みなさまへ 『 最北通信 稚内教会 牧師室便り』
2014年6月22日 №27 牧師 森 言一郎
以下、おおむね、補筆・増補なしでアップロードしますが、先に少しばかり。
文中に出てくる関田寛雄先生は知る人ぞ知る、多くの方にさまざまな励ましを下さった昭和2年・1927年生まれの牧師であり、同時に、説教学や牧会学の敬愛する先生。
わたしは、まったくタイプの違う先生方からも多くの示唆を与えられてきたものですが、関田先生の姿勢には、今も変わらず教えられてきた。
神学校の講義で、教室に入ってきて、深々と決して嫌みではなく、数人の生徒に一礼をして(夜間の学校でしたから「皆さん、こんばんは」)と挨拶して下さる先生は他には居られなかった。他の先生方が失礼な態度ということではないが、右も左もわからない我々に対して、人間として対等に向き合って下さる方なのだ。
今もお元気で、お住まいは千葉県だが、神奈川教区の巡回教師としてお働きになっている。批判する方も居られるかも知れないが、わたしにとっては掛け替えのない存在。
利尻昆布バザーでも、何かの拍子で窓口になって、持ち運んで紹介、売りさばいて下さったりと頭が下がる。川崎地区の牧師会に姿を見せて「今日はこの宣伝のためにまいりました」と挨拶して下さったらしい。
何とも、かたじけない。そしてまだまだ、お元気で、各地でのご奉仕に使えて頂きたいと願う。
若いお心もいっぱい持っておられて、富士山にも何年か前に登られ、確か、グライダーに乗りたいと言って居られた。遊び心が必要。
「森さんねぇ、イイカゲンな牧師になりなさい」と幾度も言って下さったのはこの方だ。
以上でひとまず補筆はおしまい。
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「稚内映画を観る会」による『ペコロスの母に会いに行く』という映画を文化センターで観ました。
ペコロスは、ごく小さなタマネギのことで、主人公の男性の頭髪に重なります。
泣けて笑えて、翌日になってもほんわりとし、考えさせられる映画でした。さすがキネマ旬報ベスト・テンで日本映画1位。長崎が舞台の映画は九州育ちの私にとって懐かしさもありました。
千円も有難かったです。空席がたくさんあったのはもったいない。他の映画祭の企画が近かったのは惜しいところです。
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チラシにこうあります。
「認知症の母みつえとバツイチ・ハゲちゃびんの僕」「愛おしくて、ホロリ切ない僕らの毎日」
片隅の小さな吹き出しにはこんな文字。
「ボケるとも悪か事ばかりじゃなかかもしれん」
森﨑東(あずま)監督・85才が向き合っているのは認知症や介護の問題です。自分自身の行く末も考えました。
長崎県が舞台でしたが、九州で育ったわたしにとっては、何か少しその空気にも触れられて心和みました。
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『ペコロスの母に・・・』を観て思い出したことがあります。井上ひさしさんというカトリックの劇作家の言葉です。井上さんがこまつ座という劇団を主宰し、作・演出をなさっていた頃、お芝居が楽しみで追いかけました。20代半ば頃のことです。井上ひさしさんの舞台も、悲しいのにおかしいものでした。
井上さんが生前繰り返し語られた言葉として知られている言葉があります。
「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」
森﨑監督はこれ熟知し実践されていたのです。
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私は『ペコロスの母に・・・』を観てから、ふと「礼拝説教」をすることと結びつけても考えてしまいました。
私は今もって説教の準備をするたびに毎週悩みます。
ただ、このお便りを書き始めた日の毎日新聞の連載漫画『アサッテ君』の40周年のお祝い記事に救われました。
個人的には漫画それ自体よりも、エッセーが大好きな漫画家の東海林さだおさん。こう語っています。
「プロ野球のバッターが10回打席に入り3本ヒットを打ったら大打者。だから僕も3回打てばいいんじゃないかと逃げを持っておく・・・」
そうか。説教にもそういう逃げ道があっても良いじゃないかと思ったのです。ま、人に誉められたいとか、ヒットを打ちたい、ホームラン等とは思ってはいないにしてもです。
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もう一つ、『ペコロス・・・』に関連して思い出したことがあります。
神学校で説教学の講義でお世話になった関田寛雄という先生が居られます。関田先生、とても硬派な一面をお持ちの方ですが、一方で渥美清さん演じた「寅さん」をこよなく愛す牧師としても知られています。
かつて仕えた高田教会の特別伝道集会でこう語られたのを記憶しています。
「寅さんの封切りは土曜日です。しかし牧師にとって土曜日は説教の準備をする日。しかし私はお弁当をもって映画館に行ってしまうのです。一度観て、二度目も観る。そして「こりゃ戴きだ!」という言葉をメモをする。それから夜、説教の準備をするとこれが捗(はかど)るのです。礼拝で皆さんに映画を紹介しながら語ると、大喜びするのであります」。
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渥美清さんが寅さんを演じる前に『喜劇・女は度胸』という1969年の映画に出演していたのを教えてくれたのは関田先生でした。
あっ、渥美さんは召されていく前にカトリックの洗礼を受けていますね。
その映画を撮影していたのが何と『ペコロスの母・・・』の森﨑監督だとチラシにあって合点がいきました。
そして、映画『喜劇・女は度胸』の原案を書いたのが、若き日の山田洋次監督なのです。山田洋次監督と関田先生。信徒の友の企画で対談もしています。
ユーモアは福音に仕えつつ生きる者にとっても大切なものなのだと、改めて心に刻みました。
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6月8日、東京から西川重則先生をお招きしての礼拝を捧げ、午後はピースウオーク稚内の講演をお願いしました。
翌9日(月)の朝、私はピースウオークの事務局の方と二人で、西川さんからの憲法の講義のような機会を得ました。
その時、私は目が開かれたのです。憲法20条の「信教の自由」についての自分の認識が甘すぎたと気付きました。
「クリスマスと結婚式は教会、お葬式は仏教、御祓(おはら)いは神社という国に生きる私たちクリスチャン(他の宗教・信仰の方も同じはずですが)は、相当に強い気持ちを持たなければ」と。
日本人の宗教観というのは、世界的に考えるとかなりイレギュラーなもの。特に、信仰のことを深く考えないまま一生を終える方だって少なくないのです。
だからこそ、わたしたちは、宗教とか信仰とかという言葉を越えて、その人の人格そのものに等しい意味があることをしっかりと自覚しなければならないのです。
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「集団的自衛権」問題の先には、靖国神社に祀(まつ)られるという事態が予想される時代です。きょう、正に集団的自衛権の閣議決定がなされようとしています。
政教分離の危機を深く憂います。いえいえ、暗雲をわたしたちの暮らしの中に呼び込んでしまうこの在り方に対峙しながらしっかりと歩む必要があります。
西川先生の純朴かつ肝の据わった信仰の姿勢に触れて、恥ずかしながらやっと分かりました。私、大いに反省して歩み始めます。