました。

 

そして、エレベーターホールに向かいました。おやすみなさい。

 

わたくし、翌日の、『荒れ野の声に何を聴く』の説教が少しもまとまっておらず、牧師館で妻にしばしの報告をした後、一休み。それから、デスクに向かい直しました。

 

説教原稿の作成記録をパソコンで見ると、6月29日(日)午前2時31分とありますので、そこまで頑張ったのでしょう。

 

でも、どのタイミングでしたか、聖霊によって語るべきことがハッキリと見えました。

 

わたしたちは石ころの自覚を持っていることが大切。聖霊と火による洗礼=裁きを受けるときも、石ころは燃え尽きることがないのだから、と福音が聞こえて来た。

 

洗礼者ヨハネ彼は預言者です。わたしにとって、ヨハネは献一先生に重なる部分もあります。彼は祭司の家庭出身なのに、その道を自ら閉ざして、荒れ野にすすんだ人だった・・・・。

 

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(7)日曜日の朝

翌朝、時間通りにホテルへまいりました。みな子先生、既にホテルの入口に立ってお待ちになっていました。夜明けが早い分、朝方早く目が覚めたと仰っていましたね。たぶん、三時過ぎでしょうか。

 

車で5キロ弱の所に教会はありますから、歩いては無理なのですよ、とお伝えしたりもしました。

 

教会に向かう途中、稚内南小学校では、ひかり幼稚園の運動会が行われる日でしたのでお教えしました。

 

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(8)利尻富士とヌンク・ディミティス

教会の前まで車は来たのですがそこを通り過ぎて、昨夕に訪れた夕陽丘パーキングへ向かいました。

 

5分も進んで行くと、見えてきました利尻富士。きのうとは違って、見事な利尻富士が見えました。ヨカッタ。礼文島もハッキリ見えましたね。

 

海を見ながら、沖縄の海のことをお話しされていました。この日本海で昆布漁があるのですとお伝えしたりしました。幾枚もの写真を撮りましたが、とっても素敵だなと思うみな子先生の表情が記録されています。

 

小鳥たちのさえずりもハッキリと聞こえました。空気も澄んでいたし。しあわせな気分が大きくなりました。

 

献一先生が召される前に口にして居られたみ言葉、ヌンク・ディミティス「今こそわたしは・・・の気分だわ」(ルカによる福音書2章29節以下)とみな子先生。

 

美しい時でした。

 

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(9)息ができる礼拝 聖霊が降る

礼拝が始まる10分前。

 

みな子先生は、礼拝堂の最前列で、呼吸を整えていたのでしょうか。足の裏から息を吸うという感覚を研ぎ澄ませていたのか。

 

聖霊よ来てください、の祈りでしたか。礼拝堂の奥の椅子に座って司会の永井悦子さんと三人で祈りました。

 

幾つかの、ほんとうに大切な発見が与えられた礼拝でした。

 

もちろん、みな子先生をお迎えしたからです。これまでもみな子先生の弾かれる讃美歌の伴奏に触れていたわたしですが、今回ほど、こころを澄まし、耳を澄まし、さまざまに思い巡らしていた礼拝は、実は、ありませんでした。

 

息ができる礼拝。

 

神さまの風が吹き抜ける礼拝を明確に意識できるオルガンの音色でした。

 

ゆっくりと弾くということとは違う。会衆の呼吸を最大に引き出してくださる音色が礼拝堂に響きました。

 

出席者は、それぞれにどんなことを感じたでしょうか。それは分かりません。

 

とにもかくにも、わたしにとって忘れられない礼拝です。こころに深くのこる音色でした。余韻があるのです。

 

そう言えば、子どもメッセージの時間には、1995年頃のものだったでしょうか、教団出版局の季刊誌『礼拝と音楽』にみな子先生がエッセーを記されていたので、みなさんへのみな子先生のご紹介を兼ねて、それを読ませて頂きました。

 

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(10)ピアニシモの力強さの不思議

祝祷のあとのみな子先生の後奏は衝撃でした。

 

実はあの時、(Ustreamという録画配信を見て確認もしましたが)、わたしは、祝祷後に、みな子先生のオルガンが始まらないので、先生の方心配になってを見たのです。

 

「あれ、打ち合わせしたのに、どうしたのだろう」と思って。

 

