「ぜーんぶこれ、繋(つな)がってるんですねぇ」
木曜日にある「聖書の学びと祈り会」の昼の部に出席して居られるO洋子姉が、時間の最後に聖書を指差しながら口にされた言葉だった。
わたしは小さな感動を覚えた。わたしがその日、語ることが出来なかった大切なことを、ズバッとひと言で口にしてくださったからだ。聖書を自分一人ではなく幾人かで読み、語り合うことの醍醐味をあらためて思い起こさせてくれる瞬間だった。
牧師として仕えさせて頂く中で、“たのしいなぁ”と感じる時がたまーにある。しばしばとも言いたいが、そればかりでもないのも現実だ。でも、毎週やっぱりたのしいのが「聖書の学びと祈り会」の時間だ。
わたしは教えるだけの役割を担っているのではない。むしろ、参加者からの質問や気づきを通じて教えられるし、広がりを感じるのだ。
だから、トンチンカン?な質問は、いつでも大歓迎という気持ちで居る。
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日本聖書神学校の縣洋一神学生が、3月に春の伝道実習においでになった時に、こんな話をしたことを思い出す。
「僕は、《聖書の学びと祈り会》で大事にしていることがあるんだ。それが何か、参加して考えて見て」と伝えたのだった。ところが申し訳ないことに、うっかり、その後その話題を口にしないまま伝道実習は終わってしまった。
つまり、縣神学生に答を伝えないままだった。
(業務連絡)縣さーん、ここに一応、あの時の答を記しておきますよー!
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実は、わたしはこんなことを考えていた。
「聖書の学びのために自分が準備していることとは違う、思いがけない展開になる時間が大切なんだ。無駄だと感じるような、参加者のおしゃべりを大事にしたい。だから、話が横道にそれたら、それたまま、なるべく口出ししない」。
今の稚内教会の祈祷会、始まりや終わりがダラダラとすることがある。でもそれでいいんだと思っている。
人生振り返って見ると、無駄や脱線や遠回り、そして寄り道している時にこそ、色んなことを学ぶ機会となっているからだ。若い頃のわたしだったら、「はい、時間ですから始めます」みたいな調子で、会を進めていたような気がする。ま、それはそれで大切なのだが。
つい最近、稚内教会の創立時、つまり60年近く前に、道北地区で宣教師として活動されていたハウレット宣教師(カナダ合同教会から)の英語で記されていた貴重なレポートの内容について、道北地区の仲間から聞いた言葉がある。
ハウレット宣教師。各地の家庭集会で聖書研究を始めると、反応がとても悪くて、頭を抱えていたそうだ。
そこで始めたのは、参加者に対して、「今、悩んでいることはどんなことですか?」「家庭の問題でみなさんの前でお話できることがあれば」というようなことを先に話題にしてみたのだという。
すると、参加者は生き生きとした感じで語り始めたという。
そして、ハウレット宣教師は、参加者の悩みに即したみ言葉を紹介しながら会を続けたというのだ。おそらく、昔も今も変わらない真理がそこにはあるだろう。
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閑話休題
最近、稚内市立図書館にお世話になることが多くある。大都会からすれば本当に小さな本屋さんが数軒あるだけで、医療の過疎と共に、稚内のすこし辛い現実の一面でもある。でも、その本屋さんも一所懸命がんばっておられるのがわかるので、ぜひぜひ、応援しなければいけない。
稚内には本屋さんが少ないなー、と決め込んでしまっていたわたし。恥ずかしい自分に気が付いた。立派な市立図書館があるということにである。
稚内学の会場になっているのが市立図書館だ。それはそれは美しい建物であり、快適な空間なのだ。なのに、本をじっくり見ることをしていなかった。愚かしいこと。
で、市立図書館の新刊書の棚というのがある。そこは宝の山に感じる。いやいやその新刊の棚以外も有り難いのだが・・・。
例えば、絵本のような体(てい)裁(さい)の『農家になろう① 乳牛とともに』(農文協編)に先日出会った。牧師仲間に聴いてみると、知る人ぞ知るというか、道北という地域柄か、どうも話題になっていた本のようだ。
『農家になろう① 乳牛とともに』を読むと、稚内教会にも居られる酪農家の一年、あるいは一日。そして、牛たちの一生を思いがけないかたちで知ることが出来たのだった。いやー、これは有り難い。
