今年のお正月。三が日が終わった頃の深夜、NHKラジオの「ラジオ深夜便」を聴いていた。この時間を楽しみにしている人は多い。
その日、「オトナの生き方」に登場したのは、落語家の春風亭小朝だった。
小朝さん、というべきかも知れないが。
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わたしが25歳頃だろうか。
ということは、もう28年も前になるが、東京・日本橋の天麩羅の名店(だと思う)「てん茂(も)」に友人と出かけた。昼ご飯の時間だ。値段的に、昼じゃないと無理だったのだと思う。
その頃、『週刊文春』で、とある料理家が紹介するお店をしばしば訪ねてみる、という道楽をしていた。
日本橋三越の向かいの裏手の方だったと思うが「てん茂(も)」に入ったその日、幾つもないカウンターの席には、内弟子らしき二人を連れた小朝さんが居た。若くして二つ目から真打ちとなり、飛ぶ鳥を落とす勢いの小朝さん、という頃だろうか。
ちなみに、今でも一番好きな天麩羅屋は、お茶の水の“山の上ホテル”の天麩羅のお店“山の上”だ。程ほど広くて居心地が良い。狭いと、店主と何かしら勝負するような雰囲気になってしまって、息苦しくなる。
「てん茂(も)」さん。味は確かだけど、背筋を伸ばさないといかんかな、という気持ちになる親父さんがその頃は独り天麩羅を揚げておられた。左右にこれまた弟子らしき人を立たせてだ。
その三人のたたずまいに、こちらは興味津々だった。
『文春』の記事に書かれているとおり、「さいごは、天茶でお願いします」等と、知ったかぶりもしたことが懐かしい。
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話は元に戻る。
小朝さん。「ラジオ深夜便」でなかなか面白いというか、そうかぁ、と思うことを口にした。メモもないし、録音などしていない。アーカイブで改めて聞き直したわけでもない。
だから、全くもって正確ではないけれど、心に記録されていることを思い出してみたい。身勝手な記憶程度のものに過ぎないが。
五代目・春風亭柳朝という方が、落語小僧だった小朝さんが「どうしても」と願って入門した師匠だそうだが、今頃になって、ふと師匠の言葉を思いだすことがあると言うのだった。
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「いいかい、よーく聴いときな。あのねぇ、落語なんてもんはー、年に何度も出来ゃしねぇんだ。だからねぇ、適当にやってりゃいいんだよ。わかったかい」
五代目・春風亭柳朝師匠が口にされた、その言葉の意味はどういうことか。
100%の力を出し尽くして落語を語ったとしても、実のところ、その100%の力での落語を、聴く方(お客さま)が準備万端整えて聴くことが出来るかと言うと、決してそんなことはない、ということだろう、とわたしは思った。
これ、新宿の末広亭にせよ、上野鈴本であれ、浅草演芸ホールの高座、はたまた独演会や何人かで行う地方巡業のような「席」でも同じだろう。
むしろ、6割位の力で、サラーッと噺をする。落語ってのはそういうもの。
柳朝師匠は、まだ二つ目にもならないような小朝さんに、なにかの時にそんなことを話していたようだ。
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落語の世界のリーダーのひとりとして、笑福亭鶴瓶や立川志の輔らと共に、落語会をショって立つ自覚を持つ年代に入ってきた小朝さん。
入門してから40年位が経ち、師匠が語っていた言葉の重みを、いろんな形で実感し始めている、という意味のことを言っていたと思う。
お弟子さんや広い意味での落語の世界に生きる後輩たちに、そろそろわたしらも伝えていかなきゃ、と思い始めていることの一端。
わたしはそう受けとめた。
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確かに高座の場合、聴く方は見も知らない者同士が、肩を寄せ合ったりして時間を共有するのが普通だ。
もちろん、ガラガラのホールに、離ればなれ。海の孤島のように、好き勝手に身を置くということだってあるだろう。
気分が乗らないまま、贔屓(ひいき)の落語家の出番だけを待つ客もいる。
となれば、目の前に現れた噺家の噺に、気が乗らないことだってままあるはずだ。
