亡き姉の長男=甥っ子の宗太君との再会の4日間は、じわりじわりと感動を覚える時間だった。
姉が天に召された時、彼は中学3年生になろうとしていた。あれから14年が過ぎたのだが、宗太君も自分の道を求めて紆余曲折があったという。
4年前まではベーシストとしてジャズのミュージシャンを目指したが“食えない”“甘くない”ことを実感したとのこと。その頃、オヤジさんからも、もう独り立ちせよと突き放されたそうだ。
そんな彼が、先輩から誘われた小さな会社で、コンピューターのプログラム等を通じて、障がい者の為の働きをしているという。正直に言ってひいき目であろうが、おじさんからすると、よく頑張っているじゃないか、と拍手である。
宗太君とはこれまで、ゆっくりと二人で何かを話したことがあったわけでもない。姉が傍らに居てこそ成り立つ関係だったような気がする。
しかしこの度は彼とかなり密接な時間を過ごした。札幌経由で稚内に入る宗太君を、JR幌延駅に迎えに行き、オロロン街道や稚内市内も案内。我が家でもゆっくりと二度の夕食をし、礼拝も出席してくれて、日曜日の夕方からは、二人で、利尻島に向かった。翌日は島内をレンタカーで一周。先頃稚内教会で始めた利尻昆布バザーの関係で、昆布を納入してくださる漁師さんを一緒に訪ねたりもした。
最終日は、宗谷岬と宗谷丘陵に、スーパーで買った、にぎり寿司(上かな)の弁当をもって妻と三人で出かけ、この足で横浜の仕事場に戻ります、という宗太君を空港で見送ったのだった。
何とも不思議だったのは、何年も話をしていなかった、あるいは、じっくり向き合って話をすることもなかった宗太君と、姉が生きていた頃以上に、何のストレスも感じないような時間を、ごく自然に過ごせたことだ。
これが家族というものか、というような感すらあって、神が備えてくれたと感じている。
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ところで、利尻の天国がらみの話である。
利尻登山の入口にある甘露泉水(かんろせんすい)は、わたしにも分かる名水だった。これはすごい、と感じるおいしさで、くせになるような味わい。そしてまた、甘露泉水(かんろせんすい)が湧き出る泉に辿り着くまでの緑が美しかった。森林浴の癒しをしっかりと感じることができる素晴らしさだ。
お世話になった宿は、お隣の礼文島のことならこの人に聞けみたいな方を通じて紹介して頂いた、ペンション“群林風(ぐりーん ういんど)”さんだった。
港に到着した際、ペンションのオーナーさんが他のお客さまも含めて出迎えに来てくれていたのだが、同宿した方々は、ほぼ皆さん、数年前に第一線を退かれた、ご主人とその奥さまという雰囲気。
夕食の時には全宿泊者一同が食堂に集まったが、一人で遊びに来ている様子の若者以外は、皆さん70歳前後の方。あともう一人の例外は、グループで翌朝から利尻富士に登られる方々を引率する専門家だった。そうそう、日本の百名山を利尻富士で登り終えたご婦人も居られた。百名山を登り終えるのはかなりの決心と体力、そしてお財布の方の力も必要かと思う。
お食事はとてもよいバランスのもので、文句のつけようもないお味。量的にも、しばしば観光地で出くわす、もうこれ以上は食べられません・勘弁して下さい状態になることなく、程よい量である。これは朝食にも言えることで、私的にはこの朝食はここ数年のお泊まりで最高の出来だったと思う。完璧だった。
今振り返って見ると、あの食事の量は、見事なまでに狙いを定めたものだったなぁと感じる。そう、70歳前後の方たちにターゲットを絞ったピッタリの量で、やや薄味のもの。たぶん、お肉は一切れもなかったと思う。でも少しもさみしくない、素晴らしいバランスだった。
翌日の夕方、利尻からフェリーで稚内に帰るとき、ツアーコンダクターに導かれて列に並ぶ方々の9割は65歳~80歳に見える皆さんなのだ。
そう、生涯に一度は北海道へ。それも札幌や富良野ではなく、経済的にも時間的にも少し無理すれば、これくらいの国内旅行はまだまだ楽しめます、という方々がお出でになっているのが、今の利尻であり、おそらく礼文なのだろう。
ということは、実に、一歩身を引いて考えてみると、利尻や礼文はまさに、天国に一番近い島なのである。実は天国のような島というフレーズは、札幌のある教会の先輩から聴いたことがあった。「礼文の夏は、天国。早いところ行っておいで」と。しかし、もう一つ違う意味でも、利尻・礼文は天国に近いところだったのだ。
遠方の皆さーん。もちろん、若いうちに来てもたくさんの感動があるはずですから、ご安心ください。やっぱり、一番のシーズンは6月から7月、長くて8月中旬までのようですよ! こちらにお出での方、旅のプラン、だいたい立てることができるようになりました!何でもお尋ねくださいませ(^^♪end