2013年12月16(月)№98 『 遅れてきたひと 』


【新約聖書 ルカによる福音書18章10節以下より】


 二人の人が祈るために神殿に上った。一人はパリサイ派で、もう一人は取税人である。・・・・取税人は遠くに立って、眼を天に向けて上げようともしなかった。ただ自分の胸を叩いて、言った、罪人なる私に対しお怒りをしずめて下さいますように。
 あなた方に言う、この者は義とされ自分の家に下って行ったのだ。

 

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いい日曜日だった。

 

きのうの日曜日(2013年12月15日)のことだ。

 

まるで、あんまりよくない日曜日もあるようだが、それはそれ、深く聞かないでください。いろいろあるから。

 

とにもかくにも、きのうの確かな余韻が、月曜日の午後の今になってもある。

 

上の聖書。ある方の個人訳のルカ福音書。

 

当日の礼拝で朗読された箇所ではない。が、この聖書の箇所が実現したと実感したのだった。

 

それは報告の時だった。

 

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昨日の日曜日。わたしは一人の方が、礼拝にお出でになるのを待っていた。

 

Sさんだ。

 

前日の土曜日も、その前の金曜日も、かーなり緩やかであるけれど、「日曜日。10時半からの礼拝に来てください」とお誘いしていた。だって、そこにこそ救いがあるから。俺も牧師だし。

 

ハッキリと「じゃぁ、日曜日は礼拝に必ずまいります」という声を聴いたわけではなかった。でも、待っていた。

 

お話に依れば、宮崎県延岡市で過ごした幼小時代、母親に手を“引かれ”てSさんは教会に通ったという。さらには、牧師の奥さま手焼きのクッキーに“つられ”て、教会に通っていたという。

 

それから半世紀以上の年月が過ぎている。

 

わたしの故郷大分でも過ごされた方で、久しぶりに聞く、佐伯・安心院(あじむ)・日出・富貴寺など、懐かしい地名、また、大分合同新聞なんていうのも嬉しい響きだった。

 

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「さんびか、歌えないんだよなぁ、せんせい」と言っていたSさん。

 

土曜日には、「ここまで読んだんだ」という『聖書・口語訳』と『讃美歌(1954年版)』を見せてくれた。

 

とある場所に置かれていたものを、部下が「捨てましょう」と言うのをとめて、「馬鹿、これは大事なものだろ」と言って、持ち続けているのだった。

 

布団にくるまって、わからないなりに、最近も読んでいたそうだ。栞がはさまれている。

 

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礼拝も終盤に近づき、献金が終わった頃のこと。

 

礼拝堂の入口のドアが開いた。

 

昨日、献金当番だった妻は、祈りを終えて聖餐卓から入口に向かっていたタイミングで、ドアの方に自然と顔を向けた。

 

当然、“あっ”と思い、そちらを向いていつもと違う表情をした。Sさんが見えたからだ。わたしは録画ビデオを確認した。

 

ライブ配信を見ていたあるご婦人が、たまたま、遠方にいてもインターネットを通じて礼拝に与れることの喜びを伝えて来てくれた。「こんな大雪の天候でも教会が近くに感じられてありがたいです。来週も」の言葉。

 

と同時に、「美樹さんのカメラ目線は笑いました」とひと言添えていた。

 

なぜカメラ目線?と思っていたが、Sさんの入堂、それが妻のカメラ目線に見えた理由だったことが、ビデオの記録で判明した。

 

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わたしは昨日、祝福の前の讃美歌に、『 讃美歌21 』の276番・4節を選んでいた。アドヴェントだからこそさんびできる歌詞なのだった。

 

『 讃美歌21 』276番・4節
愛する主イェスはアルファまたオメガ、初めと終わり。
み恵みによりて この身をも祝し、み国へ招く。
アーメン、アーメン。まもなく来られる主イェスよ、せつに待ち望む。

 

Sさんは、手渡された讃美歌の本を見ながらこれを聴いた。わけも分からず聞いた。

 

歌詞なんて何も残らないだろうけれど、でも、読み返してみると、まるでSさんのために準備されていたかのような歌詞じゃないか。

 

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礼拝の報告も礼拝の一部。

 

祝祷後の報告は、個人消息などを分かち合う場合もあるデリケートなところもあり、礼拝のライブ配信は行わないことにしている。録画にも残っていない。

 

初めて来会の方が居られます、と司会の勝幸さん。

 

後ろの方に座って居られたSさんに「ひと言、じゃあお願いしましょうか」とわたしが言うと、思いがけずSさん、前に進んで来た。

 

聖餐卓の前に立ったSさん。口を開いた。近くにいたわたしにも全部聞き取れない声になった。

 

でも、居合わせたみんなにハッキリわかったことがある。

 

Sさんはしばらくの時間黙り、目頭を押さえた。そして、挨拶を終えると、深く、深く、90度の角度でみんなに頭を下げて席に戻った。

 

礼拝がおわると、茶色い封筒に準備して下さっていたものをわたしに差し出した。献金袋に二人で捧げた。

 

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その夜、偶然Mailをくれた出席者の一人の方はこう添えていた。

 

「新しい方がいらっしゃってよかったですね。ご挨拶を聞いて、きっと何か重いものを背負っていらっしゃるのかな?と思い・・・・」とあった。

 

そう、たぶんそう。でも本当によかった。

 

年末恒例の大掃除だと伝えると、Sさんも仲間に加わって下さった。三平汁の昼食を終え、みんなが居なくなった頃、Sさんが言った。

 

「先生、上にちょっと行って来ていいですか」と。Sさんは姿を消した。2階は礼拝堂。

 

夕方、妻と共に買物に出かけ、スーパーに居たとき、携帯に電話が来た。「先生、最初の日から遅刻して、すみませんでした」「Sさんが来てくれただけでも嬉しかったですっ」と答える。

 

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これからもご一緒できる限り、あれこれお喋りしながら、共にあゆみたいものだ。

 

あのルカ福音書のイエスの譬え話のみ言葉は、きのう成就してたことを信じる。

 

日曜日の礼拝。

 

そこには、人の思いを越えた“story”がある。神さまが備えられた物語。

 

だから、わたしはここが好き。end

 

追伸:

二日後、幼稚園のページェントを観に来ていた時、休憩中に職員室にいた。そのとき、Sさんがひとり教会にお出でになる姿を妻が見つけた。わたしは急いで教会に向かい、降誕劇を観ましょう、と誘いに走った。

 

1階には人影はなし。礼拝堂へあがった。

 

目に入ったのは、聖餐卓の前にひざまずいているSさん。ありがとうございました。たいせつなことを教えて頂いています。感謝。

 

 

 

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