ただし、過日、このBlogにも記したことだが、酪農家の生活は決して決して甘いものではない。仲間との助け合い、励まし合いがなければやっていけないという声を最近も聴いた。また、離農されたある男性が「牛の世話をしているときに、“闇”が見えるんだ」と言われた言葉が忘れられない。
ちなみに、稚内の市立図書館の場合、一度に10冊まで借りられる。誰もが《おとな買い》ならぬ《おとな借り》することが公に認められているのだ。10冊に1冊位は確実に面白い本が出てくることを思うと、安心して、棚から本を取り出すことが出来る。これを全て購入、あるいは、立ち読みしていたら、えらいことになってしまう。
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豊富町の兜沼在住の会員・J子姉のご主人のお母さまキヨさんが、5月の初めに89歳で召天され。キヨさんのつくった豆が最高にうまいねぇと、牧師館で話していた矢先の召天だった。
わたしはお通夜に列席させて頂いた際、出逢った言葉が心に残った。お経を読まれたご住職さま。講話の最後でキヨさんへの尊敬の念を表しつつ、「“かあさん”はお寺の奉仕をたいせつにしていた」と、列席者に紹介して下さったのだ。幾人もの方がうなずいていたように見えた。
実は、わたし、豊富(とよとみ)のI宏明さんのことを我が家で「豊富の父さん」と呼んでいる。もちろん敬愛の思いを抱きつつだ。
稚内ならではなのか「とうさん」「かあさん」という語感に、これまで暮らしてきた地方では感じたことのなかった温もりが感じられるのだ。個人的にはそれは嬉しい語感だ。何とも言えない良いこの語感。これからも大切にしたいなぁと思っている。
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日本ハムファイターズの栗山英樹監督のことを前号で触れた。彼は勝負に徹しきれないところがあるように見える。だから惹かれると。
そうしたところ、オリックスに放出してしまった糸井選手の不在が影響しているのか、それともピッチングコーチがジョニーに交替したからか、あるいは、head coachが非力なのかは不明だが、心配していたことが起こっている。な、な、なんと、5月になって連敗が9試合続いてしまったのだった。
あらあら。人の良さそうな栗山監督。眠れない夜を過ごしているというNewsが伝わってきます。ここは一つ、ふてぶてしさを身につけるchanceとして頂きたい。牧師にもそれが必要かはわかりませんが。
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教会で今年度から始めた“利尻昆布バザー”が動き始めた。
詳しくは『こんぶ通信 創刊号』をご覧頂ければと思う。とりわけ遠方の皆さま、こんぶの応援ヨロシクお願いいたします。いやいや近くてもお願いします。ただ、まだ生産が追い付かないんですねぇ、不慣れな家内工業のため。
それでも、各地から、好印象ですよ、との声が届いているのは本当の所だ。そして、「応援するよ」「わたしが○○地区のアンテナショップになります」のような声まで届き始めているし、道北地区の集まりに、利尻昆布バザーの品を抱えていくと、すこしオーバーに言うと、みんな「買いますよ」「これ、うち全部もらうよ 10個」みたいな反応なのだ。
「えーっ、ホントっすか!」という小さな驚きと、あー始めてよかったなぁという気持ち。そして、これはやっぱり、神さまが働いているとしか思えない、という感じが途切れることなく続いている。
既にわたくし、日本初の“こんぶ牧師”になる覚悟もできたのだった。だしこんぶのような形で、すべてを出し尽くし、目立たぬ形でお役に立って、最後は佃煮となり、ヨロコンブ(デ)頂ければ、牧師としてのわたしの本望かも知れない。
ある遠方の友が、こんぶの作業の時にと特製エプロンを作り始めてくれていたりするのだ。いやはや。名刺も新たに作り直さなければいけないか(笑)
そしてまた、あるご婦人が、こんぶの作業をしているときに、話し出す前から笑い転げそうになりながら「森先生、説教はいいから、海に行ってこんぶ漁して来てください・・・なんていいだしちゃったりしてねぇ」と言っておられた。
1年前にはそんな笑顔は考えられなかったので、これまた本当に感謝なことだと思う。
はたしてわたしは、何をとる漁師として召し出されていたのか。その召命が問われております(^^♪) チャオ!