2014年2月12(水)№114 『 《十字架》と《南無阿弥陀仏》の午後 』

この人が、浄土宗 大林寺の副住職、井上耕心さん。凛々しい!
この人が、浄土宗 大林寺の副住職、井上耕心さん。凛々しい!


浄土宗のホームページを訪ねてみた。なかなか立派、というか素晴らしく整ったものだった。

 

浄土宗のHPを見たいと思う切っ掛け。

 

それは、わたしが仕える稚内教会で、2月9日(日)の午後0時半から、「東日本大震災を考え 共にあゆむ集い」を行った時の講師が、稚内の寺町と感じることがある方面にある《浄土宗 大林寺》の“若”=副住職、井上耕心さんだったからだ。

 

地元稚内から、震災発生後3年の間に幾度も被災地に出かけ、これからもそれを続ける覚悟をもっている“若”の存在を『稚内プレス』を通して知ってから半年余り。念願かなってお話を聴く時間が生まれた。

 

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35歳の“若”のお話。ユーモアのセンスも素晴らしく、聴く者の心をひきつける。

 

確か、初めてお目にかかった昨年の夏、何やら、我々が言うところの「説教」を研究するような立場でしばしば稚内を離れて出張する、と言われたような気がした。

 

が、テクニックの問題とかではなく、実存がかかった言葉には力があった。

 

「東日本大震災被災被害者の言葉から学んだこと」というタイトルで、その全編を見ることも聴くことも出来るので、時間のある方は、稚内教会の礼拝録画のページへどうぞ、と思う。

 

じつはわたし、申し訳ないことに、道北地区の会議と重なる日程で予定を組んでしまい、当日は、最後まで聴くことが出来なかった。

 

それで、先ほどじっくりと録画を見終えたところだ。

 

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井上耕心副住職。講演の中では、「南無阿弥陀仏」のひと言も、触れなかった。

がしかし、初めと終わりに、あれこれ推測したくなる姿が礼拝堂のまん真ん中にあったのだった。

 

遠くに暮らす友人が教会HPの録画を見て・聴いて、こんな感想を送ってきてくれた。わたしが感じていたことと同じことに、先ず触れてくれた。

 

【素晴らしい方ですね。何よりもお話の前後に、十字架に向かって祈りを捧げてくださったこと・・・本当に感謝なことだと思いました。稚内教会で、思わず木魚をたたき出す方が出ないか?と心配になるほど。了見が狭い?】

 

友は「祈りを捧げてくださった」と記している。

 

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わたしは、井上副住職さんに、近く尋ねようと思いつつ、ひとまず、友人にこう返信した。

 

【(ぼくは)《南無阿弥陀仏》ととなえられたのだろうと想像します。今度、聴いてみます。】

 

パソコンに入っている『明鏡国語辞典 第二版 (C) Taishukan, 2011』(この辞典は本の形でも我が家にあるが、とにかく、文字の使い方がよろしくて老眼にやさしい。内容も現代的)に依れば、《南無阿弥陀仏》を、こう説明する。

 

その中に、いの一番、「浄土宗」という言葉がある。

 

【「南無阿弥陀仏」阿弥陀仏に帰依する意を表す語。浄土宗では、阿弥陀仏の浄土に救済されることを願って唱える語。六字の名号】(『明鏡国語辞典 第二版 (C) Taishukan, 2011』より)

 

もっとも、同じくパソコンに入っている『岩波国語辞典』にはこうある。

 

【浄土宗・浄土真宗などで、阿弥陀仏(あみだぶつ)への帰依(きえ)を表して唱える語。これを唱えるのが念仏。】とあり、親鸞さんの真宗の方にも触れてはいるが。

 

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でもって、浄土宗さんの「浄土宗のおしえ」である。以下、HPからの抜粋だ。

 

 

浄土宗は、法然上人を宗祖と仰いでいる宗旨です。・・・・すなわち 南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ) を口に出してとなえれば、必ず仏の救済をうけて平和な毎日を送り、お浄土に生まれることができる、という他力のおしえをひろめられました。

 

・・・・・法然上人は、どこにいても、なにをしていても南無阿弥陀仏をとなえよ、とすすめておられます。南無阿弥陀仏と口にとなえて仕事をしなさい、その仏の 御名(みな) のなかに生活しなさい、と教えられています。

 

・・・・南無阿弥陀仏の仏の御名は、すぐ口に出してとなえられます。できるだけたくさん口に出してとなえるほど、私たちは仏の願いに近づくことになるのです・・・法然上人の教えは、今生きることによろこびを感じることであります。念仏をとなえながら、充実した日々をお過ごし下さい。

 

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なるほど。わかりやすい教えだ。

 

昔から、プロテスタントの信仰にとても近いものがあるのが「南無阿弥陀仏」の教えと聞いていた。

 

今回の出会いは、人の知恵を超えて、神が備えられたものと、あらためて感じている。

 

井上耕心副住職。

 

礼拝堂の講壇に持参された黄金色の掛布を手馴れた所作で置かれた。なるほどねぇ。そのような伝統があるのだなぁと思ったものだった。

 

あれもこれも新鮮に感じた。

 

他にも、被災地での震災発生後まもない頃の、宗教者の無力を悔しがる言葉を率直に語って下さるなど、本当に多くの刺激を受けたこの度の出会いだった。

 

神に感謝。end

 

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