2014年7月14(月)№146 『 昭和40年代 日本車のすべて 』

これが、スーパーの書店で見つけた『昭和40年代 日本車のすべて』。たいせつにします。
これが、スーパーの書店で見つけた『昭和40年代 日本車のすべて』。たいせつにします。

※本号、ながーいです。覚悟のある方だけ、どうぞお試しを(笑)自動車にまつわるお話からのあれこれです。

 

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先週、近くのスーパーに立ち寄った。小さいけれど書籍も置いてあるお店だ。少し立ち読みしていると、目に入ってきた一冊があった。

 

『モーターファン別冊 昭和40年代日本車のすべて』(株 三栄書房)だ。

 

定価861円+税8%。他のどなたかが立ち読みした形跡ありだった。でも、これを逃したら、もう再びあの頃に戻ることは出来ない、と思って購入。

 

つい最近、長年、出版社から発行の度に送ってもらっていたキリスト教関連の月刊誌を取りやめたわたしにとって、数百円も今となっては結構大きい。

 

が、ヤッパリこれは座右の書となりそうな一冊。ありがとう、編集者さん。あなたの狙いにドンピシャのわたしがここに居ります。

 

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昭和35年11月生まれのわたしにとっての昭和40年代とは、幼稚園年長から中学2年までの10年間。

 

昔は、大分県北海部郡と言われていた、大分市の大在、浜、あるいは、横塚と呼ばれる地域で暮らしていた頃だ。

 

区画整理がその頃からゆっくりと始まったのだが、それまでは、本当に穏やかな田舎の部落そのものだった。

 

夏になるといとこたちがおばさんに連れられてやって来る。仕事の休みが取れたおじさんが遅れて合流する。

 

みんなで一緒に海辺まで麦わら帽子を被り、海水パンツ一丁、マント代わりにバスタオルをはおり、海水パンツ一丁で500メートルほどのあぜ道を海辺に向かう。メダカやふなが泳いでいる水路が両脇にあった。

 

松林を抜けると、引いていると本当に遠浅の海辺が広がっていた。遠く別府方面には鶴見岳。四国の佐田岬が見えることもあった。トビウオがぴょーんと飛び交う海だった。

 

今は埋め立てられて面影もないが。

 

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わが家には自動車がなかった。

 

だから、親戚の、紀男おじさんが、トヨタパブリカ800の中古車に乗ってやって来て、助手席に乗せてもらい、関サバで有名になった佐賀関方面につれて行ってもらうとき、お目々に星が輝き、興奮状態だったのを覚えている。

 

かといって、父に、「なぜ、お父ちゃんは免許とらんの? ぼくの家にもクルマが欲しい」と言った覚えはない。

 

というか、そういう頭が回らなかった。

 

わが家には車が無いのが当たり前。そんでもって、大分市の中心地に向かうには、国鉄の大在駅まで自転車で10分、蒸気機関車に乗って(D51が当たり前に走っていた、というか電化されていないのが日豊本線だった)、機関車の煙を吸いながら大在駅から大分駅に向かったものだ。30分程の乗車で到着。

 

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だから、自動車は憧れであり、片道2キロ半の道を大在小学校に通う時に、いつも目に入る、あの家、この家、あるいは、学校の先生方の駐車場に見るクルマたちは、わたしの心の中のアルバムに様々に記録され続けていった。

 

何しろ多感で純朴な5歳から14歳の頃のことだ。本当にいろいろな車がパッチリと心に残っている。

 

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その、心の中にあった憧れの車たちと、まさか、こんな形で再会できるなんて。本当に嬉しい。

 

表紙と裏表紙を飾る日産チェリー。

 

今見てもカッコいいと感じてしまうわたしが居る。

 

編集方針が泣かせる。

 

売れたクルマではなく、愛されたクルマをラインアップ。昭和という時代は、実直であり汗くさく、人懐っこく、あったかい。そんな時代もありました。

ここで紹介する昭和のクルマたちは、主にスター車種ばかりを揃えるのではなく、根強いファンを持った車たちを集めています。

たとえ王道ではなかったとしても、愚直に開発されてきたまぎれもない「日本車」です。いわば、気がつけば隣りにいた隠れた名車たちなのです。

 

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今のように、PCがあるわけでもないし、時々買えもしないのに自動車のカタログを取り寄せるのだけれど、こども時代に、『カタログ』なるものが存在すること自体、わたしは知らなかった。

 

大分合同新聞か朝日新聞の広告欄にたまたま目に留まった自動車の広告か、チラシなんてあったかどうか不明だが、それがわたしの知識の元の一切だった。

 

