2/10(日)、礼拝のあと、道北地区委員会と地区牧師会が名寄の道北クリスチャンセンターで行われた。教会の皆さんの、車は使わないで列車で行ってください、の声に従う。
宗谷本線の列車は極端に少ない。というか、利用者の数から考えればこれが妥当なのだろうが、朝と夕にスーパー宗谷。昼間はサロベツ号だけが札幌方面に向かう特急である。バスもあるが、名寄、旭川は路線から外れている。
エゾシカが線路に出てくることがこの時期は頻繁なようで、しばしば連続する汽笛と共に列車は停車。先頭車両に偶然乗車したところ、鉄道ファンの鉄男の中でも「撮り鉄?」の方々や親子が幾人も居られてびっくり。
そして車両先頭の運転室横のスペースには、黄色いヘルメットの保安要員さんが後ろに手を組んで見張っている。エゾシカ関連の事故(車両に衝突、死亡はしばしばの様子)に備えているのだった。
名寄駅の改札を抜けて、タクシー乗車競争に遅れてはいかん、と思って走り出したところ、どこからか「森先生」と呼び掛ける声。名寄教会員の稲益さんが迎えに来てくれていた。助かった。
車中、昨秋に作成した「略史」(教会HPに歴史のページがあります)によく目を通してくださっていて驚いた。道北地区は交流ファイルという、教会の週報その他の印刷物がスクラップされて、互いの教会の様子が分かるようになっているのだが、かなりじっくり読み込んでくださっていた。いやー嬉しい。
名寄から稚内寄りに15㎞程の所にある美深(びふか)。その美深にある美深教会(現在は、日本基督教会で、教団ではありません)において昭和20年代中頃牧会をされていたのが“深山佐太郎牧師”だ。
最初、稲益さんは「深山」と書いて「みやま」と読むことに気付かれなかったそうで、「深山」が「みやま」だと気付いてから、ご一緒に教会生活を送っておられる方の中に「みやまぼくし」から洗礼を受けた方が居られることなど教えてくださった。
いつもながら、道北地区の仲間たちは、ユーモアもいっぱいあるのだが、ほんとうに真面目である。16時開始の会議は、延々、21時まで続いた。夕食のお弁当を食べる時間も惜しんでの語り合いだった。地区レベルでこんなにやっている所は他にないのではと思う。
来月の地区総会に向けていろいろなことが話し合われた。稚内教会の経済的な窮状を訴えたところ「そういうことを話し合うのが地区委員会なのだから」と、あれこれと考えはじめてくださった。
少しでも稚内教会の負担を減らせるようにと、「○○教会は○○増やしても大丈夫です」「うちも○○円増やして、その分、稚内を減らしてください」「うちも減らさなくて、昨年と同じでいいですから」等という感じで会議は進んだ。新たな支援金まで頂くことが内定。恐縮と同時に深謝。北端の教会が孤立しないようにと思いがあたたかだ。
会議は9時まで続き、それからお弁当を頂く。翌日の牧師会もあるため牧師だけは残って深夜までおしゃべりが続いた。
面白かったのは説教原稿の準備の仕方。手書き、ワープロ、そして、アウトラインソフトというものを使いこなしている人など。旭川豊岡の韓守賢(はん すひょん)先生から、アウトラインソフト(アップルPCでしたが)を使いこなしている原稿を見せて頂いたり、興味深い時間を過ごした。これって、ありそうでなかなか無い時間だと思う。
その他、幾人かの牧師仲間は、しっかり、スキー場に出かけて、スキーを楽しんでいることも確認。そうか、じょうずに息抜きしているんだなぁと反省。
牧師会終了後、旭川廻りで帰りたいのでと口にすると、韓守賢先生が「どうぞ、行きましょう森先生」と快く引き受けてくださり、ドライブを兼ねるような形で帰路に着いた。
途中、初めて、和寒伝道所に立ち寄ったり、「三浦綾子さん」の作品にちなんでの“塩狩”にある〈塩狩峠記念館〉にも行くことが出来た(ただし、月曜日は休館日で中には入れず)。わたしは自覚的に教会に行くようになった頃、入院生活を繰り返していて、三浦綾子さんの闘病に関連する幾つもの書に励まされ導かれた者なので、思いがけないご褒美のような小旅行となった。韓センセイ、ありがとう。
ただ、昼ご飯にと当てにしていた、旭川駅前の「山頭火・塩ラーメン」が、ビル建て替え中で食べられなくなって肩を落とした。旭川には有名なラーメン専門店が幾つもあるようなので、今後の旭川方面に出かけた時の楽しみにと思う。待ってろよ旭川(旭川は何も憎くありません)。
泣く泣く、セブンイレブンで助六寿司を購入。朝もセブンのミックスサンドイッチだったのに。でも、腹が減っていたのか、これが思いの外おいしい。笑顔を取り戻した。人間、いい加減なものだなぁと思う。end
【三浦綾子・塩狩記念館】http://www.tesio.net/~dhpress/special/1999dhspecial/siokarikinenkan/siokarikinenkan.htm