二人姉弟の姉が1999年春、数年の闘病生活を経て血液の病気で召されてから今年で14年。桜の満開のときに姉は亡くなり、桜が散る日に葬儀だったので、桜と姉はなぜかわたしの心の中で、しっかりと結び付いている。
その姉には二人の息子が居るのだが、久しぶりに、お兄ちゃんの方の甥っ子から連絡が入った。『言ちゃんへ』というメールだった。
わたしはサラリーマン一年生の頃、神奈川県藤沢市にある鵠沼(くげぬま)という、穏やかな空気に包まれている静かな町に暮らして居たことがある。東京駅前・八重洲口のofficeまでは東海道線を毎日使って決して近い所ではなかったが、“江ノ電”の沿線には風情とちょっとした上品さがあって、独身寮暮らしの頃の良い想い出となっている。
当時姉は、横浜の金沢文庫という町に新婚間もない家庭を構えていたので、日曜日になると、ドライブを兼ねて、よく食事をしに、江ノ島の海岸を走り、風情ある鎌倉の町の裏道を抜けて行ったものだ。姉は今、鎌倉から金沢文庫に向かう小高い丘に眠る。
で、甥っ子の○太くんは、その頃生まれたのだった。もう彼も20代後半ということになる。
つい最近、ひかり幼稚園で働くイケメンセンセイの大輔くんにはじめてのお子さんが産まれて、おめでとうを兼ねてインタビューじみた言葉を投げかけると、すこし神妙な顔をしていた。
その際、しばらくの間を置いたあと、大輔先生が「オレ、実感がまるでないんすよ。“さる”みたいでした」と正直にお話していたのが印象的だったのだが、その言葉を聞いていた時、わたしの頭に思い浮かべていたのが甥っ子の○太くんのことだった。
わたしが初めて○太くんに会ったときに口にしたのは、姉だから遠慮なく言ったのだと思うけれど、「ETみたい」(“ET”もうだいぶ古くなりましたね)だったと思う。ねえちゃんゴメン。オレもほぼ間違いなく猿だったと思います。
甥っ子の○太くん。お父さんが北海道・札幌出身ということもあり、「近く、稚内を訪ねたいのですが、言ちゃんのご都合は?」というではないか。嬉しい。それで、昨日の日曜日の夜、久しぶりに電話を入れた。というか、はじめてかも知れない。
電話を終えると妻が、「なーに、そのきごちない話し方。○太くんに、敬語使わんでもいいやろ」と言っていたが、なるほど、だいぶぎこちなく、変な言葉遣いになっていたと思う。
「日曜日の礼拝にも出席したいと思っています」と奇特なことを言ってくれて、おじさんを喜ばせくれるではないか。なぜか電話を切ってしばらくしてから、目が急にかゆくなって、おじさんはゴシゴシとこすっていたのだった。
「せっかくだから、利尻か礼文に一緒に行こうか」と言うと、○太くんは、「利尻には憧れがありますので、ぜひお願いします」という話になり、ちいさな喜びを与えられた夜となった。北海道に居る恵みが、こんな形でも与えられた。感謝。end
****************
追伸:体調のことで
ご心配下さる方が居られますのでご報告。あたたかいお言葉、感謝しております。
めまいは完全には抜けません。が、ひどくもないし、フラフラするわけではないのです。少し根を詰めてなにかを続けたあと、ふーっという何とも不快な感じが、目から頭の方に抜ける感じがあります。
さりとて、病院に行く程ではなさそう。というか、混み合っている待合室で待っているうちに気分が悪くなりそうで、散歩でもしている方が健康的だという確信あり。自分の心掛け次第でも改善できそうな部分がありそうですから、努力いたします。はい。以上です