あとは、小学4年生の頃に買ってもらった、『世界の名車』という一冊の本がわたしのクルマworldの全てだったのだ。

 

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心の中にしか残って居らず、この何十年もその姿を見なかった、クルマたち。

 

家を出て、1キロ程いくと、三菱系の自動車整備工場があった。あの工場のおじさんの車だったのか。【三菱コルト800】の懐かしい姿が記録されている。たぶん同じ場所に並んでいたのが【三菱・ミニカ スキッパー】だ。

 

ひとり、トボトボと田んぼの真ん中の道(当時、舗装がようやく始まった。馬も通ってました、大きな馬糞を落として)を歩いているときに、ボンネットから煙を盛大に吹き出していたクルマも出てくる。

 

それは、【日産ダットサン・サニー 1000】だ。確かちまたでは欠陥車という言い方がされていたような気もする。初代サニーは昭和41年4月にデビューとある。

 

二十歳の頃、東京都の府中市に暮らして居たわたし。どうしても欲しくて買った車は十数万円だったか。【ホンダN360】だった。とあるプロドライバーが丁寧に乗り続けていた白いN360。わけもわからず、東名高速を調子に乗ってぶっ飛ばして、愛知の叔父叔母の家に行った。クリーニング屋さんが言ったそうだ。

「若いってスゴいねぇ」と。今思うに、こんな危なっかしい車でよくもまぁと呆れていたのだろう。

 

【スズキフロンテSSS】はオレンジ色の車体が写っていて相変わらずカッコいい。Sが三つ着いているだけで胸が躍る。

 

【マツダ・ファミリア ロータリークーペ】。この車は、大在小学校の給食室の前にいつも止まっていて、指をくわえてながめていた。コンソールボックスの3連メーターを見ただけで興奮していた。

 

母がお世話になった開業医の三宅先生が乗っていたのは、白色の【トヨタ・パブリカ】の2代目だった。三宅先生、大きな黒いカバンにあれこれ詰め込んで、わたしが夜中に発熱すると往診に来てくださったはずだ。昭和44年3月26日発表とある。

 

大学時代のサッカー部の小島先輩がぶんぶん言わせて乗ってきていた【いすゞ・ベレットGTタイプR】。あるいは、マネージャーの順子さんが、(最終型だろうなと思う)【トヨタ・カリーナ】に乗って来ていたのも懐かしい。

 

ソニー生命で頑張っている敏也が免許を取って初めて乗って来たのが【ホンダ・シビック】の中古車だった。昭和47年に発売開始らしい。

 

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そうなのだ。

 

この一冊に記録されている車たちは、わたしが忘れそうになっていた様々な幼い頃の景色と全て重なってよみがえってくるのだった。

 

車とは不思議なモノで、今まで仕えて来た教会の信徒さんが乗っていた車は、今でも同型車とすれ違うと、「あっ、〇〇さんのクラウン」「〇〇さんのパジェロ」「〇〇先生のキャロル」という具合に、ほぼ完璧にその人と結び付いている。

 

なので、苦い想い出がある方の車とすれ違うと、今も悲しい。

 

妻は、彼女が中学の頃に若くして亡くなられた父親が、黄土色の【トヨタ マークⅡ】に乗っていたのを明確に覚えていて、次は、クラウンと言っていたのに亡くなったと、時に口にする。

 

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かつてわたしは、フランスの【Citroën XANTIA】に乗っていたことがあるのだが、故障の悩まされたにも関わらず、想い出が山ほどあるのも本当だ。

 

そして、その頃から、わたしは「自分が車が大好きな人間だった」ということを取り戻すことが出来始めたのだった。

 

性格もあるかも知れないけれど、たぶん、これからも自動車との様々な出会いや付き合いの中で、わたしは暮らしていくのだなぁと思う。

 

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あと何台の車に乗れるかしら、とふと思うことがある。

 

次は、自動ブレーキが着いていないと危ないかも知れない、なんてことを口にすることがある。燃費よりも優先は安全。いつの間にかそういう年代に入ったのだ。

 

自動車好きの方が居られたら、お友だちになりましょう(^_^)ノend

 

【追伸】
父はわたしが高校1年時に、大女優のソフィアローレンが宣伝する、ホンダのロードパルという原付自転車に出会って人生が変わった。

歩かなくて済む原付バイクにまたがる父は、直進あるのみの人で、大きな交差点は直進後降りて、方向を変えて信号が変わるのを待っていたらしい。

 

 

 

 

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