2014年1月14(火)№107 説教:『利尻昆布10㌘の重さ』(北海教区〈年頭修養会〉閉会礼拝にて)

エプロン(利尻昆布バザー作業時用)をしての、前代未聞?のスタイルで説教しました。もっとヘンテコな格好も「気ままフォト」のページにUPします(^^♪
エプロン(利尻昆布バザー作業時用)をしての、前代未聞?のスタイルで説教しました。もっとヘンテコな格好も「気ままフォト」のページにUPします(^^♪

〇録音しそびれた説教です。たまに、こんな形でブログにUPします。あくまで、原稿として準備したものですので、このとおりに語っていません。説教は生が第一、文字化されたものは全く別物です。原稿をUPすることは今後はあまりないと思います。 

 

於;旭川ロワジールホテル

2014年1月14日(火)11時

北海教区 年頭修養会 閉会礼拝説教

マルコ福音書 12章41節~44節

 

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◆はじめに
 年頭修養会の511号室で同室となった、親愛なる大先輩・旭川六条教会の西岡昌一郎先生より、ある秋の日、稚内を訪ねてくると電話が入った。

 

 稚内教会の森は利尻昆布のことばかりやっていて、礼拝も祈祷会もそっちのけになっているのでは、と見に来るのではないかと、夫婦で話し、二人で身構えで待った(笑)。

 

 だからだろう、511号室で昨晩夜休むときも、体を真っ直ぐにして休んでしまった。

 

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①重さを心にとめる

 年頭修養会を終えようとしているが、体重計が気にならない人はいないだろう
 
 一泊二日、ほぼ缶詰状態だったわたしたち。何グラムかは、皆、体重が増えたのではないか。

 

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②利尻昆布バザー

 閉会礼拝の前に、稚内教会から修養会に出席している役員さんが「先生、エプロン外さないでいいんですか」と慌てて近づいて来た。

 

 もちろん、わたしは「いいんです、これで。これがなくっちゃ・・・」と伝えた。

 

 わたしたち稚内教会、70㌘入り500円の利尻昆布バザーを昨年の春から始めた。(現物の昆布を見せながら)このちいさな10グラムばかりの利尻昆布から、澄んだ上質な出汁がとれる。

 

 袋詰めなどするとき、わたしはこのエプロン、そして、衛生面に配慮して、教会の方たちと一緒に衛生帽を被る。

 

 この半年余り、我が家では、妻が料理にフルに使うようになったのだが、確かに利尻昆布の出汁を使った料理はおいしい。

 

 お好み焼きを焼くときも、カレーを作るときも使う。豚しゃぶをするときも、たまらなくおいしい。

 

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③『北海教区通信 189号』の四コマ漫画

 洞爺湖教会の塩谷真澄(しおや ますみ)牧師が毎回描かれる四コマ漫画『それでも・・・Yes(イエス)』をご存知だろうか。最終ページにあるのだが、最新の189号は、番外編ということで、なんと、稚内教会の《利尻だし昆布》が取り上げられた。

 

 大ベストセラーの『おいしんぼう』をモチーフとする某美食家が登場。主人公のペー助君が、美食家にホカホカの炊きたてご飯を食べさせる。

 

 美食家は、あからさまに「なに!?このわしに その米を食えと言うのか」「素人が生意気に・・・」とつぶやく。

 

 ところが、その炊き立てのご飯は、程なく百戦錬磨の美食家に、「むっ、ムムム、この味は!? ほのかに甘い香り。かつ豊潤な旨味が口に広がる」と言わせしめたのだった。

 

 そう、塩谷先生。わたしがお伝えしたとおりに利尻昆布10㌘を使ってご飯を炊き、美味しさを確認。十分納得の上で、漫画を描いて下さった。

 

 先週の金曜日に電話をして、本当に昆布を使ってご自分でご飯を炊かれたか改めて確認したが、もちろんですのお答え。さらに塩屋牧師は、「森先生、冷えたご飯がまたおいしいです」と言って下さった。

 

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④10㌘の昆布とは?

