週に一度、車で10数分で行くことが出来る、稚内の小高い丘にある稚内北星学園大学へ、キリスト教関連の講義をしに出かけている。
準備の苦労も確かにあるのだけれど、気付かされることが多く、有難い機会だと感謝している。
寺子屋に近いクラスの大きさは、心地よさがある。今年はそれでも18名が受講となり、対話をしながらの時間をと願うわたしには、今の人数が上限である。
まぁ、そんなことはあり得ないのだけど、大教室の授業を担当ということになると、おそらく一方通行となってしまい、性格的に寂しさを覚えるのではないか、と想像する。
先日、今年入学したばかりの、とある1年生の学生さんと、授業後にホールで、お茶を飲みながら、あれこれとおしゃべりする時間があった。
2週くらい前だろうか。その方が授業前に、かつてのわたしが深く愛していた「バランス栄養食 カロリーメート」を美味しそうに食べているのが妙に心に残っていた。
だから、おしゃべりの中で「30年近く前の自分も、カロリーメートに世話になっていたよ。あれはね、その頃発売されたはずなんだ。当時は、牛乳と豆腐とカロリーメートが朝食だった」と伝えると、喜んでくれて、大いに話は盛り上がったりした。
その話の流れの中で、「僕はねぇ、今52歳なんだけど・・・」と伝えた時の事。
「えーーーっ、本当ですかぁー! 父さんと同じくらいだと思ってました。40代後半かもう少しわか・・・・・」という言葉を聞いたその瞬間。
不覚にも、わたくし=もり げんいちろう。何だか嬉しくなってしまったのですねぇ。
何が不覚なのか。
“わが子”と言ってもおかしくない、その青年の言葉に、「おっ、そうか。オレは若く見えるのか」と、嬉しさを隠せず、喜んでいる自分に気付いてシマッタのである。
このように、相変わらず“シマッタ”の多い人生が続いている。
ある頃までは、年よりも落ち着いて見えるような、あるいは、大人に見えることを欲していた自分だったはずなのである。例えば16歳の頃は、(吸えもしないのに)煙草を買いに行っても怪しまれないような格好をしたりして、背伸びをしていた。服は地味系のベージュが好みだった。
はたまた、牧師に成り立ての頃も、頼りない牧師に見えないように、経験不足が露呈しないようにと、これまた背伸びをしていたのではあるまいか。
そっ、そ、それなのに。今や、ホントの年よりも、少しでも若く見えると聞いて、大いに喜んでしまう心が、しっかり育ち始めて居るのだった。
自分ではあんまり意識していないことだったので、ちょっとばかり、ガーン((((;゜Д゜))))))) と感じた次第であります。やれやれ。
サラリーマンならば60歳の定年。そして、その後の5年間の定年延長、そしてまた更に、その後をどうやって生きていくのかを考える世代である。
若く見えて嬉しく感じる自分を、素直に受け入れなければいかん、と自覚させられた語らいの時だった。
ありがとう、Hさん。父さんがんばります end