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30代の頃。
説教をするとき、語り終えたら倒れても構わない、というような気持ちで力まかせで講壇に立っていた時期がある。
ところが、こちらが力んで、力いっぱいに語ろうと思って説教を始めると、必ずと言ってよいほど、居眠りをし始める、わたしより2歳くらい年上の教会員の方が居られた。
腹が立った。
その時には、その人にはその人の文脈があるのだということが、まだまだわかっていなかったのだ。いや、今だって出来ればいきなり眠って欲しくはない。
ま、語る言葉に腹を立てて聴かれるよりも、心安らかに寝ていただく方が、よいのかも知れないけれど。
小朝さん。思いを尽くし、準備万端であっても、いい噺を出来るとは限らないことに気づいているのだった。
なにがあっても変わらない位の力加減で高座にのぼる。それって、おそらく、6,7割の気分の入れ方が〈適度〉なのだろう。
わたしは、毎週の自分の説教のことをぼんやりと思いながら、深夜便の小朝さんと師匠のやり取りを興味深く聴いていたのだった。
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2月の稚内。
海の向こう40数キロの隣国ロシアのサハリン(旧樺太)から、ロシア民謡と舞踏のアンサンブルがやって来てくれた。今日で一ヶ月の公演が閉幕した。
去年に続いて舞台に立ってくれた「ルースキー・テーレム」(Русский Терем)というグループの歌と踊り。見ていてプロだなぁ、といつも感じ入るのだった。凄いなと毎回感動だった。
「いつも」というのは、自分が一回限りの観客ではなく(料金無料という気安さもあるからだが)、その空間と舞台が好きで、何度も出掛けていたからだ。今年もだいぶ通った。写真を撮るとわかるが、セットがまた、まばゆく輝かしく写るように考えられている。花火が上がっているような感じなのだ。
きらびやかな衣装と朗らかな笑顔で、ロシア民謡を場合によっては一人の男性と4名の女性による5重の音階で歌い、足を鳴らして踊る彼ら。
また、見慣れぬパーカッションを手にして絶妙のハーモニーで歌う彼ら。
そして、絶妙のタイミングで入れられる舞台の仲間たちによる合いの手。
観客が席の半分に満たないこともしばしばなのに、見事なまでに、いつでも普通に歌い踊りきる。それは、彼らにとって当然のことなのかも知れないが、見事だなと思う。
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かなり動きのある踊り、そして、踊りとセットとなった歌も多い。
なので、“適当”にするなんてことは不可能なのかも知れないが、準備し、プログラムしている12曲、いや、17時と18時の2公演だから、全24曲を見事に歌い上げ、踊り終える。
相当厳しい練習を重ねなければ、無理だろうと思える踊りが幾曲もある。その中身からして、淡々ということはあり得ない舞台だろう。
しかし、彼ら全員が、幸せそうに、喜びながら舞台に立つ。注意深く舞台を見守っていると微妙に表情を変えることはあるが、基本、「いつもその日が最善」という顔でそこに居続けてくれた。
歌手の一人、ベテランのワレーリアRさんの言葉が「わたしたちの公演を喜んで下さる日本の聴衆のために歌うとき、わたしはいつも感動と喜びを覚えています」とプログラム用紙に記されている。
まさに、彼ら自身の感動と喜び。それが伝わって来るステージには感動を覚えるばかりだった。時に滅入りそうになる厳しい稚内の冬を乗り切る元気を貰えた。
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お正月は名人の落語談義で始まり、2月はプロの神髄を感じさせるロシアアンサンブルの舞台で終わる。
それと並べるのはおこがましいが、わたしの毎週日曜日の礼拝説教。
全く違うもののようでありながら、確かに、つながり合っている何かを感じずにはおられない。
落語が落語になるのは、やはり、ラジオのマイクの前でというのではなく、客席の皆さんと共にある空間というか、時間が在ってこそだろう。
ロシアアンサンブルの民謡と踊りも然り。
そして、礼拝説教もまた、会衆が居てこそ、聖書の話がお話ではなく、出来事としての説教の言(ことば)になる。
まだまだ未熟を自覚しつつ、なお、力みはないのに最善であり、活きたみ言葉を語る説教を心して語り続けたい、とふと思うのだった。明日から3月。end