*だいぶ長編です。お疲れの方は、いずれまたお立ち寄り下さい(^^♪
九州から稚内へ2千数百㎞を飛び越えて来て、最初に書き始めたのがこの『牧師室便り』だった。それも24号。月に一度の発行なので二年が過ぎたことになる。
先号から「最北通信」の言葉も添えて記して居る。
稚内教会では毎月一度、〈伝道文書発送作業の日〉を設けていて、『週報』や『こころの友』をお送りする伝統があり、このお便りも一緒にお送りしている。増補版は一年くらい前からだろうか。
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振り返って見ると、一年前は、雪国の教会の伝道実習ということで、わたしの母校でもある日本聖書神学校からお出でになっていたの縣洋一神学生と、共に語らい、学びを重ねていた。
さらに、日記を開いてみると、一昨年の今頃は、稚内グランドホテルで目覚め、福岡から引っ越し屋さんの荷物がトラックで牧師館へと届いた頃だった。
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2012年6月初め、稚内教会・牧師就任式の時のことだと思う。
北海教区総会議長を務めて居られる久世そらち牧師が、こんなお話をされたことがあった。
そのままメモしているわけではないが、「北海教区の牧師は遊び心がないと務まりません。そのことをみんながヨシとしているのです。例えば釣りとか・・・」と。
自然環境の厳しさが特に含まれているのかなと思うが、各地の教会に道外からやってくる牧師たちへの言葉として、おそらく、しばしば口にされている言葉なのだろう。
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確かめてみると、妻も久世先生の言葉を記憶していた。
実は、久世先生のその言葉を聞いたとき、わたしは「うーん。これは困ったなぁ」と心の中で思っていたのだった。
何しろ、気の利いた趣味と言えるようなものは身につけていない。
散歩好きと言っても、着任当初は忙しさにかまけてstop。ましてや冬場の雪で足下の悪い中を歩く元気もない。合唱団に入ってみたい気持ちもあったものの、練習が土曜日にあれば日曜日の準備に差し障り、週の半ばは祈祷会ということになる。
囲碁も将棋もだめ。そんな気持ちだった。同労の仲間たちは一体何を楽しんでいるのだろう。先行きやや暗めの心持ちだった。ま、今考えて見ると、料理を楽しむくらいのことが、実益を兼ねていいことだったかも、と思ったりする。
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とは言え、この二年間を振り返ると、何やら趣味らしきことをいつの間にか始めて居たことに気がついたのだった。
必要にも迫られてとも言えるのだが、それは、一眼レフカメラを手にしての写真だった。
切っ掛けは教会のホームページの始まりで、日記に写真を添えたり、写真館というページを作った都合上、折々の写真をアップし始めたのだ。
おまけに、ほぼ時を同じくしてこの個人ブログ【森牧師の部屋】も開設したため、教会のHPにはどうかなと思うような写真もアップロード出来るようになったため、いつの間にか、何だか楽しくなり始めたのだった。
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毎週日曜日朝、牧師館から一眼レフカメラを首にぶら下げて出発。まずは、礼拝堂に献花されているお花をパチリ。
その後、礼拝中は無理としても、遠方からのお客さまが居られればまたパチリ。続いて、台所からいい匂いがしてくるともう一丁。
はたまた平日には、「先生、利尻富士がきょうは最高」と電話があると、さっそくカメラを片手にエンジン始動という具合だ。
もちろん、自分で休日と定めた日のドライブや出張の時にも、カメラを乗せて出かけて行く。
幸せな事に、北海道という自然の素材は素晴らしい、ということにある時に気づいて、あー、感謝なことだなとしみじみ思う。
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というわけで、いつしか「森先生はカメラが趣味なのね」と勘違いされるようになってきた。ま、本当に楽しいので、当分、やめられそうにない。
一眼レフカメラの凄いところは、自分の目では見えなかったところを、えっ、こんなに美しいものだったのかと後で気がつかせてくれるところだ。
瞬時のことのみならず、花々にしても、レンズというのはすごい。
特に、昨年秋、札幌に所用で出かけた時に勧められた、単焦点レンズの楽しみを知ってから、腕ではなく、レンズの実力が高いから素人でもいいな、と思う写真をとれるようになってしまったのだった。
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日本一でかいのでは、と思うくらいの広い売り場がある札幌ヨドバシカメラでアルバイトしている大学写真部の男子の○○くん。
君が、「ぜったい、こっち、イッチャッテください。(お客様が欲しいと言ってお出でになった)こっちじゃ、たいして変わりません」といってくれたのを、そのまんま、一切疑うことなく「アーメン」して、おじさんはよかった。
ありがとね。また、君に会いたい!
