雪どけが進み始め、ようやく道路事情がよくなってきた。
昨年11月の宗谷岬での自損事故以来、久しぶりに遠くにお住まいの方を訪ねることが出来た。
きのうは、枝幸から内陸に10㎞程の所にある歌登地区でのHさんの家庭集会に妻と共に向かった。
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人里の雪どけは進んだものの、山の方の雪はまだとけていない。
となると、困っているのが【エゾシカたち】のようで、浜頓別を抜け枝幸に向かう国道沿いで、かなりの頭数の鹿に出合った。
彼ら、とにかく食べられる草なら何での構わない様子。が、いつ飛び出して来るのか予想がつかないし、死角の場合もあり、バスが突然徐行を始めることもあった。
自動車のヘッドライトが灯り始める頃が一番危ないので帰り道を急いだが、Hさんも昨秋、お通夜に出かけた際の帰り道に鹿をはねて車が大破してしまったといわれた。保険に入っていたけれど、70万円の修理と相成ったとのこと。
「人間をはねなくてよかった」とは全くその通りで、北海道の今の時期、鹿さんには要注意だ。
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13時半前に歌登の酪農家の《Hさんご夫妻》と《すゑのさん》が待つお宅に到着。求道者の《かほるさん》も既にお出でになっていた。
《かほるさん》の愛息子・中学生の“のぞむくん”が、可哀想に、2月の下旬のスキー回転競技に参加していた時、膝を骨折して入院手術をしたり、というアクシデントがあったことを聴いた後に、賛美をし、祈りを合わせて、聖書を読み始めた。
レント・受難節なので、【最後の晩餐・主の晩餐】について学ぼうということにし、マルコによる福音書14章12節~26節のみ言葉を読み語り始める。合わせて、出エジプト記の12章の【過ぎ越し】についても語ることにした。
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ま、その内容はここでは置いておいて、ある問い掛けをして、笑いながらしばらく語り合ったのが、今日のブログのタイトルの「さいごの食事」についてだ。
ここでの「さいご」は「最後」ではなく、「最期」の方である。
わたしは先にこう話した。
「わたし、できるならば、人生の最期は、キリスト教主義のホスピスケアを受けられる環境だとありがたいなぁ、と願っているんですよ」というようなことを話ながら、「人生のさいごに何を食べたいですか?」「元旦に召されたSさんという教会外の方の葬儀をした時に、シベリア抑留でご飯を食べられなかったSさんが、さいごの食事になった病院での夕食時、ご飯ばっかり先に食べていたので、娘さんが叱ったそうです・・・・・・で、その時初めて、父さんはなぁと語られて・・・」
という言葉も添えて、皆さんに問いかけたのだった。
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〇ご飯と納豆
〇梅干(自分で漬け込んだもの)
〇甘いもの
〇ご飯とほっき貝の刺身か甘エビの刺身
〇野菜(山盛りのほうれん草)
〇水飴(自分で創つくったもの)
居合わせたみんな、バラバラだった。おもしろい。
皆さん、ほとんど迷うことなく語られたのも興味深かった。「具合いの悪いときに食欲なんてないでしょ」ということは、ここで差し置いてである。
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「梅干し」 そう語ってくれたのは《芳子姉》だ。「わたしは梅干し」と即答。その後、聖書の学びとお祈りが終わったあと、手製のピザと共にH姉特製の梅干しをご馳走していただいた。きょう添えた写真がそれだ。かなりこだわりがある様子で、食塩の濃度は8%と決めているとのこと。
「野菜」 これは、大正11年・1922年9月生まれの《すゑのさん》だった。今年92歳になる《すゑのさん》。ほうれん草のおひたしをどんぶりで食べるくらいの野菜好きらしいことがわかった。この日、わたしの聖書の話に、時々、相の手のように声をだし「うん、うん」と言いながらうなずいて居られたのが《すゑのさん》で、「わかりました?」と聴くと、笑いながら「わたし、よくわからないけれど、こういう話が好き」と仰っていた。
「水飴」 こちらは《重信さん》。これまた「俺は水飴だな」と即答。これも自分の手でつくったものが食べたいとのこと。馬鈴薯から澱粉が取れるので、それに薬局で買ってくる「ジアスターゼ」(胃腸薬の成分の模様)を混ぜていつも作っていたよ、と言われていた。ただし、最近はダイエットのために「我慢、ガマン」の日々とのこと。棒形の温度計を指さして見せてくださった。
「甘いもの」 これは《かほるさん》だった。自家製のお味噌まで作るかただったので、甘い物好きとは予想していなかった。
「ご飯と〈ほっき貝の刺身〉か〈甘エビの刺身〉」 これはわたしだ。どちらも、北海道ならではと思うが。
「納豆とご飯」 こちらは妻である。ほぼ毎朝、我が家で食しております。「極」というパッケージの納豆がお気に入りの様子。
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ラテン語はほとんど読めないが、ラテン語で「memento mori・メメントモリ」という言葉がある。
ご承知の方も多いと思うが「汝の死を想え」の意味の語だ。
終末観が広まった中世末期のヨーロッパでいわれた格言とされ、神学校のキリスト教史では、中世の修道士の挨拶の言葉として交われていたと教えられた。
楽しく語りながら、たいせつなことに思いをはせることって、やはり教会の交わりならではのことかなと思う。
春の陽射しがやさしい歌登の午後だった。レースのカーテンをしないとまぶしかった。一日経った今も、いい時間だったなぁと、その余韻を味わっている。感謝 end