北海教区の年頭修養会が1/14(月)~15(火)、函館 湯の川温泉で行われた。函館には稚内へ引っ越してくる前に、二度出かけたことがあった。ご縁のある地だと思う。
北海道の北端から南端まで少なくとも500㎞はあるのではないかと思う。ホテルの着物のお姉さまたちも、お見送りの時「稚内からですかー。いやー、遠いですね。ありがとうございました」と言って居られた。たぶん、東京などよりも稚内の方が相当に遠い国、と感じて居られるのではと直感。
日曜の礼拝が終わり、その後、1時45分発の特急サロベツ号に南稚内から乗車。夜7時過ぎに札幌に到着。歩道でもかなり凍結している札幌の町をヨタヨタと歩き、宿のクリスチャンセンターに向かった。
翌朝は、8時20分にJR札幌駅の鐘の広場に集合。外だと思い込んでいたら、鐘の広場は屋内だった。目に入ってきた受付をしてくれているお兄さんの所で、「稚内教会のもりです」と胸を張って申し出るも沈黙が続く。
もりはない?なぜ?と思いつつもう一度「稚内教会の森言一郎です」と今度はフルネームで。しかし、やはり名前がない。最後まで名簿に名前は見つからない。わたしを怪しんだお兄さんが「ワカサギ釣りの方ですよね」と言うではないか。やれやれ、52歳のわたしは、困ったオヤジに完全になってしまっている。わたしの責任かどうかは不明も、バスは20分遅れで出発した。
今年で61回目という北海教区年頭修養会。稚内教会も昨年秋に創立61周年を祝ったから、同じ長さの歴史があると気付く。北海道の各地から約350名近くの方が集まり、今年は、ホスピスケアに長年関わって来られた柏木哲夫先生(現:金城学院大学学長、元:淀川キリスト教病院ホスピス長)をメインの講師としてお迎えして、じっくりと話を伺った。
1時間半ほどのお話。大阪人だからというわけではないと思うが、笑わされながらいつの間にか、聴衆をグッと引き込む語り口は、並の先生では無いと感じた。かんたんな言葉で大切なことを届けようとされる姿勢にも教えられた。
人は生きてきたように死んで行きますよ。そのように、2500人をホスピスで看取って来られた方が言われる言葉には、必然的に相当な説得力がある。聴いている誰もがわが身について考えざるを得ない。今からでも遅くないから、悔い改めなければと身につまされる話である。
そして、「これはわたしの造語ですが、〈矢先症候群〉というものがあります・・・」というのも妙に説得力があった。退職をして、いよいよこれからゆっくり旅行してと思っていたら、大病をして、召されて行くというようなことがしばしばあるとのこと。すなわち、“生と死は裏腹であり、人は誰しも死をいつも背負っている”ということなのだ。
西東京教区からの来賓としてやって来ていたのは神学校の後輩で、同時に人生の先輩だった。不思議なお導きにあれこれと話も弾んだ。
夜、相部屋となった方々たちとは、まるで高校生のように?2時近くまで話し込んでいた。みなさん道北地区からの参加者ばかりで平均年齢は65歳ほどか。雪道の恐ろしさについて、こんこんと教えて下さった。吹雪の時には「ぜったいにトラックの後ろに着くな」「前の車から、追い抜けと合図されても決してその合図に乗らず、とにかくのろのろ着いて走りなさい」等々。ありがたいご助言。
その他の、本当に、どうってことのない話は何とも楽しい時間だった。わたしは一滴も飲めないけれど、珍味をかじりながら、みなさん、函館の焼酎をしっかりと味わっていた。こうして、一日目の夜は、相当に更けていったのだった。(余力があれば続きを書きます。end)