そして久世先生。
お陰さまで、わたくし、いつの間にか趣味らしきものを身につけておりました。
いやー、人間ってまったくもってわからんものだなぁ。ひょっとすると心の奥深いところで、何とか俺にもできる趣味を見つけないといかん、という自己防衛本能が働いていたのかも知れない。
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もう一つ、利尻昆布バザーを稚内教会が始めたのは、ある意味、我が人生において青天の霹靂みたいなところがあるのだった。
最近、かつて九州でご一緒したことのある牧師で、現在は東京のそれなりに名の知れた大きな教会で牧会している方の言葉を、偶然お世話になっている教団出版局のベテラン編集者から伝え聞いた。
「九州教区で主事をしていた頃の森牧師は、利尻昆布バザーをするような人には見えなかったんだけどねぇ」と。
まさにThat's right 。
利尻昆布バザーのために奔走する自分の姿なんて、数年前は、全くイメージできない。「一番驚いているのはわたしです」というのが本当のところなのだ。
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先だってのことである。
神学生時代からたいへんお世話になっ先生ご夫妻から、「利尻昆布を、少しくらいならプライベートに親しい人に勧めてみますよ」というお声がけを頂いた。
かたじけないことで、ほかにも感謝の気持ちを伝えたいと思い、お礼の手紙を書き始めたわたし。
ついでに利尻昆布バザーのことが、もう少しだけでもよくわかるようにしたいものだと思ってパソコンの前に座っているうちに、なにやら、突然、あっとひらめいたのだった。
そうだ! 俺には写真があるじゃないかと。
趣味と実益とはこのことで、文字ばっかりの手紙であれこれ説明するよりも、数枚でも写真があった方がいいかなと気づいたのだった。
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とにかくデジカメは、情報がパソコンの中にデータとして残っているのはありがたい。
さっそく、パソコン本体に気ままに保存しているものをA4の用紙に合計16枚を挿入しナンバーを振って、さらには、別紙にナンバーごとに小さな説明をつけた。
すると、いいのだ。何とも説得力がある。
ホームページをご覧いただけない方にも、利用の仕方によっては、共感をもって利尻昆布バザーのことを知って頂けるのだ。
何しろ、フィルムの写真とは違って、日付毎の管理もパソコンがしてくれている。紙への印刷も素人でもまぁ何とかなる。へたの横好きが用いられているのだ。
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もう一つ、牧師室便りの元原稿を書いた時点では実現していなかったけれど、カメラを趣味にしている、求道者の方との語らいも本当に嬉しい。
Sさん。お仕事、そして、子育てに忙しい方なのだが、過日、念願かなって教会の集会室で落ち合い、カメラ談義に花を咲かせることができた。
ある学校で学んで居られた時に、カメラ好きの先生が毎日耳元であれこれと囁いて下さっていたそうだ。
そこで身につけてこられた蘊蓄(うんちく)を、教会の片隅で耳を傾けることの何という楽しさ。
使徒言行録8章31節に【手引きしてくれる人がなければ、どうしてわかりましょうか】とある。ここの文脈は聖書の読み方のことが言われているが、まさにそのとおりで、これは“写真道”にも通じる。
その時間、わたしが使っているカメラの(使わないともったいないような機能である)絞りとシャッタースピードの使い方のイロハを直々に聞くことができて、もしや開眼か、と勘違いしてしまいそうになった。
お別れする前の40分には、「旧約と新約の違い」「預言とは」「主とは何か」「牧師の役割」というような入門講座を始めることもできた。
そして、さいごは、「お祈りするときには」「アーメンの意味」をお伝えし、祈祷会にお出でになったK兄と共々、Sさんのためにお祈りしてお送りしたのだった。
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おわりにもう一つ別の話題を。