と、その瞬間にみな子先生の、ピアニシモのアーメン三唱が始まりました。

 

鳴るとか、響くというのでもない。

 

息ですね、あれこそ。

 

みな子先生は、稚内教会の礼拝堂にいらして、あの音に象徴される息が会堂に吹き抜けることを祈ってくださったのだ、とすとんと腑に落ちました。感謝です。

 

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(11)海鮮丼ほかの愛餐

お昼ご飯も豊かなひとときとなりました。

 

旅人のOさんご夫妻が、「こんなご馳走を食べる教会は知らない」とお話ししておられました。日本一の海鮮丼というのでしょうか。

 

ホタテ、しめさば、サーモン、イクラ、キュウリ、錦糸卵が宇美しく盛られ、お吸い物、エゾカンゾウのお浸しも一緒の酢の物、帆立貝のバター焼き。

 

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(12)お嬢さんからの電話

思いがけないアクシデントが起こりました。

 

午後、一日遅れで稚内においでになる予定のいずみさんからわたしの携帯へ電話。

 

確か12時半頃です。それは予定していた時刻よりも早かった。あれっ?と思いながらいずみさんに聞きました。

 

「いずみさん、今、どこから?」

 

「それが、乗り遅れたんですー」

 

「えーーーーっ!」

 

前日夜10時過ぎ、みな子先生とお別れしたあと、いずみさんと打合せを電話でしたときに、冗談で「明日、乗り遅れないようにね」と伝えようかと思って、それはあんまり失礼かと思ってよしたことを後悔しました。

 

夏の観光シーズンゆえ、午後の二便の空席もなかったようです。とにかく、いずみさんとはまたもやお目にかかれないままとなってしまいました。

 

いずみさんがメールに記していた言葉。

 

「疲れすぎている自分に気がつきました」だったかなぁ。品川駅でのお買い物で油断して、羽田に向かっている途中に気がついたのでしょうねぇ。

 

もしや、やばい。間に合わないよーーーっ!と。モノレールか京浜急行電鉄か。降りてからどれ程猛烈に走られたことでしょうか。稚内行きの搭乗口。おそらく羽田空港のすごーく外れにあったはず。

 

いつの日か、ゆっくりとお目にかかれるのを楽しみにしております。でも、これでまたお互いに忘れられない人となってしまったような気もいたします。

 

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(13)宗谷丘陵・宗谷岬へ

その後、千歳経由で名古屋に戻る、礼拝をご一緒した榎本兄と稚内駅近くで待ち合わせて、宗谷岬に向かいました。彼はレンタサイクルを駅の近くに帰したのです。

 

稚内駅までは、石川兄がご一緒でした。彼の手作りのクラフト作品をもしかしてプレゼントしてもらったのでしたか。

 

宗谷丘陵に向かう途中、宗谷湾の海辺の空き地には、キタキツネが居りました。写真は残念ながらありませんが、確かに目撃。その後、宗谷丘陵に上って行きました。

 

三脚を使っての、榎本兄とわたしとみな子先生との写真もなかなかいいですね。最高のお天気でした。サハリン・樺太が僕らには見えたのですが・・・・。黒牛が牧草地を走っている姿も見えました。

 

再び車に乗り込んで、宗谷岬に向かって丘を降りて行くのですが、その途中に、蝦夷鹿(エゾシカ)の群れが車の前を横断。二家族くらいだったかも知れません。角が立派に生えているのが二頭いました。

 

日本最北端の地 宗谷岬に到着。三角のモニュメントが建つあの岬です。海カモメでしたか、すぐ近くに休んでいました。最北の海をみな子先生しばらく楽しんで居られました。

 

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(14)榎本兄を空港へ

その後、わたしたち三人。稚内空港に向かいました。時間は午後4時頃です。榎本兄が明日からのお仕事に戻るために、名古屋に向けて、千歳経由でお別れでした。

 

みな子先生と南山教会の不思議な結び付きについても伺いました。先生、早めに一度、教会をお訪ねになってはいかがでしょう。神さまは不思議な形で備えをなさるものです。

 

榎本兄とお別れしたみな子先生とわたし。二泊目の予約をしていた、ホテル美雪に向かいました。

 

この頃のわたくし。運転しながら猛烈な眠気に襲われていました。眠ってしまうことはなかったものの、ホテル美雪に到着した時にわたしは申しました。

 