 塩谷牧師がお米を炊くときに使った利尻昆布の重さ。

 

 それは、わずか10㌘だ。

 

 たったそれだけで、果たして役に立つのか、という程度の重さ。こんなもの要らな

いと、軽く扱われ、場合によっては、見向きもされずに捨てられる程度のものではないか。

 

 それが、10㌘の昆布だ。稚内教会の利尻昆布に換算すると、値段にして50円分程度か。

 

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⑤昆布は刻まれ、小さくなってこそ力を発揮

 昆布は5~6㎝という、正方形とか長方形の破片ではなく、細かく刻んだ方が、出汁が出る。横着して、適当な大きさのものを一枚ぽんと鍋に投げ入れればよい、というわけではない。

 

 長さ4~5㎝の昆布を、ハサミで1~2㎜程度の幅に切り、細くほそく、千切りにする。それを水につけて冷蔵庫で一晩おく。すると、完璧な出汁が出るのだ。

 

 待たねばならぬ。キリスト者は特に。

 

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⑥マルコ12章「やもめの献金」と「利尻昆布」の接点は何か

 この箇所。わたしの特愛の聖書箇所で、稚内教会でお見合い説教したときのみ言葉だ。が、その時と同じことを語るとしたら、わたしも何の成長もないことになる。

 

 イエスは神殿の境内の賽銭(さいせん)箱の向かいに座っておられる。献げ物をする人たちの様子がすべて見える場所だ。

 

 聖書にはこうあった。

 

 【42 ・・・一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた】

 と記されていた。

 

 貧しいやもめが捧げたのはユダヤの貨幣の中でもっとも小さく軽い銅貨だ。この硬貨の値打ちは、わたしたちの生活の感覚から言えば、どう多く見積もっても100円。

 

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⑦イエスは貧しいやもめの捧げ物に何を見たか

 イエスさまは、この女性の捧げものをどのように受けとめられたのか。もう一度聖書を読もう。

 

 【43 イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、・・・だれよりもたくさん入れた。44 ・・・この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」】

 

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⑧「生活費」という言葉に注目しよう

 【生活費】(原語は「ビオン」)という言葉には、確かに「財産」という意味もある。

 

 しかし、その他に「人生・生涯」という意味があることを知ってほしい。

 

 我々は、この女性が投げ入れたものは、この女性の全生涯を捧げる姿勢そのものだ、と読みたい。

 

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⑨稚内教会が扱う「利尻昆布」を通して考える

 利尻昆布の使命。それは、一切を出し尽くして、ひとつの無駄もなく 他の食材を生かすために こんぶ人生を献げ尽くすことにある。

 

 興味深いのは、先ほども触れたが、昆布は細かく刻まれてこそ良質の出汁を出すことだ。

 

 そして、出汁を出し尽くしても、実は なお お役に立てる。佃煮、そして、各種煮物に混じり、実に素晴らしい歯ごたえと共に、おいしいおかずになる。一切の無駄はないのだ。

 

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⑩稚内教会の「利尻昆布バザー」による変化

 最北の町にあるちいさな教会の昆布の作業。昆布切りや袋詰め等いろいろある。日によって数名、日曜日は7~8人のこともある。

 

 そこには必ず笑顔がある。少し前には、「楽しい」という声が聞こえた。わたしから離れた片隅の畳みの作業場での声だが、嬉しかった。それは、何年も教会をお休みされていた方の自然な言葉だったからだ。

 

 最近は、新来会されたばかりの70歳前のおいちゃんが輪に加わっている。半年前にあるたいへんなご病気のために手術をされ、ドクターからは、一年後の再発を予告され、他のご病気とも戦う。20年前には、最愛のたいせつなご家族を天に送り、行き場所を失っていたかのように見えるおいちゃんに、利尻昆布バザーによって不思議な居場所が備えられた。

