2014年2月19(水) №117  『 「讃美歌」と「唱歌」のはざまを〈漁師さん〉と語るの巻 』


先週の木曜日だったか。

 

お世話になっている、稚内市内の漁師さんのお宅を夕刻に訪ねた。教会が取り組んでいる利尻昆布バザーのことで、1年近く前から色んなことを助けて下さっているご夫妻だ。

 

この季節の道北の漁港は、まさに風雪に耐えている、という一語に尽きるような世界だ。この日もお邪魔した頃は、荒れていなかったのに、帰り道は、軽い地吹雪に急変していた。

 

漁師さんが使っている、昆布切りのハサミを見せて下さったり、偶然、奥さんが取り出された昆布の色が、やや黒っぽくて、「森さん、ほれっ、天日でなく、乾燥機だけ使うとこういう色になるのさぁ。食べてみれ」と話題は尽きない。

 

こんな会話をお邪魔する度に繰り返して居るうちに、ほんと、勉強になるのだ。“門前の小僧習わぬ経を読む”ではないが、間違いなく、漁師さんのお宅に足を運ぶだけでも、いつの間にか何かを学べる。

 

まったく世界が違う方のお話を聴かせて頂けるのは、何より有り難いものだ。

 

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あれこれの話を40分程交わし、奥さまからは、「先生、これ、うちの今夜のおかずのお裾分け。ホタテ、これ、あまいよー」と言いながら、差し出してくださったりの、海の幸の恵みにもあずかる。

 

1時間後、風邪で体調を崩している妻が、とにかく家にあるもので夕飯をという状態だったので、我が家の食卓が賑わった。

 

確かにあまいし、大きい。何より味が深い。スーパーのものとは、何故こんなにも違うのだろう。とにかく、ご馳走様です。

 

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もしかすると、1月の上旬にあった、地元の漁業関連機械のお仕事をなさっていた方の、キリスト教式の葬儀のことが話題になるかなぁ、と思ってお邪魔したのだが、自然とその話題に話が進んだ。

 

教会の外部のご家族から依頼された葬儀のお世話をすることになり、お正月早々にお葬式の司式他の奉仕させて頂いたのだが、その時、前夜式・告別式共に、献花の際、漁師さんの姿が目に入った。

 

その時は、互いに「eye contact」で済ませていたので、いずれ、何かお話したいな、とわたしも待っていたのだった。

 

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「森さん、讃美歌ってーっのは、一体なんだろうって思ってたらさぁ、中学の頃に歌ったのと、あの日歌ったあれは、同じだったよ・・・」と漁師さん。

 

昭和10年生まれの父さん。御年78歳だ。

 

そうかぁ。教会に居れば「讃美歌」はごくごく当たり前に使う言葉だけれど、ご縁のない方にとっては、「はて、讃美歌とはなんぞや」ということになるのだと生まれて初めて気づいた。

 

【あの日歌ったあれ】とは、『 讃美歌21 』の「いつくしみ深い」の事だった。

 

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続いて、葬儀にはお出でにならなかったが、奥さんも続く。

 

「お父さんから聞いて、わたしも思い出しました。わたしは昭和21年生まれだけど「冬の星座」で覚えてましたよ。〈輝くみ空に ゆうひは落ちて〉だったと思うんだけど」と身を乗り出すようにして話に乗って来られた。

 

「確か、〇〇の結婚式に出かけた時も、同じ、曲だったと思います」とも言われた。

 

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そうなのだった。

 

昭和35年生まれのわたしは、公立小学校や中学で、残念ながらあのメロディーで、何かの曲を歌ったことはなかった。

 

けれど、唱歌というジャンルの中で、わたしが生まれる一昔と少し前には、普通にこのメロディーで歌われていたのだった。

 

ま、考えて見れば、十分あり得ることだ。

 

何しろ、讃美歌というのは、最新の〈讃美歌集〉でも、諸外国の民謡を曲として使っているものが多くある。各地で人気のある親しみやすいメロディーに乗せて、自由に、楽しく、歌い継がれてきたもの、それが讃美歌の“一面”でもあるというわけだ。

 

これ、20数年前に、神学校の「教会音楽」の講義か、「礼拝学」で教わったことだったかも知れない。

 

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少しだけ調べてみた。

 

日本で最初に歌われるようになったのは、杉谷代水(すぎたに・だいすい)という方が、宇宙の雄大さをテーマとした『星の界(よ)』という歌詞を付けたところにさかのぼるらしい。

 

明治43年(1910)発行の『教科統合中学音楽(二)』に掲載されたのが、教会とは無縁の歌として歌われた最初らしい。その頃には、多分、讃美歌としても使われていたとは思うが。

 

杉谷代水(すぎたに・だいすい)さんが生み出した『星の界(よ)』という歌詞で載っていたという。著作権の問題もなさそうなので、以下紹介。

 

『星の界(よ)』

 

1 月なきみ空に きらめく光
  嗚呼(ああ)その星影 希望のすがた
  人智(じんち)は果(はて)なし
  無窮(むきゅう)の遠(おち)に
  いざ其(そ)の星影 きわめも行かん

 

2 雲なきみ空に 横とう光
  ああ洋々たる 銀河の流れ
  仰ぎて眺むる 万里のあなた
  いざ棹(さお)させよや
  窮理(きゅうり)の船に

 

 他にも、こちらがルーツ、というのが出てくる可能性はあるだろう。

 

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『いつくしみ深い』(『いつくしみ深き』)の方は、ジョセフ・スクリーヴェン(1819-1886)によって『What a friend we have in Jesus』として生まれた歌詞。

 

その歌詞に、アメリカ人の法律家で作曲家のチャールズ・C・コンヴァース(1832-1918)が作曲したものが結び付いたものだ。

 

それが、日本に宣教師を通してだろうか、日本にやって来たのだった。横浜に上陸したのかなぁ。

 

そもそも、チャールズ・C・コンヴァースの曲は、コンヴァースの故郷ペンシルヴェニア州のエリーという町にちなんで作曲した器楽曲らしく、いわば“ふるさと賛歌”だった。

 

讃美歌には多くの物語があるとはよく聞くことだが、そのルーツは興味深い。

 

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漁師さん、満面の笑顔で、こうおっしゃった。

 

「森さーん、78歳でさぁ、偉大な発見をしたよっ!」と。

 

漁師さんを稚内教会の礼拝にお連れするのは、今の所むつかしいかも知れない。

 

でも、わたしにとっては、たのしく、豊かな夕べだった。漁師さんご夫妻も弾んでおられたと思う。

 

もしかすると、戦後まもない頃の歌詞を持参し、さらに、今の讃美歌も持っていけば、浜辺にある漁師さんのお宅で、聖書の話だって始められるかも知れないじゃないか。

 

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葬儀の時、わたしは、「イエスさまは、漁師さんを弟子として旅をした方なのですよ」と参列された稚内の多くの漁業関連のお仕事の方たちを前に語ったことも、聞き逃されてはいないことだろう。

 

この度のことも、神さまの備えられたこと。そう思わずには居られない。感謝。end

 

 

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