年末さいごの土曜日の昼前。一本の電話が入った。
「父が召される事になりそうで、葬儀のご相談に伺いたいのですが・・・」と。
牧師になってからこの方、同様の相談がある場合は断らない事にしている。そしてまた、それがゆるされる教会に仕えさせて頂いて来た。都会の大教会では、このような対応は不可能だろう。
地方の地域に根差した小規模教会だからこその奉仕でもある。
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「どうぞ、お出で下さい。お待ちしています」
そう伝え、ストーブの設定温度を上げて、教会の集会室で待った。
お出でになったのは東京在住のM子さんだった。
わたしとほぼ同年代の方で、話を聴いていて思ったのだが、高校を卒業してからずっと東京に暮らして居るというM子さんとは、同じ大都会東京の空の下で青年時代を過ごしていたのだな、と思うと、少しばかり不思議な気持ちもした。
お父さまのSさんの葬儀をめぐる事については、稚内教会のホームページに記したので、よろしければ、そちらも読んで頂ければと思う。
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葬儀にかかわる一切がおわった、1月8日(水)の夕刻。
お兄さまとM子さんが居られる、教会から車で10分程のところにある市内のお宅で語り合った事。
それは、「神さまが導いて下さいましたね」という言葉だった。
まぁ、偶然と言えばそれでおわってしまうかも知れない。
でも、お父さまが、1月1日(水)午後5時45分に召されて行った、そのタイミングは、振り返って見ると、M子さんにとっても、わたしにとっても、これを逃すと、いろいろな事に支障が生じかねない、というドンピシャの「とき」だったのだ。
教会の行事にも一切支障がなく、次週日曜日午後から出発しないと間に合わない旭川での北海教区の年頭修養会・教区宣教会議・小規模教会協議会の出張予定にもぶつからなかった。
この季節は、吹雪に見舞われてもこれまた困る。
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神学生の時に牧会学を担当して下さったO先生の講義ノートが今も手元に残っていて、この度、久しぶりに、ファイリングノートを読み直す機会があった。
厳しい指導で鍛えて下さったO先生だが、今見直しても、気を引き締めさせられる気持ちになる事を教えて下さった事がいろいろとある。
72時間。葬儀の連絡があってから掛かるよ。一切をキャンセルして臨めと。確かに、そのような「とき」を捧げるのが、われわれの務めかも知れない。
O先生は、プロデューサー的な役割を牧師は葬儀の時にするのだ、という意味の事を神学生に向かって言われていた。確かにそれは否定できないが、実は本当のプロデューサーは神さまご自身で、タクトを見えないところで振っておられたのだ。
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今回は、特になんだかあれこれを抱えながらの奉仕となった。
元旦は11時から礼拝もあったし、1月5日は今年最初の日曜日の礼拝。午後からは教会役員会も行われた。そして、6日の月曜日は「そろそろ稚内でも、〈平和〉を声に出してうったえましょう」という有志の会合も行われ、参加した。
どれもキャンセルなしで終える事が出来たのだった。告別式後の夜には、入門講座も行った。
Sさんがお正月に召されたという事で、葬儀会場となるホールも、少し時間をおいてからでないと、確保出来なかった事もあり、7日目の葬儀となったのだったが、これが、ご遺族にとっても、わたしにとっても結果的に良かったのだ。
一切は神の計らいと思う。
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今回の葬儀にはわたしも初めて経験する事があった。
市内のホテルで結婚式のお手伝いをする時にご一緒する、聖歌隊の方たち3人にもお出で頂いて、賛美を捧げて頂いたのだった。
3人には、教会に備え付けの、クリスマスに幼稚園のお母さまたちが着るガウンが役に立った。
3人のうちの一人は、つい先頃の稚内教会のクリスマスの愛餐会で、ソプラノソロで歌って下さった方だったので、なおのこと、ご一緒しやすかった。
告別式がおわって、火葬場に向かう直前には、また別の方が、「葬儀の中で読まれた、〈わたしは道・・・〉という聖書、そしてそれに関わるお話は、かつてゴスペルのクワイヤーで歌っていた時に、確かその言葉が含まれる歌でした・・・」と近づいて来てお話し下さった。
そして、「いつか教会をお訪ねしてもいいのでしょうか」とも言って下さるではないか。
ノンクリスチャンの方々がほとんどの葬儀だと予想し、賛美歌は、「いつくしみ深い」と「アメージング グレイス」とした。
献花の時、『讃美歌21』112番「イェスよ、みくにに」を選び、聖歌隊の方たちと共に4人で静かに歌い続けた。
イェスよ、みくにに おいでになるときに
イェスよ、わたしを おもいだしてください。
フランスのテゼ共同体の特徴ある曲だ。
だから単純でも心に残る。とても良い選択だった。おそらく、彼女たちにとっても忘れられない経験となっただろう、と想像する。
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明日以降、北海道の日本海側には、10年に一度の寒気がやって来るらしい。
マイナス40度ほどの寒気団。想像が付かないけれど、それが葬儀に重ならなくて、これまた助かった。
神さまのなさる事に無駄はない。その事を今、あらためて深く思う。指揮棒を振って居られた神は、わたしたちの事を「鳥瞰(ちょうかん)」して下さっている。end
※【鳥瞰(ちょうかん)】
鳥が空から見おろすように、高い所から地上を見おろす事。また、全体を広く見渡す事。明鏡国語辞典 第二版 2011より