「みな子先生、少し、休みましょう。19時にロシア料理のお店に予約していますから、18時50分に迎えに参ります」と。

 

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(15)ノシャップ岬の日没とロシア料理

牧師館に戻ったわたくし、30分程眠りこけました。みな子先生も少しお休みになれた、と言われていたような気がします。

 

午後7時前にホテル美雪に向かいました。途中で、予定変更を決断(オーバーですが)。ロシア料理店のペチカに途中立ち寄って、19時からの予約を変更し、20時前にお願いしました。

 

何で予定の時間を変えたのか。

 

そうです、あまりに空が晴れていて、日本海に沈む太陽をこれならばバッチリ見ることが出来るはずと確信したのです。それで、前日は車で通り過ぎたノシャップ岬に向かうことにしました。

 

夕焼けを見ましょう!と。

 

100点満点とはいかなかったけれど、それでも、美しい夕焼けを見ること出来ました。

 

ロシア料理専門店のペチカでは、ベーシックなコースで注文。しかし、もうほんとうに十分でしたね。

 

ロシア風のサラダ、水餃子、ピロシキ、串刺しの豚肉、ボルシチ。あと、ロシア風のお茶が付いていたと思います。

 

ここでも、みな子先生にご馳走して頂いたのですが、ほんとうにおいしかった。どれも初めての味なのに全く違和感なし。

 

あのお料理は、完全なロシア人シェフのレシピ通りに作られたもので、日本人の好みに味付けられていたのではない、とお店の人に聞いてビックリ。

 

ペチカでは、ロシア民謡と踊りのビデオも楽しみましたよ。

 

サハリンのルースキー・テーレムというグループなのですが、フォークダンス調の踊り、こころ和む音楽を聴きながら夜は更けていきました。午後10時過ぎまで話が弾み、お店の方も快く見守ってくれました。

 

店内には、外国からの旅行者の姿もありました。半分はそうでした。ロシア人もいましたし、若い中国系の青年達のグループも。

 

10時半過ぎ、翌日の約束をしてお別れしました。

 

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(16)最終日の朝

稚内の最終日。ホテル美雪のフロントで、みな子先生は若いホテルマンとお話ししていました。

 

オルガンのことに興味を持ってくれた彼との会話も楽しいものでした。

 

幾つかの改善点の助言をされてホテルを後にしました。ゴミ箱を置く位置の改善やタオルだったかしら。

 

さて、その後に向かったのは稚内公園でした。グルグルと坂道を車で上りました。稚内公園には稚内教会の墓地もあります。そこを左に見ながらさらに上に登りました。

 

開基100年記念塔がそこにはありました。記念塔に上る前に、小さな北国のお花が植えられているのを観察。鳥たちのさえずりが響き渡り、みな子先生とても喜んで下さった。

 

公園からは稚内の港、防波ドーム、フェリーなどもよく見渡せました。

 

また、博物館のような施設がありますからご案内しました。北海道の歴史、稚内の歴史の一端が見えました。間宮林蔵の足跡も。

 

さらに、記念塔の最上階の展望台に参りました。

 

稚内を一望できるビューポイントの一つです。微かに利尻富士も見えたと思います。カメラを忘れていたので、ここでの写真はありません。残念。

 

売店でみな子先生は、カードを購入しておられました。わたしは、宗谷の塩をお渡ししました。お味はいかがでしょう。

 

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(17)おわりに

二泊三日の稚内を振り返りました。いかがですか? 何かを思い出されることもあるかも知れないですね。

 

あらためてのお便りはなしにして、これがこの度の旅のさいごの贈り物?です。

 

みな子先生からの贈り物の方がたくさんありました。あの日の礼拝から、わたしも、聖霊がもっと自由に働く、そのような説教が出来たら、礼拝を献げられたら、と思うようになりました。

 

わたしにとって、一つの転機になるかも知れません。忘れられないみな子先生の来稚となりました。心から感謝しています。

 

伝道の応援にお出でくださったみな子先生。それだけでなく、たいせつな何かをのこしてくださいました。

 

みな子先生、まだまだ何か、わたしたちの物語は備えられているかも知れない。そんな予感もまたしているこの頃です。ほんとうにありがとうございました!

 

                              稚内教会 牧師 森 言一郎
                          2014年7月7日 七夕の夜に

 

 

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