『ガリラヤのイエシュー』(山浦玄嗣・やまうら はるつぐ、イーピックス出版)にお世話になっている牧師は多いと想像する。
わたしはの場合、かつては南西諸島・徳之島、今は同じく奄美大島におられるO牧師から、クリスマスプレゼントに頂いてから、手にするようになった。一緒に読書会しましょう、とカードに添えられていたと思う。
お世話になっている、というのは、説教でというのが一番か。なにしろ、へたな注解書よりも、本当にさまざまな角度から有益な情報を示してくれる。
わたしは福音書から説教をするときには一度は手にするので、だいたい書棚の一番手の届きやすいところに置かれていることが多い。
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山浦さんによる『ガリラヤのイエシュー』はこんな下地の元、聖書が翻訳されている。
イエスは仲間たちと話すときは方言丸出しで語ると想定し、普段しゃべるときは東北地方の農民の言葉を使う。したがって、彼らが登場する時は仙台弁や盛岡弁でイエスは語るのだ。
しかし、ユダヤの地の公用語は関東武家の階級言葉に変わる。改まった説教をするときや、階級が上の人に向けては関東武家語となる設定だ。
いやいや、それに留まらない。
南は薩摩まで各地のふるさと(「セケン・世間」)の言葉で語る人々を登場させるのだから、恐れ入る。
そんな、見事な采配をした方言を駆使する仕事をなさるのは、聖書の原典を読めるようにとギリシア語を独学で学び、世に『ケセン語訳新約聖書・四福音書』を10年以上前に送り出された山浦さんだからできることだった。
何かを伝えるためのfactorとしての言葉を考える上でも、考えさせられることばかりだ。
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ところで、きょうのお題は「方言」である。
身近な方言と言えば、我が家には〈博多弁〉の達人が居る。
家の外に一歩踏み出すと、滅多に口にすることはないが、それでも、気を緩ませると教会で「あー、ナオシテください」と口にして、周囲の人がキョトンとする。
「なおす」と聞けば、多くの人は「直す」か「治す」を想像するのではないだろうか。
だから、妻から、洗い物をして布巾で拭いた食器を「ナオシテください」と言われると、何か、壊れてしまったものを修理するのか、なぬ?と、感じるようだ。
もちろん、文脈というか、事の流れからして「しまっておいてください」と言っているらしい事くらいは、気がつくもので、ちいさな?は大事にならないままということもよくある様子である。
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一週間程前のこと。実はわたし、故郷の大分弁とおぼしきイントネーションに触れる場面があった。
この季節恒例、愛用する日本語ワープロソフト・『一太郎』の最新バージョン「一太郎 2014 徹」が販売となり、そのインストールにまつわる質問を、(株)ジャストシステムの問合せ窓口にしていた時の事だった。
偶然、わたしの質問したことに答えられる人が今はあいにく居りませんので、後ほど、こちらから森さまにお電話いたします、ということで待つこと数十分。
受話器越しに適切な指導をしてくれて殆ど用件が終わる頃に、実はわたし、抑えきれない衝動を覚えていた。
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「あ、あの、〇〇さんと、仰いましたよね、ほんとうにありがとうございました。最後に、ひとつ、プライベートなことかも知れないので、お答えになれないかも知れないのですが、質問させて下さい。実は、僕、九州の大分県の出身の人間なのですが、〇〇さんのイントネーションを聞いていたら、もしや、大分の方ではと思ったんですが・・・・」
〇〇さん。いい人でした。
「申しわけございませんが、そのような質問にはお答え出来かねます」
とか、
「ご一緒に、ポテトフライはいかがですか?」
というマニュアルに書かれている通りのような、寂しい回答ではなかった。
「いぇー、わたくし、四国の徳島の方から電話しているんですよ」
それが答えだった。
ジャストシステムは徳島市川内町平石若松108-4と東京の二ヶ所に本社があり、ジャストシステム発祥の地・徳島から電話をくれていたと知った。
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あらためて徳島県の位置を確認すると、淡路島をはさんで大阪に近い所。そして、徳島市川内町は、徳島阿波おどり空港の近くにあるようだ。
大分県大分市大在(おおざい)という、瀬戸内海沿岸の部落でわたしは育った。徳島はそこからはだいぶ離れている。
幼い頃、大在の浜辺で汐干狩をしたり、海水浴をしていたときに、遥か彼方に愛媛県の佐田岬が見えることがあった。
がしかし、徳島はおそらく大阪の原語圏に近い場所だし、方角も違う。
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でもそんなことはどうでもいい。
確かに、感じたのだった。
この人の言葉は、俺の心の奥底に刻まれている言葉に繋がっている。
「おおいたやんか」と。
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偶然なのだが、わたしは大分に暮らしながら、かつての「東京方言」を土台とした標準語を家の中で使う家庭に育った。
しかし、家の中がそうだからと言って、小学校や中学で、大分の友人たちと、「あのさぁ」とか「だろう?」等という言葉を使っていたわけではない。
「よだきい」(何と『広辞苑』に掲載あり)
「ちょくれ」
「のー」「ひこずる」
「~ちゃ」
「むげねーやっちゃのー」
というような大分弁を、大分空港か大分駅に一歩降りた途端にスイッチを切り替えて使うことが出来る。自慢するようなことではないのだが。
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かつて、中学時代の同級生の「たなかみゆきちゃん」と、国鉄からJRに代わって間もない頃の日豊本線に乗っていたときに会った。(注・ただの友だちです)
「おー、みゆきちゃん」「あー、げんちゃん」と言って立ち話を始めた時、シコタマ叱られたことがあった。
「げんちゃん、あんた なん へんなことば つかいよんの、すっかーーーーん。どこのことば つかいよるん」(怒、怒、怒)。
みゆきちゃん、どうしているかなぁ。
みゆきちゃんとは、偶然に、ほんとうに偶然に、わたしが学んだ神学校がある、あの山手線のJR目白駅近くで、出会ったことがあった。会話からして結婚してあの辺りに暮らして居る様子だった。
そして言っていた。
「わたし、この近くにおるんよぅ」と言ったのか、「げんちゃん、わたしもこの辺りに暮らして居るのよ、オホホ」だったかは残念ながら忘れたが。
日本は狭いなぁ。
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方言。
これは凄い力を持つものだなぁと、常々感じてはいたし、日頃から、それなりに気を遣っていたけれど、思いがけないところで、俺の魂のスイッチを入れてくれた、ジャストシステムの〇〇さん。
ありがとう!
あなたが徳島の川内町周辺に暮らす方であっても、ほんとうに本当に嬉しい時間でした。いやー、思わず恋しそうになるほどでござんした。
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アクセントなのか、発音なのか、言い回しなのか、その辺りは正しく言えないけれど、あなたは、オイラを「故郷・おおいた」にしばし引き戻してくれていたのです。
「教養のない田舎者の言葉」と言われる方言。
でも、今回調べて見れば、標準語や共通語も、元をたどれば、東京方言だと知った。
とするならば、京都の方たち、大阪の人々が、一歩も譲ることなく、自分たちの言葉を胸を張ってというか、さらーっと使い続けるのも納得なのだった。
方言。勉強し直して見る価値がありそうな予感である。いやいや、その根っこにある事というのは、実は、今の牧師としての働きと、ふかーい所でリンクしているのは間違いない。
郷愁のようなものを感じさせてくれた受話器越しの【言葉】。これは、わたしの最重要な日々の課題なのだ、と改めて知らされたのだと思う。と同時に、たまには大分に帰ろうよ、という心の叫びかも知れないな。end