一昨晩だっただろうか。夕飯を食べながら妻にぽつりと語った。
ある町に暮らして居た頃の食卓に、どんなものが出てきたのか、ほとんど思い出せないのだ、と話をした。
ま、そうは言っても、お気に入りの魚屋さんのお刺身だけは覚えている。
たとえば、《かわはぎ》の刺身。肝が添えられて旨かった。ポン酢でいただく、かわはぎの味は忘れられない。肝も最高。
でもそれ以外があまり思い出せない。
忙しすぎる生活をしていたのかな、とも思う。たいせつなものを見失っていたのがその当時の暮らしだったのかも知れない。それが当時のわたしの限界だったのだろう。
しかし、それに比べると、稚内、そして新潟県の上越市で暮らして居た頃の食卓は、非常に豊かな季節感があった、ということに気が付いた。
どちらも冬は厳しい。
上越の高田という町は日本有数の豪雪地帯で、「この雪の下に高田あり」という言葉で知られる町だった。
高田では寒い冬に、水ようかんが売られていた。不思議なほどあれが美味しかった。
あの町のお味噌屋さんの味噌も、たいそう、味わい深かった思い出がある。妻は日本酒の美味しさも知ったようだ。
秋、上越でコシヒカリを作っている韓国出身の農家のお嫁さんが、「先生、食べて下さい」と言って届けて下さったお米。
まさに、銀シャリ。
ぴかぴかに光っていて、ご飯だけでもいくらでも食べられる程だった。
稚内でも味わえるが、あちらの甘海老といただいた銀シャリは、その絵を思い浮かべるだけで、お腹が減り始めるほど。
その他、新潟の春は、山菜がとても豊富だったことも思い出す。
稚内も自然環境はとても厳しいのだけれど、季節の食べ物の楽しみが大きいように思う。
地理的にもいろいろとハンディがあるから、決して何でもあり、というわけではないはず。それでも、食材、とりわけ、魚介類と共に季節の移り変わりを感じられることは幸せなことだとなぁ、と今頃になって気が付いた。
季節の移り変わりと共に、食卓にのぼる魚が少しずつ変わっていく。
最近は平目の刺身が旨いなぁと思う。鯛や平目というけれど、稚内で売られている平目のさくは、なぜか決して高価ではない。
野菜も旨い。この季節だけしか稚内の家庭菜園は野菜作りは出来ないはずだ。キュウリ、インゲンをある方たちから頂いたのだが、素晴らしい。味がしっかりしていて幸せだなと思う。冬を越したジャガイモだってたまらない。
そうそう。
利尻昆布で出汁をポットに妻がとっていて、いろんな料理にそれを使っているのも、効き目が出始めていることに気が付いた。昆布だしをたっぷり使う生活なんて、これまで知らなかったのだから。
いりこ・煮干だけよりヤッパリおいしいですな。
各地から届く名産の菓子なども、ようやく、少しばかりだが、その町の風景と共に考えることができるようになってきた気がする。
神さま、ありがとうございます。end