話題は、体重の話だ。
昨日の日曜日の礼拝。子ども説教で読んだのは、ヨハネによる福音書6章35節だった。
【わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない】
恥ずかしい話しですが・・・と、み言葉に合わせて、〈過食〉つまり、食べ過ぎについて触れた。いやいや、あくまでもみ言葉への導きとしての話題だが。
ちなみに、話の内容は、今週土曜日の夕方くらいまでは、教会のライブ録画の中に収められていると思う。始まって10数分頃の場面のはずです。(やがて、全部の録画をご覧頂けるように、わかりやすくします)
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衣替えの季節だ。
薄手のカーディガンやベストを引っぱり出す。夏ものの靴下とそれ以外の季節用もあるので、普段、jeansで過ごすことの多いわたしは、いわゆる、ソックスも衣替えとなる。このあたりまでは、まぁ、問題はない。
ソックスは体重が増えても、さすがに新しいものを買わないとなんてことはない。
去年購入したシャツ。ボタンを上からとめ始めて下に向かっていく。だんだん止まりにくくなっていることに気付いていたがそのままにしていた。まだ、着れるから。
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問題は背広だった。
冬物に行く前に、合い服の黒いスーツを2,3ヶ月着る。余談ながら合い服の背広、神学校卒業前に購入したものだが、英国のゴツイ生地のお陰か、ビクともしないで今も現役だ。
そんなことより、体に納まるかどうかが問題。
上着はいい。なんとでもなる。しかし、ズボンの方はどうにもならない。ボタンをとめ、フックを掛けようとすると・・・。とまったが苦しい。いや、非常に苦しい。
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高校時代からの親友に、山ちゃんがいる。あるcredit card会社の出世頭に次ぐ位の頑張り屋だ。
山ちゃんの背広の着方。前からなんか、俺達と違うよなと思うことがあった。そう、腹が立派にぽこーんと比較的若い頃から出ていた山ちゃんは、中途半端にスラックスをはけない。出ている腹を完全にズボンで隠すはき方になる。
後ろから見ると、ズボンのヒップラインというのか、ウエストラインというのか、その位置が高かった。
今のわたし。山ちゃんである。山ちゃんと兄弟だ。背広を着る度に(最近は、ほぼ、わたしの場合、日曜日だけだが)山ちゃんを思い出す。
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原因はわかっている。
「食べ過ぎ」「運動少ない」「早食い」そして、その近辺のことだ。
成人の必要なカロリー摂取量は、肉体労働でもないわたしの場合、2千数百カロリーくらいだろう。が、今、食後のお八つを合わせると、倍くらい行ってるんじゃないか。
かつて、恰幅のよい体格だった(オデブさんということです)岡田斗司夫という放送作家が居られる。体重 を117kgから67kgへ減らした岡田さんの本は「いつまでもデブと思うなよ」(新潮新書)だが、そこに、かなり論理的なダイエット論が綿密に書かれている。
その中に、ダイエットが上手くいくと、「自分に自信がつく」「他人からの評価が変わる」「自分の人生をコントロールできる」というようなことが記されている。
うーん、最後の、人生をコントロール出来ていないなんて辺りは、結構、重い言葉だ。たぶん、本当にそのとおりだから。
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少しだけ、言い訳。
2年と少し前、椅子に座ると、尾てい骨というのか、とにかくお尻の骨の尖っている部分が、痛くて痛くてたまらない程、痩せてしまっていたことがあった。身長180センチのわたしだが、60キロ代前半で、今より15キロは少なかった。ガリガリ君か。
その頃の写真を見ると、わたしの場合は(という限定付きか)われながら貧相で哀れな感じにも見える。
痩せすぎているよりも、少しふっくらの方が長生きもするようだ(ホントか?)。お酒も飲めないし(飲まないし)、煙草も吸わない(だからなんだ)。
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先日、教会のコピー機でお世話になっているお兄さんと雑談をしていて年齢の話になった。
「○藤さんは、年は幾つ?」
「わたし、まだ三十歳です」
「ボクは幾つにみえる?」(なぜそんなことを尋ねたのか、深層心理で若く見えるか、相応に見えるか、気になったのかなぁ?)
(○藤君、困った顔で)「うーん、そうですねぇ・・・・」(沈黙、ホントに思ったことを言うと傷つくと思ったと感じる)
「失礼なこと言っても、全然構わないよ!」
「うーん、結構、わかいと思ったんですよねぇ」
「そう」(わたしは心の中で、40代と思ってるのか?)
(○藤君、少し油断して)「55歳位ですか」
「ワッハハは、もうすぐ53だよ」
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顔で笑って、心でで泣いた、なんてことはない。
実は、少し嬉しかった。年齢に見合った顔に見えるようになったのかな、と。
同時に、実は、自分の心の中で、身勝手な「コジツケ理論」が確立されていることに気付いたのだった。
(またもや、心のなかで)
「ほーらね、だからさ、少しくらい太っている方が、いいんだ。こういう仕事の場合はさ、貫禄だって出てくるし」(我ながら、理論破綻を認めざるを得ない 恥ずかしい)
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2025年問題( 「団塊の世代」が、2025年には75歳以上となり、医療費など社会保障費の急増が心配されている問題)はまだ遠いが、オイラには、差し迫った危機がもうそこまで来ている。
今年の3月、クリーニングに出した冬物の背広、間もなく、出番である。たしかあの頃も、十分危険だった。だから、目一杯ウエスト出しをしたような記憶が・・・。
冬は来る、雪は降る。背広もかえにゃいかん。
おかしいよなぁ。10年前はダンベル体操だけで、しっかり体重コントロール出来たのに。そんなことも思う。
5日前から、ある時からすっかりやめてしまっていた、室内で出来る「step運動」を再開。
冬物を着始めるまでに、あと50日位かな? 確か、去年は11月末に、雪が思いっきり降り始めたものなぁ。
クリスマス前の、「待降節=アドベント」がリミットということか。主イエス・キリストよ、今年はゆっくりお出で下さい。
最後に宣言。我が家に背広を新調するお金はない! だから、ダイエットするしかないのです、と。end
※もう、ウエスト出しは出来ないはず・・・