もう、2週間程前のことになる当地でも珍しいと聞いたかなりの迫力の吹雪が去り、近頃では、故郷の九州からは梅の花の便りが聞こえ始めた。関東地方ではなぜか20℃位まで気温が上がったというニュースも目に入った。
そう、先週の木曜日から金曜日にかけて、つまり、1月31日~2月1日は、稚内も相当にあたたかだった。信頼できる気温をいつも表示するわが家の自動車の温度計が、+5℃くらいになっていたと思う。
こうなると、雪降ろしの作業をするのも、雪が一気に解け始めるため危険だ。ひかり幼稚園の屋根に上って作業をしている方たちが、用心深く声を掛け合って仕事をされている様子を見て、危なさが十二分に伝わって来た。
金曜日の夕方近く、教会の牧師室で仕事をしていると妻からやや興奮気味に電話。「ねぇねぇ、すごいことになっとうよ。お隣の教員住宅の屋根の雪が落ちてきて、大変やけん。見たらわかるけん、戻って来てみりいよ(妻は“博多弁”の文化で育ってます)」。
忙しさにかまけて、彼女の声を軽く聞き流してしまったわたしは、あとで、妻に、申し訳ないことをしたかなぁ、という気持ちになった。妻は相当な恐怖の中、不気味な音と共に始まった落雪の様子を、ほぼ一部始終、映画のワンシーンを観るような形で心の目に焼き付けてしまったようだった。彼女は、一枚の厚い板が、そのまま、ずるーーっと一気に落ちてきたようだと振り返る。
電話から1時間以上経ってから、食事に戻って来た所、お隣の学校の独身の先生が、背広のまま黙々とスノーダンプを動かしている。
はて、と先生が行き来している先を見上げると、牧師館と教員住宅の間の幅4メートル×10メートル位の空き地には、まさに、うず高く山のような巨大な岩石と化した雪の塊が ゴロンゴロンと転がっているではないか。教員住宅の屋根に積もっていた雪が、一度に、完全になだれ落ちてきたのだった。写真は“気ままフォト”に一枚upしてます。
お隣の高校の先生は、わたしたちの居住空間に多大な迷惑を掛けてしまっていることを自覚されていたのだろう。申し訳なさそうに、「何とかしますから」と言われた。
ギリギリ、辛うじて牧師館の窓辺にまでその岩石化した雪の塊は押し寄せなかったものの、見れば見る程、ウォーと叫びそうになるほどの雪の量にさすがに驚いてしまう。まさに、山である。
教員住宅の屋根から落雪してきた時に、万が一でもそこに身を置いていて、もしも近くに誰もいなかったら、ぶっ倒れて、気を失い、埋もれたまま呼吸が出来なくなり、命を落としたのではというのが実感である。なるほど、落雪に注意とはこういうことなのか、と知った。
危ないから気をつけるんだよ、というお声がけを、教会の方から何度も聞いていたが、実際に経験してみないと、やはり恐ろしさはわからなかった。
冬の初めの頃に妻が庭に植えたチューリップの球根。本当に咲くのだろうか。咲くのだろうと信じていたいが、にわかに不信を抱きそうになるこの頃。春がやはり恋しい。そう感じています。負けてはいかんfight!と自らに言い聞かせてます。
さっき、留萌宮園伝道所の三浦牧師とお話しする時間があった。日本海側が荒れると必ず出てくるのが「留萌」だが、「ここ一ヶ月、家の中にずーっと居た感じですねぇ」とのこと。やはり、この地に於ける過ごし方は、そうなるのだと納得であります。
*追伸
妻は既に立ち直っておりますのでご心配なく。「負けたらイカンちゃけん(博多弁 ・笑 )」と言っています。ある方が、「森家は美樹さんが元気だったら大丈夫ですね」と言っていましたが、まさに、その通りであります。