『利尻昆布バザー』を稚内教会が始めてからもうすぐ4ヶ月が過ぎようとしている。
何とか軌道に乗るところに漕ぎ着けたいと思いながら、日夜精進の毎日である。
あら?精進って、仏教用語かしら。まぁまぁ気にせずにいきましょう。とにかく、あれこれ出会いを楽しみながら、方策を練っているところである。
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3日前の夕方だったか、市内の車で15分で行ける漁師さんの所に、妻と共に出掛けた。
これから先、仕入れさせて頂く昆布は、出来るだけ自分たちで切り分けますので、今後は、漁師さんの負担を減らして行きたいと思います、と伝えるのが目的だった。
目的地の小さな漁港に近づくと、港と一体化している漁師さんのお宅の前の道路端で、父さんが何やら軽トラから降ろしておられたので、「こんにちはー・・・」と妻と共に寄って行った。
すると父さん。少し小声で「あんたらぁ、入札結果は知ってるのかい?」と(多分)言われた。
そう、利尻昆布は、稚内の漁業協同組合で開かれる市場?の入札で、各グレード毎(味は変わりません。見栄えの問題です)に価格が決まることになっている。というか、そういうものなのだということを、わたしの場合、この半年ぐらいで知るようになった。
わたしはその件について何にも情報を持っていなかったが、妻は午後3時過ぎに届いた地元日刊タブロイド新聞『稚内プレス』に記事が出ていたのを読んでいたらしく、すぐに反応。「うん、うん、父さん見たよっ」というような言葉を発した。
あー、そうだったのか、と気楽な気持ちで居た所、父さんはこう口にされた。「あんたたち、買えるのかい。1駄(15キロ)当たり15,000円も上がったぞぅ」と。
な、な、何と言うこと。
帰宅してから稚内プレスの記事を見ると確かに大きな文字で報じられている。
「70%高」と。
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わたし自身はとりわけ算数にも弱かったこともあり、正確な計算は出来なかったけれど、昨日、計算に強い教会のご婦人が掃除においでになった時、妻に話し掛けてくれたそうだ。
「あの値段だと、ひと袋あたりの教会の収益は〈○円〉なのよ。せっかく軌道に乗り始めたと思っていたのにねぇ」、と口にされたとのこと。
※〈○円〉は誤解だったと判明も、かなりシビアな数字と知る。
説教準備の集中時間に入り掛かっていたわたしの元に急いでやって来た妻は、「ねぇねぇ、センセイ、○○さんから今聞いたんだけど・・・利益はひと袋〈○円〉だって」と伝言。
わたしは、その言葉の意味がその時は、ハッキリと分かっていなかった。正直言えば、今もまだクールに算盤勘定というか、もろもろのことを整理するに至っていない。
これって大ピンチ?
何故、一気に前年比70%高の値段が市場で付くのか、と言うならば、今年の昆布は大不漁らしい。今の所、毎年の平均収穫量の10分の1程しか昆布が採れていないらしい。漁は9月末迄続くと聞いているので、最終的にはどうなるか分からないが、だいたい、最初の値付けがあとの相場に影響を与えるものの様子。
確かに、数ヶ月前から、『稚内プレス』にも不漁予想情報が流れていた。
その道に通じている漁師さんたちは、昆布漁が出来るポイントを、それぞれのオラが海で周知して居られるらしく、昆布の成長ぐあいは、解禁前から目視で大体は確認できると聞いている。
いやはや、高値も心配だが、仕入れしたいと考えている昆布自体が限りなく少量で、高値でもバンバン一切の迷いなしで買うことが出来る関西方面の問屋さんや商社に太刀打ち出来るわけがない。
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と言うわけで、『稚内教会の利尻昆布バザー』。暗雲が立ちこめているのか? いやいや、「ピンチはchanceだ」と信じたい。だいたいそれが俺の人生だったじゃないか(落ち着いて、おちついて)。
利尻島の漁師さんとの2週程前のやり取りでは、「何百キロも要るわけじゃないんだろうから、大丈夫。お盆過ぎるまで少し待って・・・」と落ち着いた言葉が確か聞こえた。
さてさて、これから先、ジタバタせずに、教会の皆さんと相談しながら、取り組みたいと思う。今回のBlog。言うなれば、ちょっと頭の整理というか気持ちを整えて行きましょう、の情報開示というわけであります。
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ちなみに、来年=2014年は、利尻島産の方の利尻昆布(「利尻昆布」は学名ですから、宗谷近郊というか、北海道の北の方の海の昆布はすべて「利尻昆布」と呼ばれます)の方は大豊漁(の見込み)らしい。
既に、ちびっ子昆布が“バッチリ・ぎっしり”岩場に育ち始めている、と7月にお訪ねした時に漁師さんは仰っていた。
世の中、ムツカシイものだと思う。
でも、道内の仲間たちや、全国各地の教会の方々や友人たちから伝わって来ている「いい取り組みじゃないか!ガンバレ」の声を励みにして、誠実に歩いていきたい。
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一昨日、とある教会のご婦人に昆布の業務連絡をご自宅に入れたときに、「稚内教会牧師のもりでございます。昆布のことで・・・」と話始めようとすると、なぜか先方、笑いだしたのだった。
どのような文脈で笑いが出たのかは正確には分からない。
でも、わたしは思った。なーんか昆布ってのは、心の距離をぐんと近付けてくれるんだよなぁ、と。
勝手な思い込みで言えば、「あーら、わっかないの昆布牧師・森センセイ・・・他のお仕事もあるのにぃ、ガンバッテルものねぇ、応援しているわっ」と伝えてくれたのではと。
何事も良い方向に解釈して前進いたします。
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わたくしの亡きオヤジも、唯一原付免許を持っていて、またがっていた50CCのバイク(古い話ですが、1976年頃の、あの“ソフィアローレンのラッタッタ(ロードパルが正式名)”からです)は、右折も左折もなかった。前進あるのみである。
信号が赤になれば止り、黄色になれば減速は当たり前だが、右折と左折はなし。決して危険な交差点には突入せず、急ハンドルは一切なし。ぐるーっと緩やかに時間が掛かっても回って行くうちに、いつしか目的地に着くというやつである。
わたくし、その父の息子です。応援よろしくお願いいたします。end