稚内教会と我が家に、思いもしなかった形で春を運んで来たのは、日本聖書神学校から春季伝道実習生としてやって来てくれた、縣洋一(あがた よういち)さんだった。
朝7時前から夜11時過ぎまで、「先生、お聴きしたいんですけれど」「恐縮です」「あっ、いいんっすか」「ありがとうございます。あっ、すいません」「ウーッす」「うーーーん。やぁ、これ、さいこう旨いっすねぇ」等という声が聞こえて来たり・・・。稚内温泉ドームの露天風呂で裸の付き合いでカラダを震わせながら、日本海に真っ赤に燃えながら沈んで行く太陽を見た。
最後の土曜の夜、別れたのは4時半。次に「久し振りぃ」と言って元気を振り絞って顔を合わせたのは6時40分だった。
朝晩、礼拝堂の最前列でコートに包まって祈りを合わせるうちに、互いになぜか涙を流していることも複数回あった。
「先生、さっきの言葉ですけど、もう一度教えて頂いていいですかぁ」ということが何度もあった。「詩人は詩を作れるから詩人なのではなく、詩を作られなければ生きて行けない人・・・それは、説教者も同じ・・・」。「逃げ道をつくっておくべきだし逃げ出してもいい・・・・。一方で、逃げ道は封印してしまわない・・・」等など。
わたしは今春、牧師となって20年目に入る。もしも、順風満帆な道を進んできていたとしたら、伝えるべき事も言葉もさほど持たなかったのかも知れない。本当にそれが実感である。
失敗し、回り道し、後戻りし、座り込んで動けなくなったことが幾度かあった。しかし無駄な道は無かったと今更ながらに思う。
もう一つ。ちいさな日本の最北端にある、様々な傷を抱えている教会と牧師がもちいられることは、不思議な経験となった。神さまはすごいと思う。他に立派な教会や牧師はたくさんあるし、居られるだろう。
春伝を終わる時、二階の礼拝堂に駆け上がった。『讃美歌 21』の90番 「主よ、来たり、祝したまえ」を歌うことにした。まず、二人で大きな声を出して、歌詞を読んだ。どちらからともなく、声を詰まらせながら。
・・・われらみな、主のものなり、笑うときも、泣くときも。
・・・悩みにも、苦しみにも、打ち勝つ信仰 与えませ。
・・・なみだもて 種まくもの ときいたらば むくいられん。
その後、二人で、これでもかという程、大きな声で賛美した。そしてわたしは講壇から派遣の言葉を祈った。「今、行きなさい。わたしはあなたを遣わす」と。
わたしが講壇から降りて来ると、彼はなぜか「兄貴」「兄さん」と言って手を握った。稚内空港でもそうだった。でも、なぜかそれがしっくりする。先生よりも、きょうだい。どうろうの仲間なのだ。
教会の庭の氷がバリバリと音を立てて割れはじめた。確かに春が来た。
アンパンマンならぬ、まーるい顔の、いつも憎めない男=自称=あんぽんまんは、涙と共に稚内の空に消えていった。