昨年の8月の某日だったと思う。教会にお目にかかったことのなかったおじさまから電話が入った。
「森先生、ご相談があるのです。これからお邪魔してもよろしいですか?○○と申します」と言われてから数時間後。
お二人のおじさまの姿が教会の集会室にあった。
2ヶ月前、わたしは「ピースウォーク稚内」という平和団体の共同代表になってしまったのだが、その切っ掛けとなる出会いが与えられた日だった。
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当初は、「私はもともと、こころの問題とか、ターミナルケアとか、そういうことへの関心が強い人間で、平和のために何かする、というタイプの人間ではありません。たとえば、福岡でデモ行進をするという時も、先頭に立って何かをするなんてことは一度もなく、紛れて、声を上げるのが精一杯ですから」と伝え、かなり、後ずさりしながらお返事したものだった。
それでも、紳士であるお二人は、集会室の席を立ち上がるときには、お一方が「聞いてもらってよかったね」と子どもを諭すように声をかけると、もうお一人は、「うん(声にはださず)」とは言葉にせず、深くうなずきながら出て行かれたのだった。
あれから半年。
なんと、その声を出さずに出て行かれた小柄なおじさまと、今では、元気な声で電話でやり取りしたり、パソコンの使い方をレクチャーするような間柄になっている。
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過日、全国チェーンの居酒屋・養老乃瀧に本当に久しぶりに入った。
それは、「ピースウォーク稚内」の仲間たちとの勉強会兼打合せの後の懇親会だった。
このときは、ありがたいことに、妻も一緒にどうぞとお声がけ頂いていたのだった。
わたしは(残念ながら?)お酒は口にしないのだが、会も終盤にさしかかった頃には、「森さん少し酔っ払ったねぇ」と見間違うような表情でその時間を過ごしていたようだ。
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そこに集った方たち。偉そうな方は本当に居られない。
かつては、宗谷地方のある組織の中でトップに立たれたこともある方がそこには居られるのだが、どなたも本当に謙虚で気持ちがいい。
また、社会の中のキビシイ《闘い》で、さんざん踏みにじられる経験をご家族共々されたと伺っている方も居られる。
さらには、同席された方が、「○○さんは、本当にぶれないから」と言われるおじさんも並んで、笑顔で酒を飲んでいる。翌日の新聞には、そのぶれないおじさんが、地元新聞の片隅の記事に「わたし 地の塩です」みたいな感じで顔写真入りで写っていたりするのだった。
いやはや。クリスチャン以上にクリスチャンみたいな方がそこには居られる。
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わたしからすると、それぞれの分野で尽力されている人生の大先輩ばかり。
こうした出会いが与えられるのも、人口3万7千人弱。隣の大きな町は名寄までなく、名寄との距離は170キロメートルという、程よく小さい稚内だからこその恵みだと思う。
大都市の同様の集いで、わたしが、仮にもピースウォーク系の共同代表になるなんてことはあり得ないと思うのだ。
いつの間にか、本当に大切なことも少し頑固に口にするようになった私。
「この会は、とにかく、どのような立場の方が後からお入りになったときでも、平等に発言ができるように、すべて《さん付け》で行きましょう」等と言いながら、気づいたことを言葉にさせて頂いている。
そこらあたりから始めないと、たぶん、ピースウォーク稚内の働きも本当に市井で根付くことはない、と思う。
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不思議なことに、わたしがこれまで手にしてきた本(書棚に眠っていたものも含め)や人との繋がりによる情報提供が、少しばかりお役に立てることがわかって来た。感謝だなと思う。
そして、こうした先輩方との出会いの中で、伝道牧会への新たな気付きやエネルギーが与えられているのだ。
【有難い】文字通りそう思うこの頃なのである。end