 

 利尻昆布によって、何かが引き出されているのだ。

 

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⑪講師:金香百合(きむかゆり)さんを巡って

 北海教区の道北地区が、年頭修養会の講師に金香百合(きむかゆり)さんをお招きすることを決めてから、金さんのことを、どのように紹介・案内すればよいか、実は、かなりむつかしかった。

 

 わたしも含めてスタッフは頭を抱えた。誰もうまく説明出来ない。準備委員会の空気は暗かった。

 

 金香百合さん。他の世界での活躍や知名度に較べて、キリスト教界では本当に思いがけないことだが、知られていない存在だった。

 

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⑫「ファシリテーター・facilitator」とは

 金香百合さんのお仕事。それは、「ファシリテーター」だ。
 
 準備委員会で、横文字の「facilitator、そして、facilitateってなによ!」という声があった。

 

 しばらくの沈黙ののち、(英語が母国語であるカナダ合同教会の宣教師)〈ロバート・ウィットマー先生〉が言われた。

 

 「うーん、そうだねぇ。《何かを、ヒキダス という意味》だネェー!」と。

 

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⑬わたしたちキリスト者の生き方

 クリスチャンとは、空っぽになってこそ、何かが新たに注がれる器となれたり、周囲の何かを引き出せる力になるのではないか。

 

きょう登場したやもめのように。利尻昆布10㌘に通じる不思議を思う。

 

 わたしたちは、教会の交わりの中で、そして世にあって、よいものを引き出して行く役割を果たせるのではないか。

 

 利尻昆布も飾ったままでは本当に何の役にも立たない。細かく切られ、水に浸かってなんぼなのだ。わたしたちも洗礼式で水に浸かったではないか。

 

 そして利尻昆布は、・・・・・他のものとの繋がりが生まれるときに、素晴らしくおいしいものを提供出来るようになる。

 

 利尻昆布は、自分自身に何かがあるのでは無く、むしろ、出汁を出して、自分が空っぽになることを通じて、何かをヒキダスのだ。

 

 自分を捧げ尽くす生き方をそこに見る。

 

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⑭軽さと重さ

 貧しいやもめが捧げたお金。それは世の人々が無視することの出来る軽い金額だった。

 

 しかし注意したい。

 

 もしも、その金額を無視できるということは、彼女の存在そのものが、この世に於いてとても軽い存在で、無視しても構わないということに繋がる、ということだ。

 

 しかし、イエスは、彼女の存在の重みを知っていて下さる。感謝だ。

 

 イエスさまはこの無名の貧しいやもめ、と呼ばれる女性の小ささ・軽さを、他のだれよりも重くおもく受けとめて下さったからだ。

 

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⑮結語

 「自分たちはもう歳をとってしまって、奉仕も出来ない」「高齢化が進み、どんどん人が減って献金も減って、展望が見えない」という声が届いた。

 

 しかし、み言葉は我々に語っていた。

 

 空っぽになる時。わたしたちは決して無力になるのではない、と。

 

むしろ、ちいさな者であることを自覚しつつ、空っぽになる。そうだ。命を献げる時に、神の国の完成に役立てるのだ、と。

 

 「さあ、共に生きよう」(第62回 年頭修養会の主題、当日の讃美歌も「さあ、共に生きよう」)

 

 動けなくなっても、自分のいのちを、生涯を捧げる覚悟と心を持つ者を、主は顧みて下さるのだから。感謝して祈ろう。

 

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◆祈り
 感謝します、主よ。小さいものであること、取るにたらないものであることを感謝します。

 

 あなたに、自身を献げ尽くすことを通して、世の為に生き、そしてまた、自分自身が主の僕としての人生を全う出来るように、導いて下さい。

 

 主のみ名によって祈ります。アーメン

 

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